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元跡継ぎ令嬢はお見合い結婚した騎士伯爵と恋をします  作者: 影道AIKA


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第89話 王都屋敷は、決定事項ではありません

読みに来てくださりありがとうございます。

今回はグランフェル家側で、正式な返答を受け取った後のお話です。

セドリックが王都勤務と婚姻後の住まいについて、王都屋敷が決定事項ではないと整理します。

楽しんでいただけたら嬉しいです。

 王都騎士団での務めを終えたセドリックは、その日の夕刻、王都屋敷には戻らず、馬でハイレン領へ向かった。


 普段なら、王都での勤務がある日は王都屋敷を使う。

 夜勤や急な招集に備えるにも、その方が自然だ。


 だが、今は正式な婚約打診の返答を待つ時期だった。

 加えて、王都で流れ始めた噂への対応もある。


 父と母、エミリアとノエルは、王都屋敷ではなくハイレン領本邸に戻っている。

 家の方針を決めるなら、本邸で落ち着いて話す方がよい。


 だからセドリックは、馬車ではなく一人で馬を走らせた。


 馬車より体には堪える。

 だが、一人なら速い。


 道中、何度もシャロン嬢の言葉を思い出した。


 ――噂で傷ついてはおりますが、私の意思は変わりません。

 ――隠れるのではなく、確認しながら前へ進みたいと思っております。


 傷ついている。

 けれど、意思は変わらない。


 その言葉を、軽く受け取ることなどできなかった。


 ハイレン領本邸に着いた時には、空は暗くなり始めていた。


 玄関で出迎えた家令が、すぐに頭を下げる。


「お帰りなさいませ、セドリック様。旦那様方は小サロンにお集まりです」


「わかった」


 外套を預け、セドリックは小サロンへ向かった。


 扉を開けると、父ギルバート、母アメリア、エミリア、ノエルが揃っていた。

 机の上には、ベルフォール子爵家からの返答が置かれている。


 ギルバートが顔を上げた。


「早かったな」


「馬で参りましたので」


「無理はしていないか」


「必要な範囲です」


 そう答えると、アメリアが少しだけ目を細めた。


「その言い方は、無理をしている時にも使えるわね」


「……少し急ぎました」


「正直でよろしいです」


 母の言葉に、エミリアが小さく笑う。


 けれど、すぐに表情を引き締めた。


「兄様。ベルフォール家から、お返事が」


「ああ」


 セドリックは席につき、文面に目を通した。


 正式な婚約打診を受ける意思があること。

 シャロン嬢本人の意思を改めて確認済みであること。

 未確認事項については、婚約後も確認を続けたいこと。

 噂については、両家で慎重に対応したいこと。


 そして、シャロン嬢自身の一文。


 ――噂で傷ついてはおりますが、私の意思は変わりません。隠れるのではなく、確認しながら前へ進みたいと思っております。


 セドリックはその一文を、ゆっくり読み返した。


 強い言葉だ。


 けれど、強がりではない。


 傷ついていると認めた上で、それでも進むと言っている。


「……受けてくださったのですね」


「ああ」


 ギルバートが短く頷く。


「正式な婚約へ進む」


 エミリアが息を呑み、ノエルが姿勢を正した。


 喜びがあった。

 確かにあった。


 だが、誰も無邪気にはしゃげなかった。


 噂がある。

 シャロン嬢は傷ついている。

 それでも進む。


 ならば、こちらも浮ついてはいけない。


 アメリアが静かに言った。


「正式な婚約の日取りについては、改めて両家で調整しましょう。噂があるから急いだように見せないこと。でも、噂を恐れて引いたようにも見せないこと」


「はい」


 セドリックは頷いた。


「それから、ひとつ確認しておきたい」


 ギルバートが口を開いた。


「お前の王都勤務と、婚姻後の住まいについてだ」


 セドリックは顔を上げた。


「はい」


「お前は王都騎士団に属している。普段は王都屋敷を使う。それは事実だ」


「はい」


「ならば、周囲は当然のように考えるだろう。婚姻後、シャロン嬢も王都屋敷を主にするのだろう、と」


 セドリックは静かに頷いた。


「そう思われるでしょう」


「だが、お前はそれを決定事項としてシャロン嬢へ伝えていない」


「はい」


「理由を聞かせろ」


 父の問いは責めるものではなかった。

 確認だった。


 セドリックは少し息を整えた。


「私の勤務の都合を先に置きたくありませんでした」


 エミリアとノエルが、静かにこちらを見る。


「私が王都騎士団にいる以上、王都屋敷が生活の中心になる可能性は高いです。ですが、それを当然の前提としてシャロン嬢へ示せば、あの方はきっと、必要なら合わせますとおっしゃいます」


 アメリアが小さく頷いた。


「そうでしょうね」


「まだ王都屋敷も、ハイレン領本邸も、暮らす場所として十分に確認できていません。季節で行き来する形も、私の勤務の調整も、今後の継承準備も、すべて未確認です」


 セドリックは机の上の確認表を見る。


「だから、王都屋敷をご案内したのは、王都住まいを決めるためではありません。私が普段使う場所を、シャロン嬢が知らないまま婚約を進めるのは不誠実だと思ったからです」


 小サロンが静かになった。


 ノエルが少し考えるように眉を寄せる。


「兄上は、王都屋敷を見せたことで、シャロン嬢が『では王都に住むのですね』と思い込まないようにしたかったのですか」


「そうだ」


「ですが、何も言わなければ、周囲の方々には誤解されそうです」


「そうだな」


 セドリックは少しだけ苦笑した。


「だから、正式な婚約へ進む前に、ベルフォール家へも明確に伝える必要がある。王都屋敷は確認場所であって、決定事項ではないと」


 ギルバートは深く頷いた。


「それでよい」


 アメリアも続ける。


「言わなかったのは、曖昧にするためではなく、押しつけないため。けれど、押しつけないために黙っていたことが、今度は不安を生むこともあるわ」


「はい」


「だから、次は言葉にするのね」


「そうします」


 エミリアが静かに言った。


「シャロン様は、セドリック兄様が王都勤務だとご存じです。なら、心のどこかで王都屋敷に住むことになるのだろうと思っていらっしゃるかもしれません」


「そうだな」


「でも、それを自分から言い出すと、わがままのように感じてしまうかもしれません」


 セドリックは胸を突かれた。


 あり得る。


 シャロン嬢なら、そう考えるかもしれない。


 王都勤務の夫に合わせるべき。

 家の都合に合わせるべき。

 自分から負担を言うのは、わがままではないか。


 そうやって、自分の希望を後回しにしてしまうかもしれない。


「……私から言います」


 セドリックは言った。


「王都屋敷で暮らす可能性はある。だが、決定ではない。ハイレン領本邸も、王都屋敷も、季節で行き来する形も、私の勤務の調整も、すべて確認事項として扱いたい、と」


「ええ」


 アメリアが微笑む。


「それを聞けば、シャロン嬢も少し息がしやすいと思うわ」


 ノエルが小さく手を挙げるように言った。


「兄上」


「何だ」


「勤務の調整とは、騎士団を辞めるという意味ではありませんよね」


「今すぐそういう意味ではない」


 セドリックは首を横に振った。


「だが、将来的に領地継承の準備が進めば、王都勤務の形も変わる可能性がある。長期の王都常駐を続けるのか、一定期間ごとにハイレン領へ戻るのか、それも未確認だ」


「なるほど」


「だから、婚姻後の住まいを今ここで固定するのは早い」


 ノエルは真面目に頷いた。


「未確認が多いですね」


「ああ」


「ですが、隠していなければ確認できます」


「その通りだ」


 セドリックがそう答えると、ノエルは少しだけ嬉しそうにした。


 エミリアは少し考えてから言う。


「では、王都屋敷の書庫も、決定事項ではなく確認事項ですね」


「エミリア」


「はい」


「今はその話ではない」


「ですが、住まいに書庫は関係します」


「それはフローラ嬢の言葉だろう」


「正しい言葉は共有されます」


 アメリアが笑いをこらえている。


 ギルバートは短く言った。


「書庫は後だ」


「はい、父上」


 エミリアは素直に頷いた。


 素直ではあるが、諦めてはいない顔だった。


 その空気に、少しだけ小サロンの緊張が和らぐ。


 しかし、すぐにギルバートが話を戻した。


「噂への対応だが、正式な婚約が整えば、王都社交ではさらに注目される」


「はい」


「ベルフォール家は、シャロン嬢を隠すつもりはない。だが、無防備に出すつもりもない」


「こちらも同じです」


「最初の社交は、こちらとベルフォール家で選ぶ。信頼できる家の小規模な茶会。夜会はまだ早い」


「はい」


 アメリアが少し目を細める。


「ハーディ夫人には、いずれ正式にお礼をしましょう。あの方の茶会なら、最初の場としても悪くないかもしれません」


「噂を止めてくださった方ですね」


 エミリアが言う。


「ええ。ただし、時期は慎重に」


 セドリックは確認表へ新しい項目を書き足した。


 婚約後初期社交。

 信頼できる小規模茶会。

 同席者確認。

 噂対応。


 そして、その下にもう一つ。


 婚姻後の住まい。

 王都屋敷は確認済み一部。

 ハイレン領本邸は再確認予定。

 王都勤務は前提だが、住まい確定ではない。

 本人の負担確認。


 そこまで書いて、セドリックは筆を止めた。


 王都勤務は前提。

 住まい確定ではない。


 これを言葉にしておくことは、大事だ。


 ギルバートがその紙を見て頷いた。


「次にベルフォール家へ伺う時、お前自身の口で言え」


「はい」


「正式な婚約の場だ。噂への否定だけでなく、今後の暮らしについても、押しつけない姿勢を示す」


「承知しています」


「それから」


 父は少しだけ声を低くした。


「お前が馬で本邸へ戻っていることも、長く続ける形ではない。負担になる」


「はい」


「正式に婚約が整えば、相談の場をどちらに置くかも考える。毎回お前が王都とハイレンを往復するのは現実的ではない」


「わかっています」


 それも確認事項だ。


 家族と相談するために本邸へ戻ることはできる。

 だが、それが常態になれば無理が出る。


 セドリック自身も、できるからといって負担を見ないわけにはいかない。


 シャロン嬢にそう伝えている以上、自分にも同じことを適用しなければならない。


「……私も、できるかどうかだけで判断しないようにします」


 そう言うと、アメリアが満足そうに微笑んだ。


「よろしい」


「母上」


「あなたも、できるかと聞かれたらできると答える側でしょう?」


「否定できません」


「似ていますね、兄様とシャロン様」


 エミリアが楽しそうに言う。


「そこは似なくてよい」


「でも、だからこそ気づけるのでは?」


 セドリックは黙った。


 確かに、そうかもしれない。


 自分も無理をしやすいから、シャロン嬢の無理に気づける。

 シャロン嬢も、自分の負担を見落とすかもしれないから、互いに確認する必要がある。


 それは、悪いことばかりではない。


 夜が更ける頃、正式な返答への礼と、次回訪問の日程調整の文が整えられた。


 セドリックはその文に、自分からの一文を添えた。


 ――王都屋敷をご覧いただいたことは、王都での暮らしを決定するためではなく、私が普段用いる場所を知っていただくための確認でした。今後の住まいについては、王都屋敷、ハイレン領本邸、行き来の形を含め、改めてご負担を確認しながら考えたいと思っております。


 書いた後、少し長いと思った。


 だが、削らなかった。


 ここは曖昧にしない方がいい。


 さらに、噂についての一文も加える。


 ――傷ついていないふりをしない、とお伝えくださったことを、大切に受け取りました。私も、噂で言葉を歪められないよう、正式な場で改めて自分の意思をお伝えいたします。


 封を閉じる前に、セドリックはしばらく文面を見つめていた。


 王都屋敷は、決定事項ではありません。


 それは、住まいの話だけではない。


 家の都合。

 勤務の都合。

 周囲の予想。

 噂の形。


 それらを、当然の決定事項として彼女へ押しつけない。


 確認しながら進む。


 シャロン嬢がそう言ってくれたのだから、自分も同じように進む。


 セドリックは封を閉じ、静かに息を吐いた。


 正式な婚約の日は、もうすぐそこまで来ている。


 だからこそ、今のうちに言葉を整える。


 彼女が、自分の居場所をまた条件で決められたと思わないように。


 今度こそ、彼女自身のための席を用意できるように。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

王都屋敷はセドリックの普段の拠点ですが、シャロンの住まいを決めるためのものではありませんでした。

押しつけないために黙っていたことも、今度はきちんと言葉にしていきます。

次回もよろしくお願いします。

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