第77話 王都屋敷は、検査会場ではありません
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はグランフェル家側で、王都屋敷を実際に下見するお話です。
手紙ではなく、屋敷の中を歩きながら次の訪問準備を進めていきます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
王都屋敷の玄関扉が開くと、磨かれた床に午後の光が細く差し込んだ。
グランフェル伯爵家の王都屋敷。
セドリックにとっては、騎士団の務めがある時に戻る場所であり、家族が王都に滞在する時の拠点でもある。
だが今日は、いつもと少し違って見えた。
ここを、シャロン嬢が見る。
そう思っただけで、見慣れた玄関の広さも、廊下の明るさも、壁に掛けられた風景画の位置も、急に意味を持つ。
「広すぎるな」
父ギルバートが玄関ホールを見回して言った。
「広いのは変えられません」
セドリックが答えると、父は短く頷いた。
「なら、見せ方を変えろ」
「はい」
後ろから入ってきた母アメリアは、屋敷の家令と侍女頭に挨拶を済ませると、すぐに全体を見渡した。
「今日は、飾り立てるための確認ではありません。ベルフォール子爵夫妻とシャロン嬢がいらした時、疲れすぎず、暮らしを想像しやすいように整えるための確認です」
家令が深く礼をする。
「承知しております、奥様」
「花は多すぎないように。歓迎の気持ちは必要ですが、見せびらかすようになってはいけません」
「はい」
「それから、案内する部屋は絞ります。玄関、応接室、小サロン、庭への道。必要なら食堂を少し。以上です」
アメリアが言い切ると、エミリアがそっと口を開いた。
「母上、書庫は」
「今回は入りません」
「場所だけでも」
「今回は入りません」
「扉の前を通るだけなら」
「エミリア」
「はい」
エミリアは淑やかに黙った。
ただし、顔には明らかに未練がある。
ノエルが真面目な顔で横から言った。
「母上、地図棚の位置は」
「ノエルもです」
「はい」
二人揃って沈黙する。
セドリックは少し頭が痛くなった。
まだフローラ嬢本人は王都屋敷に来てもいない。
それなのに、すでに書庫と地図棚が存在感を持ち始めている。
「王都屋敷の主目的は、シャロン嬢の住まいの確認だ」
セドリックが言うと、エミリアはきちんと頷いた。
「わかっております」
「本当にか」
「はい。ですので、書庫は次の機会です」
「次の機会は決まっていない」
「確認予定です」
「便利に使うな」
アメリアが楽しそうに笑った。
「では、まず応接室を見ましょう」
応接室は、来客を迎えるための整った部屋だった。
壁には落ち着いた色の布が掛けられ、窓際には季節の花を置ける台がある。
調度は上品だが、やや格式が強い。
セドリックは部屋に入った瞬間、少し眉を寄せた。
「硬いですね」
「硬いな」
父も同じ感想だった。
アメリアが頷く。
「最初の挨拶には使えるけれど、長居する部屋ではないわ」
「シャロン嬢は、ここだけだと緊張が抜けないと思います」
「でしょうね」
母は窓際へ歩き、椅子の配置を見る。
「椅子を真正面に置かないようにしましょう」
「斜めですか」
「ええ」
セドリックは思わず口元を緩めた。
斜めの席。
ベルフォール家での正式な席を思い出す。
あれは、本当に良い席だった。
「兄様、今かなり嬉しそうです」
エミリアがすかさず言った。
「応接室の椅子配置を考えていただけだ」
「斜めの席を思い出されたのですね」
「……確認事項だ」
「便利に使っていらっしゃいます」
言い返せなかった。
次に向かったのは小サロンだった。
応接室よりも柔らかい雰囲気で、窓から庭が見える。
大きすぎず、狭すぎず、家族で茶を飲むにはちょうどよい。
セドリックは部屋に入ってすぐ、ここだと思った。
「この部屋は良いですね」
アメリアも微笑む。
「ええ。シャロン嬢には、こちらの方が息がしやすいと思うわ」
ギルバートは椅子の位置を見て、短く言う。
「窓を背にしない方がいい」
「なぜですか」
ノエルが尋ねる。
「外の光で顔色が見えにくい」
「顔色」
「負担が大きすぎないかを見るなら、相手の様子がわかる方がよい」
父らしい、実務的な気遣いだった。
セドリックはすぐに頷く。
「では、シャロン嬢の席は窓を横にする形に」
「真正面も避ける」
「はい」
家令が静かにメモを取る。
その姿を見たノエルが、少し感心したように言った。
「印をつけるだけではなく、配置も大事なのですね」
「今回は配置表を作らなくていい」
セドリックが先に言うと、ノエルは少しだけ目を丸くした。
「まだ何も言っていません」
「言いそうだった」
「……少しだけ、考えました」
「やはり」
エミリアが笑う。
「ノエル、兄様に読まれるようになりましたね」
「嬉しくありません」
「半分くらいは?」
「嬉しくありません」
珍しく言い切ったので、エミリアが少し驚いていた。
小サロンから庭へ出る道は、屋敷の横を通る短い廊下につながっていた。
扉を開けると、整えられた庭が見える。
派手ではないが、歩きやすい石畳と低い植え込みが続いている。
「ここなら、短い散歩にはちょうどいいわね」
アメリアが言った。
「長く歩かせる必要はない。庭へ出られるとわかるだけでも違うでしょう」
セドリックは庭を見ながら頷く。
「ベルフォール家でも、庭では話しやすそうにされていました」
「確認事項が少ない場所だからかしら」
「そうかもしれません」
応接室や書類の前では、シャロン嬢はきっと整えようとする。
けれど庭では、少しだけ肩の力が抜ける。
ただ歩く時間。
答えを出さなくていい時間。
そういう場所が、王都屋敷にも必要だった。
「庭の菓子台は出しません」
アメリアが急に言った。
エミリアが瞬いた。
「母上?」
「出すと、別の審査が始まる可能性があります」
セドリックは咳払いをした。
「リディア嬢はいらっしゃらない予定です」
「でも、シャロン嬢が報告するでしょう?」
「……可能性はあります」
「では、初回は控えめにします」
母は真剣だった。
焼き菓子候補たちは、まだ待機中らしい。
完全停止ではないが。
一通り見終えた後、家族は小サロンへ戻った。
家令が用意した茶が置かれる。
セドリックは窓の横の席に座り、改めて部屋を見渡した。
ここにシャロン嬢が座る。
父母と一緒に、少し緊張しながら。
けれど、応接室ほど硬くならずに。
庭への道を見て、ここなら少し歩けそうだと思ってくれたらいい。
「セドリック」
父に呼ばれ、セドリックは顔を上げた。
「はい」
「招く時は、目的を明確に伝えろ」
「王都屋敷の確認、ですね」
「そうだ。だが、検査ではないとも伝えろ」
「はい」
「暮らしを想像するために見る。決めるためではない」
セドリックは頷いた。
「そのようにします」
アメリアも続ける。
「そして、疲れたら途中で終えられるようにしておきましょう」
「途中で」
「ええ。全部見なくてもいいの。応接室と小サロンだけで十分なら、それで終わりにしてもいいわ」
その言葉に、セドリックは少しはっとした。
つい、用意したものはすべて見てもらう前提で考えていた。
それもまた、押しつけになるかもしれない。
「……気をつけます」
「あなたも真面目だから」
母が柔らかく言う。
「相手のために用意したものほど、全部受け取ってほしくなるでしょう?」
「はい」
「でも、受け取る量を選べることも大事よ」
セドリックは深く頷いた。
シャロン嬢に、全部見なければならないと思わせないこと。
確認は、途中で止めてもいいこと。
それも、招待の中に入れておかなければならない。
エミリアが静かに手を挙げた。
「母上」
「何かしら」
「では、書庫は途中で止める対象にも入りませんね」
「今回は最初から入りません」
「はい」
即答だった。
ノエルが小さく呟く。
「地図棚も」
「ノエル」
「はい」
セドリックは思わず笑ってしまった。
その笑いで、小サロンの空気が少し軽くなる。
検査ではない。
面接でもない。
ただ、知らない場所を少し見て、息ができるか確かめるだけ。
そういう訪問にしたい。
夕方、屋敷を出る前に、セドリックはもう一度玄関ホールへ戻った。
初めて来る者にとって、この玄関は少し広い。
天井も高く、音も響く。
だが、小サロンまで進めば、庭が見える。
そこまでの道を、急がせないようにしよう。
「兄様」
エミリアが隣に立った。
「何だ」
「シャロン様、ここを気に入ってくださるとよいですね」
「ああ」
「でも、気に入らなかった場所があっても、言えるとよいですね」
その言葉に、セドリックは妹を見る。
エミリアは真面目な顔をしていた。
「好きな場所だけでなく、苦手な場所も確認事項でしょう?」
「……そうだな」
まったく、その通りだった。
気に入ってほしい。
それは本音だ。
けれど、気に入らなければならないと思わせてはいけない。
セドリックは玄関ホールを見上げ、静かに頷いた。
「そのことも、忘れないようにする」
エミリアは満足そうに微笑んだ。
「はい」
その夜、グランフェル家ではベルフォール家へ正式な招待の使者を出す準備が整えられた。
内容は簡潔だった。
王都屋敷を、暮らしに関わる場所として短時間見ていただきたいこと。
決定ではなく確認のための訪問であること。
ベルフォール子爵夫妻とシャロン嬢の都合を最優先すること。
当日は無理にすべてを見る必要はなく、途中で休むことも、そこで終えることもできること。
セドリックは文面を読み返し、最後に一文だけ添えた。
庭へ出る道も、確認していただければ嬉しく思います。
少し迷ったが、消さなかった。
嬉しい時間も、確認事項に入れる。
そう決めたのだから。
王都屋敷は、検査会場ではない。
シャロン嬢が、これからの暮らしを怖さだけでなく見られるようにする場所だ。
そのために、まず自分たちが屋敷の見方を変えなければならない。
セドリックは封を閉じ、家令へ渡した。
次は、手紙の中だけではない。
彼女に、この場所を実際に歩いてもらう番だった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
王都屋敷見学に向けて、グランフェル家も「検査」にならないよう準備を始めました。
次はシャロンたちが、この場所をどう受け取るかが大事になりそうです。
次回もよろしくお願いします。




