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悪役令嬢は悪女として死ぬ覚悟を決めました。  作者: 白い鴉


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2/21

1.詰み

 目が覚めた瞬間、私は自分がどこにいるかを理解した。


 天蓋付きのベッド。重い絹の布団。窓の外に広がる見覚えのある荒野の稜線。石造りの壁に飾られた、家名の紋章。


 全部知っている。


 何百時間も画面の向こうで見続けた部屋だった。


 私は――前世で言うなら田中澪、享年二十三歳、無職のゲーム廃人――ゆっくりと上体を起こし、自分の手を見た。細い。白い。爪の形まで見覚えがある。


 スマートフォンゲーム『聖剣と祝福の乙女たち』。略称セイタチ。プレイ時間は累計で三千時間を超えていた。


 その中に登場する悪役令嬢、ルーの手だった。


 声が出なかった。正確には、出そうとしなかった。混乱していないわけではない。ただ私の頭は既に、この状況が何を意味するかを整理し始めていた。


 三千時間。それだけやり込めば、この世界のことは隅から隅まで知っている。攻略wikiよりも詳しいと自負できるくらいには。


 そして三千時間かけて、私は一つの結論に辿り着いていた。


 このゲームにおいて、ルーが生き残るルートは存在しない。


 どのルートを選んでも、どの攻略対象を選んでも、ルーは最終的に断罪される。処刑されるか、追放の果てに死ぬか、形は違えど結末は同じだ。私は全てのエンディングを見た。コンプリート率百パーセント。実績解除済み。


 そしてルーが生き残った場合、例外なくバッドエンドになる。


 魔物の大量発生。他国との全面戦争。勇者ルカの暴走。形は違えど、世界が壊れる。


 つまりルーの死は、この世界の安定に必要なのだ。ゲームのシナリオがそう設計されている。


 私は自分の手を見つめたまま、静かに息を吐いた。


 わかった。やるべきことはわかっている。


 死ねばいい。ルーとして、完璧に悪役を演じて、断罪されて、死ねばいい。


 ただしそれまでの間、できる限りのことはする。


 前世で画面越しに見ていた時から、ずっと気になっていた。ルーのせいで不幸になる人々のことが。シナリオの都合で踏み台にされる人々のことが。


 どうせ死ぬなら、せめてその人たちだけでも救いたい。


 感傷ではない。これも計算だ。死ぬまでの時間を、無駄にしたくないだけだ。


 そう自分に言い聞かせて、私は寝台から足を下ろした。



  *



 ルーの年齢は現在十四歳。ゲームの本編開始まで、あと二年ある。


 父は半年前に病で亡くなっている。母はルーが五歳の時に流行り病で死んでいる。兄は三年前に領地の視察中に落馬して、そのまま逝った。


 残ったのは私一人。辺境のこの領地を継ぐ者は他にいない。


 世間はこれを不審に思っているらしい。ゲームの台詞の中に、そういった噂が出てくる場面がいくつかあった。肉親を次々と消して領地を乗っ取ったのではないかと。


 事実は違う。全員、本当にただ死んだだけだ。運が悪かっただけで、私が殺したわけでも、誰かが殺したわけでもない。


 だが私はその誤解を解くつもりはない。


 悪役令嬢には、そういう噂が必要だ。


 私は窓の外の荒野を見た。領地の南端まで続く、痩せた土地。ゲームの画面で何度も見た風景が、今は肌に触れる風と一緒にそこにある。


 やることは多い。


 まず、現在の領地の状況を正確に把握する必要がある。ゲームに描かれていない細部が、この世界には必ずある。二年後に本編が始まるまでに、動ける範囲で手を打っておきたい。


 そして何より、確認しなければならないことがある。


 私はベッドサイドのテーブルに手を伸ばした。何もない。引き出しを開けた。何もない。


 そうじゃない。


 目を閉じて、記憶を探った。


 ゲームのオープニング。ルーが自室で一人、何かを手の中から取り出す場面がある。一瞬だけ映るそれを、私はずっと気になっていた。攻略サイトでも誰も言及していなかった。ただの演出だと思われていた。


 でも。


 手を、開く。


 何かが落ちてくる感覚があった。


 目を開けると、手の平の上に、スマートフォンがあった。



  *



 画面が点灯した。


 見慣れたホーム画面。前世で使っていたものとほぼ同じ、ごく普通のスマートフォン。ただしケースは付いていない。アプリの配置も微妙に違う。でもそれは些細なことだ。


 私はしばらくの間、画面を見つめた。


 なぜこれがここにあるのか。ゲームの設定には、ルーがスマートフォンを持っているという描写はなかった。隠し設定か。それとも転生した私が持ち込んだのか。


 どちらでもいい。今は使えるかどうかが重要だ。


 画面をスクロールする。アプリを一つずつ確認する。地図、カメラ、メモ、計算機、ブラウザ。一通り触ってみると、どれも動く。ただしブラウザは繋がらない。当然だ。この世界にインターネットはない。


 そして一つ、見慣れないアプリがあった。


 アイコンは砂時計。名前は表示されていない。


 開いた。


 画面が切り替わり、テキスト入力欄が現れた。上部に小さく「条件を入力してください」と書いてある。


 私は試しに入力した。


『ルーが現在の行動を続けた場合の十年後』


 砂時計のアニメーションが数秒回り、テキストが表示された。


『断罪。処刑。享年二十四歳。領地は国に接収される』


 知っている。ゲーム通りだ。


 次を入力した。


『ルーが善政を敷いた場合の十年後』


『断罪。追放。享年二十七歳。領地は荒廃する。その後、魔素の異常が拡大し周辺三領地に壊滅的被害』


 やはりそうか。


 善人として生きてもバッドエンドになる。ゲームで確認済みだったが、改めて文字で見ると重い。


 いくつか条件を変えて入力してみた。結果は全て同じ方向に収束した。ルーが生き残る未来は、例外なく世界の破綻に繋がる。


 シミュレーション機能だ。おそらく完全ではない。感情やイレギュラーは読めないだろう。ゲームの設定にもそんな機能はなかった。


 だが使える。


 私はアプリを閉じて、スマートフォンを布団の下に滑り込ませた。これは誰にも見せられない。存在を知られてもいけない。


 窓の外の空が、ゆっくりと白み始めていた。


 夜明けだ。


 私は立ち上がり、クローゼットから一着のドレスを引き出した。深い紺色の、装飾の少ない服。ルーの衣装としては地味な部類だが、動きやすい。


 今日からやることは決まっている。


 領地の視察。使用人の把握。財政状況の確認。


 悪役令嬢として死ぬための準備と、それまでの間に救えるものを救うための準備。


 どちらも同時に進める。


 鏡の前に立った。ゲームの画面で何度も見た顔が、そこにあった。目つきが鋭い。表情が乏しい。それがデフォルトらしい。


 ちょうどいい。感情を隠すのに、この顔は向いている。


 私は鏡の中の自分に向かって、ごく小さく頷いた。


 田中澪は三千時間かけても、この物語のハッピーエンドを見つけられなかった。


 でも今は物語の中にいる。


 ゲームに描かれていない場面が、この世界には無数にある。


 せめてその隙間で、できることをやる。それだけだ。

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