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元跡継ぎ令嬢はお見合い結婚した騎士伯爵と恋をします  作者: 影道AIKA


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第95話 影の名前を、まだ断定しません

読みに来てくださりありがとうございます。

今回はベルフォール家側で、花籠の出どころについて報告を受けるお話です。

ベリス夫人の影は見えますが、まだ断定せず、婚約発表を予定通り進める方針になります。

楽しんでいただけたら嬉しいです。

 セドリック様からの報告が届いたのは、翌日の夕方だった。


 グランフェル伯爵様とアメリア様は、正式な婚約の席の後、そのままベルフォール家に一泊していた。

 長い移動の後、すぐにハイレン領本邸へ戻るには負担が大きいからだ。


 父も母も、その判断に異論はなかった。


 むしろ今は、両家で直接話すことが多い。

 正式に婚約が整ったばかりで、噂と花籠の件もある。


 グランフェル伯爵様とアメリア様が本邸へ戻る前に、王都からの報告を受け取れたのは、幸いだった。


 父の書斎に、両家の大人たちが集まる。


 父。

 母。

 グランフェル伯爵様。

 アメリア様。


 そして私。


 最初、父は少し迷った。

 けれど、私は何も言わずに父を見た。


 隠さないでください。


 そう言わなくても、父はわかってくれたらしい。


「同席しなさい」


「はい」


 私は書斎の椅子に座った。


 リディアとフローラは小サロンで待機だ。

 二人とも不満そうだったが、今回は花籠の調査報告である。

 聞かせるべき部分と、まだ止めるべき部分がある。


 父が封を切った。


 グランフェル家の封蝋ではなく、セドリック様個人の封が添えられている。

 とはいえ内容は、両家へ共有するための正式な報告だった。


 父が文面を読み進める。


 王都のアンセル花商。

 花籠の底にあった店の印。

 注文に来たのは、直接本人ではなく女中と思われる女性。

 その女性は、ベリス夫人の使いと名乗った。

 注文主欄には、C.B.の頭文字。

 文面は指定されたもの。

 支払いは現金で前払い。

 店名は目立たせないよう求められていた。

 花商から途中の町まで運ばれ、そこから若い使いがベルフォール家へ届けた。


 私は膝の上で指先を重ねた。


 C.B.


 カサンドラ・ベリス夫人。


 王都の茶会で、便利な方という言葉を口にした人。


 花籠の影が、そこへ伸びている。


 でも。


「……まだ、断定ではありませんね」


 私が言うと、父は静かに頷いた。


「ああ」


 グランフェル伯爵様も低く言う。


「本人が直接命じた証拠ではない」


 母が文面を見つめながら続けた。


「使いが名を使っただけ、という逃げ道は残っているわね」


「注文主欄のC.B.も、そう読ませたい誰かが書かせた可能性はあります」


 私は言った。


 自分でも、思ったより冷静な声だった。


 アメリア様が私を見る。


「ええ。その通りです」


「でも、無関係とは言えません」


「それも、その通りです」


 断定しない。

 でも、見逃さない。


 この二つを同時に持つのは、思っていたより疲れる。


 怒りはある。

 傷もある。


 ベリス夫人がやったのだと決めてしまえば、たぶん一瞬は楽だ。

 怒りを向ける相手が決まるから。


 けれど、それは危うい。


 未確認のまま名を出せば、こちらが噂を広げる側になってしまう。


 私はそれが嫌だった。


「セドリック様は、何と」


 私が尋ねると、父は文の後半へ目を移した。


「確認できたことと未確認のことを分けて報告する、とある」


 父の声が少し柔らかくなった。


「花籠の件で、正式な婚約の日が損なわれたとは考えていない。ただし、傷ついたことも怒っていることも、なかったことにはしない、と」


 胸の奥が、じんわり熱くなった。


 あの日を、棘に明け渡さない。


 私が思ったことを、セドリック様も同じように受け取ってくれている。


 それが嬉しかった。


 そして、少し悔しくもあった。


 嬉しい日に、こうして悪意の確認をしなければならないことが。


「……私も、同じです」


 私は言った。


「正式な婚約の日が損なわれたとは思いません。でも、傷ついたことも怒っていることも、なかったことにはしたくありません」


 父が深く頷いた。


「そうだな」


 グランフェル伯爵様が短く言う。


「では、対応を決める」


 その一言で、書斎の空気が引き締まった。


「まず、アンセル花商への抗議はしない。店は注文を受けた側であり、記録も残している」


 父が言うと、グランフェル伯爵様が頷いた。


「同意する。ただし、今後同様の差出人不明の贈答について注意を促す文は出してよい」


「そうしましょう」


 母が言った。


「花籠とカード、門番の証言、花商の記録写しは保管します。もし同じようなことが続けば、まとめて正式な抗議の材料になります」


「ベリス夫人へは」


 アメリア様が静かに口にする。


 父は少し考えた。


「今すぐ直接抗議するには、まだ弱い」


「ええ」


「だが、社交上の距離は取る。こちらから招かない。近い茶会でも席を遠ざける。情報が流れないよう、使用人にも注意を徹底する」


 グランフェル伯爵様が続ける。


「こちらも同じだ。王都側でベリス夫人の最近の出入りと、ラングレー家との接触を確認する」


 ラングレー家。


 その名が出ると、胸の奥が少しだけ冷える。


 フィリップ様本人が関わっているとは限らない。

 でも、前の婚約の話が利用されているのは確かだ。


 母が私の方を見る。


「シャロン」


「はい」


「婚約発表について、あなたの考えも聞かせて」


 私は一瞬、息を止めた。


 婚約発表。


 正式な婚約は整った。

 次は、それをいつ、どう外へ知らせるか。


 噂がある。

 花籠も届いた。

 悪意はまだ動いている。


 発表すれば、注目される。

 隠せば、また別の噂になる。


 父が静かに補足した。


「発表を急げば、噂を打ち消すために慌てたように見える。遅らせれば、噂に怯えているようにも見える」


「はい」


「我々としては、予定通り整った手順で進めるのがよいと考えている」


 グランフェル伯爵様も頷く。


「グランフェル家も同じだ」


「けれど、あなたの気持ちを置いていかないわ」


 母が言った。


「怖ければ、怖いと言っていいのよ」


 怖い。


 もちろん怖い。


 婚約発表をすれば、王都社交は私を見るだろう。

 便利な令嬢なのか。

 また条件で選ばれたのか。

 前の婚約を失った令嬢が、次は伯爵家へ行くのか。


 そんな視線が、ないとは言えない。


 それでも。


「……延期したいとは思いません」


 私は言った。


 声は少し震えた。


 けれど、言えた。


「怖いです。ですが、噂や花籠があったから発表を遅らせるのは嫌です」


 アメリア様が静かに頷く。


 私は続けた。


「急ぐ必要もないと思います。けれど、予定していた手順を変えるほどではありません」


「理由は?」


 父が尋ねる。


 私は少し考えた。


「私たちは、噂に押されて婚約したのではありません。なら、発表も噂に押されて変える必要はないと思います」


 言ってから、自分の胸が少しだけ熱くなった。


 これは、私の言葉だ。


 父がゆっくり頷く。


「わかった」


 グランフェル伯爵様が低く言った。


「では、婚約発表は予定通り。形式を整え、両家から同時に知らせる」


「同時に」


 私は繰り返した。


「片方から先に漏れる形は避ける」


 父が説明する。


「正式な知らせとして、親しい家、領地関係、王都の主だった家へ順に伝える。噂の余地を減らすためだ」


「はい」


 母が続ける。


「そして、最初の社交の場を選びます。すぐ大きな夜会へ出る必要はないわ」


「ハーディ夫人の茶会でしょうか」


「候補の一つね」


 アメリア様が頷いた。


「ハーディ夫人は、噂の場で訂正してくださった方です。小規模で、招く相手を選べるなら悪くないわ」


「ベリス夫人は招かれますか」


「招かない」


 グランフェル伯爵様が即答した。


 そのあまりの短さに、私は少し瞬いた。


 アメリア様が穏やかに補足する。


「正式な抗議はまだでも、距離を取ることはできます」


「はい」


 父が紙に方針を書き留める。


 婚約発表は予定通り。

 両家同時。

 親しい家から順に。

 最初の社交は小規模。

 ハーディ夫人へ相談。

 ベリス夫人とは距離を取る。

 花籠とカードは証拠保管。

 差出人は未断定。


 文字になっていくと、少し落ち着いた。


 悪意はある。

 けれど、こちらも何もできないわけではない。


「シャロン嬢」


 アメリア様が柔らかく呼んだ。


「はい」


「婚約発表の日に、喜んでもいいのですよ」


 私は少し驚いた。


 喜んでもいい。


 その言葉は、思っていたより胸に刺さった。


「噂があるから、ずっと身構えていなければならないわけではありません」


「……はい」


「警戒は必要です。でも、あなたが婚約したことを喜ぶ権利まで、噂に渡す必要はありません」


 目の奥が、少し熱くなる。


 私はゆっくり頷いた。


「はい」


 喜ぶ権利。


 そんなふうに考えたことはなかった。


 でも、そうだ。


 私は正式に婚約した。

 セドリック様が望んでくださった。

 私も受けたいと答えた。


 それは、喜んでいいことなのだ。


 噂があるからといって、ずっと硬い顔でいなければならないわけではない。


「ありがとうございます」


 私が言うと、アメリア様は優しく微笑んだ。


「こちらこそ、受け取ってくださってありがとう」


 書斎での話が終わると、私は小サロンへ戻った。


 リディアとフローラが、すぐにこちらを見る。


「お姉様」


「聞いていい範囲で教えるわ」


 そう言うと、リディアが姿勢を正した。

 フローラはすでに記録しそうな顔をしている。


「花商から、出どころの手がかりが見つかったわ」


「誰ですか」


 リディアが即座に言う。


「まだ断定しないわ」


 私が答えると、リディアはぐっと唇を結んだ。


「……はい」


「ベリス夫人の使いと名乗った女性が注文したそうよ。注文主欄にはC.B.とあった。でも、それが本人の命令だとはまだ言えない」


 フローラが静かに頷く。


「そう読ませるための可能性もありますね」


「ええ」


「ですが、無関係とも考えにくい」


「その通りよ」


 リディアが眉を寄せる。


「難しいです」


「難しいわ」


「怒ってはいけないのですか」


「怒っていいわ」


 私はすぐに答えた。


「ただ、怒りの向け先を今すぐ決めすぎない方がいいだけ」


 リディアは少し考え、それから頷いた。


「わかりました。怒りは保管します」


「保管」


 フローラが静かに言う。


「適切な表現です」


「怒り保管箱を作りますか」


「作らなくていいわ」


「心の中に」


「それはもうありそうね」


 少し笑いが生まれた。


 けれど、リディアの目はまだ真剣だった。


「婚約発表はどうなるのですか」


「予定通り進めるわ」


 リディアがほっとしたように息を吐いた。


「よかった」


「怖くないわけではないけれど」


「はい」


「噂や花籠があったから遅らせるのは、嫌なの」


 フローラが私を見た。


「お姉様の意思ですね」


「ええ」


「それなら、良いと思います」


「実務評価?」


「祝意込みです」


「ありがとう」


 リディアがそっと私の近くへ来る。


「お姉様、婚約発表の日、喜んでいいんですよね」


 私は少し目を見開いた。


 アメリア様に言われたばかりの言葉を、リディアも同じように言った。


「ええ」


 私は頷いた。


「喜んでいいそうよ」


「そうよ、ではなく、お姉様が喜んでいいんです」


「……そうね」


 言い直す。


「私は、喜んでいいのね」


 リディアは力強く頷いた。


「はい」


 フローラも静かに言った。


「喜ぶことと警戒することは、両立できます」


「本当に今日は二人とも鋭いわね」


「お姉様の婚約発表準備ですので」


「理由になっているような、いないような」


 それでも、私は笑えた。


 夜、帳面を開く。


 セドリック様からの報告。

 アンセル花商。

 ベリス夫人の使いと名乗る女性。

 C.B.

 断定しない。

 無関係とも決めない。

 婚約発表は予定通り。

 噂に押されて変えない。

 喜ぶ権利を渡さない。


 そこまで書いて、筆を止めた。


 喜ぶ権利。


 もう一度、その言葉を書く。


 私は婚約した。

 セドリック様と正式に婚約した。


 噂もある。

 花籠もある。

 有用という言葉に、まだ胸は痛む。


 けれど、それだけではない。


 斜めの席で言葉を聞いた。

 名前を同じ文書に並べた。

 リディアに泣かれた。

 フローラにおめでとうと言われた。

 セドリック様が蜂蜜菓子を見て少し嬉しそうにした。


 それらを、私は喜んでいい。


 帳面の最後に、私はゆっくり書いた。


 影の名前は、まだ断定しない。

 でも、私の喜びまで影に渡さない。


 書き終えると、少しだけ胸が軽くなった。


 怒りはある。

 傷もある。


 でも、喜びもある。


 どれか一つだけを選ばなくてもいい。


 私は帳面を閉じ、窓の外を見た。


 婚約発表は、予定通り進む。


 怖い。


 でも、少しだけ楽しみでもある。


 その二つが一緒にあることを、今日は否定しなかった。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

悪意への警戒は続きますが、シャロンは婚約を喜ぶ権利まで渡さないと決めました。

次は婚約発表と、最初の社交の場へ向けた準備が動いていきます。

次回もよろしくお願いします。

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