第41話 正式な招待には、準備が必要です
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はグランフェル家側のお話です。
ハイレン領訪問に向けて、正式な招待の準備が少しずつ始まります。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
シャロン嬢からの返事を読んだセドリックは、まず静かに息を吐いた。
小書斎の机の上には、ハイレン領の地図と、市の配置図が広げられている。
その横には、正式な招待について父へ相談するための覚え書き。
けれど今、セドリックの目は手紙の一文に止まっていた。
――私自身も、市だけでなく、領都の通りや庭園を見せていただけることを楽しみにしております。
――セドリック様が大切にされている場所を、少しずつ知ることができれば嬉しいです。
嬉しい。
シャロン嬢が、そう書いてくれた。
以前なら、きっと「ありがたく存じます」や「拝見できれば幸いです」と書いただろう。
もちろん、今も彼女の言葉は丁寧だ。
けれど、その中に確かに、彼女自身の気持ちがある。
それが、嬉しかった。
「兄様」
扉の近くで、エミリアの声がした。
「入ってもよろしいですか?」
「ああ」
エミリアは本を一冊抱えて入ってきた。
最近、彼女は小書斎へ来る時、必ず何かしら本を持っている。
おそらく、フローラ嬢に勧める本の候補だろう。
「シャロン様からお返事ですか?」
「ああ」
「ハイレン領のお話は?」
「前向きに進めることになったそうだ」
エミリアの顔がぱっと明るくなる。
「本当ですか!」
「まだ日程や同行者は調整中だ」
「それでも、大きな前進です」
「そうだな」
セドリックは頷いた。
「それから、フローラ嬢とリディア嬢の同行も検討されているらしい」
「まあ!フローラ様たちも!」
エミリアの目がさらに輝いた。
「ああ。書庫の件に、かなり興味を示しているそうだ」
「かなり…」
エミリアは嬉しそうにその言葉を繰り返した。
「フローラ様の“かなり”は、きっと本当にかなりですね」
「そうなのか?」
「はい。フローラ様は、あまり大げさに言わない方だと思います」
たしかに、セドリックもそう思った。
フローラ嬢は短く言う。
だが、その短い言葉に本心がある。
シャロン嬢とも少し似ている。
いや、ベルフォール家の姉妹はそれぞれ違うが、言葉に対する芯の強さは共通しているのかもしれない。
「リディア嬢も同行を希望しているらしい」
「リディア様も」
「ハイレン領を見てみたいそうだ。それから……」
セドリックは手紙の追伸に目を落とした。
「焼き菓子についても少し期待している、と」
エミリアは一瞬きょとんとした後、楽しそうに笑った。
「正直な方ですね」
「シャロン嬢が、姉として先に申告しておく、と書いている」
「シャロン様らしいです」
エミリアは口元に手を当てて笑った。
「では、焼き菓子の準備も必要ですね」
「正式な招待の準備より先に、焼き菓子か」
「どちらも大事です」
「否定しづらいな」
その時、ノエルが控えめに扉を叩いた。
「兄上、姉上。少しよろしいですか」
「ああ」
ノエルは手に記録表の束を持っていた。
最近は、その紙束を持つ姿がずいぶん自然になっている。
「シャロン嬢からのお返事が来たと聞いて……」
「ああ。記録表の件も書いてくださっている」
ノエルは少し緊張した顔になった。
「何と?」
「備考欄の使い方を整える案が、現場に合っているだろうと」
ノエルの表情がほっと緩む。
「そうですか」
「それから、ハイレン領訪問について前向きに進めるそうだ」
「シャロン嬢が、こちらへ……」
「ああ。まだ正式に決まったわけではないが」
ノエルは手元の記録表を見下ろした。
「その時、私は……」
言いかけて、口を閉じる。
セドリックは弟を見る。
「会うのが不安か」
「はい」
ノエルは素直に頷いた。
「ですが、会ってお礼を言いたい気持ちもあります」
その声は小さかったが、以前よりもずっとはっきりしていた。
「なら、無理に長く話す必要はない」
セドリックは言った。
「まずは挨拶と礼だけでもいい」
「それだけでよいのでしょうか」
「十分だ」
エミリアも頷く。
「ノエル、シャロン様はきっと、長い言葉よりも、きちんとした一言を受け取ってくださる方よ」
「そうでしょうか」
「ええ」
ノエルは少しだけ考えてから、頷いた。
「では、練習しておきます」
「練習?」
「はい。失礼のないように」
真面目すぎる。
だが、それがノエルらしかった。
エミリアがにこりと笑う。
「必要なら、私が相手になります」
「姉上が相手だと、余計に緊張します」
「どうして?」
「姉上は、間違えるとすぐ顔に出ます」
「顔には出していないつもりです」
「出ています」
セドリックは思わず小さく笑った。
エミリアが少し不服そうに兄を見る。
「兄様まで」
「いや、家族らしいと思ってな」
「褒めていますか?」
「半分くらいは」
「シャロン様の言い方です」
そう言われて、セドリックは少しだけ目を瞬いた。
確かに、影響されている。
だが、それが嫌ではなかった。
午後、セドリックは父ギルバートと母アメリアに手紙の内容を伝えた。
場所はグランフェル家の執務室。
ギルバートは手紙を読み、静かに頷いた。
「ベルフォール家も前向きか」
「はい」
「同行者は未定だが、妹君たちも候補に入っている、と」
「そのようです」
「なら、家族同士の訪問として整えよう」
ギルバートは机の上に日程表を広げた。
「市を見るなら、朝の時間帯が必要だ。だが、初回から慌ただしく市だけを見るのは避けたい」
アメリアが頷く。
「前日に到着していただいて、翌朝に市を見る形がよいかもしれませんね」
「泊まりか」
「日帰りでは、シャロン嬢が疲れてしまうでしょう。ベルフォール家からハイレン領までは、移動もあるのですから」
「そうだな」
ギルバートは考え込む。
「客室の準備がいる。ベルフォール子爵夫妻が同行する場合も考えて、複数部屋を整えておけ」
「承知しました」
セドリックは頷いた。
アメリアは楽しそうに目を細める。
「エミリアは書庫の準備をするでしょうね」
「すでに本を選んでいます」
「そうでしょうね」
「リディア嬢には、焼き菓子の準備も必要かと」
セドリックが言うと、ギルバートがわずかに眉を上げた。
「焼き菓子?」
アメリアが小さく笑う。
「蜂蜜の焼き菓子の王座の件ですわ」
「王座?」
ギルバートの顔が、珍しくわずかに困惑した。
セドリックは説明するべきか迷った。
だが、逃げるわけにもいかない。
「以前より、蜂蜜の焼き菓子を比較しておりまして」
「焼き菓子を比較」
「はい。前回の品が現在、王座を守っています」
言った瞬間、自分でも何を報告しているのか少しわからなくなった。
ギルバートはしばらく黙っていた。
アメリアは楽しそうに笑いをこらえている。
「……そうか」
父は重々しく頷いた。
「ならば、その王座とやらに相応しいものを用意しろ」
「父上」
「客人を迎えるのだ。茶菓子も重要だろう」
真面目に返された。
さすが父である。
アメリアがとうとう笑った。
「あなたまで」
「何かおかしいか」
「いいえ。とてもグランフェル家らしいわ」
セドリックは少しだけ肩の力が抜けた。
正式な訪問。
領地の案内。
市の確認。
書庫。
焼き菓子。
並べると奇妙だが、不思議とどれも必要なものに思える。
シャロン嬢を迎えるなら、堅苦しさだけではいけない。
かといって、軽く扱うこともできない。
彼女が役目に戻りすぎず、けれど自分の力を否定せずにいられる場所。
それを用意したい。
「セドリック」
ギルバートが低く呼んだ。
「はい」
「お前が中心になって、案内の段取りを組め」
「私が、ですか」
「お前が招きたいのだろう」
「はい」
「なら、お前が考えろ。こちらは支える」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
「ありがとうございます」
「ただし、母上の意見は聞けよ」
「はい」
「私の意見も必要な時は聞け」
「もちろんです」
「そして、客人が疲れすぎないようにしろ」
「心得ます」
父らしい、簡潔で実用的な助言だった。
夕方、小サロンには自然と家族が集まった。
エミリアは書庫の棚を書き出している。
ノエルは市の記録表を整えている。
アメリアは客室の準備について使用人に指示を出すための覚え書きを作っている。
セドリックは、ハイレン領案内の大まかな流れを書き出していた。
一日目。
到着。
グランフェル家で挨拶。
庭園か書庫を軽く案内。
夕食。
二日目。
朝、市を見る。
昼前に休憩。
午後は無理をせず、必要なら配置図を見ながら確認。
焼き菓子。
「焼き菓子が独立した項目になっています」
エミリアが指摘した。
「必要だろう」
「はい」
「否定しないのか」
「しません。リディア様も期待していらっしゃいますし、シャロン様もきっと少し楽しみにされています」
「少し」
「はい。かなり、ではなく、少しです」
「そこに気を遣う必要があるのか」
「あります」
エミリアは真面目に頷いた。
セドリックは苦笑する。
そこへ、ノエルが控えめに口を開いた。
「兄上」
「何だ」
「もしシャロン嬢が市をご覧になるなら、私は離れたところからでもよいので同行してもよいでしょうか」
セドリックは弟を見た。
「直接説明するのはまだ緊張します。でも、自分の記録がどのように使われるのか、見てみたいです」
ノエルの声には、迷いと前向きさが混じっていた。
それは、とても良い変化に見えた。
「もちろんだ」
セドリックは答えた。
「ただし、無理はしなくていい。挨拶だけでも十分だ」
「はい」
「だが、見たいと思うなら、その気持ちは大事にしろ」
ノエルは小さく頷いた。
「はい」
アメリアが柔らかく微笑む。
「皆、少しずつ楽しみにしているのね」
エミリアが頷く。
「はい」
ノエルも、控えめに頷いた。
セドリックも、否定しなかった。
「私も楽しみです」
そう言うと、エミリアが嬉しそうに笑った。
「兄様が素直です」
「最近、それを言われることが増えたな」
「良いことです」
「そうか」
「はい」
セドリックは手元の紙へ視線を落とした。
正式な招待には、準備が必要です。
ただ席を整えるだけではない。
相手が安心して来られるように。
役目だけではなく、ひとりの人として過ごせるように。
そして、自分の大切な場所を、無理なく知ってもらえるように。
そのための準備を、セドリックは一つずつ始めていた。
夜、自室でシャロン嬢への返事を書く。
ベルフォール家の返答への礼。
妹君たちの同行も歓迎すること。
フローラ嬢にはエミリアが書庫を案内するのを楽しみにしていること。
リディア嬢には、蜂蜜の焼き菓子の臣下候補をいくつか用意する予定であること。
そして、正式な招待状は父ギルバートの名で改めて送ること。
最後に、自分の言葉も添える。
――シャロン嬢がハイレン領を楽しみにしてくださっていることを、私も嬉しく思っております。
――市を見る時間も、ただ歩く時間も、どちらも大切に準備いたします。
追伸には、少し迷ってから書いた。
――蜂蜜の焼き菓子の臣下候補について、リディア嬢が味方につく可能性は承知しました。
――王座を守る側として、こちらも慎重に陣営を整えます。
書き終えて、セドリックは小さく笑う。
正式な招待の手紙に向けた準備と、焼き菓子の陣営。
随分と妙な組み合わせだ。
けれど、シャロン嬢と関わるようになってから、そういう妙な組み合わせが悪くないと思えるようになった。
領地の話と笑い。
礼儀と本音。
家族と恋の気配。
その全部が少しずつ、彼女へつながっている。
セドリックは封を閉じた。
ハイレン領で彼女を迎える日が、確かに近づいていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
グランフェル家も、シャロンたちを迎える準備で少し賑やかになってきました。
ノエルも少しずつ前向きになっています。
次回もよろしくお願いします。




