12.英雄と煙
火事は夜中に起きた。
南の第二村だった。
報告が届いたのは夜明け前で、セレンが私の部屋の扉を叩いた。声が平坦だったが、いつもより速かった。それだけで規模がわかった。
「南の第二村で火災が発生しました。現在も延焼中との報告です」
私は既に起きていた。シーン通知が三十分前に届いていた。
[シーン通知]
30分後からシーン007「英雄の炎」が開始されます
内容:村で火災が発生します
勇者が火中に飛び込み、複数の村人を救出します
勇者の名声が領地全体に広まります
出演者はシーンに沿った動きを心がけてください
三十分で考えた。
火事の現場には行かない。ルーが現場に駆けつければシナリオと矛盾する。悪役令嬢は民の火事を冷たく眺める側だ。ただし情報は集める必要がある。
エドを呼んで、現場の観察を命じた。記録として残すためではなく、私が判断するための情報として。
エドが出ていった。
私は窓から南の方角を見た。
空が、赤かった。
*
夜明けに報告が来た。
エドからではなく、村長からの使者だった。
「ルカ様が、燃え盛る家屋に三度飛び込まれました。子供二人と老人一人を救出されました。ルカ様ご自身は軽い火傷を負われましたが、ご無事です」
三度。
私は使者の顔を見た。この男の目が、光っている。誇りと興奮と、何か神話的なものへの畏敬が混ざった目だ。
「火事の原因は」
「それが——」
使者が少し声を落とした。
「村の北端に住む男が、怪しいとの話が出ております」
「怪しいとは」
「火事の直前にその男の家の近くで松明の明かりがあったと、複数の村人が証言しております。加えてその男は、先月ルカ様の食料融通の仕組みから外れた農家の者でして。恨みがあったのではないかと」
私は一度だけ目を閉じた。
わかった。
「その男の名前は」
「ゴットと申します」
「今どこにいる」
「村人たちが取り囲んでおります。今朝から」
今朝から。
私はすぐに立ち上がった。
*
馬を飛ばした。
南の第二村まで、急いで二十分かかった。セレンが後ろについてきた。止める間もなかった。
村に入ると、人の塊が見えた。
三十人以上が、村の広場の中心に集まっていた。その中心に、一人の男が座り込んでいた。囲まれている。罵声が聞こえる。石が一つ、飛んだ。
男が頭を抱えた。
私は馬を止めて、降りた。
人の塊の外側から、声を出した。
「退け」
声が通った。
人々が振り返った。領主の姿を見て、最前列にいた男たちが半歩引いた。ただし引いただけで、散らばらなかった。怒りがまだそこにある。
私は人の塊の中を歩いた。左右が開いた。
中心にいた男を見た。
ゴットという男だった。四十代半ば。額から血が出ている。飛んできた石が当たったのだろう。目が虚ろだ。何が起きているのか、まだ理解できていないように見えた。
私はゴットの前に立った。
周囲の村人たちを見た。全員を、一秒ずつ見た。
「この男が火をつけたという証拠はあるか」
最前列にいた男が前に出た。村長だろう。
「松明の明かりを見た者が三人おります。場所もこの男の家の近くで」
「火をつける場面を見た者は」
「それは——」
「ない、ということだ」
村長が黙った。
私は続けた。
「状況証拠だけで人を裁くことは、領主として認めない」
村人の一人が声を上げた。
「では誰が火をつけたのですか。ルカ様が助けてくださった子供たちが、どれほど怖い目に遭ったか」
私はその村人の顔を見た。
母親だろう。目が赤い。怒りの下に、恐怖と安堵が混ざっている。
この人間は正しいことを言っている。子供が死にかけた。誰かのせいにしたい。その感情は間違っていない。
私は一呼吸おいた。
「この男は領主の裁量で預かる。調査の結果、罪が確定すれば処罰する」
村長が顔を上げた。
「……処罰、とは」
「極刑も含む」
その言葉が、広場に沈んだ。
村人たちの顔から、少しずつ怒りの形が変わった。領主が動く。ならば待てる。そういう変化だ。
私はゴットの腕を掴んだ。引き起こした。ゴットがよろけた。支えた。
誰にも見えない角度で、短く言った。
「歩け」
*
馬に乗せて、本邸まで連れ帰った。
セレンが無言でついてきた。本邸に入ってから、ゴットを空き部屋に入れた。扉を閉めてから、廊下でセレンと向き合った。
「怪我の手当てをさせろ」
「かしこまりました」
セレンが一歩引いてから、止まった。
「ルー様」
「何だ」
「……この方は、どうなりますか」
私はセレンの目を見た。
この人間は既に、何かを考えている。答えを求めているのではなく、確認しようとしている。
「処刑した、ということになる」
セレンの目が、わずかに動いた。
「……ということになる、と仰いましたか」
「聞き間違いだ」
私は廊下を歩き出した。
後ろでセレンが、長い沈黙の後に「かしこまりました」と言った。
その声の質が、いつもと違った。
*
夜、スマホを開いた。
ゴットの情報をシミュレーションに入れた。
『ゴットが今回の火事に関与している確率』
砂時計。
『低い。ゴットが火事の前夜に村を離れていたという情報と、目撃された松明の位置が微妙にずれているという地形的データが矛盾する。ただし証明は困難』
やはりそうか。
無実だ。
ルカの食料融通の仕組みから外れたのは事実だろう。だからこそ状況証拠が集まった。ルカの幸運の余波が、ゴットを犯罪者の位置に押し込んだ。
私はメモを開いた。
今日の日付の下に書いた。
「影響が大きくなってきた」
それだけ書いた。
踏み台の規模が変わった。足の骨折や財布の紛失ではない。今日のゴットは、私刑で死んでいた可能性がある。村人たちの怒りは本物だった。石が飛んだ。額から血が出ていた。
ルカはその頃、英雄として称えられていた。
三度火の中に飛び込んだ話が、既に村から村へ広がっている。夕方の時点で、私の耳に三つの村からその話が届いていた。明日には領地全体に広がるだろう。
英雄の名声と、冤罪の恐怖が、同じ夜に生まれた。
シミュレーションをもう一本回した。
『ゴットを処刑したという事実を流した場合の影響』
『断罪の告発項目として有効。ただし村人のルーへの恐怖が想定以上に高まる可能性がある』
想定以上。
私はその言葉を見た。
想定以上になってもいい。恐怖が高まれば、ルーへの敵意が積み重なる。断罪の場での村人の証言が増える。計画として、問題はない。
ただしゴットは生きている。
今夜は空き部屋で、手当てを受けて、眠っているはずだ。
私は空き部屋の方角を一度だけ考えてから、スマホを閉じた。
次の手順を考える必要がある。ゴットに新しい名前を与える。別の村に配置する。処刑されたという記録だけを残す。
マルクと同じだ。
二人目だ。
マルクとゴット。この二人はいつか、同じ場所で生きていることになる。
そう思った時に、奇妙な感覚があった。
シナリオに映らない場所で、シナリオに映らない人々が、少しずつ集まっている。私が設計したわけではない。ただそうなっている。
それが何を意味するかは、まだわからない。
窓の外に星が出ていた。




