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元跡継ぎ令嬢はお見合い結婚した騎士伯爵と恋をします  作者: 影道AIKA


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第62話 怖がらなくていいとは、言われませんでした

読みに来てくださりありがとうございます。

今回はベルフォール家側のお話です。

セドリックの返事を受けて、シャロンが「怖いままでも進める」と少し受け止めます。

楽しんでいただけたら嬉しいです。

 セドリック様からの手紙を読んだ時、私は最初の数行で息を止めた。


 ――正式に話が進むことについて、嬉しさだけでなく怖さもあると書いてくださったことを、大切に受け取りました。


 怖いと書いた。


 私は本当に、そう書いた。


 封をする直前まで迷った言葉だ。

 重すぎるのではないか。

 縁談を進めたいと言ったばかりなのに、不安を見せるのは失礼ではないか。

 セドリック様を困らせるのではないか。


 そう考えた。


 けれど、書いた。


 そして今、その言葉を大切に受け取ったと返されている。


 私は便箋を持つ指に、少しだけ力を込めた。


 続きへ目を落とす。


 ――怖がらなくてよい、と簡単に申し上げるつもりはありません。

 ――シャロン嬢がそう感じられたことには、きっと理由があるのだと思います。


 そこで、胸の奥が静かに揺れた。


 怖がらなくていい。


 大丈夫。


 気にしすぎだ。


 そう言われたら、私はきっと笑って頷いたと思う。

 そして、その後で少し傷ついたはずだ。


 けれど、セドリック様はそう言わなかった。


 怖いと感じる理由があるのだと、先に認めてくださった。


「お姉様」


 隣からリディアが小声で呼ぶ。


「……何」


「泣きそうですか?」


「泣かないわ」


「少しだけ?」


「泣かないわ」


「では、かなり何か届いた顔です」


「顔で判断しないで」


 私はそう返しながら、目元に力を入れた。


 泣くほどではない。

 けれど、胸の奥は確かに熱い。


 向かいに座るフローラは、静かにこちらを見ていた。

 膝の上には、エミリア様からの手紙がある。

 文通そのものはもう家族も知っているが、フローラは相変わらず、読んだ後に少しだけ秘密めいた顔をする。


 今は追及しない。


 私には、読むべき手紙がある。


 ――ですから、その怖さをなかったことにはせず、けれどその怖さだけで決めることにもならないよう、ひとつずつ確かめながら進めていければと思っております。


 怖さを、なかったことにしない。


 その一文を、私は何度も目で追った。


 怖いならやめる。

 怖くないなら進む。


 そう単純に分けられたら、きっと楽なのだろう。


 けれど実際は違う。


 嬉しいのに怖い。

 進みたいのに立ち止まりたくなる。

 信じたいのに、前の傷が余計な声を出す。


 その全部を抱えたままでもいいのだと、この手紙は言っているようだった。


「……ずるいわ」


 思わず呟く。


 リディアがすぐ反応した。


「何がですか?」


「何でもないわ」


「セドリック様ですか?」


「あなた、最近本当に遠慮が減ったわね」


「お姉様がわかりやすくなったので」


「それは私の責任なの?」


「半分くらいは」


 フローラが静かに頷いた。


「残り半分は、セドリック様の責任かと」


「あなたまで何を言うの」


「事実ですので」


 言い返せなかった。


 私は咳払いをして、さらに続きを読んだ。


 家同士の話である以上、条件や手順がなくなることはない。

 それでも、私を条件だけで見たくない。

 そう扱われないよう、自分自身も気をつけ続ける。


 気をつけ続ける。


 完璧に守ると断言するのではなく、気をつけ続けると書いてあるところが、セドリック様らしい。


 簡単な約束ではない。

 けれど、続ける意思がある。


 その方が、私にはずっと信じやすかった。


 ――もし途中で怖くなったり、立ち止まりたくなったりした時は、どうかそのままお知らせください。

 ――急かさないよう努めます。

 ――ただし、遠くへ下がりすぎないようにも努めます。


 私はそこで、少しだけ笑ってしまった。


「遠くへ下がりすぎないようにも努めます、ですって」


「セドリック様らしいですね」


 フローラが言った。


「ええ」


 私は頷く。


「とても」


 たぶん、誰かに言われたのだろう。


 セドリック様は、尊重しすぎて一歩引いてしまうところがある。

 それを自分でも気にしているのかもしれない。


 私を急かさない。

 けれど、遠くへは行かない。


 その加減を、あの方も探している。


 そう思うと、少しだけ気が楽になった。


 私だけが不慣れなのではない。

 セドリック様も、探しながら歩いている。


 小サロンの扉が開き、母が入ってきた。


「セドリック様から?」


「はい」


「聞いても、大丈夫?」


「……はい」


 私は自分でも驚くほど素直に答えた。


「少し、安心しました」


 母の表情が柔らかくなる。


「そう」


 それだけ言って、母は私の向かいに座った。


「どんなお返事だったの?」


 すべてを読み上げるのは恥ずかしい。


 けれど、伝えたいところはある。


「怖がらなくてよいとは、言われませんでした」


 私は言った。


 母が静かに瞬きをする。


「怖いと感じる理由があるのだと思う、と。怖さをなかったことにはせず、でも怖さだけで決めることにもならないよう、ひとつずつ確かめて進めたいと」


 口にすると、また胸が熱くなった。


「それから、私を条件だけで見たくないと。そう扱われないよう、ご自身も気をつけ続けると」


 リディアがもう目元を押さえている。


「リディア」


「無理です」


「まだ泣く場面ではないわ」


「お姉様にとってはそうでも、私には泣く場面です」


 フローラが頷いた。


「今回は、泣いても不自然ではありません」


「あなたは判定役なの?」


「観察結果です」


 母がくすりと笑った。


 その笑いで、少しだけ空気が緩む。


 私は手紙の追伸を読んだ。


 ノエル様が、私に表現を褒められたことを早すぎない範囲で大変喜んでいること。

 雨の日用の記録表は、地図に印をつける形で落ち着きそうなこと。

 増やしすぎないという教訓は、本人にもセドリック様にも必要だったようだということ。


「セドリック様にも必要だったのですね」


 フローラが静かに言う。


「たぶん、心配や配慮を増やしすぎるという意味でしょうね」


「お姉様も時々、確認事項を増やしすぎます」


「今それを言う?」


「必要事項です」


 本当に、フローラは最近少し強い。


 エミリア様との文通で、何か変な方向へ育っていないかしら。


 最後に、焼き菓子の追伸を読む。


 リディアの再審査への反応を承知したこと。

 公平性を証明するための再審査という論理には慎重な検討が必要なこと。

 そして、アメリア様がすでに候補を用意する気でいること。


 リディアがぱっと顔を上げた。


「アメリア様が」


「反応しすぎよ」


「ですが、候補を用意する気でいらっしゃるなら、審査員としても準備が必要です」


「何を準備するの」


「公平な心です」


「まず甘いものへの欲を抑えるところからね」


「それは難しいです」


「でしょうね」


 母が笑った。


 正式な縁談の話をしていたはずなのに、気づけば焼き菓子の審査の話になっている。


 でも、それでいいのかもしれない。


 怖い話だけでは、きっと息が詰まる。

 嬉しい話だけでも、嘘になる。


 怖さも、嬉しさも、焼き菓子も。

 全部同じ小サロンに置いておけることが、今はありがたかった。


 夕方、父が小サロンへ来た。


 グランフェル伯爵家への正式な返書について、日程の相談をするためだった。


「先方からは、来月初めに一度席を設けたいとの意向がある」


「こちらへお招きするのですか?」


 母が尋ねる。


「その形がよいだろう。前回はシャロンたちがハイレン領を訪れた。今度はこちらで迎える」


 父の視線が私へ向く。


「シャロン、それでよいか」


「はい」


 私は頷いた。


 少し緊張する。


 けれど、嫌ではない。


「グランフェル伯爵夫妻と、セドリック様がいらっしゃる形でしょうか」


「まずはその予定だ。エミリア嬢やノエル殿の同行は、今回は必須ではない」


 その瞬間、リディアとフローラが少しだけ残念そうな顔をした。


 私はそれを見逃さなかった。


「あなたたち」


「何でもありません」


 リディアが早かった。


「まだ何も言っていないわ」


「顔に出ましたか?」


「出たわ」


 フローラは静かに視線を逸らした。


「書庫の話が少し」


「あなたは本当に正直ね」


 母が穏やかに笑った。


「正式な席が済んだら、また別に交流の機会を作りましょう。エミリア様との文通も続いているのだし」


「はい」


 フローラは静かに頷いた。


 その顔は少しだけ満足そうだった。


 父は私に向き直る。


「正式な席と言っても、結論を急ぐつもりはない。今後の手順と意思の確認だ」


「はい」


「怖くなったら言いなさい」


 父が当たり前のように言った。


 私は少し目を見開いた。


「……はい」


「怖いまま進んでもよい。だが、怖いことを隠して進める必要はない」


 父の言葉は不器用で、短い。


 けれど、今日はとても温かかった。


「ありがとうございます」


 私は静かに答えた。


 その夜、自室で、私はセドリック様への返事を書いた。


 便箋を広げると、何から書けばよいのか少し迷う。


 怖いと書いた手紙に、あれだけ丁寧に返してくださった。

 今度は、私もちゃんと返したい。


 ――お手紙をありがとうございました。

 ――怖がらなくてよい、と簡単に言われなかったことに、少し安心しました。


 書いてから、私は少し息を吐いた。


 これは、かなり本音だ。


 続ける。


 ――怖いと感じる理由があるのだと思う、と書いてくださったことが嬉しかったです。

 ――私自身、まだその怖さをすべて整理できているわけではありません。

 ――ですが、怖いままでも、ひとつずつ確かめてよいのだと思えました。


 筆先が少し止まる。


 そして、もう一文足した。


 ――遠くへ下がりすぎないよう努める、というお言葉には少し笑ってしまいました。

 ――ですが、安心もしました。


 セドリック様が読んだら、きっと少し困った顔をするだろう。


 それを想像すると、自然に口元が緩む。


 正式な席のことも書く。


 ――父から、来月初めにグランフェル伯爵家の皆様をこちらへお迎えする形で相談したいと聞きました。

 ――少し緊張しております。

 ――けれど、嫌ではありません。

 ――これも虚偽申告ではありません。


 また書いてしまった。


 でも、もういい。


 私の言葉だ。


 ノエル様のこと。


 ――雨の日用の記録表が、地図に印をつける形で落ち着きそうだと伺い、良い形だと思いました。

 ――増やしすぎない教訓は、私にも必要です。

 ――確認事項は増えやすいので、気をつけます。


 最後に追伸。


 ――リディアは、公平な心を準備すると申しております。

 ――ただし、甘いものへの欲を抑えることは難しいそうです。

 ――審査員としての資質については、引き続き観察が必要です。


 書き終えて、私は便箋を畳む前に、もう一度読み返した。


 怖がらなくていいとは、言われませんでした。


 だから、少し安心した。


 怖いままでも進める。

 嬉しいままでも立ち止まれる。


 そのどちらも許されるのなら、私はもう少しだけ、自分の気持ちを信じてみてもいいのかもしれない。


 私は丁寧に封を閉じた。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

怖がらなくていいと言われなかったことで、シャロンは少し安心できたようです。

次はベルフォール家での正式な席に向けて、少しずつ準備が進みます。

次回もよろしくお願いします。

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