第91話 負担を見られる側になりました
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はグランフェル家側で、シャロンからの返事をセドリックが受け取るお話です。
王都屋敷の扱いを屋敷内にも明確にしつつ、セドリック自身も負担を見られる側になっていきます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
ベルフォール子爵家からの返書は、まず王都屋敷へ届いた。
正式な文はハイレン領本邸へ届ける手筈だが、セドリック宛ての一文が添えられているため、王都騎士団勤務中のセドリックにも早く渡るよう、使者が王都屋敷へ寄ったのだ。
その日のセドリックは、王都騎士団での務めを終え、王都屋敷へ戻ったところだった。
鎧を解き、外套を預けたばかりのところへ、家令が封書を差し出した。
「ベルフォール子爵家より、返書でございます」
セドリックは受け取り、封蝋を確認した。
胸の奥が、静かに高鳴る。
小サロンへ移り、文を開いた。
正式な婚約の席について、日取りを調整したいこと。
噂への対応は引き続き両家で慎重に行いたいこと。
婚姻後の住まいについて、王都屋敷が決定事項ではないと伝えたことへの礼。
そして、シャロン嬢の言葉。
――王都屋敷を拝見したことが、王都での暮らしの決定ではないとお伝えくださり、安心いたしました。私も、今後の住まいについては、私だけでなくセドリック様のご負担も含めて確認していきたいと思っております。
セドリックは、その一文を何度も読み返した。
私だけでなく、セドリック様のご負担も。
思ってもみなかった言葉だった。
もちろん、シャロン嬢が気遣いのない方だと思っていたわけではない。
むしろ、人の負担を見ようとする方だ。
だが、これまでの縁談では、どうしてもシャロン嬢の負担を確認することが多かった。
王都屋敷は息ができる場所か。
社交は負担になりすぎないか。
正式な婚約打診を受けることに怖さはないか。
噂で傷ついていないか。
確認されるべきは、シャロン嬢だった。
そう思っていた。
けれど、彼女は今、自分だけが確認される側ではないと言っている。
セドリックの負担も確認したい、と。
「……負担を見られる側になったのか」
ぽつりと呟くと、少しだけ落ち着かない気持ちになった。
嬉しい。
けれど、慣れない。
誰かに自分の負担を気にされることは、思っていた以上に照れくさかった。
その時、扉の外で控えていた家令が遠慮がちに声をかけた。
「セドリック様」
「何だ」
「王都屋敷の使用人たちへ、今後の準備について確認しておきたいことがございます」
「準備?」
「はい。正式な婚約へ進まれるのであれば、いずれシャロン様をお迎えするために、奥様のお部屋や日常の動線などを」
「待て」
セドリックは文を置いた。
家令はすぐに頭を下げる。
「失礼いたしました」
「叱っているのではない。だが、今の段階でその準備を進めすぎてはいけない」
「はい」
「王都屋敷は、私が普段使う場所だ。シャロン嬢にも見ていただいた。だが、婚姻後にここを主な住まいにすると決まったわけではない」
家令は一瞬驚いた顔をした。
当然、と思っていたのだろう。
それも無理はない。
セドリックは王都騎士団所属。
王都勤務の日は、基本的にこの屋敷へ戻る。
ならば婚姻後も、妻を王都屋敷へ迎える。
使用人たちがそう考えるのは自然だった。
だからこそ、ここで止める必要がある。
「シャロン嬢を迎える準備をするな、という意味ではない」
セドリックは静かに言った。
「ただし、女主人として当然ここに入るものと決めつけないでほしい。王都屋敷、ハイレン領本邸、季節ごとの行き来、私の勤務の調整。すべてこれから確認する」
「承知いたしました」
「部屋を整えるなら、決定ではなく候補として整える。動線も、押しつけるためではなく、確認していただくために考える」
家令は深く頭を下げた。
「使用人一同へ、そのように伝えます」
「ああ。噂の件もある。余計な推測を外へ漏らさぬように」
「もちろんでございます」
「屋敷の中の当然が、外では噂になることもある」
その言葉に、家令の表情が引き締まった。
「肝に銘じます」
家令が下がると、セドリックは改めて文を見た。
王都屋敷は、決定事項ではない。
それはベルフォール家へ伝えただけでは足りなかった。
この屋敷の中にも、伝える必要があった。
使用人たちの善意が、シャロン嬢にとって圧になることもある。
若奥様のお部屋。
女主人の動線。
王都での暮らし。
それらは祝いの準備でありながら、決めつけにもなり得る。
セドリックは静かに息を吐いた。
押しつけないというのは、思っていたより広い。
翌朝、セドリックは夜明け前に王都屋敷を出た。
今日は午前の務めを調整し、ハイレン領本邸へ戻る許可を得ている。
正式な婚約の席について、父母と直接話すためだ。
馬車は使わない。
一人で馬を走らせた方が速い。
ただし、昨日の母の言葉を思い出し、無理に速度を上げ続けることはしなかった。
できるからといって、負担がないわけではない。
シャロン嬢にそう言われる前に、自分で気づかなければならない。
昼前にハイレン領本邸へ着くと、父ギルバートと母アメリアは小サロンで待っていた。
エミリアとノエルも同席している。
「お帰りなさい、兄様」
エミリアが立ち上がる。
「ただいま」
ノエルがすぐに尋ねた。
「馬で来られたのですか」
「ああ」
「負担確認はされましたか」
セドリックは一瞬言葉に詰まった。
エミリアが口元を押さえる。
アメリアは楽しそうに目を細めた。
「ノエル」
「はい」
「良い質問よ」
「ありがとうございます」
セドリックは小さく咳払いした。
「昨日よりは無理をしていない」
「昨日は無理をしていたのですね」
「少しだ」
「少しは、便利な言葉です」
ノエルが真面目に言うので、セドリックは返す言葉を失った。
アメリアが穏やかに微笑む。
「シャロン嬢の影響かしら」
「母上」
「良いことよ。あなたも確認される側になりなさい」
セドリックは席についた。
「その件で、シャロン嬢から一文がありました」
文を広げ、シャロンの言葉を家族へ伝える。
私だけでなく、セドリック様のご負担も含めて確認していきたい。
読み上げると、アメリアが優しく微笑んだ。
「よかったわね」
「はい」
「戸惑っている顔だけれど」
「……慣れていません」
「でしょうね」
ギルバートが短く言った。
「慣れろ」
「はい」
「妻を迎えるというのは、守る相手が増えるだけではない。見られる相手も増えるということだ」
重い言葉だった。
セドリックは静かに頷く。
「承知しました」
エミリアが少し首を傾ける。
「でも、兄様は見られることに慣れているのでは? 騎士団でも、社交でも」
「それとは違う」
セドリックは少し考えて答えた。
「働きぶりや振る舞いを見られるのは慣れている。だが、疲れていないか、無理をしていないか、そういうところを見られるのは慣れていない」
「なるほど」
「隠しそうですものね」
エミリアが率直に言った。
「お前に言われたくはない」
「私は必要な時は言います」
「兄様も必要な時は言ってください」
ノエルが真面目に続ける。
「シャロン嬢へ、負担はありませんとだけ答えたら、たぶん虚偽申告になります」
「ノエル」
「はい」
「最近、言葉が鋭くなっていないか」
「確認表の効果です」
アメリアがとうとう小さく笑った。
ギルバートも、ほんのわずかに口元を緩める。
セドリックは諦めて頷いた。
「わかった。負担がある時は、あると言う」
「よろしい」
母に言われ、なぜか家族全員が頷いた。
話はすぐに正式な婚約の席へ移った。
場所はベルフォール子爵家。
日取りは五日後を第一候補とする。
ギルバートとアメリアはハイレン領本邸から馬車で向かう。
セドリックは前日まで王都騎士団の務めがあるため、王都屋敷から直接ベルフォール家へ向かい、現地で父母と合流する。
エミリアとノエルは、今回は同席しない。
「わかっています」
エミリアは少し残念そうにしながらも、素直に頷いた。
「正式な席ですものね」
「そうだ」
ギルバートが言う。
「家族の顔合わせではない。婚約の意思を正式に交わす場だ」
「はい」
ノエルも頷いた。
「では、私たちは本邸で待機ですね」
「余計な手紙も出さない」
「はい」
エミリアは少しだけ唇を尖らせたが、すぐに表情を整えた。
「フローラ様へも、正式に整うまでは書きません」
「それでよい」
セドリックは確認表へ日程を書き込む。
五日後。
ベルフォール子爵家。
父母はハイレン領本邸から馬車。
セドリックは王都屋敷から直接。
エミリア、ノエルは同席なし。
噂対応のため、訪問は派手にしない。
ただし隠れるようにも見せない。
そして、もう一行。
正式な場で伝えること。
噂への否定。
シャロン嬢本人を望む理由。
王都屋敷は住まいの決定ではないこと。
互いの負担を確認すること。
セドリックが筆を止めると、アメリアが静かに言った。
「正式な場で、全部を長く話す必要はないわ」
「はい」
「でも、逃げてはいけないところは逃げないで」
「承知しています」
「特に、噂への否定は短くてもはっきりと。便利だからではない。その後で、なぜ望むのかを伝える」
セドリックは頷いた。
便利だからではない。
それは否定。
だが、その先に必要なのは肯定だ。
シャロン嬢だから望む。
そう伝えなければならない。
小サロンでの話し合いが終わった後、セドリックは本邸の庭へ出た。
王都屋敷の庭とは違う。
ハイレン領本邸の庭は、風が広い。
以前、シャロン嬢が訪れた時、この庭を歩いた。
市を見に行き、書庫を見て、ノエルの記録表にも言葉をくれた。
ここも、彼女が確認した場所だ。
だが、暮らす場所としてはまだ確認していない。
王都屋敷も。
ハイレン領本邸も。
どちらも、まだ決定ではない。
セドリックは庭の先を見ながら、自分の言葉を心の中で整えた。
シャロン嬢。
王都屋敷をご覧いただいたのは、そこに住んでいただくと決めるためではありません。
私の勤務の都合だけで、あなたの暮らしを先に決めたくありません。
けれど、私が普段使う場所を知らないまま進めるのも、不誠実だと思いました。
これからも、確認しながら考えさせてください。
あなたの負担も、私の負担も。
そこまで考えて、少し恥ずかしくなった。
正式な場で、これを言えるだろうか。
いや、言わなければならない。
噂が彼女を条件で語ろうとするなら、自分は彼女を一人の女性として語る。
家の都合だけではない。
役に立つからではない。
便利だからではない。
彼女が、自分の言葉を探しながら前へ進もうとする人だから。
その隣にいたいと思ったから。
夕方、セドリックは再び王都へ戻る準備をした。
明日は騎士団の務めがある。
今夜は王都屋敷へ戻らなければならない。
玄関で、アメリアが声をかけた。
「急ぎすぎないこと」
「はい」
「疲れたら、途中の宿で休むこと」
「時間的には王都まで戻れます」
「できるかどうかではなく、負担確認」
セドリックは言葉に詰まり、それから素直に頷いた。
「……わかりました」
ノエルが小声で言う。
「記録表に移動負担欄を作りますか」
「いらない」
「任意欄で」
「いらない」
エミリアが笑いをこらえている。
セドリックは馬に乗る前、家族へ向き直った。
「五日後、正式な席で必ず伝えます」
ギルバートが頷く。
「言葉を選べ。だが、弱めるな」
「はい」
馬を進め、セドリックはハイレン領本邸を後にした。
王都へ戻る道は、朝よりも少し長く感じた。
だが、不思議と悪くなかった。
負担を見られる側になった。
それは慣れない。
少し落ち着かない。
けれど、悪くない。
シャロン嬢が、自分の負担を確認したいと言ってくれた。
ならば、自分も大丈夫だと整えすぎず、正直に言葉を返そう。
王都屋敷に着いたのは、夜の帳がすっかり下りた頃だった。
体は疲れている。
けれど、心は妙に静かだった。
セドリックは自室へ戻り、正式な席で伝える言葉を書いた紙を開いた。
そして、最後に一行を書き足した。
――私も、無理をしていないふりをしないよう努めます。
書いてから、少し笑った。
シャロン嬢に見せたら、どう返されるだろう。
虚偽申告の可能性があります。
そう言われる気がした。
だが、それも悪くない。
確認しながら前へ進む。
その道に、自分もようやくきちんと立った気がした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
シャロンだけが確認されるのではなく、セドリックもまた負担を確認される側になりました。
正式な婚約の席まであと少し、互いに言葉を整えながら進んでいきます。
次回もよろしくお願いします。




