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元跡継ぎ令嬢はお見合い結婚した騎士伯爵と恋をします  作者: 影道AIKA


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第85話 茶会の噂は、茶菓子より甘くありません

読みに来てくださりありがとうございます。

今回はグランフェル家側で、噂が出た茶会について詳しく聞き取りに行くお話です。

セドリックは怒りを抱えながらも、正式な場で何を言うべきか考え始めます。

楽しんでいただけたら嬉しいです。

 翌朝、セドリックは母アメリアと共に王都のハーディ伯爵家を訪ねた。


 昨夜届いた急ぎの報告。


 ベルフォール家の長女は、また家の都合で選ばれたのではないか。

 グランフェル家にとって便利だから望まれているのではないか。


 その噂が、どこで、誰の口から、どのように出たのか。

 それを確かめるためだった。


 馬車の中で、アメリアはいつもより口数が少なかった。

 けれど、怒っていることはわかる。


 母は感情を荒らげる人ではない。

 だからこそ、静かな時ほど怖い。


「セドリック」


「はい」


「今日は、あなたが怒る場ではありません」


「承知しています」


「怒っていないふりをする場でもありません」


 セドリックは母を見た。


 アメリアは穏やかな顔をしている。

 だが、目は少しも笑っていなかった。


「怒りを隠しすぎると、相手に軽く扱われます。けれど、怒りをぶつけると、聞けるものも聞けなくなるわ」


「はい」


「今日は、聞く日です」


「わかっています」


 聞く日。


 剣を抜く日ではない。

 声を荒らげる日でもない。


 だが、守るために立つ日ではある。


 ハーディ伯爵家の屋敷に着くと、夫人自らが二人を迎えた。


 ハーディ夫人は五十代半ばの、穏やかで品のある女性だった。

 アメリアとは若い頃からの付き合いで、王都社交の空気にも詳しい。


「急なお呼び立てに応じてくださり、ありがとうございます」


 アメリアが礼を述べると、ハーディ夫人は首を横に振った。


「いいえ。むしろ、もっと早くお伝えすべきか迷ったくらいです」


 応接室へ案内されると、茶が出された。


 だが、誰も菓子には手を伸ばさなかった。


 ハーディ夫人は扉が閉じられたのを確認してから、静かに話し始めた。


「一昨日の午後、マルヴェル男爵夫人の茶会がありました。人数は多くありません。十名ほどです」


「そこに、ラングレー家の遠縁の方が?」


「ええ。カサンドラ・ベリス夫人です。ラングレー家とは母方でつながりがある方ですわ」


 知らない名だった。


 セドリックは表情を変えずに聞く。


「その方が、噂を?」


「はっきり断定するような言い方ではありませんでした」


 ハーディ夫人は眉を寄せた。


「ですが、断定していないからこそ厄介でした」


「どういうことですか」


「『そういえば』と前置きをして、ベルフォール家の長女の前の婚約の話を出しました。その方は、跡継ぎではなくなったことで婚約がなくなったそうですね、と」


 セドリックは膝の上で指先に力が入りそうになるのを抑えた。


 アメリアが静かに尋ねる。


「その後は?」


「『今回のグランフェル家とのお話も、領地のことに明るいご令嬢だからでしょうか』と。さらに、『ハイレン領の市の件でも助言なさったとか。とても便利な方ですものね』と続けました」


 便利な方。


 セドリックの胸の奥が、冷たく燃えた。


 ハーディ夫人は申し訳なさそうに目を伏せる。


「その場で、私は言いました。ご本人の意思も確認されている縁談を、そのように言うものではないと」


「ありがとうございます」


 アメリアが静かに礼を言った。


「他の方々は?」


「明確に同意した方はいません。ただ、何人かは黙りました。噂というのは、同意の声よりも沈黙で広がるものです」


 その言葉は重かった。


 誰かが大声で言ったわけではない。

 誰かが笑い飛ばしたわけでもない。


 ただ、黙る。

 聞き流す。

 少し面白そうに目を動かす。


 それだけで噂は形になる。


「フィリップ・ラングレー本人は、その場に?」


 セドリックが尋ねると、ハーディ夫人は首を横に振った。


「いませんでした。ですが、ベリス夫人は『ラングレー家も大変だったでしょうに』という言い方をしました」


「大変だった?」


「ええ。まるで、前の婚約を解消したラングレー家の方が被害者であるかのように」


 セドリックは一瞬、言葉を失った。


 被害者。


 条件が変わったからシャロン嬢を切り捨てた側が。

 彼女の傷を作った側が。


 大変だった、と。


「セドリック」


 母の声が静かに届く。


 セドリックはゆっくり息を吐いた。


「失礼しました」


「まだ何もしていないわ」


「しそうでした」


 ハーディ夫人は少しだけ目を細めた。


「怒ってよい話ですわ。ですが、怒り方を選ぶべき話でもあります」


「はい」


 セドリックは頷いた。


「ベリス夫人は、この縁談が正式に進むことをご存じだったのでしょうか」


「確かな情報を持っていたとは思えません。ただ、グランフェル家の馬車がベルフォール家へ出入りしたこと、ベルフォール家の馬車が王都屋敷へ向かったことは、王都ではすでに見られています」


「そこから、勝手に形を作った」


「ええ」


 ハーディ夫人は茶器を置いた。


「ただし、偶然にしては言葉が鋭すぎます。ベルフォール嬢がどこを傷つけられたか、知っている者の言い方でした」


 その一言で、部屋の空気がさらに沈んだ。


 跡継ぎではなくなったこと。

 前の婚約を失ったこと。

 便利な方、という言葉。


 知らない者が偶然突いたにしては、あまりに的確すぎる。


「ラングレー家本家の関与は、まだ断定できませんね」


 アメリアが言う。


「ええ。断定はできません。ただ、遠縁の口から出た以上、何らかの話があちら側でされていた可能性はあります」


「わかりました」


 アメリアは頷いた。


「ハーディ夫人、この件をこれ以上広げないため、お願いがあります」


「何なりと」


「今後同じ話題が出た時には、はっきり訂正してください。グランフェル家は、ベルフォール嬢を便利だから望んでいるのではない。本人同士、両家で慎重に意思を確認して進めている話だと」


「もちろんです」


「ただし、喧嘩腰にはしないで」


「承知しております」


 ハーディ夫人は少し微笑んだ。


「私も、茶会で剣は抜きません」


「抜いたら困ります」


 アメリアも少しだけ笑った。


 ほんの一瞬、空気が緩む。


 だが、セドリックの胸の奥の怒りは消えなかった。


 帰りの馬車の中、アメリアは窓の外を見ながら言った。


「セドリック」


「はい」


「ラングレー家へ直接抗議するのは、まだ早いわ」


「承知しています」


「けれど、正式な婚約打診の場では、言葉を濁してはいけません」


「はい」


「ベルフォール家へも、今日聞いた内容を正確に伝えましょう。シャロン嬢にどう伝えるかは、あちらのご家族とも相談して」


「……シャロン嬢は、すでに傷ついておられるでしょう」


「ええ」


 母は静かに頷いた。


「けれど、傷ついたから弱いわけではないわ」


「はい」


「あなたが守りたいのはわかります。でも、守るという名目で、彼女から知る権利や怒る権利を奪ってはいけません」


 その言葉に、セドリックは胸を突かれた。


 守りたい。


 その気持ちは本物だ。


 だが、守るために隠しすぎれば、彼女をまた置いていくことになる。


 シャロン嬢が一番嫌がることだ。


「……気をつけます」


「ええ」


「私は、彼女が便利だから望まれているのではないと、何度でも言います」


「ええ。けれど、それだけでは足りないわ」


 セドリックは母を見る。


「足りない、ですか」


「『便利ではない』だけでは、否定にしかならないもの」


 アメリアの声は静かだった。


「あなたがなぜシャロン嬢を望むのか。何に惹かれ、何を大切にしたいと思っているのか。それを、きちんと言葉にしなさい」


 セドリックは黙った。


 シャロン嬢を望む理由。


 役に立つからではない。

 領地のことがわかるからだけでもない。

 考える力があるからだけでもない。


 強いところ。

 弱さを隠そうとしてしまうところ。

 真面目すぎて確認事項を増やしてしまうところ。

 少し大丈夫を、見間違いではないと書いてくれたところ。

 怖いと言いながら、前へ進みたいと答えてくれたところ。


 そして、庭で少し息ができたと、正直に言ってくれたところ。


 どれも、彼女自身だ。


「……考えます」


「考えるだけでなく、言葉にするのよ」


「はい」


 屋敷へ戻ると、父ギルバートが小サロンで待っていた。


 セドリックとアメリアは、ハーディ夫人から聞いた内容をすべて報告した。


 ギルバートは最後まで黙って聞いていた。


 そして、短く言う。


「ベリス夫人か」


「父上はご存じですか」


「名は知っている。口が軽い。だが、自分で火をつけるより、誰かの言葉を運ぶ方が多い女だ」


「では、背後に誰かいる可能性が」


「ある」


 ギルバートは即答した。


「だが、まだ断定するな」


「はい」


「ラングレー家へは、正式な抗議ではなく、まず周辺の動きを確認する。王都の者に調べさせる」


 アメリアが頷く。


「ベルフォール家へは?」


「今日のうちに詳細を伝える。こちらで把握した事実、まだ未確認の部分、グランフェル家の意向が揺らいでいないこと」


「はい」


「正式な打診は、予定通り進める。ただし、文面を少し変える」


 セドリックは父を見る。


「文面を」


「ああ。通常の婚約打診よりも、本人の意思確認を重んじたことを明記する」


 ギルバートは机の上の紙を引き寄せた。


「この縁談は、家の利益だけで進めるものではない。両家と本人の意思を確認した上で進めるものだと、最初から記録に残す」


 記録に残す。


 それは大きい。


 噂に対して、口先だけで否定するのではない。

 正式な文書にも、本人の意思を置く。


「父上、ありがとうございます」


「礼を言うな。必要なことだ」


 父は淡々としていた。


 だが、その言葉にセドリックは深く頭を下げた。


 そこへ、エミリアとノエルが入ってきた。


 二人とも、何かを察している顔だった。


「父上、母上、兄様」


 エミリアが静かに言う。


「ハーディ夫人から、詳しいことは聞けましたか」


「聞けた」


 ギルバートが答える。


「ただし、まだお前たちが外で話してよい内容ではない」


「はい」


 エミリアはすぐに頷いた。


「フローラ様への手紙にも書きません」


「当然だ」


「ですが」


 エミリアは少しだけ唇を噛んだ。


「シャロン様を心配していることは、書いてもよろしいですか」


 セドリックは一瞬迷った。


 噂の内容を書かない。

 けれど、心配していることだけを書く。


 それは、どうなのだろう。


 アメリアが静かに言う。


「今は、まだ控えなさい」


「……はい」


「理由のわからない心配だけが届くと、フローラ嬢も不安になるわ」


「そうですね」


 エミリアは悔しそうに頷いた。


 ノエルが小さく言う。


「では、私たちは何をすればよいのでしょうか」


 真面目な問いだった。


 ギルバートはノエルを見た。


「今は、余計に動かないことだ」


「動かないこと」


「ああ。噂の時は、善意で動いた者が話を広げることもある」


 ノエルははっとした顔をした。


「はい」


「お前たちがシャロン嬢を大切に思うなら、今は口を閉じる」


「……わかりました」


 エミリアも頷いた。


「必要な沈黙ですね」


「そうだ」


 必要な沈黙。


 セドリックはその言葉を胸に留めた。


 黙ることが、噂を肯定する沈黙になってはいけない。

 だが、今は余計に話を広げないための沈黙も必要だ。


 難しい。


 けれど、間違えられない。


 夜、セドリックは自室で一枚の紙を前にしていた。


 正式な打診の場で、自分が言うべきこと。


 母に言われた通り、考えるだけではなく、言葉にするためだ。


 最初に書いたのは、噂への否定だった。


 ――シャロン嬢を便利だから望んでいるのではありません。


 それは必要だ。


 けれど、母の言う通り、それだけでは足りない。


 セドリックは次の行へ筆を進めた。


 ――私は、シャロン嬢が自分の言葉を探しながら、それでも前へ進もうとするところを尊敬しています。

 ――役目を果たす力だけではなく、怖さを認める勇気も、大切に思っています。

 ――答えが出ていないことを隠さず、確認しながら進みたいと言ってくださったその姿勢に、私は隣にいたいと思いました。


 書いてから、顔が少し熱くなった。


 これは、正式な場で言えるのか。


 かなり踏み込んでいる。


 けれど、曖昧にはしたくない。


 便利だからではない。


 彼女だからだ。


 それを、彼女本人にも、ベルフォール家にも、必要なら周囲にも、きちんと伝えられるようにしたい。


 セドリックはさらに書いた。


 ――もし噂が彼女の価値を条件で測ろうとするなら、私はその測り方を認めません。


 筆が止まる。


 少し強い。

 だが、これは本音だった。


 シャロン嬢は、条件で測られるためにいるのではない。


 家の役に立つか。

 跡継ぎか。

 便利か。


 そんな言葉で、彼女の価値を決めさせない。


 セドリックは紙を見つめ、静かに息を吐いた。


 茶会の噂は、茶菓子より甘くありません。


 苦く、軽く見えて、後に残る。


 だからこそ、放っておけない。


 けれど、その苦さに飲まれてはいけない。


 彼女が噂で答えを奪われたくないと言ってくれたなら。


 自分もまた、噂に言葉を奪われるわけにはいかなかった。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

噂の出どころが少し見え始めましたが、まだ断定はできません。

ただ否定するだけでなく、セドリック自身がなぜシャロンを望むのかを言葉にする段階へ進んでいきます。

次回もよろしくお願いします。

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