第55話 虚偽申告ではないと言われました
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はグランフェル家側のお話です。
シャロンからの礼状を受け取って、それぞれがハイレン領訪問の余韻を感じます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
シャロン嬢からの手紙が届いたのは、ベルフォール家の令嬢方を見送ってから二日後のことだった。
セドリックは小書斎で、市の確認事項をまとめた紙を見直していた。
南門から広場へ向かう荷車の流れ。
雨の日だけ別紙にする記録案。
井戸横の空き樽。
布商人の通りと食料品の通りの時間帯差。
そして、焼き菓子店の香りによる滞留。
最後の項目は、どう見ても柔らかすぎる表現だったが、実際に人の流れを止めていたのだから仕方がない。
ノエルはその件についても、真面目に記録を残していた。
――香りによる足止め。買う者、見る者、迷う者あり。
その書き方が妙に的確で、セドリックは少し笑ってしまった。
そこへ、使用人が手紙を届けた。
「ベルフォール子爵家より、お手紙でございます」
封筒を受け取った瞬間、セドリックは背筋を伸ばした。
ベルフォール家の封蝋。
正式な礼状は父ギルバート宛てに届いている。
これは、シャロン嬢から自分宛てのものだった。
封を切る手が、自然と慎重になる。
書き出しは丁寧だった。
ハイレン領へ招いたことへの礼。
グランフェル家で温かく迎えられたこと。
妹君たちも楽しく過ごしたこと。
そこまでは、落ち着いて読めた。
次に、市のことが書かれていた。
確認事項はすぐに結論にせず、ノエルの記録表と照らし合わせながら改めて整理したい。
ノエルの記録は、やはり良いものだと感じた。
セドリックはその一文を、自然ともう一度読み返した。
ノエルに伝えなければ。
そう思った時点で、すでに少し嬉しかった。
だが、続く数行で、セドリックの手は止まった。
――市も、庭も、焼き菓子も、どれも楽しかったです。
――ただ歩く練習はまだ上手ではありませんが、セドリック様が隣にいてくださったので、少しだけできた気がします。
胸の奥が、静かに熱くなる。
楽しかった。
隣にいてくださったので。
少しだけできた気がします。
どれも、シャロン嬢が簡単に書く言葉ではない。
セドリックは息を吐き、さらに読み進めた。
――また来たいと申し上げたことは、虚偽申告ではありません。
――本当に、そう思いました。
「……虚偽申告ではありません、か」
声に出した瞬間、どうしようもなく頬が緩んだ。
彼女らしい。
とても彼女らしいのに、これ以上なく素直な言葉だった。
また来たい。
本当に、そう思った。
その気持ちを、彼女は自分の言い方で差し出してくれたのだ。
「兄様」
扉の外から、エミリアの声がした。
「入ってもよろしいですか?」
「ああ」
入ってきたエミリアは、セドリックの顔を見た瞬間、少し目を細めた。
「シャロン様からですね」
「なぜわかる」
「兄様のお顔です」
「最近、そればかりだな」
「わかりやすいので」
エミリアは悪びれなかった。
「良いことが書いてありましたか?」
「……ああ」
セドリックは便箋へ視線を落とした。
「ハイレン領で過ごした時間が楽しかったと。市も、庭も、焼き菓子も」
「焼き菓子も入っているのですね」
「入っている」
「リディア様がお喜びになりそうです」
「すでに評価が続いているらしい」
追伸には、リディア嬢が帰りの馬車でも焼き菓子の評価を続けていたこと、王座側にかなり有利な情勢だと書かれていた。
エミリアは楽しそうに笑った。
「リディア様らしいです」
「ああ」
「それで、兄様が一番嬉しかったのは?」
セドリックは一瞬黙った。
妹の問いは容赦がない。
「また来たいとおっしゃってくださったことだ」
結局、正直に答える。
エミリアの表情が柔らかくなった。
「よかったですね」
「ああ」
「本当に、よかったです」
その言葉に、セドリックは静かに頷いた。
しばらくして、ノエルも小書斎へ呼ばれた。
ノエルは記録表の束を抱えたまま、少し緊張した顔で入ってきた。
「兄上、何か不備がありましたか」
「不備ではない」
「では」
「シャロン嬢から、記録表について言葉をいただいた」
ノエルの肩がわずかに強張る。
「何と……?」
「ノエルの記録は、やはり良いものだと感じたそうだ。確認事項は、すぐに結論にせず、お前の記録表と照らし合わせながら整理したい、と」
ノエルは目を伏せた。
しばらく、何も言わない。
だが、その沈黙は不安のものではなかった。
受け取っている沈黙だった。
「私の記録を、また見てくださるのですね」
「ああ」
「続けても、よいのでしょうか」
「続けたいのだろう」
ノエルは記録表を抱える手に力を込めた。
「はい。続けたいです」
その声は、以前よりずっとはっきりしていた。
エミリアが嬉しそうに微笑む。
「ノエル、良かったですね」
「はい」
「では、雨の日の別紙も作るのですか?」
「作ります。ただ、項目を増やしすぎないようにします」
「シャロン様に褒められそうですね」
「褒められるためではありません」
ノエルは真面目に言った。
けれど、少しだけ頬が赤い。
「でも、良い形にしたいです」
セドリックはその横顔を見て、静かに嬉しくなった。
役に立たなければならないからではない。
自分が面白いと思い、続けたいと思えるから。
ノエルがそう思えるようになったのなら、それは大きな一歩だった。
その日の夕方、正式な礼状を読んだギルバートとアメリアも、小サロンで訪問の余韻を話していた。
「ベルフォール子爵からも、丁寧な礼が来ている」
ギルバートが言った。
「娘たちが良い時間を過ごしたようだ、とある」
「それは何よりですわ」
アメリアが微笑む。
「シャロン嬢は、無理をしすぎていなかったかしら」
「多少はしていただろう」
ギルバートは淡々と答えた。
「だが、止まることも覚え始めているように見えた」
セドリックは頷いた。
「はい」
「お前も、止めすぎるなよ」
「はい」
「だが、止めるべき時は止めろ」
「……難しいですね」
「だから加減だ」
父は簡潔だった。
アメリアは楽しそうに笑う。
「でも、良い加減だったと思いますよ。シャロン嬢、庭ではとても柔らかいお顔をしていたもの」
セドリックは少しだけ視線を落とした。
あの時のことを思い出す。
楽しかった。
また来たい。
そう言ってくれたシャロン嬢の顔は、今でも胸の奥に残っている。
「ところで、エミリア」
アメリアが娘へ視線を向けた。
「フローラ嬢とは、ずいぶん気が合ったようね」
「はい」
エミリアはにこりと笑った。
「本のお話をたくさんしました」
「それだけ?」
「地図と橋のお話もしました」
「そう」
母は微笑んだままだった。
セドリックは、母も何かに気づいているのではないかと思った。
エミリアの笑顔が、少しだけ完璧すぎる。
だがアメリアは、それ以上追及しなかった。
「良いお友達になれるといいわね」
その言葉に、エミリアの目が本当に嬉しそうに輝いた。
「はい」
その夜、エミリアは自室で小さな便箋を広げていた。
兄には、まだ言っていない。
シャロンにも、もちろん伝わっていないだろう。
けれど、これは悪い秘密ではない。
書名交換のための、静かな協定。
エミリアは少し考え、最初の一文を書いた。
――フローラ様へ。
――先日は、書庫でご一緒できて大変嬉しく思いました。
――お約束通り、『北方街道記』の余白にあった書き込みについて、まず三つほど抜き出します。
そこまで書いて、自然に笑みがこぼれた。
三つほど。
本当は七つ書きたい。
けれど、最初から多すぎると、フローラに笑われるかもしれない。
いや、きっと笑わずに受け取ってくれる。
そして、さらに細かい感想を返してくれる。
そう思うだけで、胸が弾んだ。
一方、セドリックは自室でシャロン嬢への返事を書いていた。
便箋の前で、しばらく手が止まる。
言いたいことは多い。
来てくれて嬉しかった。
楽しかったと言ってくれて嬉しかった。
また来たいという言葉を、大切に受け取った。
ノエルが前を向いた。
ハイレン領が、彼女にとって少しでも安心できる場所になったのなら嬉しい。
けれど、全部を急いで書きすぎると、重くなる。
セドリックは静かに息を吐き、筆を取った。
――お手紙をありがとうございました。
――ハイレン領での時間を楽しかったと書いてくださったこと、何より嬉しく思っております。
そこまで書いて、一度止まる。
そして、あの言葉への返事を書く。
――また来たい、というお言葉を大切に受け取りました。
――虚偽申告ではないとのことですので、私も真面目に信じます。
――次にお越しいただける日を、今から楽しみにしております。
書き終えた瞬間、胸の奥が温かくなった。
少し素直すぎるかもしれない。
だが、シャロン嬢も素直に書いてくれたのだ。
なら、自分も返してよいはずだ。
さらに、ノエルのことを添える。
――ノエルは、シャロン嬢のお言葉に大変励まされております。
――雨の日の別紙を作ると、すでに張り切っております。
――無理なく続けることを、私からも見守ります。
追伸には、もちろん焼き菓子のことを書く。
――蜂蜜の焼き菓子の王座側が有利との報告、承知しました。
――ただし、臣下候補もまだ成長の余地がありますので、今後の情勢変化にご注意ください。
封をする前に、セドリックはもう一度文面を読み返した。
虚偽申告ではないと言われました。
だから、自分も信じる。
また来たいという彼女の言葉を。
楽しかったという彼女の気持ちを。
そして、この先も少しずつ進んでいけるという予感を。
セドリックは丁寧に封を閉じた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
シャロンの「また来たい」は、やはりセドリックに大きく届いたようです。
エミリアとフローラの静かな協定も、少しずつ動き始めました。
次回もよろしくお願いします。




