第68話 少し大丈夫は、見間違いではありません
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はベルフォール家側で、正式な席の余韻とセドリックからの手紙を受け取るお話です。
シャロンの「少し大丈夫」が、きちんと届いていました。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
グランフェル伯爵家の馬車が見えなくなった後も、私はしばらく玄関前に立っていた。
正式な席は終わった。
両家の意思を確認し、今後の流れも話し合った。
すぐに婚約を決めるわけではない。
けれど、確かに前へ進むことになった。
その事実が、胸の中でまだ落ち着かない。
「お姉様」
リディアが隣から覗き込んだ。
「疲れましたか?」
「少し」
「今日は、少しで済ませていい日ではないと思います」
「では、かなり」
「正直でよろしいです」
「誰の真似?」
「わかりません」
リディアは少し笑った。
その横で、フローラはエミリア様からの手紙を大事そうに抱えている。
「フローラ」
「はい」
「読みたいのなら、先に部屋へ戻ってもいいのよ」
「まだ読みません」
「あら、珍しいわね」
「今読むと、顔に出そうなので」
「もう出ているわ」
「では、さらに出ます」
淡々と言われて、私は少し笑ってしまった。
母が玄関の内側から声をかける。
「まずはお茶にしましょう。正式な席の後に立ったままでは疲れるわ」
父も頷いた。
「話は座ってからでよい」
小サロンに移ると、見慣れた空間にほっとした。
応接室とは違う。
ここは家族の場所だ。
茶器が置かれ、リディアが少し深く息を吐く。
「緊張しました」
「あなたも?」
「もちろんです。正式な場でしたし、グランフェル伯爵もいらっしゃいましたし、アメリア様もいらっしゃいましたし」
「焼き菓子の話になった途端、かなり元気だったわ」
「それは別です」
「別なのね」
母が笑った。
「でも、リディアもよく落ち着いていたわ」
「本当ですか?」
「ええ」
リディアはぱっと顔を明るくした。
フローラは静かに茶を飲み、ようやく封筒へ視線を落とした。
「フローラ、今読むの?」
「少しだけ」
「顔に出るのでは?」
「もう出ているそうなので」
「開き直ったわね」
フローラは何も答えず、丁寧に封を切った。
その様子があまりにも慎重で、私は追及したい気持ちを少し抑える。
文通そのものは知っている。
本と地図と橋の話だということも知っている。
けれど、その先に何かある気がしてならない。
悪いことではないのだろう。
それはわかる。
だからこそ、今は見守るしかない。
「シャロン」
父に呼ばれ、私は姿勢を正した。
「はい」
「今日の席は、どうだった」
どうだった。
簡単な問いなのに、すぐには答えられない。
重かった。
緊張した。
怖さもあった。
けれど、嫌ではなかった。
そして、少し大丈夫だった。
そのどれもが本当だった。
「……緊張しました」
私は言った。
「怖さも、ありました」
父も母も、黙って聞いてくれている。
「でも、以前の婚約の時とは違うと思いました」
口にした瞬間、自分でも少し驚いた。
けれど、言葉は止まらなかった。
「前は、私がどこにいるのか、よくわからなかったのです。家同士の話の中で、自分の役目だけが先に決まっていくようで」
リディアが静かにこちらを見る。
フローラも手紙から顔を上げていた。
「今日は、私の席がありました。私が落ち着く位置を選ばせてもらえて、私の意思を確認してもらえました」
私は少しだけ息を吸う。
「だから、重かったけれど……置いていかれている感じはしませんでした」
父は長く黙っていた。
母は目を伏せ、少しだけ微笑んでいる。
「そうか」
父が静かに言った。
「それなら、よかった」
「はい」
「これからも、そう進める」
その短い言葉に、私は頷いた。
母が柔らかく続ける。
「今日のあなたは、よく言えていたわ」
「……そうでしょうか」
「ええ。完璧な言葉でなくていいの。あなたの言葉だったもの」
胸の奥が、少し温かくなる。
完璧でなくていい。
最近、何度もそう教えられている気がする。
夕方になり、自室へ戻る頃には、疲れがはっきり出ていた。
けれど、不思議と嫌な疲れではない。
濃い青のドレスを脱ぎ、楽な部屋着に替える。
鏡の中の私は、朝よりも少しだけ力が抜けた顔をしていた。
その日の夜は、手紙を書かなかった。
書けなかった、という方が正しい。
正式な席の直後で、言葉が多すぎた。
整理する前に書くと、きっと余計に硬くなる。
だから、その日は休んだ。
翌日の午後、セドリック様から手紙が届いた。
早い。
そう思ったのに、封を見た瞬間、胸が少し軽くなった。
私は小サロンで封を切る。
リディアは当然のように隣にいる。
フローラも、本を開いているふりをしながら聞く気でいる。
「見守り体制が整いすぎているわ」
「正式な見守りです」
リディアが言う。
「何の正式なの」
「家族内です」
「便利な言葉ね」
私は小さく息を吐いて、便箋へ目を落とした。
――本日は、正式な席にてお時間をいただき、ありがとうございました。
丁寧な礼から始まっていた。
緊張していること。
怖さもあること。
それでも前向きに進みたいと思っていること。
それを私自身の言葉で伝えたことを、大切に受け取ったと書かれている。
私はその一文を、ゆっくり読み返した。
大切に受け取った。
セドリック様は、何度もそう書いてくださる。
けれど、そのたびに私は少し安心する。
次に、斜めの席のこと。
――斜めの席は、やはり良い席でした。
――私も、真正面であれば少し緊張が増していたかもしれません。
私は思わず笑ってしまった。
「お姉様?」
「セドリック様も、真正面だと少し緊張が増したかもしれないそうよ」
「お二人とも、斜めで正解でしたね」
リディアが嬉しそうに言う。
フローラも頷いた。
「面接回避として、有効でした」
「その言い方はやめなさい」
「でも事実です」
「事実でも、言い方というものがあるわ」
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ノエル様が、早すぎない範囲で前より少し強く嬉しく思っていること。
表現がまた少し複雑になったが、前向きであること。
私はまた笑ってしまう。
「ノエル様、表現がさらに進化しているわ」
「前より少し強く嬉しく、ですか」
フローラが静かに言う。
「良い表現です」
「あなたも気に入ったのね」
「はい」
エミリア様とフローラの手紙についても書かれていた。
本と地図と橋の話は、まだ続きそうだ、と。
それを聞いて、フローラは何食わぬ顔で茶を飲んだ。
けれど、耳が聞いている。
かなり聞いている。
私は追及しない。
追及しないけれど、覚えてはおく。
そして最後の方で、私は動きを止めた。
――本日の最後、少し大丈夫だと頷いてくださったように見えました。
――私の見間違いでなければ、嬉しく思います。
――もし見間違いでしたら、減点ではなく訂正をお願いいたします。
「……」
「お姉様?」
リディアがすぐに反応した。
「今度は何ですか?」
「何でもないわ」
「何でもない顔ではありません」
「あなたは最近、本当に顔で読みすぎよ」
私は便箋を少し下げる。
少し大丈夫。
見られていた。
あの時、私は声に出さずに頷いただけだった。
大丈夫ですか、と聞かれた気がして、少しだけ頷いた。
大丈夫、と言い切るほどではない。
けれど、少し大丈夫。
それを、セドリック様は見ていた。
そして、見間違いなら訂正を、と書いている。
ずるい。
訂正しろと言われたら、できないではないか。
「……見間違いではないわ」
小さく呟く。
リディアが、ぱっと顔を明るくした。
「やっぱり何かありましたね」
「あなたには関係ないわ」
「あります。お姉様のことなので」
「強引ね」
フローラが静かに言った。
「でも、見間違いではなかったのですね」
「あなたまで」
「聞こえましたので」
私は観念して、手紙を畳んだ。
母が小サロンへ入ってきたのは、その時だった。
「あら、セドリック様から?」
「はい」
「よいお手紙だったのね」
「……はい」
私は便箋を見下ろす。
「見間違いではないかと、尋ねられました」
「何を?」
「昨日の最後に、私が少し大丈夫だと頷いたように見えたそうです」
母は一瞬だけ驚き、それから柔らかく微笑んだ。
「よく見ていらっしゃるのね」
「見すぎでは」
「大切に見てくださっているのよ」
「……そう、でしょうか」
「そう思うわ」
母の言葉は穏やかだった。
私は便箋をもう一度開く。
見間違いではありません。
そう書くのは、少し恥ずかしい。
けれど、訂正する必要はない。
だって本当に、少し大丈夫だったのだから。
その夜、私は返事を書いた。
机に向かい、少し迷ってから筆を取る。
――お手紙をありがとうございました。
――正式な席での私の言葉を大切に受け取ってくださり、ありがとうございます。
まずは礼。
それから、斜めの席について。
――斜めの席は、私にとっても良い席でした。
――真正面であれば、きっと面接感が増していたと思います。
――セドリック様も少し緊張が増したかもしれないと書いてくださったので、私だけではなかったのだと安心しました。
書きながら、少し笑ってしまう。
正式な席の話なのに、面接感。
けれど、これは私たちらしい気がした。
次に、ノエル様のこと。
――ノエル様の「早すぎない範囲で前より少し強く嬉しく」という表現は、とても良いと思いました。
――記録表も、以前より簡潔になっていて、増やしすぎないよう工夫されたことが伝わりました。
――後日、落ち着いて拝見いたします。
フローラのことも書く。
――エミリア様からのお手紙を、フローラは大切そうに受け取っておりました。
――本と地図と橋の話は、こちらでもまだ続きそうです。
――姉としては少し気になりますが、今のところ追及しないでおります。
ここまで書いて、私は筆を止めた。
そして、問題の一文へ向かう。
――最後に、少し大丈夫だと頷いたように見えた、という件ですが。
続きが、なかなか書けない。
けれど、逃げても仕方がない。
私は息を整え、書いた。
――見間違いではありません。
――大丈夫と言い切るほどではありませんでしたが、少し大丈夫でした。
――訂正ではなく、肯定としてお受け取りください。
書いてから、顔が熱くなった。
肯定。
なぜこんなに硬い言い方になるのか。
でも、これが今の私には一番書きやすかった。
さらに続ける。
――正式な話は重く、怖さもまだあります。
――ですが、私のための席があり、私の言葉を待っていただけたことで、少し息がしやすかったです。
――そのことも、虚偽申告ではありません。
最後に追伸を書く。
――リディアの公平な心は、再審査が近づくほど揺らぐ可能性があります。
――候補たちには静かに待機していただくのが賢明かと存じます。
書き終えて、私は便箋を読み返した。
少し大丈夫は、見間違いではありません。
声に出すにはまだ少し恥ずかしい。
けれど、手紙になら書けた。
少し大丈夫。
少し怖い。
少し嬉しい。
最近の私は、少し、という言葉ばかり使っている気がする。
でも、今はそれでいい。
大きな一歩ではなくても。
少しずつでも。
その少しを、セドリック様は見逃さずに受け取ってくださる。
なら、私も自分の少しを、もう少し信じてみたいと思った。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
大丈夫と言い切れなくても、「少し大丈夫」と言えるようになったシャロンです。
その小さな変化を、セドリックも大切に受け取っています。
次回もよろしくお願いします。




