第67話 少し大丈夫を、正式に持ち帰ります
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はグランフェル家側で、正式な席を終えた後のお話です。
シャロンの言葉を、セドリックが大切に持ち帰ります。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
ベルフォール子爵家を辞した後、馬車の中はしばらく静かだった。
重苦しい沈黙ではない。
けれど、誰もすぐに軽い言葉を出せないだけの重さがあった。
正式な席は終わった。
両家の意思を確認した。
今後の流れも、急ぎすぎない形で話し合えた。
シャロン嬢自身の言葉も、きちんと聞けた。
――少し、緊張しています。
――でも、嫌ではありません。
あの時の声を、セドリックは何度も思い返していた。
小さく震えていた。
けれど、逃げてはいなかった。
彼女は、自分の怖さを隠さずに、その上で前へ進みたいと言ってくれた。
正式な席で。
父母の前で。
グランフェル家の前で。
それがどれほど勇気のいることだったか、セドリックにはわかる気がした。
「セドリック」
向かいに座る父ギルバートが口を開いた。
「はい」
「よい席だった」
「……はい」
「ベルフォール子爵夫妻は、娘の意思を置いていくつもりがない」
「そう感じました」
父は短く頷いた。
「それが確認できたのは大きい」
隣の母アメリアも、静かに微笑んだ。
「シャロン嬢、よくお話ししてくださったわね」
「はい」
「緊張していると、きちんと言える方なのね」
母の声は柔らかかった。
セドリックは少し目を伏せる。
「以前なら、きっと『大丈夫です』とおっしゃったと思います」
「ええ。そうでしょうね」
「でも今日は、少し緊張していると。怖さもあると。その上で、前向きに進みたいと」
言葉にすると、胸の奥が熱くなる。
嬉しい。
けれど、それだけではない。
大切なものを預かったような気持ちだった。
「お前も、よく話した」
ギルバートが言った。
セドリックは父を見る。
「そうでしょうか」
「家同士の話であることを認めた上で、それだけではないと言った。あれでよい」
「ありがとうございます」
「ただし、これからだ」
「はい」
父の言葉に、セドリックは背筋を伸ばした。
「正式に進めるなら、今後は条件も手順も具体的になる。そこで浮つくな」
「はい」
「だが、重くなりすぎるな」
「……難しいですね」
「難しい」
父は当然のように答えた。
アメリアが小さく笑う。
「でも、今日のあなたは硬すぎなかったわよ」
「本当ですか」
「ええ。少し硬かったけれど」
「少し」
「正式な席ですもの。少し硬いくらいは当然よ」
母の言葉に、セドリックは少しだけ息を吐いた。
「斜めの席があって、よかったです」
「そうね」
アメリアは楽しそうに目を細める。
「シャロン嬢が自分で選んだ席でしょう? あの位置は、とてもよかったわ」
「真正面では、少しつらかったかもしれません」
「あなたも、つい大切そうに見てしまうものね」
「母上」
「事実です」
最近、家族が皆その言い方をする。
セドリックは反論を諦めた。
馬車の窓から、ベルフォール家の屋敷が少しずつ遠ざかっていく。
今日、あの屋敷で交わされた話は、すぐに婚約を決めるものではなかった。
けれど、確かに一歩進んだ。
急がず。
しかし曖昧にせず。
その言葉通りに。
屋敷へ戻ると、玄関前にはエミリアとノエルが待っていた。
エミリアは礼儀正しく立っていたが、目は明らかに結果を知りたがっている。
ノエルも落ち着こうとしているものの、記録表を持っていない分、手持ち無沙汰そうだった。
「お帰りなさいませ」
エミリアが丁寧に礼を取る。
ノエルも続いた。
「お帰りなさい、父上、母上、兄上」
「ああ」
ギルバートが短く答える。
アメリアは微笑みながら二人を見た。
「まずは小サロンへ行きましょう。立ったまま話すことではないわ」
小サロンに入ると、エミリアはすぐに口を開きかけた。
だが、ぎりぎりで飲み込む。
代わりに、淑やかな声で尋ねた。
「本日のご訪問は、無事に終わりましたか?」
「無事に終わった」
セドリックが答える。
エミリアの目が少し明るくなった。
「シャロン様は?」
「緊張はされていた。だが、ご自分の言葉で意思を伝えてくださった」
「……そうですか」
エミリアは胸元で小さく息を吐いた。
「よかったです」
ノエルが控えめに尋ねる。
「雨の日用の記録表は、お渡しできましたか」
「ああ。急ぎではないと伝えて渡した」
「ご負担に思われていなければよいのですが」
「シャロン嬢は、以前より薄い紙束だと気づいていたようだった」
ノエルの顔に、少しだけ緊張が戻る。
「増やしすぎないようにしたことも、伝わったでしょうか」
「おそらくな」
「おそらく」
「断定はしない」
セドリックがそう言うと、ノエルは真面目に頷いた。
「はい。根拠のない断定は減点です」
エミリアが小さく笑った。
「ノエル、かなり染まってきましたね」
「染まる?」
「良い意味です」
「本当ですか」
「半分くらいは」
「エミリア姉上」
ノエルが困った顔をする。
そのやり取りで、小サロンの空気が少し柔らかくなった。
アメリアが席につきながら言う。
「フローラ嬢へのお手紙も、無事に渡せましたよ」
エミリアの顔がぱっと明るくなる。
「本当ですか」
「ええ。とても大事そうに受け取っていらしたわ」
「そうですか」
エミリアは嬉しそうに微笑んだ。
その表情を見て、セドリックは少し目を細める。
「エミリア」
「はい」
「本と地図と橋の話だったな」
「はい」
「別紙が一枚あったが」
「必要な補足です」
「必要な補足」
「はい」
淑やかに微笑まれると、もうそれ以上追及しづらい。
文通そのものは公にされている。
フローラ嬢も楽しみにしている。
なら、今はそれでよい。
たぶん。
ギルバートが茶を一口飲み、改めて口を開いた。
「今後の流れは、両家で条件と手順を整理する。その後、改めて正式な婚約の打診へ進む」
エミリアもノエルも、姿勢を正した。
「すぐに決まるわけではない。だが、前向きに進めることは確認した」
「はい」
エミリアが静かに返事をする。
ノエルも少し遅れて頷いた。
「兄上」
「何だ」
「お祝いを申し上げるには、まだ早いのでしょうか」
また、真面目な質問だった。
セドリックは思わず少し笑った。
「正式にはまだ早い」
「はい」
「だが、前よりは少しだけ近づいた」
「では」
ノエルは少し考えた。
「早すぎない範囲で、前より少し強く嬉しく思います」
エミリアがこらえきれず笑った。
「ノエル、それはとても良いです」
「そうでしょうか」
「はい。シャロン様にもお聞かせしたいくらいです」
「それは恥ずかしいです」
ノエルは本当に困った顔をした。
セドリックも笑いながら頷く。
「その表現は、いずれ手紙に書くかもしれない」
「兄上」
「冗談だ」
「本当ですか」
「半分くらいは」
「兄上まで」
小サロンに笑いが広がった。
正式な話の重さが、少しだけほどけていく。
それでも、セドリックの胸には、今日の応接室の空気が残っていた。
シャロン嬢の青いドレス。
斜めの席。
緊張していると認めた声。
怖さもあると言いながら、それでも前向きに進みたいと告げた表情。
そして最後、茶の時間の終わりに目が合った時の、小さな頷き。
大丈夫、と言い切るほどではない。
けれど、少し大丈夫。
彼女は、たぶんそう言っていた。
夜、自室へ戻ったセドリックは、机の前に座った。
今日のうちに手紙を書くべきか、少し迷う。
正式な席の直後だ。
あまり早すぎても、急かしているようになるかもしれない。
だが、礼と今日の言葉への感謝は伝えたい。
セドリックは便箋を広げた。
――本日は、正式な席にてお時間をいただき、ありがとうございました。
書き出しは自然に決まった。
続けて、少し考える。
彼女の言葉を、どう受け取ったか。
軽くしてはいけない。
けれど、重すぎてもいけない。
――緊張していること、怖さもあること、それでも前向きに進みたいと思ってくださっていることを、ご自分の言葉でお聞かせいただけたことを、大切に受け取りました。
少し長い。
だが、削れなかった。
――斜めの席は、やはり良い席でした。
――私も、真正面であれば少し緊張が増していたかもしれません。
書いてから、少し笑う。
これは本当だ。
彼女だけではなく、自分にとっても助けになる席だった。
――ノエルの記録表も受け取ってくださり、ありがとうございました。
――本人は、早すぎない範囲で前より少し強く嬉しく思っております。
――表現がまた少し複雑になりましたが、前向きです。
エミリアのことも添える。
――エミリアも、フローラ嬢へ手紙をお渡しできたことを大変喜んでおります。
――本と地図と橋の話は、どうやらまだ続きそうです。
最後に、少し迷ってから書いた。
――本日の最後、少し大丈夫だと頷いてくださったように見えました。
――私の見間違いでなければ、嬉しく思います。
――もし見間違いでしたら、減点ではなく訂正をお願いいたします。
書いた瞬間、これは少し踏み込みすぎだろうかと思った。
けれど、あの小さな頷きをなかったことにはしたくなかった。
追伸には、今日の柔らかい話題を残す。
――リディア嬢の公平な心は、正式な席でも健在でした。
――再審査は次の機会とのことですので、候補たちには引き続き静かに待機してもらいます。
セドリックは筆を置き、便箋を読み返した。
少し大丈夫を、正式に持ち帰ります。
今日、彼女から受け取ったものは、きっとそれだ。
大丈夫と言い切らなくてもいい。
怖さが残っていてもいい。
それでも、少し前へ進めた。
その「少し」を、軽く扱わずに持っていたい。
セドリックは丁寧に便箋を畳み、封を閉じた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
正式な席は無事に終わり、両家の話も少しずつ前へ進み始めました。
ノエルとエミリアも、それぞれの形で嬉しそうです。
次回もよろしくお願いします。




