第76話 嬉しい時間も、確認していいそうです
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はベルフォール家側で、セドリックから届いた王都屋敷見学の話を受け取るお話です。
シャロンの確認表に、嬉しい時間も加わりました。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
セドリック様からの手紙を読んだ私は、途中で一度、便箋を伏せた。
小サロンには、当然のようにリディアがいる。
フローラもいる。
母も少し離れた席で刺繍をしている。
つまり、私の表情を読む者が三人いる。
非常に危険な環境だった。
「お姉様」
リディアがすぐに反応した。
「今、止まりましたね」
「止まっていないわ」
「便箋を伏せました」
「目を休めただけよ」
「手紙で目を休める時は、たいてい何か書いてあります」
「あなたの観察力は、最近かなり困る方向に伸びているわ」
向かいで本を開いていたフローラが、静かに言った。
「リディアお姉様だけではありません」
「あなたもでしょう」
「はい」
「認めるのね」
「事実ですので」
私は小さく息を吐き、伏せた便箋をもう一度持ち上げた。
そこには、セドリック様の丁寧な文字が並んでいる。
――庭での短い時間や、家族の近くでの茶の時間について、「嬉しい」と書いてくださったことも、大切に受け取りました。
――私も、そういう時間を持てたら嬉しいです。
――正式な席だけではなく、少し息のしやすい時間も、確認事項に入れたいと思います。
嬉しい時間も、確認事項。
そう書かれているわけではない。
けれど、私にはそう読めた。
社交の範囲や住まいの話と並んで、庭で短く話す時間や、家族の近くで茶を飲む時間が入っている。
それは、少し不思議だった。
縁談の確認事項といえば、条件や手順ばかりだと思っていた。
けれど、そこに嬉しい時間を入れてもいいらしい。
嬉しいと思えるかどうか。
息がしやすいかどうか。
それも、確かめていいことなのだ。
「……良いことが書いてあったのですね」
リディアがにこにこと言う。
「良いかどうかは」
「顔に出ています」
「またそれ」
母が刺繍の手を止め、穏やかにこちらを見た。
「何と書かれていたの?」
私は少し迷った。
読まなくてもいい。
けれど、隠すほどのことでもない。
「庭での短い時間や、家族の近くでの茶の時間について、セドリック様も嬉しいと書いてくださいました」
言った瞬間、リディアの目が輝いた。
「まあ」
「その反応はやめなさい」
「でも、お姉様」
「何」
「とても良いです」
素直に言われると、反論しづらい。
フローラも本を閉じた。
「正式な確認事項として、嬉しい時間が入るのは重要です」
「あなたはすぐ正式にしたがるわね」
「曖昧にすると消えます」
その言葉に、私は少し黙った。
曖昧にすると消える。
確かに、そうかもしれない。
嬉しい。
安心する。
少し話しやすい。
そういうものは、条件や手順の中では後回しにされやすい。
だからこそ、言葉にして確認事項に入れる必要があるのかもしれない。
「……そうね」
私は小さく頷いた。
「消えないように、書いておくのは大事かもしれないわ」
母が柔らかく微笑んだ。
「その通りよ」
私は続きを読んだ。
王都屋敷については、無理のない形で案内できるよう準備を始めること。
最初は短い昼の訪問にして、応接室や小サロン、庭への道など、暮らしに関わる場所を少しずつ見ること。
全部を一度に見ると確認ではなく検査になってしまう、とアメリア様に言われたこと。
私は思わず笑ってしまった。
「今度は何ですか」
リディアが身を乗り出す。
「王都屋敷の確認についてよ。全部を一度に見ると、確認ではなく検査になるとアメリア様がおっしゃったそうよ」
「ああ……」
フローラが納得したように頷いた。
「お姉様は検査してしまいそうです」
「しないわ」
「本当に?」
「……少しは確認が細かくなるかもしれないけれど」
「それを検査と言います」
「言わないで」
母がくすりと笑った。
「でも、アメリア様のおっしゃる通りね。最初から全部見ようとすると、屋敷の良し悪しを判定するようになってしまうわ」
「そのつもりはないのですが」
「わかっているわ。でも、あなたは気づくと項目を増やすでしょう?」
「……最近、皆に同じことを言われています」
「皆がよく見ているのね」
私は便箋へ視線を戻した。
王都屋敷。
まだ知らない場所。
けれど、いずれ私の暮らしに関わるかもしれない場所。
そこを、検査ではなく確認として見る。
暮らしに関わる場所を少しずつ。
応接室。
小サロン。
庭への道。
その並びに、少しだけ胸が落ち着いた。
豪華な広間や社交のための部屋ではなく、まず小サロンや庭への道。
私が息をしやすいかどうかに関わる場所。
そう考えてくださっているのが、ありがたかった。
手紙の後半には、エミリア様とノエル様のことも書かれていた。
エミリア様が、王都屋敷の話を聞いて書庫の分類を確認しようとしていたこと。
ノエル様まで地図棚の位置を確認した方がよいと言い出したこと。
フローラの影響が、静かに広がっている気がすること。
私は便箋を下げ、フローラを見た。
「フローラ」
「はい」
「あなたの影響が、グランフェル家で静かに広がっているそうよ」
「そうですか」
「否定しないのね」
「書庫と地図棚の重要性が正しく伝わったのであれば、良いことです」
「良いことなの?」
「はい」
迷いがない。
リディアは楽しそうに笑っている。
「フローラ、すごいわ。王都屋敷に行っていないのに、もう書庫の確認事項が生まれているのね」
「地図棚もです」
「そこも大事なのね」
「はい」
私は頭を抱えたくなった。
「今回は私の住まいの確認なのよ」
「もちろんです」
「本当にわかっている?」
「住まいに書庫は関係します」
「その理屈、前にも聞いたわ」
「正しい理屈は何度でも使えます」
「便利にしないで」
母が楽しそうに笑った後、少し真面目な声になった。
「でも、王都屋敷を見せていただけるのは大事ね」
「はい」
「最初は、お父様と私も一緒がよいでしょう」
「そうなると思います」
「あなた一人で行く必要はないわ」
「わかっています」
昔なら、ここで私は「一人でも大丈夫です」と言ったかもしれない。
けれど今は、そう言わなくていいとわかっている。
父母と一緒に行く。
わからない場所を、一人で正しく判断しようとしない。
それは、恥ずかしいことではない。
父が小サロンへ来たのは、その少し後だった。
母から手紙の内容を聞くと、父は静かに頷いた。
「王都屋敷への訪問は、正式に先方から打診が来てから日程を決めよう」
「はい」
「短い昼の訪問という形なら、こちらも受けやすい」
「そうですね」
「見る場所を絞るというのも良い。最初からすべてを確認しようとするな」
「……はい」
父にまで言われる。
私は素直に頷いた。
「応接室、小サロン、庭への道。そこを見るだけでも、十分にわかることがある」
「はい」
「住まいについては、今すぐ決めない。王都屋敷を見て、ハイレン領ももう一度見て、それから考えればよい」
その言葉に、胸が少し楽になった。
王都屋敷を見たら決めなければならないわけではない。
ハイレン領を再訪したら答えを出さなければならないわけでもない。
見る。
確認する。
それから考える。
「……見る前に決めなくてよいのは、助かります」
私が言うと、父は当然のように頷いた。
「見ていないものを決める必要はない」
「根拠のない断定ですものね」
「そうだな」
父の口元が、わずかに緩んだ。
夜、自室で、私はセドリック様への返事を書いた。
机の上には、確認表がある。
そこには新しく、私自身で一行を書き足した。
嬉しい時間。
書いてから、かなり恥ずかしかった。
けれど、消さなかった。
曖昧にすると消える。
フローラの言葉が、妙に胸に残っていたからだ。
――お手紙をありがとうございました。
――「かなり安心しました」と書いたことを、とても嬉しく受け取ってくださったとあり、私も嬉しく思いました。
書き出しから、少し恥ずかしい。
でも、続ける。
――庭での短い時間や、家族の近くでの茶の時間について、セドリック様も嬉しいと書いてくださったことに、安心しました。
――私の確認表にも、嬉しい時間として書き足しました。
――かなり恥ずかしいですが、消していません。
便箋の上の文字を見て、顔が熱くなる。
けれど、これも訂正しない。
次に、王都屋敷について。
――王都屋敷について、短い昼の訪問としてご案内いただけるなら、ありがたく思います。
――応接室や小サロン、庭への道など、暮らしに関わる場所を少しずつ見るという形は、私にも受け取りやすいです。
――全部を一度に見ると検査になる、というアメリア様のお言葉は、かなり的確だと思いました。
――私も項目を増やしすぎないよう気をつけます。
次に、住まいについて。
――父とも話し、王都屋敷を見たからといってすぐ決めるのではなく、ハイレン領をもう一度見る機会も含めて考えることになりました。
――見る、確認する、それから考える。
――この順番なら、少し息ができます。
フローラの件も書く。
――フローラは、書庫と地図棚の重要性が正しく伝わったのであれば良いことです、と申しておりました。
――本人には、今回の主目的は私の住まいの確認だと伝えています。
――ただし、住まいに書庫は関係する、という主張は続いております。
最後に追伸。
――再審査候補たちが完全停止ではなく待機中である件、承知しました。
――こちらの審査員も、完全停止ではなく待機中です。
――ただし、香りによっては待機が乱れる可能性があります。
書き終えて、私は確認表をもう一度見た。
社交の範囲。
面会の形。
住まい。
そして、嬉しい時間。
条件の中に、自分の気持ちが一行ある。
それが少し不思議で、少し照れくさくて、けれど確かに嬉しかった。
嬉しい時間も、確認していいそうです。
そう思えるだけで、次の訪問が怖いだけのものではなくなる。
私は丁寧に便箋を畳み、封を閉じた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
条件や住まいの確認の中に、シャロン自身の嬉しい気持ちも少しずつ入ってきました。
王都屋敷見学へ向けて、また一歩進んでいきます。
次回もよろしくお願いします。




