第50話 蜂蜜の臣下候補は、なかなか手強いです
読みに来てくださりありがとうございます。
今回は歓迎の夕食と、蜂蜜の焼き菓子のお話です。
シャロンが少しずつ、客人として楽しむ時間を受け取っていきます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
書庫から戻ったフローラは、妙に静かだった。
普段から静かではある。
けれど、今日の静けさは少し違う。
胸の内に何かをしまい込み、それを大事に抱えているような顔をしていた。
「フローラ」
私が声をかけると、フローラはすぐにこちらを向いた。
「はい」
「楽しかった?」
「はい」
即答だった。
「かなり?」
「かなり」
その返事の早さに、私は少しだけ目を細めた。
隣ではエミリア様が、淑やかに微笑んでいる。
あまりにも綺麗な微笑みで、逆に少し怪しい。
「……何か、私に報告すべきことはあるかしら」
「書庫が素晴らしかったです」
「それは聞かなくてもわかるわ」
「橋梁修繕覚書が面白かったです」
「あなた、本当に何を読んでいたの」
フローラは真面目な顔で言った。
「橋です」
「それは題名からわかるわ」
エミリア様が口元に手を当てて、小さく笑った。
その笑い方が、フローラと少し通じ合っているように見える。
……まあ、いい。
悪いことではないのだろう。
むしろ、フローラがこうして楽しそうにしているなら、それは喜ぶべきことだ。
夕食は、形式ばりすぎず、それでいて丁寧なものだった。
ギルバート様は寡黙だが、必要な時には短く言葉を添えてくださる。
アメリア様は、こちらが緊張しすぎないように、柔らかく話題をつないでくださった。
リディアは最初こそ背筋を伸ばしていたが、アメリア様にハイレン領の季節の花の話を振られると、少しずついつもの明るさを取り戻した。
「ハイレン領の庭は、色が穏やかで素敵ですね」
「ありがとう。派手さはないけれど、長く見ていられる庭にしたくて」
「わかります。お姉様も、落ち着く庭だと申しておりました」
「リディア」
私はすぐに止めた。
アメリア様が楽しそうに私を見る。
「まあ。そう言っていただけたの?」
「……はい。とても落ち着く庭だと思いました」
言ってから、少し恥ずかしくなる。
けれど、アメリア様は本当に嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。明日、朝の光の中でもぜひ見てくださいね」
「はい」
ただ見る。
その言葉を思い出す。
私は明日、市を見る。
けれど、その前に朝の庭を見るのも悪くないのかもしれない。
食後、小サロンへ移ると、いよいよリディアがそわそわし始めた。
本人は隠しているつもりなのだろう。
けれど、視線が菓子皿の方へ向かう頻度が高すぎる。
セドリック様がそれに気づき、少しだけ口元を緩めた。
「リディア嬢」
「はい」
「蜂蜜の焼き菓子の臣下候補を、いくつか用意しております」
リディアの顔がぱっと明るくなった。
「ありがとうございます!」
「リディア」
「お姉様、声は抑えました」
「表情が抑えられていないわ」
「表情は難しいです」
堂々と言われてしまった。
小卓に並べられたのは、三種類の小さな焼き菓子だった。
一つは、薄く焼いた蜂蜜と木の実の菓子。
一つは、香辛料をほんの少し効かせた柔らかい菓子。
もう一つは、外側を香ばしく焼き、中に蜂蜜を含ませたもの。
リディアは真剣な顔になった。
「これは……重要な審査ですね」
「正式な訪問中よ」
「はい。正式に審査します」
「そういう意味ではないわ」
ギルバート様が、静かに菓子皿を見た。
「王座を支える臣下候補なのだろう」
私は一瞬、言葉を失った。
セドリック様も、わずかに目を瞬いた。
アメリア様は口元を押さえている。
「父上まで」
セドリック様が小さく呟く。
ギルバート様は真面目な顔のままだった。
「客人を迎える茶菓子は重要だ」
「……はい」
セドリック様が折れた。
リディアはますます真剣になった。
一口目。
木の実の香ばしさに、目を輝かせる。
「香ばしさは強いです。ですが、王座を支えるには少し軽やかすぎるかもしれませんね」
二口目。
香辛料入りの菓子を食べて、少し考え込む。
「これは大人の臣下ですね」
「臣下に年齢があるの?」
私が尋ねると、リディアは真顔で頷いた。
「あります」
「あるのね」
三口目。
中に蜂蜜を含ませた菓子を食べた瞬間、リディアは黙った。
その沈黙に、全員が少し注目する。
「……これは」
「リディア?」
「強いです」
リディアは厳かに言った。
「王座を狙えるほどではありません。けれど、臣下としてはかなり有能です」
セドリック様が真面目に頷いた。
「なるほど」
「甘さがしっかりしているのに、外側が香ばしいので重くなりすぎません。王の隣に置くには良い均衡です」
「リディア嬢、評価が具体的だな」
セドリック様が感心したように言う。
リディアは嬉しそうに笑った。
「美味しいものには誠実でありたいので」
「あなた、時々本当に堂々としているわね」
「お姉様の妹ですから!」
「そこで私を出さないで」
小サロンに笑いが広がる。
その空気は、思っていたよりもずっと柔らかかった。
私は菓子を一つ手に取り、口に運んだ。
外側は香ばしく、中から蜂蜜の甘さが広がる。
「……確かに、これは良い臣下候補ですね」
思わず言うと、セドリック様がこちらを見る。
「虚偽申告ではありませんか」
「違います」
「承知しました」
「ただし、王座を脅かすにはまだ一歩足りません」
「厳正な評価ですね」
「当然です」
そう答えた後で、私はふと気づいた。
楽しんでいる。
私は今、ただ菓子を食べて、笑って、くだらないようで妙に真剣な話を楽しんでいる。
役に立つためではない。
正しい答えを出すためでもない。
ただ、この場にいる。
それに気づいて、胸の奥が少し温かくなった。
セドリック様は、そんな私を見ていた。
目が合うと、彼は何も言わずに微笑む。
その沈黙が、なぜか「できていますよ」と言われているようで、私は少しだけ視線を逸らした。
夜が更ける前に、明日の予定が確認された。
朝食後、市へ向かう。
混雑が始まる前から人の流れを見る。
ノエル様も、少し離れて同行する。
ノエル様は緊張しながらも、きちんと頷いた。
「明日は、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。記録表の作り手の視点を伺えるのを楽しみにしています」
私がそう言うと、ノエル様は少し驚いた後、小さく頷いた。
「はい。できる範囲で、お話しします」
「十分ですよ」
短いやり取りだった。
けれど、彼の緊張が少しだけ和らいだように見えた。
部屋へ戻る前、セドリック様が廊下で声をかけてくれた。
「シャロン嬢」
「はい」
「今日は、お疲れではありませんか」
「少し疲れています」
今度は、すぐに正直に答えた。
セドリック様の表情が柔らかくなる。
「それなら、よく休んでください」
「はい」
「それから」
「何でしょう」
「今日のただ歩く練習と、焼き菓子の審査は、かなり良い評価だと思います」
私は瞬いた。
「焼き菓子の審査まで含むのですか」
「楽しむ練習としては、重要かと」
「……なるほど」
反論しようとして、やめた。
確かに、今日は少し楽しめた。
「では、明日も加減をお願いします」
「承知しました」
「強く止めると反論します」
「覚えております」
「本当に重要事項として扱っているのですね」
「はい」
真面目に返されて、また笑いそうになる。
「おやすみなさい、セドリック様」
「おやすみなさい、シャロン嬢」
部屋へ戻ると、窓の外には夜の庭が静かに広がっていた。
明日は市を見る。
きっと私は、また確認事項を探してしまう。
役に立とうとしてしまう。
けれど今日、私は少しだけ知った。
ただ歩くこと。
ただ食べて笑うこと。
ただ迎えられること。
それらは、思ったより難しくて。
けれど、思ったより悪くない。
蜂蜜の臣下候補は、なかなか手強いです。
そして、楽しい時間というものも、意外と手強いのだと私は思った。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
リディアの焼き菓子審査も入りつつ、ハイレン領での夜が穏やかに進みました。
次回はいよいよ、市を実際に見に行きます。
次回もよろしくお願いします。




