第56話 内緒の手紙は、静かに届きます
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はベルフォール家側のお話です。
セドリックからの返事と、エミリアからフローラへの第一通目が届きます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
セドリック様からの返事は、思ったより早く届いた。
私は小サロンで、ハイレン領の市についてまとめた覚え書きを広げていた。
南門の荷車。
雨の日の別紙。
井戸横の空き樽。
時間帯別の人の流れ。
焼き菓子店の香りによる滞留。
最後の一項目だけ、見るたびに少し笑いそうになる。
けれど、実際に人の足を止めていたのだから、項目としては間違っていない。
間違っていないのに、なぜか悔しい。
「お姉様」
長椅子の端で刺繍をしていたリディアが、こちらを覗き込んだ。
「焼き菓子の項目を見て、また笑いそうになっていましたね」
「私を見ていないで刺繍をなさい」
「刺繍しながら見ています」
「器用ね」
「お姉様の妹ですから」
「そういう時だけ私を出さないで」
窓辺では、フローラが本を開いている。
けれど、頁があまり進んでいない。
何かを待っているような、そうでないような顔をしている。
ハイレン領から帰ってきてから、フローラは少しだけ変だ。
静かなのは元から。
けれど、時折ふっと何かを思い出すように目を伏せる。
書庫がよほど楽しかったのだろう。
それだけならよいのだけれど。
そこへ侍女が入ってきた。
「お嬢様方、グランフェル伯爵家よりお手紙が届いております」
盆の上には、封筒が二通あった。
一通は私宛て。
もう一通は、フローラ宛て。
私は一瞬、瞬きをした。
「フローラ宛て?」
「はい。エミリア・グランフェル様より、フローラお嬢様へ」
フローラの指が、膝の上でほんの少し動いた。
ほんの少し。
けれど、私は見逃さなかった。
「フローラ」
「はい」
「エミリア様から?」
「そのようです」
「知っていたの?」
「来るかもしれないとは思っていました」
「……ふうん」
かなり怪しい。
だが、フローラは静かな顔をしている。
リディアはもう目を輝かせていた。
「フローラ、すごいわ。エミリア様から直接お手紙なんて」
「先日、書庫で本の話をしましたので」
「本の話だけ?」
私が尋ねると、フローラは迷いなく答えた。
「主に本の話です」
「主に」
「地図と橋の話も含みます」
「そう」
答えとしては間違っていないのだろう。
けれど、すべてではない気がする。
私は少しだけ目を細めたが、ひとまず自分宛ての封筒を手に取った。
グランフェル家の封蝋。
セドリック様の字。
見慣れてきたはずなのに、まだ胸が静かに揺れる。
封を切ると、丁寧な書き出しが目に入った。
ハイレン領での時間を楽しかったと書いたことを、何より嬉しく思っていること。
また来たいという言葉を、大切に受け取ったこと。
そして。
――虚偽申告ではないとのことですので、私も真面目に信じます。
――次にお越しいただける日を、今から楽しみにしております。
私は便箋を持ったまま、動きを止めた。
真面目に信じます。
この方は、本当に。
本当に、こちらの言葉をひとつずつ受け取る。
軽く流してくれればよいのに。
いや、流されたら流されたで、きっと私は傷つく。
だから困る。
大切にされることに、まだ慣れていない。
「お姉様?」
リディアが小声で呼ぶ。
「何?」
「顔が赤いです」
「赤くないわ」
「少し赤いです」
「移動の疲れが残っているだけよ」
「帰ってきてから二日経っています」
「細かいわね」
リディアはにこにことしている。
フローラは封筒を膝に置いたまま、まだ開けていない。
私の反応を見ているのか、自分の手紙を開ける心の準備をしているのか。
どちらにしても、怪しい。
私は手紙の続きを読んだ。
ノエル様が、私の言葉に励まされていること。
雨の日の別紙を作ると張り切っていること。
無理なく続けるよう、セドリック様も見守るつもりであること。
そこには、ノエル様の成長を喜ぶ気持ちがにじんでいた。
私は少しだけ微笑んだ。
「ノエル様、雨の日の別紙を作るそうよ」
「真面目ですね」
フローラが言った。
「ええ。でも、良い方向だと思うわ。毎日の記録を増やすより、条件が違う日だけ別に取る方が現場にも合っている」
「お姉様、楽しそうです」
リディアが言う。
「市の話だからよ」
「それだけでしょうか」
「それだけよ」
リディアは信じていない顔をした。
私は視線を手紙へ戻す。
追伸には、蜂蜜の焼き菓子の情勢について書かれていた。
――蜂蜜の焼き菓子の王座側が有利との報告、承知しました。
――ただし、臣下候補もまだ成長の余地がありますので、今後の情勢変化にご注意ください。
「リディア」
「はい」
「臣下候補には、まだ成長の余地があるそうよ」
リディアは真剣な顔になった。
「それは油断できませんね」
「なぜあなたが油断する側なの」
「私は中立審査員ですので」
「味次第で陣営を変える中立ね」
「公平です」
「便利な公平ね」
母がちょうど小サロンへ入ってきて、そのやり取りを聞いて笑った。
「楽しそうね」
「お母様、グランフェル家からお手紙が来ました」
リディアが報告する。
「まあ。シャロンだけでなく、フローラにも?」
母の目がフローラへ向いた。
フローラは静かに頷く。
「エミリア様から、書庫でお話しした本についての補足を送ってくださったようです」
「まだ開けていないのに?」
私が言うと、フローラは封筒を見下ろした。
「おそらく、です」
「おそらく」
「エミリア様なら、そうなさると思いました」
母は柔らかく微笑んだ。
「よいお友達になれそうね」
「はい」
フローラは迷わず答えた。
その声が、思ったよりも少し嬉しそうで。
私は追及するのをやめた。
フローラが自分で得たつながりだ。
私が必要以上に構えることではない。
……たぶん。
しばらくして、私とリディアが市の覚え書きを見直している間、フローラは少し離れた窓辺で封を切った。
私の位置からは中身までは見えない。
けれど、フローラの表情がわずかに変わったのはわかった。
嬉しそう。
いや、フローラなりにかなり嬉しそう。
彼女は便箋を静かに読み進める。
時折、目が止まる。
そして、口元がほんの少しだけ緩む。
リディアが私の袖を引いた。
「お姉様」
「何」
「フローラ、かなり嬉しそうですね」
「ええ」
「追及しますか?」
「しないわ」
「珍しい」
「必要なら本人が言うでしょう」
「お姉様、大人です」
「私は元から大人よ」
「そういう意味ではありません」
リディアは小さく笑った。
フローラはその後、便箋を丁寧に畳み直した。
そして、本の間に挟もうとして、ふとこちらを見た。
見られていたことに気づいたのだろう。
「お姉様」
「何かしら」
「エミリア様が、『北方街道記』の余白にあった書き込みを三つほど教えてくださいました」
「三つほど」
「はい」
「本当はもっとありそうね」
「あります」
即答だった。
私は少し笑ってしまった。
「よかったわね」
そう言うと、フローラは一瞬だけ目を伏せた。
「はい。とても」
それ以上は聞かなかった。
夕方、私はセドリック様への返事を書いた。
まずは、手紙への礼。
――また来たいという言葉を真面目に信じてくださると書いていただき、少し困りました。
――ですが、撤回するつもりはありません。
――本当に、また伺えたら嬉しいと思っております。
書いた瞬間、顔が熱くなる。
また書いてしまった。
けれど、これはもう仕方がない。
虚偽申告ではないのだから。
続けて、ノエル様のことを書く。
――雨の日の別紙の案は、とても良いと思います。
――ただし、最初から細かくしすぎず、雨の日に目立った停滞場所を簡単に印で残す程度でも十分かと存じます。
――ノエル様が無理なく続けられる形が、最も良い記録になると思います。
ここは、きちんと伝えたい。
ノエル様が張り切りすぎて、かえって負担を増やしてしまわないように。
そして、少し迷ってからフローラのことにも触れた。
――エミリア様からフローラ宛てにもお手紙をいただきました。
――フローラは大変嬉しそうにしておりました。
――書庫でよい時間を過ごせたようで、姉としてもありがたく思っております。
内緒の協定があるなど、私はまだ知らない。
最後に追伸。
――蜂蜜の焼き菓子の臣下候補について、リディアは中立審査員を名乗り始めました。
――ただし、公平性にはやや疑問があります。
書き終えて、私は少しだけ笑った。
一方、同じ頃。
フローラは自室で、小さな便箋を広げていた。
エミリア様からの手紙は、机の端に丁寧に置いてある。
『北方街道記』の余白の書き込み。
橋梁修繕覚書の補足。
そして、最後に小さく書かれていた一文。
――静かな協定、第一通目です。
フローラはその一文を見た時、思わず笑ってしまった。
とても小さく。
けれど、確かに。
彼女は筆を取り、返事を書き始める。
――エミリア様へ。
――静かな協定、確かに受け取りました。
――『西辺境紀行』について、まずは三点だけお伝えします。
三点だけ。
本当は五点ある。
けれど、最初から多すぎるのはよくない。
たぶん。
フローラは少し考えてから、四点目も書いた。
「……必要事項です」
誰に言うでもなく呟く。
内緒の手紙は、静かに届きます。
そして、静かな協定は、思ったより早く育ち始めていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
シャロンとセドリックの手紙も進みつつ、エミリアとフローラの静かな協定も動き始めました。
次回もよろしくお願いします。




