第80話 検査報告ではなく、感想会です
読みに来てくださりありがとうございます。
今回は王都屋敷から帰った後のベルフォール家での感想会です。
シャロンが、良かったところも硬かったところも、自分の言葉で家族に伝えます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
ベルフォール家へ戻ると、玄関にはリディアとフローラが揃って待っていた。
予想はしていた。
していたけれど、二人ともあまりに真剣な顔をしているので、私は馬車を降りた瞬間に少しだけ足を止めた。
「お帰りなさいませ、お姉様」
リディアが礼儀正しく言う。
「お帰りなさいませ」
フローラも静かに続ける。
普段より整いすぎた出迎えだった。
「……何か聞く準備をしていたわね」
「していません」
リディアが即答した。
「していました」
フローラが淡々と訂正する。
「フローラ」
「虚偽申告はよくありませんので」
「そこに使わないで」
私は思わず息を吐いた。
母が隣で小さく笑う。
父は何も言わないが、少しだけ目元が緩んでいた。
「まずは中へ入りましょう」
母が言うと、リディアは慌てて道を開けた。
「はい。感想会は小サロンで」
「もう会の名前が決まっているの?」
「検査報告会ではありません」
フローラが真面目な顔で言った。
「感想会です」
「あなたたち、そこは覚えていたのね」
「重要事項です」
私は少し笑ってしまった。
小サロンへ移ると、すでに茶の準備が整っていた。
リディアが私の向かいに座り、フローラは少し横の席につく。
明らかに聞く構えだ。
母は私の隣に座り、父は少し離れた席に腰を下ろした。
「それで、お姉様」
リディアが身を乗り出す。
「王都屋敷はどうでしたか?」
「大きかったわ」
「それはそうでしょう」
「落ち着いていて、派手すぎる感じはなかった」
「素敵ですね」
「でも、玄関は少し広くて、足音が響いたわ」
そう言うと、リディアが少し首を傾げた。
「足音?」
「ええ。歩くだけで、少し背筋が伸びる感じがしたの」
フローラが静かに頷く。
「音の響きは、緊張に関係します」
「あなた、そこに反応するのね」
「重要ですよ」
確かに、重要だった。
知らない屋敷の玄関で、音が響く。
それだけで、自分が客人であることを強く意識する。
けれど、それを悪いとは思わなかった。
ただ、少し緊張した。
「応接室は?」
リディアが尋ねる。
「整っていたわ。とても立派で、来客を迎えるには十分だと思う」
「では、良かったのですね」
「良かったけれど……少し硬かったわ」
口にしてから、私は自分でも少し驚いた。
帰ってきてからも、同じように言えた。
少し硬かった。
招いてくれた屋敷の部屋に対して、良いところだけではなく、そう言える。
リディアは目を丸くした。
「お姉様が、ちゃんと硬かったと言っています」
「ちゃんと、とは何」
「全部良かったです、と言わないところが」
母が柔らかく頷いた。
「そうね。今日のシャロンは、王都屋敷でもきちんと言えていたわ」
「お母様」
「本当のことよ」
父も静かに口を開く。
「応接室については、我々も同じ意見だった。挨拶にはよいが、長く落ち着く部屋ではない」
「お父様もそう思われたのですね」
「ああ」
リディアは感心したように頷いた。
「では、応接室は挨拶用ですね」
「そうね。感想としては、そう」
「検査報告ではなく?」
「感想として」
私は念を押すように言った。
フローラが真面目に頷く。
「では、記録します」
「記録しなくていいわ」
「心の中に」
「それなら止められないわね」
リディアが楽しそうに笑った。
「小サロンはどうでしたか?」
その問いに、私は少しだけ表情が緩むのを感じた。
「小サロンは、良かったわ」
「お姉様、今ちょっと顔が変わりました」
「読まないで」
「読めました!」
「誇らしげに言わないの」
私は茶を一口飲んでから続けた。
「応接室より柔らかい雰囲気で、窓から庭が見えたの。椅子の配置も真正面ではなくて、少し斜めだった」
「斜め…!」
リディアが嬉しそうに反応する。
「面接回避ですね」
「そういう言い方をしないで」
「でも大事です」
「大事ではあるけれど」
フローラも静かに頷く。
「斜めの席は、継続確認事項ですね」
「確認表に入れないで」
「すでに入っている気がします」
「否定できないのが困るわ」
小サロンの窓から見えた庭。
真正面ではない席。
少し休んでから庭への道を見るかどうか選べたこと。
思い出すと、胸の奥が少し温かくなる。
「そこで、お茶をいただいたのですね」
リディアの声が少し明るくなった。
来た。
私は心の中で身構える。
「ええ」
「お菓子は?」
「控えめだったわ」
「控えめ」
「小さな焼き菓子が数種類。華美ではなくて、今日の訪問にはちょうどよかったと思う」
「味は?」
「おいしかったわ」
「種類は?」
「蜂蜜の香りがするものと、木の実を使ったものと、あと果物を少し練り込んだもの」
リディアの目が輝いた。
「蜂蜜!」
「落ち着きなさい。再審査ではないわ」
「わかっています。感想です」
「その顔は審査員の顔よ」
「感想員です」
「新しい役職を作らないで」
母が笑いをこらえている。
父は茶を飲みながら、聞こえないふりをしている。
たぶん聞いている。
「蜂蜜のものは、王座候補でしたか?」
「リディア」
「感想として」
「……おいしかったけれど、今日は王座判定はしていません」
「では、保留ですね」
「保留にもしません」
「待機中ですか?」
「あなたの中で候補に入れないで」
リディアは不満そうだったが、少し楽しそうでもあった。
これは帰ったら必ず聞かれると思っていた。
やはり聞かれた。
けれど、不思議と嫌ではない。
王都屋敷で少し緊張したことも、こうして家族の中で話すと、少し柔らかくなる。
フローラが静かに口を開いた。
「庭への道はどうでしたか」
「良かったわ」
「具体的には?」
「廊下が短くて、窓から庭木が見えたの。扉を開けるとすぐ外の空気が入ってきて、少し息がしやすかった」
言葉にしているうちに、あの空気を思い出す。
知らない屋敷の中に、外へ出られる道がある。
それは、思っていた以上に大きかった。
「庭は、見せるためだけのものではない感じがしたわ。歩く道があって、低い植え込みがあって、少し先にベンチがあった」
「ベンチ」
フローラが反応した。
「本を読むのによさそうでしたか」
「ノエル様が本を持つと動かなくなるそうよ」
「親近感がわきます」
「あなたもでしょうね」
「はい」
迷いなく頷かれた。
リディアが笑う。
「フローラ、そのうち本当にそこに座りそう」
「機会があれば」
「主目的を忘れないで」
私が言うと、フローラは静かに視線を逸らした。
「忘れてはいません」
「では、書庫について聞くのは我慢するのね」
そう言った瞬間、フローラの視線が戻った。
「存在は確認されましたか」
「我慢していないわね…中は見ていません」
「場所は?」
「廊下の途中に扉があったわ。少し奥まった場所で、取っ手の形が他の部屋と違ったわ」
言ってから、私ははっとした。
かなり具体的に説明してしまった。
フローラの目が明らかに輝いている。
「取っ手の形が違う」
「今のは感想よ」
「はい。感想として受け取りました」
「目が記録しているわ」
「心の中に」
「それは止められないけれど」
リディアがくすくす笑う。
「フローラ、よかったわね。書庫の気配はあったみたい」
「はい」
「気配だけで満足する?」
「今回は」
「今回はなのね」
フローラは落ち着いて茶を飲んだ。
やはり、いつか書庫へ行くつもりだ。
それはもう止められない気がする。
母が私を見た。
「シャロン、食堂は見なかったわね」
「はい。今日は見ませんでした」
「それでよかったと思う?」
私は少し考えた。
正直に言えば、見たい気持ちはあった。
せっかく行ったのだから、もう一部屋くらい見てもよかったのではないかと思う部分もある。
けれど、あの時の私は、これ以上見たら項目を増やし始めていたと思う。
「よかったと思います」
私は答えた。
「見たい気持ちはありました。でも、今日は応接室と小サロンと庭への道で十分でした」
「そう」
「途中で止めてもいいと、先に言われていたのが助かりました」
父が静かに頷いた。
「止める判断ができたのは、良いことだ」
「判断というほどでは」
「いや。全部見ようとしないのも判断だ」
その言葉に、胸の奥が少し温かくなる。
全部見ない。
全部整えない。
それでも、足りないわけではない。
今日の確認は、途中で止めたからこそ、息ができる形で終われたのだと思う。
「それで、お姉様」
リディアが少し声を和らげた。
「王都屋敷は、怖かったですか?」
私はすぐには答えなかった。
怖い、という言葉が合うのか考える。
緊張した。
広い玄関には少し圧倒された。
応接室は硬かった。
知らない場所だと強く感じた。
でも。
「怖さはありました」
私は言った。
「でも、怖いだけではなかったわ」
リディアがじっとこちらを見る。
「小サロンと庭への道は、少し息ができました。セドリック様も、アメリア様も、無理に全部見せようとはなさらなかった。お父様とお母様も一緒でしたし」
「はい」
「だから……また確認してもいいと思えました」
自分で言って、少し驚く。
また。
その言葉を、自然に使えた。
母が柔らかく微笑む。
「それは大事ね」
「はい」
父も短く頷いた。
「では、先方にはそのように返そう」
「お父様」
「公式な返礼は私から出す。だが、今日感じたことは、整理しておきなさい」
「帳面にですか?」
「今は書いてもよい」
「よいのですか」
「屋敷を出てからなら、検査にはならん。感想を整理するためなら構わない」
私は少しだけ目を瞬いた。
帳面は置いていった。
その場で採点しないために。
けれど、帰ってから思い出して整理するのは、悪いことではない。
「……では、感想として書きます」
「そうしなさい」
リディアがぱっと明るくなる。
「お菓子の感想も?」
「それはあなたが聞きたいだけでしょう」
「はい」
「認めたわね」
フローラも静かに言う。
「書庫の気配も」
「あなたもね」
「はい」
認め方が清々しい。
その夜、私は自室の机に向かった。
帳面を開く。
持っていかなかった帳面。
帰ってきてから開く帳面。
そこにまず、今日の日付を書いた。
グランフェル家王都屋敷訪問。
検査ではなく確認。
少し迷ってから、線を引く。
応接室――整っている。挨拶には良い。長くいるには少し硬い。
小サロン――庭が見える。斜めの席。息がしやすい。
庭への道――短く明るい。外へ出られる安心感。
庭――歩きやすい。見せるためだけではなく、暮らしに近い。
食堂――未確認。
書庫――扉の存在のみ確認。主目的外。
最後の一行を書いてから、私は少し笑ってしまった。
主目的外。
フローラが見たら不満そうにするだろう。
けれど、今日はこれでいい。
さらに一行、書き足した。
全部を見なくても、確認はできる。
筆を止める。
それから、もう一行。
少し疲れたが、負担が大きすぎるほどではなかった。
また確認してもいいと思えた。
書いた文字を見て、胸が静かに落ち着いた。
私は王都屋敷を、ただ怖い場所として帰ってこなかった。
良いところだけを並べたわけでもない。
硬いところもあった。
未確認の場所も残した。
それでも、少し息ができる場所を見つけた。
翌朝、父にその感想を渡すと、父は静かに目を通した。
「よく書けている」
「検査になっていませんか」
「なっていない」
「本当ですか」
「ああ。これは感想だ」
父は帳面を閉じ、私に返した。
「この内容を踏まえて、先方へ礼を伝える。小サロンと庭への道は落ち着けたこと、応接室は挨拶向きだが長く過ごすには硬いと感じたこと、今日はここまでで十分だったこともな」
「応接室のことも書くのですか」
「書き方は考える。だが、隠す必要はない」
私は少しだけ息を吸った。
隠さなくていい。
全部良かったことにしなくていい。
「……お願いします」
「ああ」
父は短く頷いた。
その日の昼、小サロンでリディアとフローラに感想帳の一部を読まされた。
もちろん、焼き菓子と書庫の気配の部分を重点的に。
「蜂蜜の香りがするもの、詳しく」
リディアが言う。
「感想会は昨日終わったはずよ」
「追加確認です」
「便利な言葉にしないで」
フローラは帳面の端をじっと見ている。
「書庫、主目的外」
「不満そうね」
「正しい判断です」
「本当に?」
「半分くらいは」
私は笑ってしまった。
王都屋敷の確認は、まだ終わりではない。
食堂は見ていない。
書庫も見ていない。
暮らしとして考えるには、まだ知らないことが多い。
けれど、それでいい。
全部を一度で見なくてもいい。
全部を良いと言わなくてもいい。
未確認を未確認のまま残してもいい。
検査報告ではなく、感想会。
そう思えるだけで、次の確認も少し怖くなくなる。
私は帳面を閉じ、静かに息を吐いた。
この屋敷には、少し息ができる場所がありました。
まずは、その感想だけで十分だった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
王都屋敷の確認は、検査ではなく感想として整理されました。
全部を見なくても、全部を良いと言わなくてもいいと、シャロンは少しずつ受け取っています。
次回もよろしくお願いします。




