第8話 返事を書くにも、作法がありまして
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はシャロンがセドリックへの返事を書くお話です。
妹たちとのやり取りも含めて、楽しんでいただけたら嬉しいです。
手紙を書く。
それ自体は、難しいことではない。
私は幼い頃から、礼状も招待状への返答も、領地に関する報告書も、父の代筆に近い文書も書いてきた。
相手の立場を考え、失礼のない言葉を選び、必要な情報を過不足なく伝える。
それは貴族令嬢として、そして跡継ぎとして身につけた技術だった。
だから、たかが一通の返事に困るはずがない。
ない、はずだった。
「……お姉様、便箋を前にしてから、もう四半刻ほど経っています」
背後からリディアの声がした。
「数えないで」
「では、応援だけします。頑張ってください、お姉様」
「それもやめて。余計に書きづらいわ」
私は机に向かったまま、羽根ペンを持ち直した。
目の前には、セドリック・グランフェルから届いた手紙がある。
内容は丁寧だった。
お見合いの礼。
率直に話してくれたことへの感謝。
次に会う機会があれば、ミルディア領の話を聞きたいという希望。
ここまではいい。
問題は最後だ。
――先ほどの焼き菓子については、虚偽申告でした。正しくは、好きです。
真面目か。
いや、真面目なのは最初からわかっていた。
けれど、ここまで律儀に訂正してくるとは思わなかった。
私は羽根ペンの先をインク壺につけた。
書き出しは決まっている。
礼状としての形式に従えばいい。
けれど、なぜか一文目が重い。
「お姉様」
今度はフローラの声がした。
「何」
「返事に困っているのですか」
「困っていないわ。最適な文面を検討しているだけよ」
「世間ではそれを、困っていると言います」
「あなたの世間は狭いのに鋭いわね」
「ありがとうございます」
「褒めていないわ」
リディアが私の横から手紙を覗き込もうとする。
私は即座に便箋で隠した。
「見ないで」
「少しだけです」
「少しだけ盗み見るという言葉はないのよ」
「では堂々と見ます」
「もっと悪いわ」
リディアは不満そうに頬を膨らませた。
フローラはその横で、実に落ち着いた顔をしている。
「お姉様、普通に書けばよいのでは?」
「普通とは?」
「本日はお手紙ありがとうございました。またお話しできる機会を楽しみにしております。焼き菓子の件については、正直な申告を評価いたします。以上です」
「最後で急に審査官が出てきたわね」
「お姉様なら書きそうです」
「否定しきれないのが腹立たしいわ」
私は小さく息を吐いた。
正直なところ、返事を書くのが嫌なわけではない。
むしろ、書くべきことはいくつも浮かんでいる。
ミルディア領のこと。
領地の春の市のこと。
父の書斎で帳簿を見ていた日々のこと。
ハイレン領について、こちらも聞いてみたいこと。
けれど、それを書いてしまえば、私は自分から次の会話の糸を差し出すことになる。
それが少しだけ、怖い。
期待していると思われたくない。
浮かれていると思われたくない。
何より、自分自身が期待していると気づきたくない。
「……厄介ね」
思わず呟くと、リディアがぱっと顔を上げた。
「セドリック様がですか?」
「違うわ」
「では、お姉様の気持ちが?」
「リディア」
「はい」
「今日はずいぶん踏み込むわね」
「妹ですので」
「妹は免罪符ではないわ」
リディアは少しだけ表情を柔らかくした。
「でも、お姉様が誰かへの返事でそんなに悩むの、初めて見ました」
私は黙った。
確かにそうかもしれない。
フィリップへの手紙に悩んだことはなかった。
礼儀正しく、必要なことを書き、婚約者としての体裁を整える。
それで十分だった。
彼が何を思うかより、両家の関係として正しいかどうかが大事だった。
けれど今、私はセドリックがこの返事を読んで、どう感じるかを考えている。
それが、落ち着かない。
「……礼状よ」
私は自分に言い聞かせるように言った。
「これは、ただの礼状」
「はい。礼状ですね」
リディアはにこにこしている。
「その顔、信じていないわね」
「信じています。とても特別な礼状だと」
「リディア」
私は睨んだが、妹はまったく怯まなかった。
仕方なく、私はペンを走らせた。
グランフェル様
先日はお見合いの席にて、丁寧にお話しいただきありがとうございました。
こちらの不躾な問いにも誠実にお答えいただいたこと、感謝申し上げます。
書き出してしまえば、言葉は続いた。
ミルディア領について話してほしいと書かれていたことに触れ、次に会う機会があれば、領地の春市や農産物の管理についてなら話せると記す。
ただし、長くなる可能性があるため覚悟してください、とも添えた。
書いてから、私は少し考える。
消すべきだろうか。
しかし、虚偽申告は減点だと言ったのは私だ。
ならば、私も正直であるべきだ。
ミルディア領の話は、長くなる。
これは事実である。
「お姉様、今ちょっと楽しそうです」
「楽しそうではないわ。正確な情報を記しているだけよ」
「領地の話になると、お姉様は少し早口になりますものね」
フローラが言った。
「なりません」
「なります」
「ならないわ」
「では、セドリック様に確認していただきましょう」
「なぜそこで彼が出てくるの」
「次にお話しするのでしょう?」
私は返事に詰まった。
この妹、本当に容赦がない。
最後に、焼き菓子の件について書くかどうかで迷った。
ここを無視すれば、無難な礼状になる。
触れれば、少しだけ私的なやり取りになる。
私はペン先を便箋の上で止めた。
セドリックが真面目な顔で、あの一文を書いているところを想像してしまう。
虚偽申告でした。
正しくは、好きです。
あまりにも律儀で、少しだけおかしい。
私は小さく息を吐き、最後の一文を書き足した。
焼き菓子についての訂正、確かに承りました。
次回より、甘いものに関する虚偽申告は不要です。
書いてから、私は便箋を見下ろした。
……少し、からかいすぎだろうか。
いや、向こうが訂正してきたのだ。
こちらも受領するのが礼儀である。
たぶん。
「書けました?」
リディアがそわそわしている。
「ええ」
「読んでも?」
「駄目」
「一文字だけ」
「一文字で何がわかるの」
「雰囲気が」
「わからないわ」
私は手紙を丁寧に折り、封をした。
封蝋を押す時、なぜか少しだけ指先に力が入った。
ただの礼状。
ただの返事。
そう思っているのに、胸の奥が落ち着かない。
侍女に手紙を託すと、リディアが満足そうに頷いた。
「これで次につながりますね」
「つながるかどうかは相手次第よ」
「でも、お姉様は切らなかったんですよね」
その言葉に、私は一瞬黙った。
切らなかった。
確かにそうだ。
フィリップとの未来は切れた。
跡継ぎとしての道も、横へどけられた。
けれど、私は今、自分の手で新しい糸を切らずに残した。
それが何になるのかは、まだわからない。
「……返事を書いただけよ」
私はそう言った。
リディアは笑った。
「はい。返事を書いただけです」
フローラも本を開き直しながら、淡々と言った。
「ただし、お姉様にしては珍しく、余白に少し感情がありました」
「余白まで観察しないで」
「癖です」
まったく、妹というものは油断ならない。
その日の夕方、グランフェル伯爵家から使いが来た。
私の返事が届いたことへの礼とともに、数日後、王都の庭園で改めて会えないかという申し出だった。
同席者を置いた、正式な外出。
お見合いの続きとしては、ごく自然な形だ。
母は嬉しそうに微笑み、父は静かに頷いた。
リディアは目を輝かせ、フローラは「展開が早いですね」と呟いた。
私は、その申し出を断らなかった。
断る理由が、なかったから。
いいえ。
たぶん、違う。
断りたくない理由が、少しだけできてしまったからだ。
次に会った時、セドリック・グランフェルはどんな顔で焼き菓子の話をするのだろう。
そう考えてしまった時点で、私はやはり、少し調子を崩されているのだと思う。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ただの礼状のはずが、少しだけ次につながる手紙になりました。
シャロンもまだ認めていませんが、少しずつ調子を崩されているようです。
次回もよろしくお願いします。




