19.ブライアの目
調査官ヴィンセントが、再び領地に来た。
前回から二ヶ月が経っていた。
報告書をまとめるにあたって追加の確認が必要とのことだった。私は訪問を受け入れた。断る理由がない。断けば疑惑が深まる。受け入れても深まる。どちらでも同じだが、受け入れる方が自然だ。
ただし今回はヴィンセント一人ではなかった。
もう一人、男が来た。
名前はブライア。
私はその名前を聞いた瞬間、全身の感覚が一度だけ冷えた。
ゲームの記憶にある名前だ。断罪の場の判事役。国の法を司る立場の人物。正義を信じており、悪を裁くことに迷いがない。ゲームの中で、ルーの断罪を主導する人間だ。
シナリオが、最終段階に近づいている。
*
ブライアは五十代前半に見えた。
背が高く、服装が簡素だ。装飾を好まない人間の選び方だ。目が深い。感情を判断材料に使わない人間の目だ。私がこれまで会ってきた誰とも違う種類の鋭さがある。
応接室で向き合った。
ブライアが先に口を開いた。
「ルー様、お時間をいただいて恐縮です。いくつか確認させていただきたいことがあって参りました」
「どうぞ」
「グレイン公国との件ですが、先方からの書状を受け取られたとの証言があります」
私は表情を変えなかった。
「商取引の打診への返答です。受け取ったことは否定しません」
「その内容は」
「農産物の価格について。こちらからの打診への回答でした」
「王都への報告はされましたか」
「正式な契約ではなかったため、必要ないと判断しました」
ブライアが書類に何かを書いた。ヴィンセントより書く量が少ない。要点だけを書く人間だ。
「ルー様、一つ直接伺います」
「どうぞ」
「グレイン公国と、王国の利益に反する取引をされたことはありますか」
部屋が静かになった。
私はブライアを見た。
この問いは罠ではない。ブライアは罠を使う人間ではない。ゲームでもそうだった。正面から聞いて、正面から裁く。それがこの人物のやり方だ。
「ありません」
「証明できますか」
「書類はあります。ただし証明になるかどうかは、見る人間が判断することです」
ブライアがかすかに目を細めた。
「公正な判断をする自信があります」
「それは結構なことです」
ブライアが私を見た。しばらく、見続けた。
私も見返した。
視線が交わったまま、少しの間があった。
「ルー様は、断罪されると思っていますか」
予想していなかった問いだった。
シナリオにない。ヴィンセントも目を上げた。
私は一呼吸おいた。
「法の判断に委ねるべき問いですね」
「答えを避けましたね」
「有能な判事のようです」
ブライアが、かすかに口元を動かした。笑ったのかもしれない。笑わなかったのかもしれない。
「もう一つだけ。勇者への迫害について、目的を教えていただけますか」
「領主の権限内の判断です」
「その判断の目的は」
「領地の秩序を守ることです」
「秩序を守るために、民衆に最も支持されている人物の活動を制限することが、秩序に繋がると思われますか」
鋭い。
この人間は、矛盾を見つける訓練を積んでいる。私の答えの論理的な弱点を、正確に突いてくる。
「秩序は結果で判断するものです。現在の領地に混乱はありません」
「現在は、ですね」
「はい、今後のその予定です」
ブライアがまた書いた。今度は少し多く書いた。
私はその手元を見ながら、この人間のことを考えた。
ゲームの中でブライアは、ルーを悪役と確信して断罪を主導した。その確信に迷いがなかった。だからこそ断罪の場が成立した。
今日この部屋で向き合って、その確信がどこから来るかが少しわかった気がした。
この人間は正義を信じている。本当に信じている。正しいことと間違っていることを、丁寧に区別しようとしている。悪役と決めつけているのではなく、証拠を積み上げて判断しようとしている。
だから怖い。
悪意のある人間より、誠実な人間の方が、時として怖い。
*
聴取が終わった後、ブライアが帰り際に一度だけ振り返った。
「ルー様」
「何ですか」
「一つだけ、個人的な感想を申し上げてもよろしいですか」
「どうぞ」
「あなたは、私が今まで会ってきた被疑者の中で、最も答えが的確です。質問に対して必要以上のことを言わない。感情で崩れない。これは有罪の人間の態度でも、無罪の人間の態度でもあります」
私は答えなかった。
「判断が難しい方です」
ブライアが出ていった。
廊下にセレンがいた。ブライアとすれ違い、軽く礼をした。
セレンが応接室に入ってきた。
「いかがでしたか」
「予定通りだ」
「……そうですか」
セレンの声に、何かがあった。疑問ではない。確認でもない。
「何か言いたいことがあるか」
「ブライアという方は、どんな人物でしたか」
私はしばらく考えた。
「誠実な人間だ」
「誠実な、ですか」
「ああ。それが問題だ」
セレンが少し間を置いた。
「ルー様は、その方に裁かれるのですか」
私は答えなかった。
答えない、ということが答えだと、セレンはわかる。
長い沈黙の後、セレンが言った。
「……わかりました」
それだけだった。
*
夜、スマホを開いた。
シミュレーションを回した。
『ブライアの来訪が断罪の時期に与える影響』
砂時計。
『断罪の準備が本格化している。残り期間の推定が二ヶ月から三ヶ月に縮まった可能性がある』
二ヶ月から三ヶ月。
魔素の嵐の可能性と、完全に重なった。
次を入力した。
『現時点でルーが断罪を回避しようとした場合、何が必要か』
砂時計。長い。
『バッドエンドへの収束を避けるためには、ルーの断罪は必要条件である。回避は推奨されない』
わかっている。
わかっている答えを、また入力した。
二度目だ。「断罪されない未来」を入力したのが第15話の夜で、今夜が二度目だ。
画面を閉じた。
机の引き出しを見た。花は枯れて久しい。書状はまだある。
ブライアの言葉が頭にあった。
『判断が難しい方です』
誠実な人間に、そう言われた。
この人間は正しく判断しようとしている。そして最終的に、断罪という正しい判断を下す。私が設計した証拠と、ルーとしての振る舞いが、ブライアを正しい方向へ導く。
全て計画通りだ。
計画通りに、ブライアは誠実に、私を断罪する。
私はそのことを、今夜初めて、少し理不尽だと思った。
理不尽だと思うことは、正しくない。計画は正しい。バッドエンドを防ぐために必要だ。それは変わらない。
ただ今夜は、理不尽だと思った。
そう思う自分が、少し前とは違う気がした。
窓の外に風が出ていた。冬が近い。この世界に来てから、季節が二つ動いた。




