第43話 迎える側にも、少し緊張はあります
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はグランフェル家側のお話です。
ベルフォール家を迎える準備が進み、グランフェル家も少しずつ緊張と楽しみが混ざってきました。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
ベルフォール家からの返事を読んだセドリックは、しばらく便箋を見つめていた。
小書斎の机には、ハイレン領訪問に向けた予定表が広げられている。
市を見る時間。
庭園を案内する時間。
書庫を案内する時間。
そして、蜂蜜の焼き菓子の臣下候補を確認する時間。
最後の一行だけ、明らかに正式な予定表としてはおかしい。
けれど、消す気にはならなかった。
シャロン嬢が、少し笑ってくれるかもしれないからだ。
手紙には、ベルフォール家として前向きに訪問を受ける方向で調整していることが書かれていた。
日程については、エドモンド子爵から正式に返答が来ること。
そして、シャロン嬢自身の言葉もあった。
――市を見る時間だけでなく、ただ歩く時間も大切に準備すると書いてくださったことが、心に残りました。
――私は、何かを見る時、つい役に立てる場所を探してしまいます。
――ですが、今回はただ見て、歩いて、知る時間も大切にしてみたいと思います。
ただ見て、歩いて、知る時間。
シャロン嬢が、そう書いてくれた。
セドリックは静かに息を吐いた。
彼女にとって、何かの役に立つことはきっと安心でもある。
けれど同時に、縛りにもなる。
だからこそ、ただ歩く時間を大切にしたいと思ってくれたことが嬉しかった。
「兄様」
扉が軽く叩かれ、エミリアが顔を出した。
「入ってもよろしいですか?」
「ああ」
エミリアはすでに何かを察している顔だった。
最近、妹の観察眼はますます鋭くなっている気がする。
「シャロン様からですか」
「ああ」
「訪問の件は?」
「前向きに進めるそうだ。日程はエドモンド子爵から正式に返答が来る」
エミリアの顔が明るくなる。
「フローラ様は?」
「同行する方向で調整されている。書庫にかなり前向きらしい」
「まあ!」
エミリアは両手を合わせた。
「では、書庫の準備をしなくては」
「もう始めていただろう」
「まだ候補を絞っている段階です。フローラ様には、ただ綺麗な装丁の本をお見せするだけでは足りません」
「足りないのか」
「はい。内容が大事です」
真剣だった。
セドリックは頷いた。
「では、エミリアに任せる」
「はい。責任重大ですね」
「そこまで重くしなくてもいい」
「いえ、書庫ですので」
セドリックは一瞬黙った。
その言い方は、どこかフローラ嬢に似ている。
「フローラ嬢の影響を受けていないか」
「少しあるかもしれません」
エミリアは否定しなかった。
そこへ、ノエルが控えめに顔を出した。
「兄上、姉上。今、よろしいですか」
「ああ」
「ベルフォール家から、お返事が来たのですか」
「来た」
ノエルは少し緊張した顔になる。
「シャロン嬢は、こちらへ……」
「前向きに進めるそうだ」
「そうですか」
ノエルはほっとしたような、さらに緊張したような顔をした。
手に持っていた記録表の束が、少し揺れる。
「ノエル」
セドリックが声をかけると、弟は背筋を伸ばした。
「はい」
「無理をする必要はない。だが、お前が望むなら、当日は市を見る時に同行できるようにする」
「ありがとうございます」
「挨拶は、短くていい」
「はい」
ノエルは真剣に頷いた。
「練習は、しています」
「本当にしているのか」
「はい」
エミリアがにこりと笑った。
「昨日、私が相手をしました」
「姉上は途中で微笑みすぎます」
「だって、ノエルがあまりに真面目なので」
「真面目にやらなければ失礼です」
「だから微笑ましいのです」
ノエルは困ったように視線を落とした。
セドリックは小さく笑った。
「シャロン嬢は、きっとその真面目さを悪く受け取らない」
「そうでしょうか」
「ああ。記録表を見れば、お前が丁寧に向き合っていることは伝わっている」
ノエルは少し黙った後、小さく頷いた。
「……はい」
その返事には、以前より少しだけ自信があった。
午後には、正式な準備のために家族が集まった。
場所はグランフェル家の小サロンだった。
父ギルバートは日程表を手にし、母アメリアは客室の準備を書き出している。
エミリアは書庫案内の候補リストを持ち、ノエルは記録表と市の確認事項を抱えていた。
セドリックは全員を見て、少し不思議な気持ちになった。
自分の縁談のための準備であるはずなのに、家全体が動いている。
しかも、ただ堅苦しい訪問ではない。
書庫。
市。
庭園。
焼き菓子。
記録表。
どれもが、少しずつ人の気持ちにつながっていた。
「まず日程だ」
ギルバートが言った。
「ベルフォール家から正式な返答が来次第、こちらも招待状を整える。一泊を前提に準備を進める」
「はい」
セドリックは頷いた。
「客室は、ベルフォール子爵夫妻が同行される場合と、令嬢方だけの場合、両方を想定して整えます」
アメリアが使用人への指示を書きながら言った。
「シャロン嬢の部屋は、庭が見える部屋がいいかしら」
「母上」
「何?」
「まだ決定ではありません」
「準備は早めが良いでしょう?」
「それはそうですが」
「それに、あの部屋は朝の光が綺麗なの。初めての場所では、少しでも落ち着ける方がいいわ」
セドリックは言葉を飲んだ。
母の言う通りだった。
シャロン嬢は、初めての場所でも背筋を伸ばすだろう。
緊張していても、それを見せまいとするだろう。
ならば、せめて部屋くらいは落ち着ける場所にしたい。
「お願いします」
「任せて」
アメリアは満足そうに微笑んだ。
「エミリア」
ギルバートが娘を見る。
「書庫案内は、長くなりすぎないように」
「はい、父上」
「本当に?」
「努力します」
「努力が必要なのか」
「書庫ですので」
ギルバートは一瞬目を閉じた。
セドリックはその反応に、妙な既視感を覚えた。
おそらくベルフォール家でも、似たやり取りがあったに違いない。
「ノエル」
「はい」
「市を見る時、お前も同行したいそうだな」
「はい。もしお許しいただけるなら」
「許す。ただし、無理に前に出る必要はない」
「はい」
「記録を取る目を持って、見ることだ。剣を持つだけがグランフェルの務めではない」
ノエルの目が、わずかに揺れた。
父からそう言われることは、きっと彼にとって大きかったのだろう。
「……はい」
その返事は、小さかったが、しっかりしていた。
ギルバートは深く頷いた。
「セドリック」
「はい」
「お前は全体を見ろ。ベルフォール嬢に気を遣いすぎて、他を見落とすな」
「はい」
「だが、気を遣うなとは言っていない」
「心得ています」
「彼女が役目に戻りすぎないようにしろ」
父の声は静かだった。
セドリックは背筋を伸ばす。
「はい」
アメリアが柔らかく続けた。
「シャロン嬢には、ちゃんと楽しんでいただきましょう。市を見るだけでなく、庭園も、書庫も、通りも。もちろん、焼き菓子も」
「焼き菓子も正式な予定に入るのですね」
エミリアが嬉しそうに言う。
「入るわ」
アメリアは当然のように答えた。
「歓迎の形はいろいろあるもの」
歓迎。
その言葉を聞いて、セドリックは改めて思った。
シャロン嬢を迎えるのだ。
助言者としてではなく。
ただの縁談相手としてでもなく。
自分が大切にしたい人として。
その家族も一緒に。
緊張しないと言えば嘘になる。
迎える側にも、少し緊張はあります。
そう思った瞬間、セドリックは小さく苦笑した。
シャロン嬢なら、緊張しているのですね、と言うかもしれない。
そして自分は、していません、と返すだろうか。
いや。
今なら、少し違う答えができる気がする。
その夜、セドリックはシャロン嬢への返事を書いた。
家として正式な招待状を準備していること。
妹君たちの同行も歓迎していること。
フローラ嬢にはエミリアが書庫案内を張り切っているが、長くなりすぎないよう気をつけること。
リディア嬢には、蜂蜜の焼き菓子の臣下候補をいくつか用意する予定であること。
ノエルも、市を見る時に同行するかもしれないこと。
そこまで書いて、少し手を止める。
ノエルのことは、慎重に書いた方がいい。
――ノエルは、もしご負担でなければ、市を見る折に少し離れて同行できればと申しております。
――まだ緊張しておりますが、記録表を見ていただいたお礼を、短くでもお伝えしたいようです。
これなら、シャロン嬢も受け取りやすいだろう。
さらに続ける。
――シャロン嬢が、ただ見て、歩いて、知る時間も大切にしてみたいと書いてくださったことを、嬉しく思いました。
――その時間が穏やかなものになるよう、できる限り整えます。
書いてから、胸の奥が静かに温かくなる。
自分は今、彼女のために準備をしている。
それが嬉しい。
追伸には、やはりこの話題を書く。
――蜂蜜の焼き菓子の臣下候補については、リディア嬢がどちらの陣営につかれても対応できるよう、複数準備いたします。
――ただし、王座側としては防衛に全力を尽くします。
書き終えると、セドリックは便箋を読み返した。
正式な招待には、礼儀が必要だ。
準備も必要だ。
相手への気遣いも。
そして、少しの遊び心も。
シャロン嬢と出会ってから、そんなふうに思うようになった。
封を閉じ、机の上に置く。
窓の外には、夜のハイレン領が静かに広がっている。
この場所を、彼女が見る日が近づいている。
そう思うだけで、胸の奥が静かに高鳴った。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
正式な訪問に向けて、グランフェル家側も準備が始まりました。
ノエルも、シャロンにお礼を言うために少し前へ進もうとしています。
次回もよろしくお願いします。




