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元跡継ぎ令嬢はお見合い結婚した騎士伯爵と恋をします  作者: 影道AIKA


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第79話 採点せずに、息のしやすさを見ます

読みに来てくださりありがとうございます。

今回は王都屋敷の中を実際に歩くお話です。

シャロンが採点ではなく、自分の息のしやすさを確かめていきます。

楽しんでいただけたら嬉しいです。

 グランフェル家の王都屋敷は、玄関からして静かだった。


 広いのに、騒がしさはない。

 磨かれた床に窓からの光が落ち、壁には落ち着いた色合いの風景画が掛けられている。


 立派だ。

 けれど、見せつけるような華やかさではない。


 私は歩きながら、つい廊下の幅や調度の配置を見てしまう。


 帳面は持ってきていない。

 採点もしない。

 ただ見るだけ。


 そう思っているのに、頭の中では自然と項目が並びそうになる。


 玄関の広さ。

 音の響き。

 来客動線。

 家族用の空間との距離。


 ……いけない。


 これは検査ではない。


「シャロン嬢」


 隣を少し前に歩いていたセドリック様が、振り返りすぎない程度にこちらを見た。


「はい」


「今、かなり真剣な顔をされていました」


「……癖です」


「悪いことではありません」


「でも、検査になりかけていました」


 正直に言うと、セドリック様は少しだけ笑った。


「では、検査になりそうな時は一度止まりましょう」


「止まるのですか」


「はい。確認に戻ります」


「戻る」


「採点ではなく、息のしやすさを見るために」


 その言葉に、胸の奥が少し落ち着いた。


 私が自分で忘れそうになっていたことを、セドリック様は静かに戻してくれる。


 父と母も後ろで聞いていたが、何も言わなかった。

 ただ、それでよいというように歩いている。


 まず案内された応接室は、整った部屋だった。


 重厚な机。

 品の良い椅子。

 壁際には花台があり、窓も大きい。


 来客を迎えるには申し分ない。


 けれど、部屋に入った瞬間、私は自然と背筋を伸ばした。


 ここでは、きちんとしていなければならない。


 そう感じる部屋だった。


「こちらが、主に来客を迎える応接室です」


 セドリック様が説明する。


 私は室内を見回し、少しだけ頷いた。


「とても整っています」


「はい」


「ただ……」


 そこで言葉が止まる。


 招かれた屋敷で、最初の部屋に対して否定的なことを言うのは、やはり少し難しい。


 だが、今日は確認だ。

 すべてを良いと言うために来たわけではない。


 私は息を整えた。


「少し、硬いです」


 言えた。


 声は小さかったが、確かに言えた。


 セドリック様の表情が、ほっとしたように和らぐ。


「私も、そう思います」


「そうなのですか」


「はい。最初の挨拶には良い部屋ですが、長く話すと緊張が増すかもしれません」


 アメリア様も微笑んだ。


「ええ。ですから、こちらは最初のご挨拶程度にして、長く過ごす場所にはしないつもりでした」


「そうでしたか」


「シャロン嬢がそう感じてくださって、むしろ安心しました」


「安心、ですか」


「全部良いと言われたら、少し心配になりますもの」


 母が隣で小さく頷いた。


「その通りね」


 私は少しだけ恥ずかしくなった。


 全部良いと言ってしまいそうな私を、皆が知っている。


 けれど今は、それを責められているのではない。

 そうならないように見守られているのだ。


 父が部屋を見渡し、静かに言った。


「挨拶の部屋としては十分です。ただ、娘が長く落ち着くには、少し格式が強いように思います」


 ギルバート様が頷く。


「こちらも同じ判断です」


 両家の父親が淡々と部屋を評価している。


 その様子がおかしくて、私は少しだけ緊張が抜けた。


「では、次は小サロンへ参りましょう」


 アメリア様の言葉で、応接室を出る。


 廊下を進む途中、私はふと壁際の扉に目を留めた。


 少し奥まった場所にある、重そうな扉。

 取っ手の形が他の部屋と違う。


 何の部屋だろう。


 そう思った瞬間、セドリック様が少し気まずそうに咳払いをした。


「そちらは、今回は通過します」


「まだ何も聞いておりません」


「聞かれる前に申し上げました」


「……書庫ですか?」


 セドリック様は一拍置いて頷いた。


「はい」


 やはり。


 私は思わず扉を見てしまった。


 ここが書庫。


 フローラが知ったら、確実に食いつくだろう。

 地図棚の有無も問われるに違いない。


「今回は、見ません」


 私は自分に言い聞かせるように言った。


「主目的ではありませんので」


「はい」


 セドリック様の声に、少し笑いが混ざる。


「エミリアとノエルが、地図棚の位置まで確認しようとしておりました」


「フローラの影響ですね」


「静かに広がっております」


「申し訳ありません」


「いえ。悪い影響ではありません」


 私は書庫の扉から視線を外した。


 気にはなる。

 かなり気にはなる。


 けれど今日は、私の住まいの確認だ。


 フローラへの報告は、存在の気配までにしておこう。


 ……気配という表現なら、許容範囲だろうか。


 いや、これも検査報告に近い。


 後で考えよう。


 小サロンに入った瞬間、応接室とは空気が違った。


 部屋は大きすぎず、窓から庭が見える。

 調度も柔らかい色合いで、椅子の配置も真正面で向かい合う形ではない。


 ここなら、少し息ができる。


 そう思った。


「こちらが、家族で茶を飲む時などに使う小サロンです」


 アメリア様が説明する。


 私は窓の外を見た。


 庭へ続く道が見える。

 短い石畳の道と、低い植え込み。


 知らない屋敷の中に、外へ出られる場所がある。

 それだけで、少し安心した。


「この部屋は……」


 私はゆっくり言った。


「応接室より、息がしやすいです」


 セドリック様の表情が明るくなる。


「よかった」


 その声があまりにも素直で、私は少し瞬いた。


「今、かなり安心されましたね」


「はい」


「隠さないのですね」


「隠すと不自然になると言われましたので」


 誰にとは聞かない。


 たぶん、アメリア様かエミリア様だろう。


 母が窓際へ歩き、庭への道を見た。


「良い部屋ですね。外が見えるのは大きいわ」


 父も頷いた。


「正式な話より、少し柔らかい会話に向いている」


 ギルバート様が静かに言う。


「そのために、ここを案内することにしました」


「よく考えてくださったのですね」


 母が礼を言うと、アメリア様は穏やかに微笑んだ。


「シャロン嬢に、すべてを整えようとしすぎずに見ていただきたかったので」


 私は少し視線を落とした。


 本当に、よく見られている。


 けれど、嫌ではなかった。


 この部屋の中央に置かれた椅子へ案内される。

 座る位置は、やはり真正面ではない。


 斜め。


 面接ではない位置。


 私は思わずセドリック様を見た。


「斜めですね」


「はい」


「かなり徹底されていますね」


「重要な確認事項ですので」


「便利に使っていますね」


「少しだけ」


 セドリック様が真面目な顔で答えるので、私は笑いそうになった。


 茶が運ばれてきたが、菓子は控えめだった。


 小さな焼き菓子が数種類。

 華美ではない。


 それを見て、母が楽しそうに目を細めた。


「今日は再審査ではないのですね」


 アメリア様がにこりと笑う。


「はい。候補たちは待機中です」


「完全停止ではなく?」


「待機中です」


 セドリック様が少しだけ遠い目をした。


「母上、その表現はまだ解釈中では」


「本日は控えめですもの」


「そうですね」


 私は焼き菓子を見て、リディアの顔を思い浮かべた。


 帰ったら、絶対に聞かれる。


 種類。

 香り。

 食感。

 甘さ。


 ……これは感想であって検査ではない。


 たぶん。


「リディアが、かなり知りたがると思います」


 私が言うと、アメリア様は嬉しそうに笑った。


「では、感想としてお伝えください」


「検査報告ではなく?」


「ええ。感想として」


 フローラにも言われたばかりだ。


 今日は何度も、検査と感想の境界を確認している気がする。


 茶を一口飲むと、少し肩の力が抜けた。


 応接室では、私はきっと礼儀正しく座り続けただろう。

 けれどこの小サロンでは、庭を見ながら少し息を吐ける。


 それは大きな違いだった。


「シャロン嬢」


 セドリック様が静かに声をかける。


「はい」


「庭への道を、今ご覧になりますか。それとも、ここで少し休まれますか」


 選べる聞き方だった。


 私は窓の外を見る。


 庭への道は、すぐそこにある。

 けれど今すぐ立たなくてもいい。


 少し考えて、答えた。


「少し休んでから、見たいです」


「わかりました」


 セドリック様はすぐに頷いた。


 その返事の早さに、また少し安心する。


 待たせている、と思わなくていい。

 選んだ答えを、そのまま受け取ってもらえる。


 父と母も何も言わない。

 急かさない。


 私は茶器を置き、改めて小サロンを見た。


 窓。

 庭。

 柔らかい椅子。

 真正面ではない席。

 控えめな菓子。

 少し休んでから動ける空気。


 ここは、良い。


 そう思った。


 しばらくしてから、私たちは庭への道へ向かった。


 小サロンの横の扉を出ると、短い廊下があり、その先に庭へ続く扉がある。


 廊下は明るすぎず、暗すぎない。

 窓から庭木の緑が見える。


 扉が開かれると、外の空気が流れ込んできた。


 私は思わず息を吸った。


 王都の屋敷なのに、庭は静かだった。


 広大というほどではない。

 けれど、歩くには十分な道があり、低い植え込みが視線を遮りすぎない程度に並んでいる。


 逃げ場ではない。

 けれど、息を整える場所にはなる。


 そんな庭だった。


「ここなら、短く歩けそうです」


 私が言うと、セドリック様は隣で頷いた。


「長く歩く必要はありません。少し外の空気を吸うだけでも」


「はい」


 父が庭を見渡す。


「よく整えられているが、見せるためだけの庭ではないな」


 ギルバート様が答えた。


「王都滞在中、家族が気分を変えるためにも使います」


 母が微笑む。


「それなら、暮らしに近い庭ですね」


「はい」


 暮らしに近い庭。


 その言葉が、すっと胸に入った。


 私は庭の道を少しだけ歩いた。


 採点しない。

 帳面もない。


 ただ、歩いてみる。


 一歩。

 もう一歩。


 石畳は歩きやすい。

 植え込みの高さもちょうどよい。

 遠くに見える木陰には、小さなベンチがある。


「あのベンチは」


 私が視線を向けると、セドリック様が答えた。


「よく母とエミリアが座っています。ノエルは本を持っていると動かなくなります」


「フローラと同じですね」


「はい。きっと話が合います」


「危険な気もします」


「少し」


 私たちはそこで少し笑った。


 庭に出ると、会話が軽くなる。

 応接室では出なかった言葉が、少し自然に出てくる。


 それも確認事項なのかもしれない。


 この場所では、私は少し話しやすい。


 ベンチまでは行かず、途中で立ち止まった。


「ここまでで十分です」


 私は言った。


「はい」


 セドリック様はすぐに頷く。


「戻りましょう」


「よろしいのですか」


「もちろんです。全部歩く必要はありません」


 全部見なくていい。

 全部歩かなくていい。


 何度もそう言われて、ようやく少しずつ体に入ってくる。


 私は庭をもう一度見た。


 嫌ではない。


 知らない場所だった。

 緊張もした。

 応接室は少し硬かった。


 でも、小サロンと庭への道は、少し息ができた。


 それだけわかれば、今日の確認としては十分なのかもしれない。


 小サロンへ戻ると、アメリア様がすぐに席を勧めてくれた。


「お疲れではありませんか?」


「大丈夫です」


 言ってから、少しだけ考える。


 できるかどうかではなく、負担が大きすぎないか。


「……いえ、少し疲れました。でも、負担が大きすぎるほどではありません」


 そう言い直すと、アメリア様の表情が柔らかくなった。


「それは、とても大事なご報告です」


 父も静かに頷いた。


 セドリック様は、少し嬉しそうにしている。


「言い直せたのですね」


「はい」


「ありがとうございます」


「礼を言われることですか?」


「はい。無理に大丈夫で終わらせないでくださったので」


 その言葉に、胸が少し温かくなった。


 少し疲れた。

 でも、大きすぎる負担ではない。


 そんな中途半端な報告でも、ここでは大事にされる。


 なら、私ももう少し正直に見てもいいのかもしれない。


 しばらく休んだ後、父が静かに言った。


「今日は、ここまでで十分だろう」


 私は少し驚いた。


「食堂は見なくても?」


「必要なら次でよい」


 母も頷く。


「今日は、応接室、小サロン、庭への道を見られたもの。十分よ」


 私はセドリック様を見る。


 彼も当然のように頷いた。


「はい。無理に増やす必要はありません」


「……そうですね」


 私は小さく息を吐いた。


 見たい気持ちも少しある。

 けれど、今の私はこれ以上見ると、また項目を増やし始める気がする。


 なら、ここで止めるのがいい。


「今日は、ここまでにします」


 そう言うと、セドリック様が静かに微笑んだ。


「承知しました」


 帰り際、玄関へ向かう途中で、私はもう一度書庫の扉を見た。


 見ない。

 今日は見ない。


 けれど、扉の存在は覚えておく。


 感想として。


 検査報告ではなく。


 玄関で挨拶を終える時、アメリア様が穏やかに言った。


「また必要な時に、続きを確認しましょう」


「はい」


 私は自然に頷いた。


 また。


 その言葉が、怖くなかった。


 馬車に乗る前、セドリック様が少しだけ声を落とす。


「今日の確認は、いかがでしたか」


 私は屋敷を振り返った。


 広い玄関。

 少し硬い応接室。

 息のしやすい小サロン。

 庭への短い道。

 そして、今日は開かなかった書庫の扉。


「全部を良いとは言えません」


 私は正直に言った。


「はい」


「応接室は、少し硬かったです」


「はい」


「でも、小サロンと庭への道は……少し、息ができました」


 セドリック様の表情が、静かに和らいだ。


「それを聞けて、嬉しいです」


「私も、言えてよかったです」


 言ってから、自分で少し驚いた。


 私も、言えてよかった。


 そんなふうに自然に言えた。


 セドリック様は何も急かさず、ただ微笑んだ。


 馬車に乗り込み、扉が閉まる。


 窓の外で、グランフェル家の王都屋敷が少しずつ遠ざかっていく。


 決定ではない。

 検査でもない。


 けれど今日、私は確かに見た。


 少し硬い場所。

 少し息ができる場所。

 そして、途中で止めてもよいということ。


 帰ったら、リディアには焼き菓子の感想を求められるだろう。

 フローラには書庫の気配を聞かれるに違いない。


 でも、まず伝えたいのはそこではない。


 この屋敷には、少し息ができる場所がありました。


 それは、虚偽申告ではない。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

応接室は少し硬く、小サロンと庭への道は少し息ができる場所でした。

全部を確認しきらずに途中で止められたことも、シャロンにとって大事な一歩です。

次回もよろしくお願いします。

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