第97話 最初の茶会は、盾のある場所で
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はハーディ夫人から返事が届き、最初の茶会の輪郭が決まるお話です。
シャロンは無理に強く振る舞うのではなく、盾のある場所で最初の社交へ出る準備を始めます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
ハーディ夫人からの返事は、思っていたより早く届いた。
使者が文を届けたのは、翌日の午後。
父の書斎に母と私が呼ばれた時点で、私は何となく内容を察した。
最初の社交の場。
婚約発表後、私が王都社交へ姿を見せる最初の茶会についての返答だ。
父が封を切り、文面に目を通す。
母が隣で静かに待ち、私は椅子に座って指先を膝の上で重ねていた。
緊張している。
それはもう認めることにした。
父は読み終えると、少しだけ表情を和らげた。
「ハーディ夫人は、協力してくださるそうだ」
私は小さく息を吐いた。
「そうですか」
「ああ。婚約発表後、間を置きすぎず、小規模な茶会を開く用意があるとのことだ。招待客は夫人が信頼できる方に限る。ベリス夫人は招かない」
最後の一文に、胸の奥が少しだけ軽くなった。
避ける。
それをはっきり言葉にしてもらえることが、こんなに安心につながるとは思わなかった。
母が文の続きへ視線を落とす。
「ただし、完全に噂を知らない方だけを集めるわけではないそうよ」
「どういうことでしょうか」
「噂を知っていても、不確かな言葉を面白がらず、場の礼儀を守れる方を選ぶ、と」
私は少し考えた。
噂を知らない人だけ。
それは一見安全に思える。
でも、王都社交で完全に知らない人ばかりを集めるのは、たぶん難しい。
それに、噂を知らない場所へ隠れるだけなら、社交へ戻る練習にはならない。
「……盾のある場所、ということですね」
私が言うと、母が微笑んだ。
「ええ。無風の場所ではなく、必要な盾がある場所」
父も頷く。
「ハーディ夫人は、最初の場として適任だ。あの方は穏やかだが、場の主として線を引ける」
「はい」
「茶会の規模は、ハーディ夫人を含めて六名から八名程度。お前、マリエル、アメリア殿が出席する。セドリック殿は開始時の挨拶までなら同席できるよう調整するとのことだ」
「セドリック様も…」
思わず声が少しだけ明るくなった。
母がこちらを見る。
私は咳払いした。
「確認です」
「ええ。確認ね」
母の声は優しいが、少し楽しそうだった。
「王都騎士団の勤務がありますので、長く茶会へ同席するのは難しいでしょう。けれど、最初の挨拶にいてくださるなら」
「心強い?」
母が言う。
私は一瞬言葉に詰まり、それから頷いた。
「はい。心強いです」
父は書面へ静かに目を落としている。
見ていないふりをしてくれているのがわかった。
ありがたいが、少し恥ずかしい。
「ハーディ夫人から、お前への一文もある」
「私へ?」
「ああ」
父は別紙を差し出した。
そこには、丁寧な文字で短い文が書かれていた。
――不確かな言葉に傷つかれたことと思います。けれど、あなたが隠れる必要はありません。最初の茶会では、どうぞ無理に強く振る舞わず、婚約者として正式に紹介される場を受け取ってください。場の主として、私が必要な線を引きます。
私は、何度もその文を読み返した。
無理に強く振る舞わず。
婚約者として正式に紹介される場を受け取る。
場の主として、私が必要な線を引く。
胸の奥が、じわりと温かくなる。
ハーディ夫人とは、まだ親しいわけではない。
それでも、あの方は茶会で噂を止めてくれた。
そして今度は、私が最初に出る場を整えようとしてくれている。
「……お礼を申し上げたいです」
「茶会の場で伝えられるわ」
母が言った。
「でも、その前に返事にも一文添えましょう」
「はい」
父は頷く。
「婚約発表の日程が整い次第、正式に依頼する。今日は、受けてくださったことへの礼を返す」
「はい」
私は紙を取り、ゆっくり筆を持った。
すぐに整った言葉は出てこない。
けれど、無理に華やかにしなくていい。
私は私の言葉でよい。
――お心遣いに感謝いたします。無理に強く振る舞わず、正式に紹介される場を受け取るというお言葉を、大切に受け取りました。当日は緊張すると思いますが、逃げず、また無防備にもならず、伺いたいと思っております。
書き終えてから、少しだけ息を吐く。
「固いですね」
私が言うと、母は文面を見て微笑んだ。
「少しね」
「やはり」
「でも、とてもシャロンらしいわ」
「最近、それは褒め言葉として受け取ってよいのでしょうか」
「もちろんよ」
母の断定は、今日も揺るがなかった。
父も目を通し、静かに頷いた。
「よい。こちらの返書に添えよう」
その後、小サロンでリディアとフローラにも共有した。
ハーディ夫人が協力してくださること。
初回の茶会は六名から八名程度の小規模になること。
ベリス夫人は招かれないこと。
母とアメリア様が同席し、セドリック様は挨拶まで同席する予定であること。
リディアは露骨にほっとした顔をした。
「よかったです。セドリック様が最初にいてくださるなら」
「ええ」
「お姉様、嬉しそうです」
「確認事項が減っただけよ」
「今のは虚偽申告の可能性があります」
フローラが静かに言った。
「フローラ」
「可能性です。断定はしていません」
「最近、二人とも私への判定が厳しいわ」
「お姉様が大事なので」
リディアがすぐに言う。
そのまっすぐさに、言い返せなくなった。
フローラは紙に何かを書きかけ、私と目が合うとそっと閉じた。
「何を書こうとしたの?」
「初回茶会の想定問答です」
「やっぱり」
「必要かと思いまして」
「気持ちはありがたいけれど、今はまだいいわ。完璧に返そうとすると、たぶん緊張するから」
フローラは少し考え、それから頷いた。
「では、想定問答ではなく、避難文だけ」
「避難文?」
「返答に困った時の言葉です。『その点については、両家で確認しながら進めております』など」
私は少し考えた。
それは、悪くない。
完璧に論破するための言葉ではなく、場を荒らさず線を引く言葉。
「一つだけなら」
私が言うと、フローラの目が少し輝いた。
「一つですね」
「増やさないで」
「努力します」
「努力は未確定ね」
リディアが楽しそうに笑った。
その笑い声を聞きながら、私は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
怖い。
でも、準備はできる。
そして、準備がすべて堅苦しいものとは限らない。
同じ頃、王都屋敷では、セドリックがハーディ夫人からグランフェル家へ届いた文を読んでいた。
その日は王都騎士団の勤務を終え、王都屋敷へ戻った後だった。
父と母はハイレン領本邸にいるため、文の写しは王都屋敷にも回されている。
王都屋敷の小サロンで、セドリックは一人、文面に目を通した。
ハーディ夫人の茶会。
小規模。
招待客は厳選。
ベリス夫人は招かない。
アメリアが同席。
シャロン嬢の母マリエル夫人も同席。
セドリックは開始時の挨拶までなら同席してよい。
その最後の一文で、セドリックは少しだけ息を吐いた。
長く同席すれば、茶会の空気を変えてしまう。
だが、最初に挨拶だけでもできるなら、シャロン嬢にとって少しは支えになるかもしれない。
いや。
支えになると決めつけてはいけない。
先日、シャロン嬢は「挨拶の場にいてくださると心強い」と伝えてくれた。
だから、自分はそこで支える役目を受け取ればいい。
勝手に守るのではなく、必要と言われた場所に立つ。
それが大事だ。
セドリックは確認表を開いた。
初回茶会。
ハーディ夫人主催。
六から八名。
ベリス夫人は招かない。
セドリックは開始時挨拶のみ。
長居しない。
退席後も近くで待機できるか確認。
王都騎士団勤務との調整。
そこまで書いて、筆を止める。
近くで待機。
それは支えになるのか。
それとも圧になるのか。
茶会の場にずっといない方が自然だ。
けれど、王都屋敷へ戻ってしまえば、何かあった時すぐには対応できない。
ハーディ家の別室に控えるのは不自然だろうか。
送迎だけにする方がよいだろうか。
セドリックはしばらく考えた後、紙に書いた。
――シャロン嬢本人へ確認。
結局、それが一番だ。
自分がこうした方がよいと思うことと、シャロン嬢が望むことは、いつも同じとは限らない。
王都屋敷の件で、それは学んだばかりだ。
家令が茶を運んできた時、セドリックは顔を上げた。
「ハーディ家への訪問時の馬車について確認しておきたい」
「茶会でございますね」
「ああ。婚約発表後、シャロン嬢が最初に出席する場になる」
家令はすぐに姿勢を正した。
「王都屋敷からお出ましになるのでしょうか」
「私は王都屋敷から向かう可能性が高い。シャロン嬢はベルフォール家から来る。母は、ハイレン領本邸から王都へ出る日程を調整するはずだ」
「承知いたしました」
「ただし、準備は控えめに。大きな馬車列にしない。隠れるようにも見せないが、見せびらかす必要もない」
「はい」
「それから、使用人たちにもう一度伝えておいてほしい。婚約発表前後、屋敷内で聞いたことを外へ出さないように」
「かしこまりました」
「特に、シャロン嬢が王都屋敷へ入る時期や部屋についての推測は厳禁だ。まだ決定事項ではない」
家令は深く頭を下げた。
「先日のお言葉、屋敷内でも共有しております。若奥様をお迎えする準備は候補として整え、決定として語らぬように、と」
若奥様。
その言葉に、セドリックは一瞬だけ固まった。
家令はすぐに気づき、わずかに慌てた顔をする。
「失礼いたしました。まだ」
「いや」
セドリックは小さく咳払いした。
「正式に婚約は整った。言葉として間違いではない。ただ、屋敷内で先走らないように」
「承知いたしました」
家令が下がった後、セドリックは一人残された小サロンで、少しだけ額に手を当てた。
若奥様。
使用人たちにとっては、自然な言葉なのだろう。
だが、それを聞いた自分が動揺するとは思わなかった。
婚約者。
シャロン嬢は、自分の婚約者になった。
正式な文書にも名前が並んでいる。
その事実は理解している。
しかし、日常の言葉として屋敷の中に入ってくると、また別の重さがあった。
セドリックは確認表の端に、小さく書き足した。
――自分も慣れる必要あり。
翌朝、セドリックは王都屋敷からハイレン領本邸へ急ぎの文を出した。
父母へ、ハーディ夫人の茶会に関する自分の確認事項を伝えるためだ。
自分は開始時の挨拶に同席する。
長居はしない。
退席後、近くで待機するか、完全に退出するかはシャロン嬢の希望を確認したい。
王都騎士団の勤務と移動の負担も、無理のない範囲で調整する。
文を書き終え、封を閉じる直前、セドリックはもう一枚、短い別紙を取った。
シャロン嬢宛てだ。
ただし、長くは書かない。
――ハーディ夫人の茶会について、開始時の挨拶には同席できるよう調整いたします。その後、近くに控える方がよいか、完全に退出した方がよいか、シャロン嬢のお気持ちを伺えればと思います。心強いとお伝えくださったことを、大切に受け取りました。
書いた後、少し迷い、最後に一文を添えた。
――ただし、私がいることで緊張が増える場合は、それも正直にお知らせください。
封を閉じる。
これでいい。
支えたい。
けれど、支え方を決めつけない。
それが今の自分に必要な確認だった。
その文は、ベルフォール家へ向かった。
その頃、私は帳面に、フローラから許可した一つだけの避難文を書いていた。
――その点については、両家で確認しながら進めております。
書いてから、私は少し首を傾げる。
「便利ですね」
フローラが隣で満足そうに頷いた。
「はい」
「ただ、便利という言葉は今は少し嫌です」
「では、有効です」
「それも少し」
「適切です」
「それなら」
リディアが向かいで真剣に言う。
「私も避難文を考えました」
「あなたは初回同席しないでしょう」
「練習です」
「聞くだけ聞くわ」
リディアは胸を張った。
「そのような言い方は、お姉様に失礼です」
「直球ね」
「はい」
「避難ではなく攻撃に近いわ」
フローラが冷静に評価する。
「使用時はお母様の後ろに限定ですね」
「限定されました」
リディアは少ししょんぼりした。
私は笑った。
笑いながら、帳面の端にもう一つ書く。
最初の茶会は、盾のある場所。
無風ではない。
でも、盾はある。
母。
アメリア様。
ハーディ夫人。
開始時にはセドリック様。
そして、屋敷で待っていてくれるリディアとフローラ。
一人ではない。
何度も確認しているはずなのに、何度でも書きたくなる。
それだけ、私はまだ怖いのだろう。
でも、怖いだけではない。
婚約者として正式に紹介される場を受け取る。
ハーディ夫人の言葉を思い出し、私は静かに息を吐いた。
受け取る。
それは、逃げないこととは少し違う。
与えられた場を、私のものとして立つこと。
まだ上手くできるかはわからない。
けれど、確認しながらなら。
盾のある場所からなら。
最初の一歩を踏み出せる気がした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
初回の茶会は、噂を完全に避ける場所ではなく、必要な線を引ける人たちがいる場所になりました。
セドリックも支え方を決めつけず、シャロン本人へ確認しながら進もうとしています。
次回もよろしくお願いします。




