第99話 祝福の返書と、迎えに行く約束
読みに来てくださりありがとうございます。
今回は婚約発表後の反応と、セドリックがシャロンの「迎えに来てほしい」という返事を受け取るお話です。
祝福の返書が届く一方で、王都側も静かにざわつき始めます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
婚約発表の文が外へ出た翌日から、ベルフォール家には少しずつ返書が届き始めた。
最初に届いたのは、母方の伯母からのものだった。
丁寧な祝辞。
私の体調を気遣う言葉。
セドリック様が誠実な方だと聞いている、という一文。
それを母が小サロンで読み上げると、リディアが両手を合わせた。
「よかったです。ちゃんと祝福です」
「ちゃんと祝福、という言い方も変だけれど」
「最近、棘が混じっていたので」
「否定できないわ」
私は苦笑しながら、返書の文面をもう一度見た。
ご婚約おめでとうございます。
たったそれだけの言葉に、少し胸が温かくなる。
以前なら、祝辞を受け取っても、まず返礼の形式を考えていたと思う。
もちろん今も考える。
だが、その前に少しだけ、嬉しいと思えた。
リディアが身を乗り出す。
「お姉様、練習です」
「何の?」
「おめでとうと言われた時の基本応答です」
「まだ続いていたの」
フローラが静かに頷いた。
「継続訓練です」
「二人とも暇なの?」
「お姉様の婚約発表後ですので、暇ではありません」
よくわからない理屈だ。
リディアは真面目な顔で言った。
「お姉様、ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「そこで止めます」
「はい」
「説明は?」
「しません」
「未確認事項は?」
「今は言いません」
「よいです」
フローラが審査員のように頷いた。
「返答が簡潔で、祝意の受け取りに成功しています」
「何の評価なの」
「祝意受領評価です」
「また新しいものを作らないで」
けれど、笑えた。
祝福を受け取る練習。
そんなものが必要な自分に少し呆れながらも、今はそれでいい気がした。
午後には、領地の主要家臣からも返書が届いた。
長くベルフォール家に仕えている老家臣からの文には、少し震えた文字で祝いの言葉が記されていた。
――シャロンお嬢様が幼き頃より領地の帳簿を覗き込まれていたことを、今も覚えております。ご婚約、心よりお祝い申し上げます。どうか、お嬢様ご自身のお幸せとなりますように。
最後の一文に、私は目を止めた。
お嬢様ご自身のお幸せ。
役目ではなく。
跡継ぎとしてでもなく。
便利な者としてでもなく。
私自身の幸せ。
胸の奥が、少し詰まった。
母が何も言わずに、そっと私を見る。
「……嬉しいです」
私は小さく言った。
「ええ」
「でも、少し泣きそうです」
「泣いてもいいわ」
「今日は泣きません」
リディアがすぐに反応した。
「私が代わりに泣きます」
「代行しないで」
「では待機します」
「待機もしなくていいわ」
フローラが老家臣の返書を見つめて、静かに言った。
「良い言葉ですね」
「ええ」
「お姉様ご自身のお幸せ」
フローラが繰り返す。
私は頷いた。
「そうね」
その言葉を、帳面に書こうと思った。
同じ頃、王都屋敷では、セドリックがベルフォール家から届いた文を受け取っていた。
その日は王都騎士団の午前の務めを終え、昼過ぎに王都屋敷へ戻ったところだった。
玄関で外套を預けると、家令がすぐに封書を差し出した。
「ベルフォール子爵家より、セドリック様宛ての文でございます。あわせて、婚約発表への祝辞も届き始めております」
「わかった。先にベルフォール家からの文を読む」
王都屋敷の小サロンへ移り、セドリックは封を開いた。
文面は、ハーディ夫人の茶会についての返答だった。
開始時の挨拶に同席してくれると心強い。
その後は、すぐ近くに控えるのではなく、茶会の終わる頃に迎えに来てくれる形が、今の自分には落ち着けるように思う。
近くにいてくれることは安心だが、そのことを意識しすぎる可能性がある。
まずはこの形で確認させてほしい。
そして、最後に一文。
――迎えに来てくださると、茶会後にほっとすると思います。
セドリックは、その一文で完全に動きを止めた。
ほっとする。
迎えに行くことで、シャロン嬢がほっとする。
ただそれだけの言葉なのに、胸の奥が強く鳴った。
支えたいと思っていた。
茶会の間、近くに控えた方がよいのではないかとも考えた。
けれど、それがかえって彼女の意識を縛るかもしれないとも思っていた。
シャロン嬢は、自分で選んだ。
開始時にはいてほしい。
茶会の間は、自分の席に立ちたい。
そして終わる頃に、迎えに来てほしい。
その距離が、今の彼女に必要な支えなのだ。
「……必ず迎えに行きます」
誰に聞かせるでもなく、セドリックは小さく言った。
文をもう一度読み返す。
心強い。
意識しすぎる可能性。
この形で確認。
迎えに来てくださると、ほっとする。
どれも、整えすぎた言葉ではなかった。
特に最後の一文は、きっと書くのに勇気が要っただろう。
セドリックは便箋を取り、すぐに返事を書き始めた。
――茶会での支え方について、お気持ちを聞かせてくださりありがとうございます。開始時の挨拶に同席し、その後はいったん退席し、茶会の終わる頃に必ずお迎えに参ります。近くに控え続けることがかえって意識の負担になるというご確認も、大切に受け取りました。
そこまで書いて、少しだけ筆を止めた。
必ず迎えに行く。
その言葉は重すぎるだろうか。
いや、ここは曖昧にしない方がいい。
セドリックは続けた。
――茶会後に少しでもほっとしていただけるよう、時間に遅れず参ります。
書いてから、少し頬が熱くなった。
これは、正式な文としては少し踏み込んでいる気がする。
しかし、シャロン嬢が「ほっとする」と書いてくれたのだ。
それに対して、こちらが形式だけで返すのは違う。
封を閉じたところで、家令が控えめに声をかけた。
「セドリック様。祝辞の文もご確認なさいますか?」
「ああ」
セドリックは、気持ちを切り替えて祝辞の束を受け取った。
多くは形式的な祝いだった。
中には心からの祝意もある。
そして、いくつかは探るような文面だった。
――才あるベルフォール令嬢をお迎えになるとのこと、グランフェル家にとっても心強いことでございましょう。
才ある。
心強い。
悪い言葉ではない。
だが、文脈によっては「有用」と隣り合う。
セドリックはその文を脇へ分けた。
過敏になりすぎてはいけない。
しかし、見落としてもいけない。
確認表の横に、新しい欄を作る。
祝辞。
純粋な祝意。
探りあり。
要注意表現。
書き終えたところで、少し苦笑した。
婚約の祝辞を分類している。
普通の婚約者は、こういうことをするのだろうか。
おそらく、あまりしない。
だが、自分たちには必要だった。
そこへ、王都屋敷の侍従が入ってきた。
「セドリック様。ハーディ夫人より、茶会についての文が届いております」
「こちらへ」
封を受け取り、開く。
ハーディ夫人の文面は簡潔だった。
婚約発表を受け、予定通り小規模な茶会を開く準備に入ること。
招待客は六名。
ハーディ夫人、シャロン嬢、マリエル夫人、アメリア、そして信頼できる二名の夫人。
ベリス夫人は招かないこと。
セドリックは開始時に挨拶のみ同席。
その後はいったん退席し、茶会終了頃に迎えに来る形で調整すること。
セドリックはそこで、先ほど読んだシャロン嬢の一文を思い出した。
茶会後にほっとすると思います。
胸の奥に、また静かな熱が戻る。
これは単なる送迎ではない。
シャロン嬢が自分で選んだ、茶会を終えるための支えだ。
ならば、自分はその時間を守る。
早すぎてもいけない。
遅れてもいけない。
待ち構えるように見せてもいけない。
茶会が終わる頃に、自然に、けれど確実に迎えに行く。
セドリックは確認表に書き足した。
茶会開始時――挨拶のみ同席。
茶会中――退席。近くに控え続けない。
茶会終了頃――迎えに行く。
目的――シャロン嬢が茶会後にほっとできること。
遅刻厳禁。
最後の一行を見て、少しだけ自分で苦笑した。
遅刻厳禁。
当然だ。
けれど、書いておきたかった。
同じ王都の別の屋敷では、婚約発表の知らせを受け取ったカサンドラ・ベリス夫人が、扇で口元を隠していた。
「まあ、本当に進めたのね」
その声は甘く、しかし機嫌はよくなかった。
向かいに座る若い夫人が、少し身を乗り出す。
「噂が出ていたので、少し遅れるかと思いましたわ」
「噂くらいで引く家なら、初めから伯爵家ではありませんわ」
ベリス夫人は軽く笑った。
「ただ、ずいぶん慎重ですこと。本人の意思を重んじた婚約だなどと、わざわざ文に匂わせるなんて」
「噂を気にしているのでしょうか」
「気にしていないなら、そんな文言は入れませんわ」
ベリス夫人は扇を閉じた。
「けれど、気にしているということは、突かれたくない場所があるということですわ」
若い夫人は曖昧に笑った。
その笑いには、少し怯えも混じっている。
ベリス夫人は気づいていたが、気にしなかった。
「ハーディ夫人が茶会を開くそうよ」
「では、ベルフォール嬢も?」
「ええ。おそらく最初の社交の場でしょう」
「ベリス様は招かれますの?」
その問いに、ベリス夫人の眉がわずかに動いた。
「いいえ」
「まあ」
「ハーディ夫人も、ずいぶんわかりやすいことをなさるわ」
声は穏やかだった。
けれど、目は冷たい。
「招かれないということは、警戒されているということですか」
「そう見せたいのでしょう。けれど、招かれなくても、話は聞こえてきます」
ベリス夫人は窓の外へ視線を向けた。
「最初の茶会で、あの令嬢がどう振る舞うか。皆、知りたがるでしょうね」
若い夫人は、返事をしなかった。
その沈黙は、同意にも不安にも見えた。
ベリス夫人は静かに笑った。
「婚約者として紹介されるのなら、便利なだけではないところを見せていただかなくては」
その言葉は、部屋の中だけに落ちた。
だが、王都の言葉は部屋の中だけで終わるとは限らない。
夕方、ベルフォール家にはさらに返書が届いた。
祝福の言葉が多かった。
中には形式的なものもある。
少し探るようなものも、ないわけではない。
父はそれらを分類し、母と確認していた。
私は小サロンで、老家臣からの返書をもう一度読んでいる。
リディアが隣で言った。
「お姉様、これは帳面に書きますよね」
「ええ」
「お嬢様ご自身のお幸せ」
「書くわ」
「私も覚えます」
「なぜ」
「大事だからです」
フローラが静かに頷いた。
「大事です。お姉様が説明過多になった時に、思い出していただく言葉としても使えます」
「どういう使い方をするつもりなの」
「お姉様、ご自身のお幸せです、と」
「少し怖いわ」
でも、その言葉が二人の中にも残っていることが嬉しかった。
その時、母が小サロンへ入ってきた。
「シャロン」
「はい」
「ハーディ夫人から、茶会の日取りの候補が来たわ」
私は背筋を伸ばした。
「いつでしょうか」
「婚約発表から四日後。午後の茶会。規模は六名。セドリック様は開始時の挨拶と、終了時のお迎えに来てくださる予定で調整中」
終了時のお迎え。
私が選んだ距離が、形になった。
胸の奥が少し高鳴る。
「……そうですか」
リディアがにこにこしている。
「お姉様、嬉しそうです」
「確認事項が整っただけよ」
「それはもう使えません」
フローラが静かに言う。
「嬉しそうです」
「二人とも厳しいわ」
母も微笑んでいた。
「嬉しいなら、嬉しいでいいのよ」
私は少し視線を落とした。
「……はい。嬉しいです」
言えた。
小さな言葉だったが、言えた。
リディアが満足そうに頷く。
フローラも、少しだけ口元を緩めた。
「ただ、怖くもあります」
「ええ」
母は当然のように受け止めてくれる。
「どちらも持っていきましょう」
「はい」
さらに夜の前、王都屋敷からセドリック様の返事が届いた。
母が少しだけ楽しそうな顔をして、私へ文を渡す。
「先に読みなさい」
「はい」
私は封を開いた。
茶会での支え方について、気持ちを聞かせてくれたことへの礼。
開始時の挨拶に同席し、その後はいったん退席し、茶会の終わる頃に迎えに来てくださること。
近くに控え続けることが意識の負担になるという確認も、大切に受け取ったこと。
そして。
――茶会後に少しでもほっとしていただけるよう、時間に遅れず参ります。
私は、その一文を読んで固まった。
自分で書いたのだ。
迎えに来てくださるとほっとすると思います、と。
それへの返事なのだから、当然なのだが。
実際に返ってくると、思っていた以上に恥ずかしい。
「お姉様?」
リディアが覗き込みそうになる。
「見ないで」
「何が書いてあるのですか」
「確認事項よ」
「その顔は確認事項ではありません」
フローラが静かに言った。
「顔で判定しないで」
「赤いです」
「フローラ」
母はにこにこしている。
助けてくれない。
私は文をそっと畳んだ。
「茶会の終わる頃に、迎えに来てくださるそうよ」
リディアの顔がぱっと明るくなる。
「よかったですね!」
「ええ」
「時間に遅れず?」
「どうしてわかったの」
「お姉様がそこを気にしそうなので」
私は返事に困った。
フローラが淡々と言う。
「セドリック様は、そういうところを曖昧にされない方です」
「そうね」
私は文を胸元ではなく、膝の上に置いた。
胸元に抱えると、リディアがまた何か言いそうだったからだ。
茶会の日取りが決まった。
セドリック様が開始時にいてくださる。
そして、終わる頃に迎えに来てくださる。
それは、私が選んだ支え方だった。
選んだものを、受け取ってもらえた。
そのことが、思っていたより嬉しかった。
夜、帳面を開く。
祝福の返書。
母方の伯母。
老家臣。
お嬢様ご自身のお幸せ。
婚約発表の返書が届き始めた。
ハーディ夫人の茶会は四日後。
六名。
ベリス夫人は招かれない。
セドリック様は開始時と終了時。
迎えに来てくださる。
時間に遅れず参ります、と書いてくださった。
嬉しい。
怖い。
少し恥ずかしい。
最後の一つを書いてから、私は筆を止めた。
少し恥ずかしい。
これは必要な記録なのだろうか。
迷ったが、消さなかった。
事実だからだ。
嬉しい。
怖い。
恥ずかしい。
どれか一つにしなくていい。
そう何度も言われた。
何度も書いた。
それでも、また書く。
たぶん、何度も書くうちに、少しずつ本当にそう思えるようになるのだろう。
私は筆を置き、窓の外を見た。
王都は、きっとざわついている。
でも、こちらも準備している。
祝福を受け取る準備。
棘に線を引く準備。
そして、婚約者として最初の茶会へ出る準備。
盾のある場所へ。
開始時には、セドリック様がいてくださる。
そして終わる頃には、迎えに来てくださる。
その約束を胸に置くと、怖さの隣に、小さな明かりが灯った気がした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
シャロンが自分で選んだ支え方を、セドリックはきちんと受け取りました。
最初の茶会に向けて、祝福と警戒、そして少しの照れを抱えながら準備が進んでいきます。
次回もよろしくお願いします。




