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元跡継ぎ令嬢はお見合い結婚した騎士伯爵と恋をします  作者: 影道AIKA


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第40話 書庫という言葉に、静かな妹が反応しました

読みに来てくださりありがとうございます。

今回はベルフォール家側のお話です。

ハイレン領訪問が少し具体的になり、フローラも書庫という言葉にかなり反応しています。

楽しんでいただけたら嬉しいです。

セドリック様からの手紙が届いた時、私は小サロンでハイレン領の配置図を眺めていた。


 眺めていた、というより。

 見直していた、というより。

 少し、考え込んでいた。


 ハイレン領へ行くかもしれない。


 その事実が、思っていたよりも私の中で大きくなっていた。


 配置図の先にある道。

 市に集まる人々。

 荷車の音。

 商人たちの声。

 そして、セドリック様が生まれ育った領地。


 まだ見たことのない場所なのに、手紙と地図を通して、少しずつ輪郭だけが見え始めている。


「お姉様」


 窓辺で本を読んでいたフローラが顔を上げた。


「何?」


「配置図を見ている時間が、手紙を開ける時間より長くなっています」


「心の準備よ」


「配置図で?」


「……そういう日もあるわ」


 フローラは小さく首を傾けた。


「お姉様がそう言うなら、そういう日なのでしょう」


「納得の仕方が雑ね」


「優しさです」


「そうかしら」


 私は小さく息を吐き、封を切った。


 リディアはレオンを膝に乗せながら、こちらを見ている。

 母も刺繍の手を止めてはいないが、完全に聞く姿勢だった。


 最近、この小サロンで手紙を読む時、誰もあからさまに覗き込んではこない。

 けれど、私が話せば聞いてくれる。


 それが少し、ありがたい。


 手紙には、まずハイレン領の訪問について、父ギルバート様とも相談を始めたことが書かれていた。


 ベルフォール家の都合を第一に、無理のない形で進めたいこと。

 市だけでなく、領都の通りや庭園、もし興味があれば書庫も案内できればと思っていること。

 助言をいただく時間だけでなく、ただ見ていただく時間も大切にしたいこと。


 その一文で、私は指を止めた。


 ただ見ていただく時間。


 それは、私にとって少し意外な言葉だった。


 ハイレン領へ行くなら、市を見る。

 配置図の確認をする。

 人の流れを観察する。

 記録表と実際の動きを照らし合わせる。


 そういうことばかり考えていた。


 けれどセドリック様は、それだけではないと書いている。


 助言を求めるだけではなく、ただ見てほしい。

 私に、ハイレン領を知ってほしい。


 それは役目ではなく、招待なのだと。


「……本当に、ずるいわね」


 小さく呟いた。


 リディアが即座に反応する。


「何がですか?」


「何でもないわ」


「何でもない顔ではありません」


「最近、あなたたち全員が顔を読みすぎなのよ」


「お姉様がわかりやすくなったのです」


 リディアは悪びれずに言った。


 私は反論しかけて、やめた。


 完全に否定できないのが悔しい。


 手紙をさらに読み進める。


 そこには、エミリア様のことも書かれていた。


 ――また、エミリアは、もしフローラ嬢もご一緒であれば書庫をご案内したいと申しております。

 ――もちろん、皆様のご都合を第一に、無理のない形でお考えいただければ幸いです。


「フローラ」


「はい」


「エミリア様が、もしあなたも一緒なら、書庫を案内したいそうよ」


 フローラの目が、ほんの少しだけ動いた。


 とても小さな変化だった。

 けれど、見逃すにはわかりやすすぎる。


「書庫、ですか」


「ええ」


「グランフェル家の書庫」


「そうね」


「武門伯爵家の」


「そう書いてはいないけれど、そうね」


 フローラは本を閉じた。


 完全に興味を持っている。


 リディアがぱっと笑った。


「フローラ、行きたいんでしょう?」


「まだ行くと決まったわけではありません」


「でも興味はあるでしょう?」


「あります」


「即答ね」


「書庫ですので」


 フローラは静かに言った。


 その静かさが、かえって本気を示している。


「エミリア様は、どのような本を読まれるのでしょう。先日の『北方街道記』も気になりますし、グランフェル家なら騎士団関係の記録や領地史もあるかもしれません」


「フローラ」


「はい」


「かなり行きたい顔をしているわ」


「そう見えますか」


「ええ」


「では、かなり行きたいのだと思います」


 リディアが嬉しそうに手を叩いた。


「やっぱり!」


「リディアお姉様、声が大きいです」


「だって嬉しいんだもの。お姉様もフローラもハイレン領へ行きたいなら、きっと楽しいわ」


「あなたも行く気なの?」


 私が尋ねると、リディアは当然のように瞬きをした。


「お父様とお母様が許してくだされば、ですけれど」


「あなた、目的は何?」


「お姉様の応援と、エミリア様との交流と、蜂蜜の焼き菓子の現地視察です」


「最後が一番正直に聞こえたわ」


「全部本当です」


 胸を張られても困る。


 母がそこで、穏やかに微笑んだ。


「同行者については、お父様と相談しましょう。正式な招待になるなら、こちらもきちんと考えなければならないわ」


「はい」


 私は頷いた。


 気持ちは少し前へ向いている。


 けれど、貴族家同士の訪問である以上、勢いだけでは決められない。

 日程、同行者、滞在の有無、護衛、目的。


 決めることは多い。


 その多さに少し安心する自分もいた。


 一気に進まなくていい。

 手順がある。

 確認する時間がある。


 それなら、怖がりながらでも進める。


 手紙の続きを読んだ。


 ――シャロン嬢が、私の大切にしている場所を知りたいと書いてくださったことを、本当に嬉しく思いました。

 ――私も、あなたが何を見て、何を感じるのかを知りたいと思っています。


 胸の奥が、静かに熱くなる。


 私が何を見て、何を感じるのかを知りたい。


 そう言われると、逃げ場がなくなる。


 けれど、不思議と嫌ではない。


「お姉様」


 フローラが静かに言った。


「また少し困った顔です」


「ええ。困っているわ」


「認めるのですね」


「最近、認めた方が早いと学んだの」


「良い傾向です」


「先生みたいに言わないで」


 フローラは少しだけ笑った。


 私は便箋をそっと折り直す。


 ハイレン領へ行く。


 そこには、市がある。

 書庫がある。

 庭園がある。

 焼き菓子の店もあるかもしれない。


 そして、セドリック様が大切にしている日常がある。


 それを知りたいと思う自分がいる。


 その気持ちを、もうなかったことにはできない。


 夕方、父と母に正式に相談することになった。


 父の執務室には、私と母、そしてなぜかリディアとフローラも呼ばれた。


「なぜあなたたちまでいるの」


 私が小声で尋ねると、リディアがにこりと笑う。


「同行者候補なので」


「まだ候補にもなっていないでしょう」


「今からなるかもしれません」


 フローラは静かに言った。


「私は書庫の件がありますので」


「あなたも案外積極的ね」


「書庫ですので」


 二度目だった。


 書庫という言葉は、フローラにとってかなり強いらしい。


 父エドモンドは、セドリック様からの手紙を読み、静かに頷いた。


「丁寧な申し出だ」


「はい」


「市を見ることだけを目的にしていないところも、よく考えている」


 父の言葉に、私は少しだけ目を伏せた。


 それは私も感じていた。


 セドリック様は、私を便利な相談役として呼ぼうとしているわけではない。

 そのことが、手紙から伝わってくる。


「シャロン」


「はい」


「お前は行きたいのだな」


 前にも聞かれた問いだった。


 けれど、今回は少し違う。


 前は、自分の気持ちを確かめるための問い。

 今は、家として話を進める前の確認。


 私は背筋を伸ばした。


「はい。行ってみたいです」


 父は静かに私を見る。


「市の確認のためだけではなく?」


「はい」


 少しだけ息を吸う。


「セドリック様が大切にしている場所を、私も知ってみたいと思っています」


 言えた。


 前よりも、少しだけはっきり。


 父はしばらく黙っていたが、やがて頷いた。


「わかった」


 それだけで、胸が少し軽くなる。


「では、正式な訪問として日程を調整しよう。おそらく日帰りでは少し慌ただしい。だが、泊まりにするなら支度と体裁が必要だ」


 母が頷く。


「そうですね。初めての訪問ですから、無理のない日程にしたいですわ」


「同行者はどうする」


 父の視線が、リディアとフローラへ向いた。


 リディアは期待を隠しきれていない。

 フローラは静かだが、書庫という文字が目の奥に見える気がする。


「グランフェル家から、エミリア様がフローラにも書庫を案内したいとおっしゃっているそうです」


 母が説明した。


 父はフローラを見る。


「フローラは行きたいか」


「はい」


 即答だった。


 父が少しだけ眉を上げる。


「珍しいな」


「書庫ですので」


 三度目である。


 さすがにリディアが小さく笑った。


 父も、ほんの少し口元を緩めた。


「では、フローラも同行を検討しよう」


「ありがとうございます」


「リディアは」


「行きたいです!」


 勢いが良すぎた。


 私は思わず目を閉じた。


「理由は」


 父が尋ねると、リディアは少し考えた。


「お姉様の応援と、エミリア様へのご挨拶と、ハイレン領を見てみたいからです」


 蜂蜜の焼き菓子を抜いた。


 偉い。

 いや、偉いのかしら。


「……それから、焼き菓子も少し」


 正直すぎる。


 父が咳払いをした。

 母は口元を押さえている。

 フローラは静かに目を伏せた。


 私は額に手を当てた。


「リディア」


「隠すのはよくないかと思って」


「時と場合があるわ」


 父は少しだけ肩を揺らした。


 笑ったのだと思う。


「まあいい。リディアも同行するかどうかは、日程と先方の受け入れ次第だ」


「はい!」


「ただし、遊びに行くわけではない」


「わかっています」


「本当に?」


 私が思わず言うと、リディアは私を見た。


「お姉様」


「何」


「私は、ちゃんとお姉様が新しい場所へ行くところを見たいんです」


 その言葉に、胸が詰まった。


 リディアは少し照れたように笑う。


「邪魔はしません。たぶん」


「最後」


「努力します」


 まったく。


 この妹は、時々まっすぐ過ぎて困る。


「……なら、しっかり努力しなさい」


「はい!」


 父は静かに頷いた。


「では、先方へはシャロンを中心に、妹たちの同行も検討していると返す。最終的な人数は日程と受け入れに合わせて調整する」


「はい」


 話は、思ったよりも前へ進んだ。


 怖さはある。


 けれど、もう足を止めたいとは思わなかった。


 夜、私はセドリック様への返事を書いた。


 まずは手紙への礼。

 ハイレン領を案内してくださる申し出が嬉しかったこと。

 ただ見ていただく時間も大切にしたいと書いてくださったことが、心に残ったこと。


 そして、正式な訪問について。


 ――父母とも相談し、前向きに進めることになりました。

 ――日程や同行者については、改めて家同士で調整させていただければと思います。

 ――現時点では、妹たちの同行も検討しております。


 そこまで書いて、少し迷った。


 リディアとフローラのことも書いておくべきだろう。


 ――フローラは、エミリア様が書庫をご案内くださるというお話に、かなり興味を示しております。

 ――リディアも、ハイレン領を見てみたいと申しております。

 ――ただし、焼き菓子についても少し期待しているようですので、その点は姉として先に申告しておきます。


 書いてから、少し笑ってしまった。


 リディアの正直さは、手紙でも隠しきれない。


 続けて、もう一文。


 ――私自身も、市だけでなく、領都の通りや庭園を見せていただけることを楽しみにしております。

 ――セドリック様が大切にされている場所を、少しずつ知ることができれば嬉しいです。


 嬉しい。


 書いてしまった。


 けれど、これは本当だ。


 追伸には、いつもの件を書く。


 ――蜂蜜の焼き菓子の臣下候補については、反乱の危険性も含めて慎重に確認いたします。

 ――なお、リディアはすでに臣下候補の味方になる気配があります。


 封をする前に、もう一度読み返す。


 少し、賑やかすぎる返事かもしれない。


 けれど、今の私の周りは実際に少し賑やかだ。


 家族がいて。

 手紙があって。

 行ったことのない領地への道が少しずつ開いている。


 書庫という言葉に、静かな妹が反応しました。


 そして私もまた、ハイレン領という言葉に、少しずつ心を動かされているのだった。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

ハイレン領訪問に向けて、ベルフォール家側も少し賑やかになってきました。

リディアとフローラの同行も、どうなるか楽しみです。

次回もよろしくお願いします。

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