第47話 迎える朝は、いつもより少し早く始まります
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はグランフェル家側のお話です。
いよいよシャロンたちがハイレン領へ到着し、グランフェル家との正式な訪問が始まります。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
ハイレン領へベルフォール家の令嬢方を迎える日の朝、セドリックはいつもより早く目を覚ました。
まだ夜明けの気配が薄く残る時間だった。
窓の外には、静かな領都の屋根が並んでいる。
遠くの市場通りでは、すでにいくつかの店が準備を始めているらしく、荷車の車輪が石畳を転がる音がかすかに聞こえた。
今日、シャロン嬢がこの場所へ来る。
自分が生まれ育った領地を、彼女が見る。
そう思うだけで、胸の奥が落ち着かなくなった。
「……早いな」
支度を整えて廊下へ出ると、父ギルバートに声をかけられた。
「父上こそ」
「客を迎える日だ」
「私も同じです」
父はセドリックを見た。
その目はいつも通り静かだったが、どこか見透かされている気がする。
「緊張しているな」
「していません」
「そうか」
父は短く言った。
否定された気配はない。
だが、信じられた気配もない。
セドリックは少しだけ咳払いをした。
「……多少は」
「多少か」
「はい」
「なら、よい」
ギルバートはそう言って歩き出した。
セドリックは隣を歩く。
廊下には、すでに使用人たちが行き交っていた。
客室の最終確認。
茶器の準備。
馬車を迎えるための門前の整え。
庭園の小道の掃き清め。
家全体が、静かに動いている。
その様子を見て、セドリックは改めて背筋を伸ばした。
これは、ただの私的な訪問ではない。
グランフェル伯爵家が、ベルフォール子爵家の令嬢方を迎える正式な場だ。
同時に。
シャロン嬢を、自分の大切な場所へ迎える日でもある。
その二つを、どちらも軽く扱ってはいけない。
朝食の席では、エミリアが明らかに落ち着かなかった。
いつもなら食事の前に本を開くことは控えるのに、今日は膝の上に小さな紙束を置いている。
「エミリア」
アメリアが穏やかに呼んだ。
「はい、母上」
「それは何かしら」
「書庫案内の順番です」
「朝食の席に持ち込むほど大事なのね」
「はい」
即答だった。
セドリックは少しだけ口元を緩めた。
「フローラ嬢に見せる本は決まったのではなかったか」
「決まりました。ですが、順番が重要です」
「順番」
「最初から補給記録では重いかもしれませんので、旅行記から入り、領地史へ進み、興味がありそうなら橋梁修繕覚書へ」
「かなり本気だな」
「書庫ですので」
その一言に、アメリアが笑った。
「フローラ嬢と気が合いそうね」
「はい。私もそう思います」
エミリアは少し誇らしそうだった。
ノエルはその隣で、静かに食事をしている。
だが、明らかにいつもより口数が少ない。
「ノエル」
セドリックが呼ぶと、弟はすぐに顔を上げた。
「はい」
「挨拶は覚えているか」
「はい」
「今ここで言わなくていい」
「……はい」
ノエルは一瞬、本当に言おうとしていたらしい。
エミリアが小さく笑う。
「ノエル、大丈夫よ。練習通りでなくても、きちんと気持ちを伝えれば」
「練習通りでないと、余計に混乱します」
「では、半分くらい練習通りに」
「半分」
ノエルは真剣に考え込んだ。
セドリックは苦笑した。
「無理に整えなくていい。シャロン嬢は、短くて十分だと書いてくださった」
「はい」
「それに、お前が作った記録表について、礼を言いたいとも」
ノエルは視線を落とした。
「それが、まだ不思議です」
「不思議か」
「はい。私はただ、自分にできそうなことを形にしただけです」
「それが役に立っている」
父ギルバートが静かに言った。
ノエルの肩がわずかに動いた。
「はい」
「なら、受け取りなさい」
「……はい」
ノエルは小さく頷いた。
その返事は緊張していたが、逃げてはいなかった。
朝食後、セドリックは庭園と玄関広間を確認した。
庭園の小道には、朝露がまだわずかに残っている。
季節の花は派手すぎず、穏やかに咲いていた。
シャロン嬢は、こういう庭をどう見るだろう。
花の配置を見るだろうか。
人の歩く流れを見るだろうか。
それとも、ただ綺麗だと思ってくれるだろうか。
ただ見る時間。
彼女がそれを試してみたいと書いてくれたことを思い出す。
その時、自分は隣にいたい。
急がず、けれど置いていかずに。
言葉にした以上、きちんと守りたい。
「セドリック」
母アメリアが庭園の入口に立っていた。
「母上」
「お部屋の準備は整ったわ。シャロン嬢のお部屋は、庭の見える部屋にしてあるの」
「ありがとうございます」
「リディア嬢のお部屋は隣。フローラ嬢のお部屋は廊下を挟んで向かいにしたわ。書庫に近すぎると危険でしょう?」
「危険」
「夜に本を探しに行きたくなるかもしれないもの」
「あり得ますね」
セドリックは真面目に頷いた。
まだ一度しか会っていないフローラ嬢だが、その可能性は否定できない。
アメリアはくすりと笑った。
「あなたも、少しわかってきたのね」
「そうでしょうか」
「ええ。ベルフォール家の方々のことを考える顔になっているわ」
セドリックは返事に迷った。
母は続ける。
「大事に迎えましょうね」
「はい」
「でも、構えすぎないこと。あちらも緊張しているでしょうから」
「心得ます」
「特にシャロン嬢は、きっときちんとしようとするわ」
「はい」
「だから、あなたまできちんとしすぎると、二人で固くなってしまうかもしれないわよ」
それは困る。
セドリックは少し考えた。
「では、どうすれば」
「少し笑えばいいの」
「笑う」
「ええ。無理に面白いことを言わなくてもいいのよ。ただ、来てくれて嬉しいという顔をすること」
来てくれて嬉しいという顔。
それなら、できる気がした。
いや。
隠そうとしなければ、自然にそうなるはずだ。
昼前、見張りの者から馬車が近づいているとの知らせが入った。
玄関広間に、グランフェル家の面々が揃う。
父ギルバート。
母アメリア。
セドリック。
エミリア。
少し後ろにノエル。
ノエルは緊張しているが、姿勢は崩れていない。
エミリアは明るい表情を保とうとしているが、目が玄関扉の方へ何度も向いている。
セドリック自身も、落ち着いているとは言いがたかった。
馬車の音が近づく。
車輪が止まる。
扉が開かれる音。
セドリックは一歩前へ出た。
最初に降り立ったのは、護衛に続いてリディア嬢だった。
明るい色を抑えた旅装だが、その表情は華やかだった。
次にフローラ嬢。
静かな色合いの装いで、手には小さな本を抱えている。
そして最後に、シャロン嬢が馬車から降りた。
銀の髪が、昼の光を受けて柔らかく光る。
旅装は華美ではない。
けれど、きちんと整えられた姿は凛としていて、どこか目を離しがたかった。
彼女は玄関前に立つと、まっすぐこちらを見た。
「グランフェル伯爵閣下、奥様。本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」
シャロン嬢が丁寧に礼を取る。
続いてリディア嬢とフローラ嬢も挨拶をした。
ギルバートが静かに頷く。
「遠路、よくお越しくださいました。ハイレン領へようこそ」
アメリアが柔らかく微笑む。
「お待ちしておりましたわ。移動でお疲れでしょう。まずは中へお入りください」
「ありがとうございます」
シャロン嬢の声は落ち着いている。
だが、セドリックにはわかった。
少し緊張している。
背筋が伸びすぎている。
指先がわずかに揃いすぎている。
だから、セドリックは母の言葉を思い出した。
来てくれて嬉しいという顔をすること。
「シャロン嬢」
彼女がこちらを向く。
「ハイレン領へようこそ。お越しいただけて、本当に嬉しく思います」
そう言うと、シャロン嬢の瞳がわずかに揺れた。
ほんの少しだけ、表情が柔らかくなる。
「……ありがとうございます、セドリック様」
その一言に、胸の奥が静かに熱くなった。
リディア嬢が横でにこにことしている。
フローラ嬢は静かにこちらを見ていた。
エミリアが一歩前に出る。
「リディア様、フローラ様。本日はお越しいただきありがとうございます」
「こちらこそ、お招きありがとうございます。エミリア様」
リディア嬢が明るく礼を返す。
フローラ嬢も静かに頭を下げた。
「書庫のご案内を楽しみにしております」
早い。
セドリックは思わず目を瞬いた。
エミリアの目も輝く。
「はい。私も、とても楽しみにしておりました」
この二人は、きっと後で書庫に入ったら長い。
そう確信した。
その時、セドリックはノエルが少し緊張しているのに気づいた。
予定では、ノエルの紹介は中へ入って落ち着いてからでもよかった。
だが、今なら短く挨拶できそうだった。
セドリックは視線で父へ確認する。
ギルバートが小さく頷いた。
「シャロン嬢」
セドリックは静かに言った。
「弟のノエルです」
ノエルが一歩前へ出る。
顔は緊張していたが、しっかりと礼を取った。
「ノエル・グランフェルと申します。記録表につきまして、丁寧なお言葉をいただき、ありがとうございました」
短い。
けれど、きちんとしていた。
シャロン嬢は、少し表情を和らげた。
「シャロン・ベルフォールです。こちらこそ、良い記録表を拝見しました。実際の市を見る時に、作られた方のお考えを伺えるのを楽しみにしております」
ノエルの目が、わずかに大きくなる。
「はい。どうぞ、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
それだけのやり取りだった。
だが、ノエルの肩から力が少し抜けたのがわかった。
セドリックは内心で安堵する。
第一歩としては十分だった。
「では、中へ」
アメリアが促す。
玄関広間から屋敷の中へ入ると、リディア嬢が小さく周囲を見回した。
「とても落ち着いたお屋敷ですね」
「ありがとうございます」
アメリアが微笑む。
「後ほど、庭園もご案内しますわ」
「楽しみです」
フローラ嬢は静かに壁の装飾を見ていた。
視線の先には、古い領地図が飾られている。
「フローラ嬢」
セドリックが声をかけると、彼女はすぐにこちらを向いた。
「はい」
「それは祖父の代に作られたハイレン領の古い地図です。今の街道とは少し違います」
「後ほど、拝見してもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
エミリアがすかさず言った。
「書庫にも、古い地図がございます」
「それはぜひ」
フローラ嬢の返事が早い。
リディア嬢が小さく笑った。
「フローラ、到着してすぐ地図と書庫なのね」
「大事ですので」
やはり。
セドリックは笑いをこらえた。
シャロン嬢も、ほんの少しだけ口元を緩めている。
その表情を見て、セドリックは思った。
よかった。
まだ緊張はある。
正式な挨拶も、これからの案内も、気を抜けない。
けれど、最初の空気は悪くない。
歓迎は、届いているだろうか。
そう思っていると、シャロン嬢がふとこちらを見た。
「セドリック様」
「はい」
「……来る前は少し緊張していましたが」
彼女は小さく息を吸った。
「今は、少し安心しました」
その言葉に、セドリックは胸の奥を強く打たれた。
安心。
彼女がまた、その言葉を使ってくれた。
「そう言っていただけて、私も安心しました」
セドリックが答えると、シャロン嬢は少しだけ目を逸らした。
「虚偽申告ではありません」
「承知しております」
「そこは真面目に受け取るのですね」
「はい」
リディア嬢が横で何か言いたそうにしている。
フローラ嬢も静かに見ている。
エミリアは完全に楽しそうだ。
セドリックは少し咳払いをした。
だが、シャロン嬢の表情は先ほどより柔らかい。
迎える朝は、いつもより少し早く始まりました。
そして、その朝は今、彼女をこの屋敷へ迎え入れたことで、ようやく本当に始まった気がした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ハイレン領に到着し、ノエルとも無事に初対面できました。
次回は屋敷での案内や、それぞれの交流が少しずつ進んでいきます。
次回もよろしくお願いします。




