第34話 受け取られる言葉は、少し照れくさい
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はベルフォール家側のお話です。
セドリックからの手紙と、エミリアからフローラへの手紙を受け取る回です。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
セドリック様からの手紙が届いたのは、昼食後のことだった。
私は小サロンで、ハイレン領の市の配置図を広げていた。
前回の茶会で見せていただいた配置図は、思っていた以上に細かいものだった。
露店の並び、荷車の出入り口、井戸の位置、雨の日に水が溜まりやすい場所。
それぞれは小さな情報だ。
けれど、市というものは小さな滞りが重なると、人も物も流れなくなる。
私は父から借りた薄い紙を重ね、気になった箇所に印をつけていた。
「お姉様」
窓辺で本を読んでいたフローラが、ふと顔を上げる。
「今、とても楽しそうです」
「仕事の顔よ」
「はい。楽しそうな仕事の顔です」
「分類を増やさないで」
リディアは長椅子でレオンの相手をしている。
レオンは布の玩具を握りしめ、時々「あー」と声を上げていた。
母は刺繍をしながら、こちらを穏やかに見ている。
私が配置図に夢中になりすぎないよう、茶を足すタイミングを見計らっている顔だった。
そこへ、侍女が手紙を運んできた。
「グランフェル家より、お手紙でございます」
リディアの顔がぱっと明るくなる。
「セドリック様からですね!」
「封蝋を見る前から言わないで」
「でも当たっています」
「……当たっているわね」
私は封筒を受け取った。
中には、私宛ての便箋と、もう一枚、小さな封筒が入っていた。
表には、丁寧な文字でフローラ・ベルフォール嬢へ、と書かれている。
「フローラ」
私が呼ぶと、フローラは本を閉じた。
「エミリア様からだと思うわ」
フローラはほんの少しだけ目を見開いた。
それから、静かに立ち上がる。
「私に、ですか」
「ええ」
リディアが声を弾ませた。
「すごいわ、フローラ! お手紙!」
「リディアお姉様、声が大きいです」
「だって嬉しいんだもの」
「私宛てですが」
「私も嬉しいの」
フローラは困ったように見えた。
けれど、口元はほんの少しだけ柔らかい。
私はまず、自分宛ての手紙を開いた。
セドリック様の文字はいつも通り丁寧だった。
フローラの短い手紙を、エミリア様がとても喜んだこと。
ノエル様が記録表を褒められ、少し自信を持ったこと。
配置図については急がないので、気になる点があれば聞かせてほしいこと。
そこまでは、落ち着いて読めた。
けれど、次の一文で指先が止まった。
――シャロン嬢がご家族への気持ちを少しずつ言葉にされるたび、私はその言葉を大切に受け取りたいと思っています。
「……大切に受け取りたい」
小さく呟いてしまった。
母の手が、刺繍の上で止まる。
リディアがこちらを見る。
フローラも、私の様子を静かに見ていた。
「お姉様」
リディアが尋ねる。
「何て書いてあったんですか?」
「……私が家族への気持ちを言葉にするたび、大切に受け取りたいと」
言ってから、頬が熱くなる。
なぜ声に出したのか。
自分でもわからない。
リディアは両手を合わせた。
「素敵です」
「あなたは本当にそればかりね」
「でも、これは素敵です」
母も静かに微笑んだ。
「そうね。セドリック様は、あなたの言葉を急かさず、きちんと受け取ってくださる方なのね」
「……そう、なのだと思います」
私は便箋へ視線を落とした。
自分の気持ちを言葉にするのは、まだ得意ではない。
特に家族への気持ちは。
羨ましかったこと。
寂しかったこと。
腹立たしかったこと。
それでも大切だったこと。
全部が絡まっていて、簡単にはほどけない。
けれどセドリック様は、ほどけた糸をひとつずつ拾うように受け取ってくれる。
それが、少し照れくさい。
そして、ありがたい。
「お姉様」
フローラが静かに言った。
「今、とても困った顔をしています」
「そうでしょうね」
「否定しないのですね」
「できないもの」
そう答えると、フローラは少しだけ目を細めた。
「良いと思います」
「何が」
「困っていることを認められることが」
まったく、この妹は。
私は軽く息を吐き、小さな封筒をフローラへ差し出した。
「これは、あなた宛てよ」
「はい」
フローラは両手で受け取った。
封を切る仕草は落ち着いている。
けれど、いつもより少しだけ慎重だった。
手紙を読み始めたフローラの表情は、ほとんど変わらない。
だが、読み終えた後、彼女はしばらく便箋を見つめていた。
「何て?」
リディアが待ちきれずに尋ねる。
「『北方街道記』を勧めてくださいました」
「本の題名?」
「はい。旅の記録で、商人たちの会話が面白いそうです」
「フローラ、嬉しそう」
「そう見えますか」
「見えるわ!」
「では、少し嬉しいです」
「少しじゃないでしょう?」
「……かなり、興味があります」
リディアが嬉しそうに笑った。
フローラは便箋を丁寧に畳む。
「お姉様」
「何」
「この本を探してもよろしいでしょうか」
「もちろん。書庫にあるかもしれないわ。なければ王都の書店に頼みましょう」
「ありがとうございます」
その返事はいつも通り静かだった。
けれど、声がほんの少し弾んでいた。
母が穏やかに言う。
「よかったわね、フローラ」
「はい」
フローラは素直に頷いた。
その姿を見て、私はまた少し胸が温かくなる。
誰かとつながることは、面倒なことだけではないのかもしれない。
緊張もする。
気を遣う。
けれど、こうして新しい本の題名ひとつで、妹の世界が少し広がる。
それは悪くない。
私は配置図へ視線を戻した。
セドリック様への返事に、そろそろ配置図の件も書かなければならない。
「お姉様」
リディアが私の顔を覗き込む。
「今度はお仕事の顔です」
「ええ。今度こそ仕事の顔よ」
「でも、少し楽しそうです」
「否定はしないわ」
自然に言えた。
リディアが嬉しそうに笑う。
フローラも、小さく目元を緩めた。
私はペンを取り、配置図の横に置いた紙へ気になる点を書き出していく。
雨の日に水が溜まりやすい場所の近くに、荷車の停留場所が重なっている。
井戸の周辺に人が集まりすぎる。
布商人の通りと食料品の通りが交差していて、昼前に混みそうだ。
すべて、まだ仮説だ。
現地を見なければわからない。
けれど、書いているうちに胸の奥が静かに動き出す。
私はやはり、こういうことを考えるのが好きなのだ。
跡継ぎだったからではなく。
役目だったからだけでもなく。
人の流れを見て、困りごとの原因を探し、少しでも良い形を考えることが好きだった。
それを認めるのは、少し怖い。
けれど、もう否定しきれない。
夕方、私はセドリック様への返事を書き始めた。
手紙への礼。
エミリア様の手紙をフローラが喜んでいたこと。
ノエル様には、記録表は実際に使いながら直していけばよいので、今の形に自信を持ってほしいと伝えてほしいこと。
そして、配置図について。
――現時点で気になった点を、三つほど書き出しました。
――ただし、現地を見ていないため、あくまで仮説です。
――根拠のない断定は減点ですので、次回は確認事項としてお伝えします。
書いてから、少し笑ってしまった。
減点。
最近、この言葉をセドリック様が真面目に受け取るせいで、妙に使いやすくなっている。
さらに、少し迷ってから、あの一文への返事も書いた。
――私の言葉を大切に受け取りたいと書いてくださったことを、ありがたく思います。
――まだうまく言葉にできないことも多いですが、急がずに聞いてくださるのなら、少しずつ話せることもあるのかもしれません。
書いてしまった。
私はしばらくその文を見つめた。
消さない。
そう決めて、追伸へ進む。
――蜂蜜の焼き菓子の王座については、長期政権の可能性を認めます。
――ただし、挑戦者の探索は引き続き歓迎いたします。
書き終えると、リディアがにこにこしながら言った。
「お姉様、今とても楽しそうです」
「手紙を書いていただけよ」
「セドリック様への?」
「……そうよ」
「では、楽しいのですね」
「リディア」
「はい、少し黙ります」
フローラが便箋を胸元で持ったまま、静かに続けた。
「お姉様も、短い手紙が嬉しいのですね」
「あなたもでしょう」
「はい」
フローラは、今度は逃げずに頷いた。
「思ったより、嬉しいです」
その素直な言葉に、私は少し笑った。
受け取られる言葉は、少し照れくさい。
けれど、受け取ってくれる相手がいることは、思ったよりも悪くない。
私もフローラも、きっと同じことを少しずつ知り始めているのだと思った。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
フローラとエミリアの交流も始まり、シャロンも自分の言葉を受け取ってもらうことに少し慣れ始めています。
次回もよろしくお願いします。




