第96話 知らせる順番にも、意思があります
読みに来てくださりありがとうございます。
今回は婚約発表の準備と、最初の社交の場をどう選ぶかのお話です。
ハーディ夫人へ相談し、シャロンも少しずつ喜ぶ準備をしていきます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
婚約発表の準備は、思っていたより実務的だった。
正式に婚約した。
それだけなら、もっと甘やかな響きがある。
けれど実際には、誰に、いつ、どの順番で知らせるか。
どの家へは文で伝え、どの家へは直接挨拶するか。
領地の関係者にはどの範囲まで知らせるか。
王都社交では、どの場を最初にするか。
確認事項は、次々と増えていった。
私は父の書斎で、母と一緒に机の上の一覧を見ていた。
グランフェル伯爵様とアメリア様は、昨日の午前にハイレン領本邸へ戻られた。
馬車での移動なので、到着は夕方近くになると聞いている。
セドリック様は王都騎士団の務めがあるため、王都屋敷へ戻っている。
今後の発表準備は、文を行き来させながら、必要があれば王都屋敷、ハイレン領本邸、ベルフォール家の三か所で確認することになった。
場所が三つある。
以前なら、ただ「大変そう」と思っただけかもしれない。
今は違う。
誰がどこから動くのか。
その移動にどれほど負担があるのか。
相談の場をどこに置くのが一番自然なのか。
そういうことまで、目に入るようになった。
「まず、両家から同じ日に婚約成立を知らせる」
父が言った。
「ベルフォール家からは、親族、領地の主要家臣、近しい家へ。グランフェル家からも同じように知らせる。王都の主だった家には、日をずらさず届くよう調整する」
「はい」
「噂が先に形を持つ前に、正式な知らせを置く」
正式な知らせを置く。
その言い方が、胸に残った。
噂は勝手に流れる。
人の口で形を変える。
だから、こちらも形のある言葉を出す。
隠れるためではない。
騒ぐためでもない。
正しい順番で、正しい形を置くため。
母が別の紙を指した。
「それから、婚約発表後の最初の社交ね。いきなり大きな夜会へ出る必要はありません」
「はい」
「候補は、ハーディ夫人の小さな茶会」
その名を聞いて、私は少し背筋を伸ばした。
ハーディ夫人。
王都の茶会で、ベリス夫人の言葉をその場で訂正してくださった方。
セドリック様とアメリア様が、最初に噂の詳細を聞きに行った方でもある。
「ハーディ夫人なら、招く相手を選んでくださるでしょう。場の空気も荒れにくいはずよ」
「ベリス夫人は…」
「招かれないようお願いする」
母の声は穏やかだったが、はっきりしていた。
「正式に抗議する段階ではないけれど、同じ席に置く必要はないわ」
「はい」
少しだけ、息がしやすくなった。
ベリス夫人本人が花籠を命じたとは、まだ断定できない。
けれど、茶会で私を便利な方と表したことは確認されている。
最初の社交で、わざわざ同じ場に出る必要はない。
それは逃げではない。
段階を分けるということだ。
「シャロン」
父が私を見る。
「この最初の社交について、お前の希望も聞いておきたい」
「私の希望」
「ああ。出席者の規模、同席してほしい者、避けたい話題、時間の長さ。細かくてもよい」
私は少し考えた。
希望。
それを出していいと言われることに、まだ少し慣れない。
「規模は、小さい方がいいです」
「そうだな」
「お母様には同席していただきたいです。可能なら、お父様も」
「私は茶会の場そのものには長くいない方が自然かもしれないが、送り迎えや別室待機はできる」
「それで十分です」
父が頷く。
「リディアとフローラは?」
母が尋ねる。
私は少し迷った。
リディアはきっと、私のために怒りを顔に出さない練習をしてくれる。
でも、最初の社交で私より先に反応してしまう可能性は高い。
フローラは冷静だ。
ただし、観察が鋭すぎて相手を射抜く可能性がある。
「……今回は、同席しない方がいいと思います」
言うと、母は静かに頷いた。
「私もそう思うわ」
「二人には申し訳ないですが」
「守ることと、連れていくことは同じではないもの」
その言葉に、私は少し安心した。
父が紙に書き留める。
「初回社交は、シャロン、マリエル、アメリア殿が中心。セドリック殿は?」
「茶会に男性が長く同席するのは不自然ですよね…」
「そうだな」
「ただ、送り迎えや挨拶の場にいてくださると、心強いです」
言ってから、少し恥ずかしくなった。
心強い。
婚約者に対して、そう言うのは変ではないと思う。
けれど、口に出すと落ち着かない。
母が微笑む。
「そのまま伝えましょう」
「そのままですか?」
「ええ。セドリック様も喜ばれると思うわ」
「喜ぶでしょうか…」
「喜ぶわ」
母の断定は、なぜか妙に強かった。
父も反論しない。
私は視線を落とした。
「では……挨拶の場にいてくださると心強い、と」
「はい」
母が楽しそうに書き足す。
どうして少し楽しそうなのか。
そこは確認しないことにした。
その後、小サロンでリディアとフローラにも説明した。
婚約発表は予定通り進めること。
両家から同じ日に正式に知らせること。
最初の社交は、ハーディ夫人の小さな茶会を候補にしていること。
そして、リディアとフローラは初回には同席しない可能性が高いこと。
言い終えると、リディアは予想通り少し不満そうな顔をした。
「私、怒りを顔に出さない練習をしています」
「知っているわ」
「昨日より上達しました」
「昨日から今日で?」
「はい」
フローラが静かに言った。
「上達幅は未確認です」
「フローラ!」
「ですが、初回の社交に同席しない方がよいという判断には賛成です」
リディアが驚いたように妹を見る。
「フローラまで?」
「はい。私は、お姉様の周囲の反応を見すぎる可能性があります」
「それは……確かに」
「リディアお姉様は、怒りを顔に出す可能性があります」
「否定はできません」
「なので、初回はお母様とアメリア様が最適です」
リディアはしばらく黙っていた。
それから、悔しそうに頷く。
「わかりました。今回は我慢します…」
「ありがとう」
「でも、帰ってきたら全部教えてくださいね!」
「全部は無理よ」
「聞いていい範囲で」
「それなら」
リディアは少しだけ安心したように息を吐いた。
フローラは私を見る。
「お姉様」
「何?」
「茶会で、もし嫌な言葉を言われたら」
「ええ」
「その場で無理に完璧に返そうとしなくてもよいと思います」
意外な言葉だった。
フローラなら、言葉で返す案を三つくらい出してくるかと思った。
「完璧に返さなくても?」
「はい。初回の目的は、噂を論破することではありません。正式に婚約したお姉様が、選ばれた場に姿を見せることだと思います」
私は少し目を見開いた。
フローラは続ける。
「不適切な言葉には、お母様やアメリア様が線を引けます。お姉様が全部返さなくても、負けではありません」
胸の奥が、少しほどける。
私はどこかで、次に何か言われたら、自分でしっかり返さなければならないと思っていた。
でも、そうではないのかもしれない。
「……そうね」
私は頷いた。
「全部私が返さなくてもいいのね」
「はい」
リディアが力強く言う。
「お母様は強いですから」
「そこは完全に同意するわ」
「アメリア様も強そうです」
「ええ」
「つまり、お姉様の周囲は強いです」
言い方は少し雑だったが、意味はわかった。
一人で立たなくていい。
それは最近、何度も言われていることだ。
けれど、社交の場を想像すると、つい忘れそうになる。
だから、何度でも確認する必要がある。
その日の午後、父はハーディ夫人宛ての文を整えた。
婚約成立の正式な知らせは、まだ一斉に出す前である。
だが、ハーディ夫人には噂の件で協力してもらっているため、事前に相談する形を取ることになった。
母が文面を確認する。
「婚約発表後、シャロンの最初の社交の場について、ご相談したい。招待客は少数、信頼できる方に限りたい。ベリス夫人は招かないでいただきたい」
「はっきり書くのですね」
「ええ。ここをぼかすと、意図が伝わらないわ」
父も頷く。
「正式な抗議ではないが、同席を望まない相手は明確にする」
「はい」
「シャロン、お前からも一文添えるか」
「私から、ですか」
「ああ。無理にとは言わない」
私は少し考えた。
ハーディ夫人とは、まだ直接深い親交があるわけではない。
けれど、噂の場で私を守る言葉を言ってくださった方だ。
お礼はしたい。
でも、重くなりすぎるのも違う気がする。
「短くでよければ」
「もちろんだ」
私は別紙を取り、ゆっくり筆を持った。
――このたびは、私に関する不確かな言葉に対して、その場で正してくださったと伺いました。直接お礼を申し上げる機会をいただけましたら幸いです。初めての場となりますので緊張もございますが、確認しながら伺えればと思っております。
書いてから、少し悩む。
「固すぎますか」
母が読んで、微笑んだ。
「あなたらしいわ」
「それは固いという意味では」
「少し」
「やはり」
「でも、悪くないわ。無理に柔らかくしようとして整わなくなるより、この方がいい」
父も目を通して頷いた。
「よい」
私は少しだけ息を吐いた。
ハーディ夫人への文が整えられ、使者へ託された。
その背を見送りながら、私は思った。
知らせる順番にも、意思がある。
誰へ先に伝えるか。
誰に相談するか。
誰を同席させないか。
どの場を最初に選ぶか。
それはただの段取りではない。
私を噂から守るためだけでもない。
私が婚約者として、どのように社交へ戻っていくかを決めるための線だった。
夜、帳面を開く。
婚約発表準備。
両家同時。
正式な知らせを置く。
最初の社交は小規模。
ハーディ夫人へ相談。
ベリス夫人は同席させない。
リディアとフローラは初回同席なし。
セドリック様は挨拶の場にいてくださると心強い。
最後の一文を書いたところで、少し手が止まる。
心強い。
文字にすると、さらに恥ずかしい。
けれど、消さなかった。
事実だからだ。
私はセドリック様に守られたいだけではない。
私もセドリック様の負担を確認したい。
でも、やはりそばにいてくださると心強い。
それも、私の本当の気持ちだ。
少し迷ってから、さらに一行書いた。
喜ぶ準備もしてよい。
その言葉を見て、私は小さく息を吐いた。
婚約発表は怖い。
社交も怖い。
また棘が混じるかもしれない。
けれど、婚約発表の日を、ただ身構える日にはしたくない。
知らせる順番にも、意思がある。
なら、私の中にも順番を作ろう。
警戒する。
確認する。
でも、喜ぶことも忘れない。
全部を同じ日に抱えるのは難しいかもしれない。
それでも、少しずつならできる気がした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
婚約発表はただ知らせるだけではなく、噂に対してどの順番で正式な言葉を置くかでもあります。
シャロンは警戒しながらも、喜ぶ準備をしてよいのだと少しずつ受け取っています。
次回もよろしくお願いします。




