第5話 利権の壁と、小さな勝利
タルトが来たのは、温守の予約が七件になった週だった。
式場の入り口にグレーの車が止まり、白に新緑の刺繍の入った羽織を着た男が降りてきた。四十代くらいだろうか、短い黒髪に白髪が多く混じる。少し細身で背が高く、銀色の縁の眼鏡をかけ、書類の束を小脇に抱えている。
リュウタロウが玄関で出迎えながら、後ろを振り返って麻里に目配せした。面倒なやつが来た、という目だった。最初に封書が届いてからリュウタロウはどうにか避けよう、延ばそう、としていたが、これ以上は無理、というところで相手がとうとうやってきたのだった。
「薬師ギルドの監察官、タルトと申します」
男が一礼した。
「『調律師マリさん』のお噂を伺いまして」
そう言って、麻里と目を合わせた。笑顔が一見柔らかいが、目が笑っていない。
応接室に通すと、タルトは椅子に座る前に室内を一度じっとりと見回した。何かを探しているのか、記録しようとしているのか。見られて悪い物はないはずと、麻里は思った。そう思いつつも、緊張で手に汗がにじんでくる。元の世界で会社勤めをしている時に対応した税務調査官とも少し違い、冷めた機械のような目。税務調査は海外の市場の値段交渉のような感じで駆け引き下手な麻里は苦手だと思ったが、こちらはどうだろうか。
「評判はよく聞いております」
タルトが言った。
「今までにないすばらしい取り組みで」
「ありがとうございます」
「ただ、確認させていただきたい点がございまして」
タルトが書類を一枚テーブルの上に置いた。
「香草の煎じ物を人体に当てる行為は、薬師ギルドの管轄に含まれる可能性がございます。現在、この地域で薬草を用いて医療行為を行う場合は当ギルドで認定を受けた事業者のみが行えることとしております。無許可の医療行為は最悪営業停止ですが……監修という形でギルドが入れば、双方にとって安心かと」
一息に言って、にやりと笑い、しっかりと麻里の目を見てくる。一見柔らかいが、「営業停止」もちらつかせてきた。
麻里は、まず目を逸らしてはいけないと思った。彼の目をしっかり見返してから、落ち着きを装い書類を見た。細かい字で条文が並んでいる。話している内容と同じく、監修料と認定の文字が入っていた。
「つまり」
と麻里は言った。
「医療や治療の場合は続けるために、監修料を払う必要がある、と言うことですか」
タルトがにこりとした。
「理解の早い方だ」
リュウタロウが身を乗り出した。
「うちは長年この土地で式場をやっとるし、今度のサービスはうち独自で始めたものだに。今更ギルドに口を出されるいわれはないずら」
「社長」
遮るように麻里は言った。
「なんだずら」
リュウタロウが麻里を見た。麻里は小さく首を振った。相手は書類まで準備している。感情戦は負ける。
リュウタロウは不満そうだったが、口を閉じた。
「一点だけ確認させてください」
と麻里は言った。
「私どもの施術は、医療や治療を目的とした病気や怪我を治すものではありません」
「……なぜそう、言い切れると?」
タルトの右眉が上がった。
麻里は静かに言った。
「医療行為、治療行為の判断の根拠は、行為の内容です」
書類をテーブルに出した。手順書と、これまでの台帳の写しだ。
手帳で「手順書が必要」と書かれているのを見た後、タルトの封書も届いたこともあり、麻里はカエデの力も借りながら、手順書を準備したのだ。
「手順書があります。禁止事項も明記しています。医療や治療との誤解を受けないよう、施術中に『治ります』『効きます』などの断定表現は一切使いません。体調不良の方は事前確認で断っています。中止条件も決まっています。記録台帳には、どの施術を、いつ、どのような状態の方に行ったか、全て残っています」
タルトが書類に手を伸ばした。
「拝見しても?」
「どうぞ」
温守・施術手順(第一版)
入室前の確認:頭痛・発熱・妊娠中・皮膚の炎症がある場合は実施しない。
箱の確認:箱は適切な湿度の場所で保管。使用前汚れが無いか確認。使用前後に布で拭き清める。
ケープの確認:ケープは使用後洗濯し、使用するまで清潔な場所で保管。
温度確認:蒸気を手首の内側で確認。熱すぎる場合は調整する。
ケープ着用:全身を覆い、接触がないことを可視化する。
所要時間:十五分固定。延長しない。
施術中の禁止表現:「治ります」「効きます」は使わない。
終了後:記録台帳に時刻・使用草・本人の具合を確認した一言を書く。
タルトが読み始めた。概要の後に、詳細を綴っている。まず概要を一目見て手が止まった。
「……中止基準まで書いてあるのか」
「止めることの記録が一番大事だと思っています。やったことより、やらないことが信頼になる、と」
タルトはページをめくり続け、最後まで無言で読んでから、もう一度最初から読んだ。
麻里は続けた。
「私どもが提供しているのは、式典の作法です。場と息を整える調律です。草は道具として使いますが、処方はしません。診断もしません」
「しかし香草を使う以上、薬師ギルドの――」
「一つ聞いていいですか」
と麻里は言った。
タルトが顔を上げた。
「式場では以前から、祝いの席の前に香草を焚く作法があります。また、葬儀の前に特定の草を煮出した湯で床を拭く作法もある。それらも、ギルドの管轄ですか」
タルトが少し止まった。
「これら式場の作法を全て医療もしくは治療として規制し、ギルドはそのすべてに責任を取れるのですか」
沈黙があった。
リュウタロウが腕を組んで、何も言わずにいた。タルトが書類を眺めて、また眺めた。
「……記録があるのか」
タルトがもう一度言った。
麻里はしっかりとした口調で答えた。
「全部あります」
少し考えた後、タルトが再度口を開く。
「……結論としては、ギルドの監修は受けない。そういうご判断ですね」
「払う理由がないだに」
リュウタロウが満足げに答えた。
タルトが書類を揃えて、小脇に戻した。
「……分かりました。本日は状況確認ということで引き上げます」
そう言って、苦い顔でゆっくり立ち上がる。
「こちらの提案を受けていただけなかったのは残念です。気が変わったら連絡を」
一礼して、連絡先の名刺を残し、帰って行った。
――――――
リュウタロウがふっと息を吐いた。
「追い返したずら。やつ、マリとカエデの手順書を見て、目を丸くしていただにね。あんなもの、見たことないはずだに……俺もだけど」
「でも、また来るかも」
横で見ていたカエデが言った。
「不意打ちで手順書を見せられたから帰ったけど……」
麻里もうなずく。
「あの捨て台詞、あきらめずにまた来る可能性はあるってことですね」
「でも今日勝てただけでもすっとしただに」
リュウタロウが嬉しそうに言う。
「社長、だめです。次どう出てくるか考えて、準備をしないと」
「……難しいことを言うずら」
麻里は手帳を取り出した。タルトが帰ってから、また文字が増えていた。
ポジショニング(立ち位置の明確化)
市場における自社の立ち位置を明確にすること。「何者か」「誰に対して」「どんな価値」を届けるかを定義することで、競合の土俵に乗らずに済む。
「医療ではない、式典の作法である」という枠組みを作り、規制の外側に自分たちを置く。
カテゴリを再定義した者が、そのカテゴリのルールを作れる。
「また書いてる」
と麻里はいつの間にかテーブルの上にいたタマちゃんに言った。
タマちゃんは知らん顔で毛を繕っていた。
リュウタロウが不思議そうな顔をして言った。
「麻里は手帳を見ながら、何独り言をつぶやいてるだに」
「独り言? え?」
麻里はタマちゃんの方を見る。ここにいるのに、他の人には見えていないのか。
「まあ、独り言も、利益もでてるしいいずら」
リュウタロウはあっさり引き下がった。今後は気を付けよう、と思いながら、麻里は手帳を閉じる。
麻里はその後も、カエデと協力しあって手順書や台帳等を一層整えた。タルトがまた来た時に備えて。
けれど、相手が思わぬ方策に出たことを、その後麻里たちは知ることになるのだった。
タルトが帰った数日後、カエデが青い顔で事務所に飛び込んできた。
「薬局から仕入れる薬草が、変わった」
手に、薬草の束を持っている。
「変わった?」
麻里とリュウタロウも、顔色が変わった。
去り際のタルトの苦い笑みと「気が変わったら連絡を」という声が、麻里の脳裏に浮かんでいた。




