第94話 花籠の底に、王都の印があります
読みに来てくださりありがとうございます。
今回は差出人不明の花籠について、門番の証言と王都の花商から出どころを確認していくお話です。
ベリス夫人の影は見えますが、まだ断定せず、確認を重ねていきます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
差出人不明の花籠は、屋敷の客間にも廊下にも飾られなかった。
父の指示で、花籠は使用人棟の一室へ運ばれた。
飾るためではない。
確認するためだ。
正式な婚約の日に届いた、棘のある祝福。
――ご婚約おめでとうございます。さぞ有用なご縁になりますように。
そのカードの文面は短い。
けれど、短いからこそ悪意が濃かった。
花籠を前にした父は、静かに腕を組んでいた。
隣にはグランフェル伯爵様。
母とアメリア様もいる。
セドリック様は、少し離れた位置で花籠を見下ろしていた。
私は扉の近くに立っている。
父は最初、私を同席させるか迷った。
けれど、私が「隠さないでください」と言うと、しばらく黙った後、頷いてくれた。
ただし、リディアとフローラは小サロンで待機になった。
リディアは顔に出すから。
フローラは記録係になりすぎるから。
本人たちは不満そうだったが、今は仕方がない。
「まず、門番の証言を」
父が言うと、執事が一人の門番を連れてきた。
門番は緊張した様子で礼を取る。
「花籠を持ってきたのは、見覚えのない若い男だったとのことだな」
「はい、旦那様。年は十六、七ほどに見えました。身なりは悪くありませんが、どこかの家の正式な使いという感じではありませんでした」
「名乗ったか」
「いいえ。花商からの届け物だと言いました」
「どこの花商だ」
「王都のアンセル花商、と」
父の眉がわずかに動く。
セドリック様も、静かに顔を上げた。
「アンセル花商は、王都で名の通った店です」
セドリック様が言った。
「貴族の屋敷にも出入りしています。王都屋敷でも、時折使うことがあります」
「そうか」
グランフェル伯爵様が低く言う。
「続けろ」
門番は背筋を伸ばした。
「花籠を置いて、すぐに帰ろうとしましたので、差出人を尋ねました。すると、贈り主名は伏せるよう頼まれている、と」
「その場で押し問答は?」
「祝いの品だと言われましたので、まず受け取り、すぐ執事へ報告しました」
「正しい判断だ」
父が頷くと、門番は少しだけ肩の力を抜いた。
セドリック様が静かに尋ねる。
「その若い男は、どちらへ向かったかわかりますか」
「門を出た後、街道の方へ戻りました。馬車ではなく徒歩です。屋敷の外で待っていた者も、少なくとも私の見える範囲にはおりませんでした」
「服装は」
「灰色の上着に、茶の帽子です。花籠を運ぶための布を肩に掛けていました」
「訛りは?」
「王都の言葉に近かったと思います」
セドリック様は頷いた。
「報告ありがとうございます」
門番が下がると、父は花籠の方へ視線を戻した。
「王都の花商から、徒歩の使いでベルフォール家まで。店の者が直接運んだにしては、少し不自然だな」
「途中の町で雇われた可能性もあります」
セドリック様が言う。
「王都から花籠ごと運んだのか、こちらの近くまで馬車で来て、最後だけ徒歩にしたのか。確認が必要ですね」
「花籠そのものは?」
グランフェル伯爵様が促す。
執事が慎重に花籠を持ち上げた。
底に、紙の小さな札がついている。
花商の印だった。
「アンセル花商の印です」
セドリック様が見て言った。
「ただ、かなり小さい。普通は贈答用の札をもう少し見える位置につけます」
「今回は、店名を目立たせたくなかったということか」
「その可能性があります」
アメリア様がカードを見つめながら、静かに言った。
「祝福のふりをしているのに、差出人も店も隠そうとしている。ずいぶん臆病な祝福ですこと」
母が小さく頷く。
「ええ。堂々とした祝いではありませんわ」
私は花籠を見た。
花そのものは美しかった。
白い花と淡い黄色の花が、品よくまとめられている。
見た目だけなら、祝いに相応しい。
だから余計に嫌だった。
綺麗な花の中に、棘のある言葉を差し込んでいる。
「シャロン」
父が私を見る。
「疲れたなら、部屋へ戻ってよい」
「いいえ」
私は首を横に振った。
「最後まで聞きます」
セドリック様が一瞬こちらを見た。
止めるでも、促すでもない視線だった。
ただ、確認してくれている。
私は少しだけ頷いた。
大丈夫ではない。
けれど、聞けている。
父は静かに言った。
「では、この花籠はこのまま保管する。カードも同封して記録する。門番と執事の証言も書面に残す」
「はい」
執事が答える。
グランフェル伯爵様がセドリック様へ視線を向けた。
「お前は今夜、王都屋敷へ戻るのだったな」
「はい。明日の朝、騎士団の務めがあります」
「ならば、明日の務めの後、アンセル花商へ確認に行け」
「承知しました」
私は思わず口を開いた。
「セドリック様」
「はい」
「ご負担ではありませんか?」
部屋の空気が、ほんの少しだけ変わった。
父が私を見ている。
母は柔らかく微笑んでいる。
アメリア様は、どこか嬉しそうだった。
セドリック様は一瞬だけ目を瞬かせた後、静かに答えた。
「負担ではあります」
私は少し驚いた。
セドリック様は続ける。
「ですが、必要な確認です。明日の務めの後、無理のない時間に行きます。騎士団の任務としてではなく、婚約者と両家に関わる確認として」
婚約者。
その言葉に、胸が跳ねた。
けれど、今は照れている場合ではない。
「……では、結果を教えてくださいね」
「もちろんです」
「私に隠さないでください」
「はい」
セドリック様は、はっきり頷いた。
「未確認のことは未確認として、確認できたことはお伝えします」
その言葉に、少しだけ息がしやすくなった。
その後、花籠は記録と共に保管された。
グランフェル伯爵夫妻は、この日はベルフォール家に一泊する予定になっていた。
ハイレン領本邸からの移動が長く、正式な席の後にすぐ戻るには負担が大きいからだ。
けれど、セドリック様は違う。
翌朝の騎士団勤務のため、王都屋敷へ戻らなければならない。
玄関で見送る時、空はもう暗くなり始めていた。
「本日は、ありがとうございました」
私が礼を取ると、セドリック様も丁寧に返した。
「こちらこそ、ありがとうございました」
少しだけ沈黙が落ちる。
正式に婚約した。
けれど、呼び方も距離もまだ急には変わらない。
それが少し安心で、少しもどかしい。
「王都まで、途中で休まれますか?」
私が尋ねると、セドリック様は真面目に考えた。
「今夜は王都屋敷まで戻ります。ただ、馬を替えずに無理に急ぐことはしません」
「確認しました」
「はい」
「もし負担が大きかったら、次回から移動方法を変えてください」
「承知しました」
セドリック様は少しだけ口元を緩めた。
「確認されることにも、慣れていきます」
「私も、確認することに慣れます」
「はい」
そのやり取りを、母とアメリア様が少し離れたところで見ていた。
私は見ていないふりをした。
セドリック様は馬に乗り、王都へ向かった。
その背を見送りながら、私は改めて思った。
婚約者になったのだ。
そして、婚約者になった直後から、確認事項が増えている。
嬉しいだけではない。
穏やかだけでもない。
でも、逃げたいわけではない。
翌日。
セドリックは王都騎士団で午前の務めを終えると、王都屋敷へ戻る前にアンセル花商へ向かった。
場所は王都の商業区。
貴族街にも近く、上質な花を扱う店として知られている。
店先には、季節の花が整然と並んでいた。
見た目は華やかだが、店内の空気は落ち着いている。
セドリックが名を告げると、店主はすぐに奥へ案内した。
「グランフェル卿。ご用件は」
「昨日、ベルフォール子爵家へ届けられた花籠について確認したい」
店主の顔が、わずかに強張った。
知らないふりをする顔ではない。
心当たりがある顔だ。
「差出人不明の祝いの花籠です」
セドリックはカードの写しを机の上に置いた。
店主はそれを見て、さらに顔色を変えた。
「……その文面でございましたか」
「店で書いたのですか」
「いえ。文面は注文時に指定されました。こちらでは写しただけです」
「注文主は」
店主は一瞬ためらった。
客の名を明かすことに抵抗があるのだろう。
それは商いとして当然だ。
セドリックは声を荒げなかった。
「これは、ただの祝いではありません。婚約した令嬢を傷つける意図を持った贈り物です。差出人を伏せ、店名も目立たぬようにしている。場合によっては、両家として正式に抗議することになります」
店主は唇を引き結んだ。
「注文を受けたのは、一昨日です」
「誰から」
「直接のご本人ではありません。女中と思われる女性が来ました。灰色の外套で顔を隠しておりましたが、口上では、ベリス夫人のお使いだと」
セドリックの目が静かに細められる。
ベリス夫人。
カサンドラ・ベリス夫人。
王都の茶会で、便利な方という言葉を口にした人物。
「その女性は、名を名乗りましたか」
「いいえ。ですが、注文票には頭文字だけ記すよう言われました」
「頭文字」
店主は帳簿を開いた。
日付、届け先、花材、支払い、配達方法。
注文主欄には、小さく記されている。
C.B.
セドリックはそれを見た。
カサンドラ・ベリス。
そう読める。
だが、そう読むように置かれた偽名である可能性もある。
「支払いは」
「現金で前払いです。通常より多めに置いていかれました。店の名は目立たせず、届ける者には差出人を言わせないように、と」
「届けた者は店の者ですか」
「いいえ。こちらからベルフォール家まで直接向かわせるには時間がかかりましたので、途中の町まで馬車で運び、そこから雇った若い使いに持たせました」
「灰色の上着に茶の帽子」
「はい。おそらくその者です」
セドリックは一つずつ確認していく。
「注文した女中の特徴は」
「背は中ほど、年は三十前後でしょうか。声は低めで、王都の言葉でした。左手に、細い銀の指輪をしておりました」
「ベリス夫人邸の者かどうかは確認しましたか?」
「口上のみです。こちらから屋敷へ確認はしておりません」
店主は苦しそうに言った。
「祝賀の注文として扱いました。差出人を伏せることも、珍しいとまでは言えません。驚かせたい、という方もおりますので」
「花籠の札を小さくしたのは?」
「注文時に、店名を目立たせないようにと言われました。ただ、完全に外すことはお断りしました。何かあった時、店の品であるとわからないのは困りますので」
「賢明な判断です」
店主は深く頭を下げた。
「このような形で使われるとは思わず、申し訳ございません」
「あなたが悪意を持ったとは思っていません」
セドリックは静かに言った。
「ただし、今後同じような注文があった場合、差出人不明で貴族家へ送るものには注意してください」
「必ず」
「この帳簿の内容を、書面で控えさせていただきたい」
店主は頷いた。
「差し支えない範囲であれば」
「注文日、届け先、指定文面、注文主欄の頭文字、使いの口上、支払い方法。必要なのはそこまでです」
セドリックは騎士団の権限ではなく、グランフェル家の者として丁寧に求めた。
店主も、それを理解してくれた。
書面を受け取り、セドリックは店を出た。
王都の通りは、昼過ぎの明るさに満ちている。
人々は花を買い、菓子を選び、馬車が行き交っている。
その中で、悪意は静かに流れる。
花籠の中に隠れ、祝いの言葉を装い、差出人を伏せて。
セドリックは書面を外套の内側へしまった。
C.B.
ベリス夫人のお使い。
かなり近い。
だが、まだ断定ではない。
ここで怒りに任せて名を出せば、相手は逃げるだろう。
偽名を使われた、店が聞き間違えた、使いが勝手に名乗った。
いくらでも言い逃れはできる。
必要なのは、もう一つの確認だ。
王都屋敷へ戻ると、セドリックはすぐに父宛て、ベルフォール家宛て、それぞれに報告を作成した。
父ギルバートはまだベルフォール家に滞在している。
母アメリアも同じだ。
報告はまずベルフォール家へ届ければ、両家で共有できる。
ただし、文面には注意した。
ベリス夫人が関与している可能性が高い。
しかし、現時点では注文に来た者が「ベリス夫人のお使い」と名乗り、注文主欄にC.B.と記したことまで。
本人が直接命じたとは、まだ断定しない。
セドリックは筆を止めた。
そして、シャロン嬢宛ての短い一文を添えるか迷った。
正式な婚約者になった。
けれど、こうした報告に個人的な言葉を混ぜすぎてよいのか。
少し考えた後、短く書いた。
――確認できたことと未確認のことを分けて報告いたします。花籠の件で、正式な婚約の日が損なわれたとは、私は考えておりません。
書き終えてから、もう一文だけ足した。
――ただし、傷ついたことも怒っていることも、なかったことにはいたしません。
封を閉じる。
これでよい。
大丈夫です、とは書かない。
安心してください、とも書かない。
確認したことを伝える。
未確認の部分を残す。
そして、あの日を棘に明け渡さない。
夕方、使者が王都屋敷を出た。
セドリックはその背を見送り、静かに息を吐く。
王都の花商から、ベリス夫人の影が見えた。
まだ、影だ。
だが、影があるなら光の向きもわかる。
次は、その影がどこから伸びているのかを確かめる。
婚約者になった日から、穏やかな道だけが続くわけではない。
それでも、セドリックはもう迷わなかった。
シャロン嬢を条件で語らせない。
祝福の形をした棘も、噂の形をした刃も。
ひとつずつ確認し、必要な場所で止める。
そのために、今はまだ怒りを置く。
置くが、手放しはしない。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
花籠はただの嫌がらせではなく、茶会の噂とつながる可能性が見えてきました。
けれどセドリックは、怒りを手放さず、同時に断定も急がず進めていきます。
次回もよろしくお願いします。




