13.調査官
ゴットに新しい名前を与えた。
レムという名前にした。ゴット本人に告げると、しばらく黙っていた。それから「わかりました」と言った。声に感情がなかった。消耗しきっている人間の声だ。
配置先はマルクと同じ北の村ではなく、領地の東端にある小さな農村にした。二つの理由がある。一つはマルクとゴットが同じ場所にいると、後で何かの拍子に繋がりが見えた時に問題が生じる可能性があること。もう一つは、東の村は今後ルカの活動範囲が広がっても届きにくい場所だということだ。
ゴットに説明した。
「東の第四村に行け。村長には移民を一人受け入れるよう既に伝えた。レムという名前で、王都からの移住者として働け」
ゴットが顔を上げた。
「……なぜ、こんなことを」
「必要だからだ」
「あなたに、何の得があるのですか」
私は少し間を置いた。
得。
計算として答えるなら、処刑の記録が断罪の材料になる。だからゴットを匿って処刑したように見せることは、シナリオとして必要だ。
ただしその答えをゴットに言う必要はない。
「余計なことを考えるな。行け」
ゴットが立ち上がった。まだ足元がおぼつかない。昨夜の怪我が残っている。
「……一つだけ聞かせてください」
「何だ」
「私は、本当に火をつけていません」
「知っている」
ゴットの目が変わった。何かが揺れた。
私はそれを見ないようにして、廊下を歩き出した。
*
処刑の記録は、エドを通じて南の第二村に流した。
内容は簡潔だ。「領主の調査の結果、ゴットの関与が確認された。処刑を執行した」。それだけだ。理由の詳細は書かない。詳細がない方が、想像の余地が生まれる。想像は事実より大きく育つ。
エドが帰ってきた時の報告は短かった。
「村長は受け取りました。村人たちは、納得した様子だったとのことです」
「そうか」
「一人だけ、泣いていた女がいたとのことです」
私はエドを見た。
「ゴットの妻だったかもしれないと、村長が言っていました」
私は何も言わなかった。
エドも何も言わなかった。
しばらくして「以上です」と言って、エドが下がった。
妻。
ゴットに妻がいることを、把握していなかった。シミュレーションも教えてくれなかった。聞かなかったから、出てこなかっただけだ。
メモを開いた。
ゴットの妻について調べる必要がある。生活が立ち行かなくなっている可能性がある。名目を作って、何か手を打つ必要がある。
書きながら、手が少し重かった。
計算だ。
そう書こうとして、書かなかった。
*
調査官が来たのは、その翌日だった。
名前はヴィンセントといった。五十代の男で、王都の法務府から派遣されてきたという。痩せていて、目が鋭い。挨拶の言葉が短く、無駄がない。こういう人間は、感情より事実を積み上げるタイプだ。
私はヴィンセントを応接室で迎えた。
今回は椅子の角度を変えなかった。逆光にもしなかった。普通に座って、普通に迎えた。曖昧に対応するためには、普通の場から始める方がいい。
「グレイン公国との交易について、いくつかお伺いしたいことがございます」
「どうぞ」
「先月、領主館からグレイン公国の商人に書状が渡されたとの報告があります。内容と目的をお聞かせください」
「農産物の取引の打診です。領地の財政改善のために、新しい取引先を探していました」
「グレイン公国との取引は、現在王都の認可が必要とされております。認可を取らずに接触したことについては」
「認可が必要なのは正式な契約を結ぶ時点からと理解しています。打診の段階で問題があるとは思いませんでした」
ヴィンセントが書類に何かを書いた。
私は彼の手元を見た。何を書いているかは見えない。ただ書く量が多い。この人間は記録魔だ。全部書き留めている。
「先代の頃から、グレイン公国との取引実績はありましたか」
「あります。交易路の記録が書庫にあります。確認しますか」
「後ほどお願いします」
淡々と進んだ。
私は否定しなかった。肯定もしなかった。全ての答えを、事実の範囲内で、ただ曖昧に返した。
一時間ほどで質問が終わった。
ヴィンセントが立ち上がりながら言った。
「もう一点だけ。屋敷の使用人の方にもお話を伺ってもよろしいですか」
「構いません」
私は即答した。
断る理由がない。断れば疑惑が深まる。ただし断らなくても疑惑は深まる。どちらに転んでも同じだ。
*
ヴィンセントがセレンに話を聞いたのは、その日の午後だった。
私は同席しなかった。同席すれば、セレンが話せなくなる。それは計算として正しくない。
夕方、セレンが報告に来た。
「調査官から聴取を受けました。グレイン公国の件と、日常の業務についていくつか質問がありました」
「何を答えた」
「見たことと知っていることを、そのまま答えました」
私は頷いた。
「それでいい」
セレンが少し間を置いた。
「……一つ、お伺いしてもよろしいですか」
「何だ」
「私がどう答えても、構わないということですか」
私はセレンを見た。
この問いの意味を考えた。セレンは昨日から、何かを抱えている。「ということになる」という言葉を聞いてから、何かが変わっている。今日の問いは、その延長線上にある。
セレンは「私が不利なことを話しても構わないか」と聞いているのではない。
「見たことと知っていることが、私に不利でないと思っているから聞くな」
セレンの目が、静かに動いた。
「……はい」
「それだけか」
「……もう一つだけ」
セレンが、珍しく言葉を探すような間を作った。
「ゴットという男が処刑されたと聞きました。南の第二村から、記録が届きました」
「そうだ」
「その男は、罪を犯していたのですか」
私は答えなかった。
答えない、ということが答えだと、セレンはわかる人間だ。
長い沈黙があった。
「……かしこまりました」
セレンが礼をして下がった。
扉が閉まってから、私は窓の外を見た。
セレンは今日、何かを確信したかもしれない。何を確信したかは、まだわからない。ただ「かしこまりました」という言葉の質が、また変わった。
今日のそれは、覚悟のある返事に聞こえた。
*
夜、スマホを開いた。
シミュレーションを回した。
『セレンが今日確信した内容として最も可能性が高いもの』
砂時計。
『データ不足のため断定は不可。ただし「ということになる」という発言と、ゴットの処刑の件を合わせれば、処刑が実際には行われていない可能性に気づいた確率が高い』
やはりそうか。
次を入力した。
『セレンがその確信を誰かに話す可能性』
『極めて低い。セレンの行動パターンから、秘匿する可能性が高い』
私はその結果を見た。
セレンは気づいた。気づいた上で、黙っている。それがセレンという人間だということは、最初から薄々わかっていた。
問題は、それがいつまで続くかだ。
メモを開いた。
今日の記録を書いた。ゴットの妻のことも書いた。調査官の様子も書いた。
最後に一行書いた。
『セレンは知っている。それでも傍にいる』
書いてから、しばらくその一行を見た。
窓の外で風が鳴った。秋が近い。この世界に来てから、季節が一つ動いた。




