第39話 知りたいと言われると、胸が熱くなります
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はグランフェル家側のお話です。
シャロンからの返事を受けて、ハイレン領への招待が少しずつ具体的になっていきます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
シャロン嬢からの返事を読んだ時、セドリックはしばらく便箋から目を離せなかった。
小書斎の窓からは、午後の光が差し込んでいる。
机の上には、ハイレン領の市の配置図。
管理人へ確認を依頼するための文書。
ノエルが書き直した記録表の案。
どれも大事なものだった。
けれど今、セドリックの意識を奪っているのは、便箋の中の数行だった。
――私も、ハイレン領を知ってみたいと思いました。
――配置図の先にある道や人の流れを見たいという気持ちもあります。
――ですが、それだけではなく、セドリック様が大切にしている場所を、私も少しずつ知っていけたらと思います。
知ってみたい。
彼女が、そう書いてくれた。
ハイレン領を。
自分が生まれ育った場所を。
ただ市の問題を解くためだけではなく、自分が大切にしている場所として知りたいと。
セドリックは便箋を持つ手に、少しだけ力を込めた。
嬉しい。
そう思った。
隠しようがないほど、はっきりと。
「兄様?」
扉の方から、エミリアの声がした。
セドリックが顔を上げると、妹が小さな本を抱えて立っていた。
「入ってもよろしいですか?」
「ああ」
エミリアは小書斎に入ってくると、すぐにセドリックの顔を見た。
「シャロン様からですか」
「ああ」
「とても嬉しいことが書いてありましたね」
「なぜそう決める」
「顔です」
「またか」
「はい」
エミリアは少しも悪びれない。
「兄様は、嬉しい時ほど真面目な顔になります」
「それは嬉しそうなのか?」
「はい。慣れるとわかります」
慣れられているらしい。
セドリックは軽く息を吐いた。
「シャロン嬢が、ハイレン領を知ってみたいと書いてくださった」
そう言うと、エミリアの表情がぱっと明るくなった。
「まあ!」
「まだ正式に決まったわけではない。ベルフォール家でも前向きに相談する、という段階だ」
「それでも、シャロン様がご自分で知ってみたいとおっしゃったのですよね?」
「ああ」
「それは、とても大きなことではありませんか」
エミリアの声は弾んでいた。
セドリックは静かに頷く。
「そうだな」
大きなことだ。
シャロン嬢は、簡単に自分の望みを口にしない。
役目や礼儀や必要性で包んで、ようやく言葉にする。
その彼女が、知ってみたいと書いた。
そこには、仕事としての興味もあるだろう。
市の流れを見たいという気持ちも本物だ。
けれど、それだけではないと、彼女自身が書いてくれた。
それが、何より嬉しかった。
「兄様」
「何だ」
「もしフローラ様もハイレン領へいらっしゃるなら、書庫もご案内できますよね?」
「市を見る話がまた書庫へ戻ったな」
「大事です」
「エミリアにとっては、だろう」
「フローラ様にとっても大事です」
「そこは否定できない」
フローラ嬢は、きっと書庫に興味を持つだろう。
いや、静かな顔をしながら、かなりしっかり見るに違いない。
そしてエミリアと並んで、蔵書の並びについて何かを語り合うのだろう。
想像すると、少しだけ微笑ましかった。
「でも、まずは父上と母上に報告する」
「はい」
「正式な招待になるなら、こちらの準備も必要だ」
「歓迎の準備ですね」
「それと、過剰にならない準備だ」
エミリアは少し考え、それから頷いた。
「シャロン様は、あまり大げさに歓迎されると身構えそうですものね」
「ああ」
「でも、歓迎していないように見えてもいけません」
「そうだ」
「難しいですね」
「難しい」
二人は顔を見合わせた。
そこへ、廊下の方からアメリアの声がした。
「何が難しいの?」
母は扉の前で微笑んでいた。
おそらく、途中から聞いていたのだろう。
「母上」
「シャロン嬢からお返事が来たのね」
「はい」
セドリックは手紙の内容を簡潔に伝えた。
シャロン嬢がハイレン領を知ってみたいと書いてくれたこと。
ベルフォール家として前向きに相談すること。
日程や同行者は父母と調整すること。
アメリアは最後まで聞くと、ゆっくり頷いた。
「よかったわね、セドリック」
「はい」
「あなた、とても嬉しそうよ」
「……隠せていませんか」
「全然よ」
母は即答した。
エミリアが小さく笑う。
セドリックは諦めた。
「嬉しいです」
口にすると、胸の奥が少し軽くなる。
「シャロン嬢が、私の大切な場所を知りたいと言ってくださったことが」
アメリアは柔らかく微笑んだ。
「その気持ちは、大切にしなさい」
「はい」
「そして、焦らないこと」
「はい」
「ハイレン領へ招くなら、シャロン嬢が“役に立たなければ”と思いすぎない形にしてあげることね」
「そのつもりです」
「市を見る時間と、ただ領地を歩く時間。両方必要よ」
セドリックは頷いた。
母の言う通りだ。
シャロン嬢にとって、何かを任されることは力になる。
けれど、同時に役目へ戻りすぎる危うさもある。
彼女が自分としてハイレン領を見るためには、仕事だけでは足りない。
「庭園もご案内しましょう」
エミリアが言った。
「それから、書庫と、市場通りの焼き菓子店も」
「焼き菓子店」
アメリアが楽しそうに笑った。
「それは外せないわね」
「母上まで」
「だって、蜂蜜の焼き菓子の王座があるのでしょう?」
「その話もご存じでしたか」
「あなたたちの手紙は、時々話題だけ伝わってくるもの」
どこから伝わっているのか。
おそらくエミリアだろう。
エミリアはにこりと笑っている。
「王座を守るには、現地視察も必要です」
「焼き菓子の現地視察とは何だ」
「食べ比べです」
「正直でよろしい」
「今の、シャロン様みたいでした」
エミリアが嬉しそうに言った。
セドリックは一瞬だけ動きを止めた。
確かに、今の言い方はシャロン嬢に似ていたかもしれない。
アメリアがくすくす笑う。
「影響を受けているわね」
「……否定はしません」
「良いことよ」
「そうでしょうか」
「ええ。大切な人の言葉が、少しずつ自分の中に移ってくるのは、悪いことではないわ」
大切な人。
その言葉に、胸の奥が静かに熱を持つ。
セドリックはすぐには否定できなかった。
否定したくなかった。
その日の夕方、ギルバートにも報告した。
父は執務室で手紙の内容を聞き、少し考え込んだ。
「ベルフォール家が前向きなら、正式に招待状を出す」
「はい」
「同行者はどうする」
「シャロン嬢だけではなく、ベルフォール子爵夫妻の判断に合わせます。場合によっては、リディア嬢やフローラ嬢も同行されるかもしれません」
「フローラ嬢はエミリアと親しくなり始めているのだったな」
「はい」
「なら、家族同士の交流として整えるのがよい」
ギルバートは地図を広げた。
「市を見るなら、朝から昼前がよい。人の流れがはっきりする」
「はい」
「だが、視察という名にしすぎるな」
「母上にも同じことを言われました」
「だろうな」
父は少しだけ口元を動かした。
笑ったのだと思う。
「ベルフォール嬢は、役目を与えられれば応えるだろう。だが、今回こちらが見たいのは、彼女がどう働くかだけではない」
「はい」
「彼女が、ハイレン領でどう息をするかだ」
その言葉に、セドリックは少しだけ目を見開いた。
父は淡々と言った。
「お前が大切にしたい相手なのだろう」
「……はい」
「なら、領地も家も、彼女を試す場にするな。迎える場にしろ」
胸に深く落ちる言葉だった。
セドリックは頭を下げた。
「心得ます」
夜、自室に戻ってから、セドリックは返事を書いた。
手紙への礼。
ハイレン領を知ってみたいと言ってくれたことが嬉しかったこと。
正式な招待について、父ギルバートとも相談を始めたこと。
ベルフォール家の都合を最優先に、無理のない形で進めたいこと。
そして、少し考えてから、こう書いた。
――ハイレン領では、市だけでなく、領都の通りや庭園、そしてもしご興味があれば書庫もご案内できればと思っております。
――助言をいただく時間だけでなく、ただ見ていただく時間も大切にしたいです。
――また、エミリアは、もしフローラ嬢もご一緒であれば書庫をご案内したいと申しております。
――もちろん、皆様のご都合を第一に、無理のない形でお考えいただければ幸いです。
ここは、父と母の言葉があったから書けた。
彼女を試す場ではなく、迎える場にする。
そのためには、きちんと言葉にしておきたい。
さらに続ける。
――シャロン嬢が、私の大切にしている場所を知りたいと書いてくださったことを、本当に嬉しく思いました。
――私も、あなたが何を見て、何を感じるのかを知りたいと思っています。
書いてから、手を止める。
少し踏み込んだ。
だが、今は消したくなかった。
シャロン嬢が踏み出してくれた。
ならば、自分も言葉を返すべきだ。
追伸には、もちろん焼き菓子について書いた。
――蜂蜜の焼き菓子の王座については、現地視察という名目で臣下候補を確認できるかもしれません。
――ただし、反乱の兆しが見えた場合は、速やかに報告いたします。
書き終えて、セドリックは少しだけ笑った。
騎士団の報告書より、よほど真剣に言葉を選んでいる気がする。
知りたいと言われると、胸が熱くなります。
彼女の大切なものを知りたいと思った自分が、今度は自分の大切なものを知りたいと言われた。
それがこんなにも嬉しいことなのだと、セドリックは初めて知った。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
セドリックにとって、ハイレン領を知りたいと言われたことはかなり大きかったようです。
次回もよろしくお願いします。




