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元跡継ぎ令嬢はお見合い結婚した騎士伯爵と恋をします  作者: 影道AIKA


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第6話 騎士伯爵は、焼き菓子で見抜かれる

読みに来てくださりありがとうございます。

今回はお見合い後のグランフェル家側のお話です。

セドリックと家族のやり取りを楽しんでいただけたら嬉しいです。


お見合いが終わり、ベルフォール子爵家の馬車が門の向こうへ消えていく。


 セドリック・グランフェルは、しばらくその場に立っていた。


 別に、名残惜しそうに見送っていたわけではない。

 そう自分では思っている。


 だが背後から、母の声がした。


「セドリック」


「はい、母上」


「いつまで門を見つめているの?」


 振り返ると、母アメリアがにこにこと微笑んでいた。


 その笑顔を見て、セドリックはわずかに背筋を伸ばす。


 母の笑顔には種類がある。


 客人に向ける穏やかな笑顔。

 家族に向ける柔らかな笑顔。

 そして、すべてを見抜いた上で何もかも聞き出すつもりの笑顔。


 今は、間違いなく三つ目だった。


「見送っていただけです」


「そう。見送るにしては、少し長かったわね」


「失礼にあたらないようにと」


「あら。ベルフォール家の馬車は、角を曲がってしばらく経っていたけれど」


「……そうでしたか」


「ええ。そうでした」


 アメリアは楽しそうに目を細めた。


 セドリックは咳払いをした。


 こういう時、剣の稽古ならまだいい。

 相手の太刀筋を読み、間合いを取り、必要なら受け流せる。


 だが母の言葉は、剣より鋭い。

 しかも受け流したつもりでも、いつの間にか懐に入られている。


「お父様もお待ちよ。中へ入りましょう」


「はい」


 セドリックは母とともに屋敷へ戻った。


 客間では、父ギルバートがすでに椅子に腰かけていた。

 寡黙で厳格な顔立ち。

 武門伯爵家の当主として、外では威圧感があるとよく言われる。


 しかし今、その手には焼き菓子があった。


 蜂蜜を使った、先ほどシャロン嬢にも出したものだ。


 セドリックは一瞬、視線を止めた。


「父上」


「何だ」


「それは、客人用では」


「客人は帰った」


「……はい」


 非常に正しい。

 正しいが、何か違う。


 アメリアは何も言わず、優雅に席へついた。

 そして皿の上に残っている焼き菓子を見て、ふふ、と笑う。


「今日はよく減ったわね」


「母上」


「何かしら」


「それは、シャロン嬢が召し上がった分もあります」


「もちろん知っているわ。でも、あなたも食べたでしょう?」


「一つだけです」


「本当に一つだけ?」


「……二つです」


 ギルバートが黙ってこちらを見た。


 セドリックはさらに姿勢を正す。


「会話の流れで」


「焼き菓子を二つ食べる流れとは、穏やかな見合いだったようだな」


 父の声は低い。

 だが責めているわけではない。


 むしろ、少しだけ面白がっているようにも聞こえる。


「彼女に見抜かれました」


 セドリックは正直に言った。


「甘いものが好きなことをか?」


「はい」


 アメリアが嬉しそうに手を合わせる。


「まあ。早いわね」


「母上、嬉しそうにしないでください」


「嬉しいわよ。あなた、外ではいつも『妹への土産です』『母への土産です』って言いながら買ってくるでしょう?」


「事実です」


「ええ、私たちの分もあるものね。あなたの分も必ずあるけれど」


「……」


「ちなみにエミリアもノエルも、とっくに知っているわ」


「存じています」


 そこは否定できない。


 以前、王都で評判の蜂蜜菓子を買って帰った時、エミリアに「兄様、母上へのお土産にしては自分の分を一番慎重に選びましたね」と言われた。


 ノエルには「兄上、甘いものを食べる時だけ表情が少し柔らかいです」と真顔で指摘された。


 家族というものは、時に騎士団の上官より容赦がない。


「それで」


 ギルバートが焼き菓子を皿へ置いた。


「シャロン嬢はどうだった」


 部屋の空気が、少しだけ改まる。


 セドリックは父と母を見た。


 お見合いは終わった。

 だが、結論を急ぐ場ではない。

 それはグランフェル家も、ベルフォール家も承知している。


 それでも、当人であるセドリックが何を感じたかは、きちんと伝えるべきだった。


「まっすぐな方でした」


 まず、そう答えた。


「まっすぐ?」


「はい。疑問を曖昧にせず、こちらへ投げてくる方です。自分の状況も、相手がどう見ているかも、真正面から確かめようとなさる」


 ギルバートは黙って聞いている。


 アメリアも、今度はからかう様子を消していた。


「彼女は、ご自身が跡継ぎでなくなったことも、婚約を解消されたことも、こちらが知っているか確認されました」


「当然ね」


 アメリアが静かに言った。


「そこで曖昧にする男なら、私でも願い下げだわ」


「母上なら、その場で帰らせそうですね」


「帰らせる前に、お茶の作法について少しだけ教えて差し上げるかもしれないわ」


「それは少しで済みますか」


「相手の理解力によるわね」


 セドリックは、わずかに口元を緩めた。


 シャロン嬢と母は、似ている。


 今日、そう思った。


 ただ柔らかく笑うだけではない。

 ただ礼儀正しいだけでもない。

 必要な時には、相手の逃げ道を塞いででも本質を問う。


 そして、誤魔化しを嫌う。


「扱いにくい方ではあると思います」


 セドリックは正直に続けた。


 アメリアの眉がぴくりと動く。


「あら」


「悪い意味ではありません」


「そうでしょうね。悪い意味なら、今すぐ焼き菓子を没収しているところよ」


「母上」


「続けなさい」


 セドリックは小さく息を吐いた。


「簡単に慰めれば、怒らせるでしょう。可哀想だと扱えば、二度とこちらを見てくださらないと思います。家の利だけを並べても、きっと切り捨てられる」


「よく見ているな」


 ギルバートが言った。


 セドリックは頷く。


「彼女は、ご自身の価値を他人に決められることに強い抵抗をお持ちです」


 言葉にしてから、胸の奥に小さな重みを感じた。


 街角で初めて会った時。

 今日、お見合いの場で向き合った時。


 シャロン嬢は強かった。


 声を荒らげず、泣き崩れず、皮肉を刃のように扱いながら、背筋を伸ばして立っていた。


 だがそれは、傷ついていないという意味ではない。


 むしろ、傷ついているからこそ、倒れまいとしているように見えた。


「守ってやりたいと思ったのか」


 ギルバートが静かに問うた。


 セドリックは少し考えた。


 守りたい。

 その言葉は近い。


 しかし、少し違う。


「いいえ」


 セドリックは首を横に振った。


「守られるだけの方ではありません」


 ギルバートの目が、わずかに細められた。


「では?」


「隣に立つなら、こちらも相応の覚悟がいる方だと思いました」


 口に出すと、その感覚がはっきりした。


 シャロン嬢を哀れむのは違う。

 助けてやるのも違う。

 何かを与えてやるという考え方自体が、きっと彼女には失礼なのだ。


 彼女はすでに、自分の足で立とうとしている。

 ただ、その立つ場所を奪われてしまっただけで。


「私は、彼女を知りたいと思いました」


 セドリックは言った。


「元跡継ぎ令嬢としてではなく、婚約を解消された令嬢としてでもなく。シャロン・ベルフォールという方が、何を見て、何を大切にしてきたのかを」


 しばらく沈黙が落ちた。


 最初に口を開いたのは、アメリアだった。


「いいわね」


「母上?」


「その答えなら、私は賛成よ」


 アメリアはにこりと笑う。


 けれどその目は、母ではなく伯爵夫人のものだった。


「ただし、セドリック。ひとつ覚えておきなさい」


「はい」


「尊重することと、踏み込まないことは同じではないわ」


 セドリックは言葉を止めた。


 母の声は柔らかい。

 だが、そこには確かな重みがあった。


「シャロン嬢は、きっと何でも大丈夫と言う方よ。大丈夫でなくても、大丈夫と言うわ。あなたがそれをそのまま受け取って引き下がり続けたら、彼女はいつまでも一人で立ってしまう」


 胸の奥を突かれた気がした。


 セドリックは、相手の意思を尊重することを大切にしてきた。

 特に結婚となれば、無理に距離を詰めるべきではないと思っている。


 だが、母の言葉は正しい。


 待つことは大事だ。

 しかし、待つことを言い訳にして何もしないなら、それは優しさではない。


「心得ておきます」


「ええ。あなた、真面目すぎるから心配なのよ」


「真面目なのは悪いことではないと思いますが」


「悪くはないわ。ただ、恋には少し不器用になるかもしれないわね」


「恋」


 思わず復唱してしまった。


 アメリアが、途端に楽しそうな顔になる。


「あら、違うの?」


「まだ、そういう段階ではありません」


「では、どの段階なのかしら」


「もう一度お話しする機会をいただいた段階です」


「まあ。審査が一回延長されたのね」


 セドリックは固まった。


「なぜそれを」


「顔に書いてあるわ」


「書いてありません」


「書いてあるのよ、母には」


 絶対に書いていない。


 だが母がそう言う時、たいてい家族は勝てない。


 ギルバートが低く笑った。


「悪くない」


「父上まで」


「相手が簡単に頷く令嬢でないなら、なおさら誠実に向き合え」


「はい」


「それから」


 ギルバートは皿の上の焼き菓子を一つ取り、セドリックの前へ置いた。


「次に会うなら、菓子の好みくらい隠さずに話せ」


 セドリックは、しばらく父を見た。


 それから、静かに頷く。


「努力します」


「努力が必要なのか」


 ギルバートの問いに、アメリアが楽しそうに笑った。


 セドリックは焼き菓子を見下ろす。


 蜂蜜の甘い香りがする。


 今日、シャロン嬢はこの菓子を一つ食べて、美味しいと言った。

 そして彼がそれを好きだと、あっさり見抜いた。


 鋭い人だ。

 気が強い。

 簡単に懐かない。

 きっと、こちらが半端な言葉を使えばすぐに見抜くだろう。


 それでも、もう一度話したいと思う。


 次は何を話せるだろうか。


 領地のことか。

 家族のことか。

 それとも、彼女がこれまで見てきたミルディアのことか。


 セドリックは焼き菓子を一つ手に取った。


 隠すつもりはなかった。

 ないはずだった。


 だが、母の視線を感じて、少しだけ動きが止まる。


「セドリック」


「はい」


「好きなら、好きと言っていいのよ」


 それが焼き菓子の話なのか。

 それとも、別の何かの話なのか。


 セドリックには、少しだけ判断がつかなかった。


 だから彼は、ひとまず焼き菓子を口にした。


「……美味しいです」


 アメリアは満足そうに笑った。


 ギルバートは何も言わず、もう一つ菓子を取った。


 グランフェル家の客間には、穏やかな沈黙が落ちる。


 その中でセドリックは、ふとシャロンの言葉を思い出していた。


 虚偽申告は減点です。


 次に会う時は、少なくとも焼き菓子については、正直に申告しよう。


 そんなことを真剣に考えている時点で、すでに少し調子を崩されているのだと、セドリック本人だけがまだ気づいていなかった。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

セドリックの甘いもの好きは、家族にはすっかり知られているようです。

シャロンとの距離も、少しずつですが次へ進んでいきます。

次回もよろしくお願いします。

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