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悪役令嬢は悪女として死ぬ覚悟を決めました。  作者: 白い鴉


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10.幸運の裏側

 ルカが領地を拠点にしてから、二週間が経った。


 その間に、踏み台が三人増えた。


 一人目は東の村の農家の息子で、ルカと共に荷を運んでいた際に足場が崩れて腰を痛めた。ルカは無傷だった。二人目は南の第一村の仲買人で、ルカが持ち込んだ新しい取引の流れから自然に外れる形になり、得意先を二軒失った。三人目は、少し複雑だった。


 三人目の名前はリナといった。


 二十代前半の女で、村の集会でルカの隣に座っていた。ルカが話をしている間、リナの飼い犬が集会の場に迷い込み、騒ぎになった。犬は怪我をしなかったが、リナは犬を追いかける途中で転び、手首を捻挫した。そして騒ぎの中で彼女の財布が失われた。


 ルカに悪意はない。ルカはむしろリナを心配し、後日見舞いに行ったという報告があった。


 そういう人間だ。


 幸運は本物で、善意も本物だ。ただその幸運の余波が、どこかで誰かの不運になる。本人が気づかないまま。



  *



 腰を痛めた農家の息子には、セレンを通じて領地の医療費を出した。理由は「領地内での事故への対応」という名目にした。仲買人には、別の得意先を紹介した。これはエドを使った。エドが口添えすれば、相手側も悪い気はしない。


 リナの財布は、見つからなかった。


 代わりに、リナの村の村長に「当面の生活支援として」という名目で小額の金を送った。名目はリナへの支援ではなく、村全体への見舞い金として処理した。リナだけが浮かび上がらないように。


 三人とも、ルーからの支援だとは気づかない形にした。


 気づかれてはいけない。悪役令嬢が踏み台になった人間を救っているとわかれば、評判が変わる。評判が変われば、シナリオが崩れる。


 計算通りに動いている。


 そう思いながら、リナの手首が治るまでの日数を頭の中で計算していた。



  *



 北東の森に、久しぶりに行った。


 前回から三週間ぶりだ。観測データは毎日記録しているが、直接確認したかった。魔素濃度の低下傾向が、ここ数日で少し変化していた。下がり方が緩やかになっている。なぜかわからない。


 森に入ると、前回と空気が違った。


 何かが変わっている。


 石の前に立った。


 石の表面が、変わっていた。


 前回見た時には全体が苔に覆われていた。しかし今日は、石の上部の苔が一部剥がれている。剥がれた跡が、不自然だ。自然に剥がれた形ではない。誰かが触れた跡のように見える。


 スマホのカメラで撮影した。前回の写真と比較する。


 明らかに違う。苔の剥がれ方が、直線的だ。指で拭ったような跡がある。


 誰かがここに来た。


 私以外に、この石に触れた人間がいる。


 エルマーの最後の言葉が頭に浮かんだ。


『石には触れるな』


 私はその場でシミュレーションを開いた。


『石に何者かが触れた場合、起こりうる影響』


 砂時計。


『調整機能が部分的に起動する可能性がある。ただし正しい術式に従わない接触の場合、集積の方向ではなく放出の方向に機能が傾く可能性がある』


 放出。


 集積の逆だ。集めていたものを、外に出す。


 それが魔素濃度の低下傾向の変化と繋がるかもしれない。ただし「放出」が良いことかどうかは、まだわからない。一度に大量に放出されれば、別の問題が起きる可能性がある。


 次を入力した。


『石に触れた人物として可能性が高いのは誰か』


『データ不足のため特定は不可。ただしこの森の存在を知っている人物、または魔素に感応する能力を持つ人物の可能性がある』


 魔素に感応する能力。


 ルカの幸運体質が、魔素と関係している可能性は以前から考えていた。幸運体質の正体がまだわかっていない。ゲームにも明確な説明はなかった。


 もしルカが無意識にこの森に引き寄せられていたとしたら。


 そして石に触れていたとしたら。


 確認する方法が必要だ。


 私は石の周囲を歩いた。地面に足跡があるかどうかを確認した。土が柔らかい場所に、かすかな跡があった。靴の形だ。農民が履くような、簡素な靴底の形だった。


 靴の大きさを見た。


 男の足だ。若い男の、それほど大きくない足。


 断定はできない。ただ可能性として記録しておく必要がある。



  *



 本邸に戻ってすぐ、セレンを呼んだ。


「ルカは今日、どこにいるか」


 セレンが少し考えた。


「今朝の報告では、北の方角へ向かったと聞いております。村人の一人を訪ねていると」


 北。


 北東の森は、本邸から北東だ。北の方角は一致する。


「何時頃に出た」


「朝の第二刻と聞いております」


 私が森に着いたのは昼前だった。第二刻は夜明けから二刻目。私より早く出ている。時間的に一致する。


「わかった」


「何かございましたか」


「いいや」


 セレンが礼をして下がった。


 私はしばらく窓の外を見た。


 確認する方法は一つある。ルカに直接聞く。ただしそれはできない。なぜ森のことを知っているのかを説明できない。


 別の方法を考える必要がある。


 エドを使う。エドにルカの行動を緩やかに把握させる。直接の監視ではなく、日常の動線として。何日かすれば、パターンが見えてくる。


 メモに書いた。


 書きながら、もう一つのことを考えていた。


 ルカが石に触れたとして、なぜ触れたのか。意図があったのか、それとも無意識だったのか。魔素に感応するとすれば、石が発している何かに引き寄せられた可能性がある。


 そしてエルマーは「触れるな」と書いた。


 触れてはいけない理由が、まだわかっていない。



  *



 夜、スマホのバッテリーを確認した。


 五割五分。


 増えている。


 前回確認した時より、わずかに増えている。魔素の補充効率が上がっている。石の変化と一致する。石が放出方向に動いているなら、領地の魔素濃度が微量でも改善し、補充速度が上がる。


 悪くない変化だ。


 ただし喜んでいい変化かどうかは、まだわからない。


 放出が続けばどうなるか。集積されていた魔素が一気に外に出た場合、周囲の環境にどう影響するか。エルマーが「触れるな」と書いた理由が、この放出にあるかもしれない。


 シミュレーションを開いた。


『石が放出方向に傾いた場合、最悪の影響として考えられるもの』


 砂時計。


『集積された魔素が急激に放出された場合、局所的な魔素の嵐が発生する可能性がある。影響範囲と規模はデータ不足のため算出不可』


 魔素の嵐。


 ゲームにそういう現象の描写はなかった。ただしゲームに描かれていないことが存在しないわけではないと、この世界で何度か思い知っている。


 緊急性は今すぐではないかもしれない。だが監視は続ける必要がある。


 スマホを閉じた。


 今夜は少し眠れる気がした。理由はわからない。バッテリーが増えていたからかもしれないし、全く別の理由かもしれない。


 天井を見た。


 石造りの天井が、今日は少し違う色に見えた。


 前世のアパートの天井を、今日は思い出さなかった。


 それだけのことだが、少し間を置いてから、目を閉じた。

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