第33話 短い手紙は、思ったより嬉しい
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はグランフェル家側のお話です。
フローラからの短い手紙に、エミリアが思った以上に喜ぶ回です。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
シャロン嬢からの手紙は、夕方近くに届いた。
セドリックは小書斎で、ハイレン領の市の配置図を広げていた。
前回ベルフォール家へ持参したものに、いくつか印をつけている。
シャロン嬢が気にしていた場所。
自分でも改めて確認したい場所。
そして、ノエルの記録表と照らし合わせるべき箇所。
市の配置図は、ただの地図ではなくなっていた。
そこには、次に彼女と話すためのきっかけが増えている。
そう考えてしまう自分に気づき、セドリックは小さく息を吐いた。
「兄様?」
扉の方から声がした。
顔を上げると、エミリアが立っている。
今日は手に本を抱えていた。
「入ってもよろしいですか?」
「ああ」
エミリアは中へ入ると、机の上の配置図へ視線を落とした。
「また市の配置図ですね」
「ああ。前回、情報量が多すぎたと指摘されたからな」
「シャロン様らしいご指摘です」
「その通りだ」
セドリックが頷いたところで、扉が叩かれた。
使用人が、ベルフォール家の封蝋が押された封筒を運んでくる。
「シャロン様からですね」
エミリアの声が少し明るくなった。
「私宛てだぞ」
「はい。ですが、もしかすると」
「フローラ嬢からの返事があるかもしれない、と?」
「はい」
エミリアは少しだけ期待を隠しきれていなかった。
セドリックは封筒を受け取り、封を切る。
中には、シャロン嬢からの便箋と、もう一枚、小さな便箋が入っていた。
封を開けた瞬間、エミリアの目がぱっと輝く。
「兄様」
「まだ何も言っていない」
「でも、小さい便箋があります」
「ああ」
セドリックはまず、シャロン嬢の手紙を読んだ。
茶会への礼。
配置図について、次回までに気になる点をまとめること。
ノエルの記録表について、実際に使う人の負担を考えた良い形だと思うこと。
そして。
――フローラのことを誇らしそうに話していたと書かれて、少し驚きました。
――ですが、否定はできません。
――妹が自分の言葉で誰かと向き合う姿を、私は確かに誇らしく思っていたのだと思います。
セドリックは、そこで手を止めた。
誇らしく思っていた。
シャロン嬢が、その言葉を自分で認めた。
家族のことを語る彼女の声を思い出す。
フローラ嬢を見た時の、ほんの少し柔らかい表情。
妹ですから、と言った時の、照れたような誇らしさ。
あれは見間違いではなかった。
彼女は少しずつ、自分の家族への気持ちも言葉にし始めている。
それが、とても嬉しかった。
「兄様」
エミリアが静かに呼ぶ。
「嬉しいことが書いてありましたか?」
「ああ」
セドリックは正直に頷いた。
「シャロン嬢が、フローラ嬢を誇らしく思っていると書いてくださった」
「まあ」
エミリアの表情も柔らかくなる。
「素敵ですね」
「そうだな」
「シャロン様は、きっとご自分の気持ちを言葉にするのが得意ではない方でしょう?」
「そう思う」
「それでも書いてくださったのですね」
「ああ」
セドリックは便箋へ視線を戻した。
シャロン嬢の文字は整っている。
けれど、その一文には、どこか迷いながらも消さなかった跡があるように感じた。
もちろん、文字が乱れているわけではない。
だが、彼女がそこで少し立ち止まったのだろうと想像できた。
そんな想像ができるほど、手紙を重ねてきたのだと思うと、胸の奥が静かに温かくなる。
「それで、兄様」
エミリアがそっと身を乗り出した。
「小さい便箋は……」
「ああ。フローラ嬢からのものだと思う」
「読んでも?」
「まず私が確認する。シャロン嬢が同封してくださったものだからな」
「はい」
エミリアは素直に待った。
セドリックは小さな便箋を開く。
そこには、短く整った文字が並んでいた。
エミリア様へ。
先日はお話しできて嬉しく思います。
お尋ねの旅行記は『西辺境紀行』です。
もしよろしければ、次はエミリア様のおすすめの本も教えてください。
フローラ・ベルフォール。
短い。
けれど、必要なことがきちんと書かれていた。
そして、最後の一文には、フローラ嬢なりの前向きさがある。
「エミリア」
「はい」
「フローラ嬢からだ」
便箋を差し出すと、エミリアは両手で丁寧に受け取った。
そして、ゆっくりと読み進める。
読み終えた後、彼女はしばらく便箋を見つめていた。
「……嬉しいです」
小さな声だった。
けれど、確かに弾んでいた。
「短い手紙なのに?」
セドリックが尋ねると、エミリアは顔を上げた。
「短いからこそ、嬉しいのです」
「そうなのか」
「はい。フローラ様は、きっと余計なことをたくさん書く方ではありません。それなのに、おすすめの本を教えてくださいと書いてくださったのです」
「なるほど」
「これは、次も話してよいということです」
エミリアは真剣だった。
セドリックは少し笑ってしまった。
「シャロン嬢に似た解釈をするな」
「そうですか?」
「ああ。言葉の少なさの中から、相手の意図をきちんと読み取ろうとしている」
「兄様も、シャロン様のお手紙で同じことをしているでしょう?」
返す言葉がなかった。
確かにそうだ。
少し、という言葉。
嬉しい、という言葉。
否定はできません、という言葉。
彼女の手紙にある控えめな言葉を、セドリックはいつも大切に読んでいる。
エミリアは便箋を胸の前に持ち、嬉しそうに微笑んだ。
「何をおすすめしましょう」
「もう返事を書くのか」
「もちろんです」
「早いな」
「こういうものは、早すぎるくらいがよいのです。いえ、きちんと考えてからにしますけれど」
エミリアは少しだけ真面目な顔になった。
「フローラ様に合いそうな本を選びたいです」
「どんな本が合うと思う?」
「綺麗な恋物語より、少し皮肉があって、登場人物の会話が面白いものかもしれません」
「初対面でそこまで読むのか」
「フローラ様も、私を可憐なだけではないとすぐ見抜かれましたから」
「お互い様か」
「はい」
エミリアは楽しそうに頷いた。
その時、ノエルが小書斎の入り口に顔を出した。
「兄上、姉上。少しよろしいですか」
「どうした」
「記録表の件で……」
ノエルはそこまで言って、エミリアの手元にある便箋に気づいた。
「お手紙ですか?」
「フローラ様からです」
エミリアが嬉しそうに言う。
「フローラ様……シャロン嬢の妹君ですね」
「ああ」
セドリックは頷いた。
「それから、シャロン嬢がお前の記録表を褒めてくださっていた」
ノエルの動きが止まった。
「本当ですか」
「実際に使う人の負担を考えた良い形だと思う、と」
ノエルの表情が、ゆっくりと明るくなる。
「……よかった」
その声は小さかったが、深く息を吐くようだった。
「まだ、直すところはあると思います。でも、そう言っていただけたなら」
「自信にしていい」
セドリックが言うと、ノエルは少しだけ照れたように頷いた。
「はい」
「いつか本人に礼を言えるといいな」
「はい。まだ緊張しますが……少し、そうしたいと思えるようになりました」
その言葉に、セドリックは静かに頷いた。
ノエルもまた、少しずつ前へ進んでいる。
シャロン嬢が差し出してくれた言葉は、弟の中にも確かに届いている。
エミリアはフローラ嬢との手紙を嬉しそうに抱え、ノエルは記録表を見つめている。
セドリックは、その光景を不思議な気持ちで見ていた。
自分がシャロン嬢と手紙を交わし始めた時、こんなふうに家族まで変わっていくとは思わなかった。
けれど、確かに何かが動いている。
少しずつ。
本当に少しずつ。
夕食後、エミリアは小サロンで返事を書き始めた。
アメリアもそこにいて、娘の様子を楽しそうに見守っている。
「お母様、この本はどうでしょう」
エミリアが一冊の本を差し出す。
「『北方街道記』ね。少し堅いけれど、フローラ嬢なら楽しめるかもしれないわ」
「そう思いますか?」
「ええ。旅の記録だけれど、商人たちの会話が面白いもの」
「では、それにします」
エミリアは便箋へ向かった。
セドリックは少し離れた席で、自分の手紙を書いていた。
まずは、シャロン嬢への返事。
フローラ嬢の手紙をエミリアがとても喜んだこと。
ノエルが記録表を褒められて、少し自信を持ったこと。
配置図については急がないこと。
次回、彼女の気になる点を聞けるのを楽しみにしていること。
そして、少しだけ迷ってから、こう書いた。
――シャロン嬢がご家族への気持ちを少しずつ言葉にされるたび、私はその言葉を大切に受け取りたいと思っています。
書いてから、手を止める。
少し踏み込みすぎたかもしれない。
けれど、消さなかった。
彼女は、誇らしいという言葉を消さずに送ってくれた。
ならば、自分も受け取ったことをちゃんと返したい。
追伸には、蜂蜜の焼き菓子についても忘れずに書いた。
――蜂蜜の焼き菓子の王座については、次なる挑戦者を探しています。
――ただし、王座が強すぎるため、しばらく長期政権になるかもしれません。
書き終えて、自分で少し笑ってしまう。
焼き菓子の長期政権。
騎士団の報告書では絶対に書かない言葉だ。
けれど、シャロン嬢への手紙なら、不思議と書けてしまう。
少し離れた席では、エミリアがフローラ嬢への返事を書き終えたところだった。
「兄様」
「何だ」
「確認していただけますか?」
「ああ」
エミリアの便箋には、丁寧な文字が並んでいた。
フローラ様へ。
先日はお話しできて嬉しく思います。
教えていただいた『西辺境紀行』、ぜひ読んでみます。
私のおすすめは『北方街道記』です。
旅の記録ですが、途中に出てくる商人たちの会話がとても面白いです。
もし読まれたことがなければ、次に感想を伺えたら嬉しいです。
エミリア・グランフェル。
「良いと思う」
セドリックが言うと、エミリアはほっとしたように笑った。
「ありがとうございます」
「嬉しそうだな」
「はい」
エミリアは迷わず頷いた。
「短い手紙は、思ったより嬉しいものですね」
その言葉に、セドリックは少しだけ目を細めた。
そうだ。
短い言葉ほど、深く残ることがある。
少し楽しみにしております。
嬉しく思いました。
かなり良い評価です。
誇らしく思っていたのだと思います。
シャロン嬢の言葉は、いつも控えめだ。
けれど、その控えめな言葉が、セドリックの中で静かに場所を増やしている。
短い手紙は、思ったより嬉しい。
それは、エミリアだけではない。
セドリックもまた、何度もそう思ってきたのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
フローラとエミリアの手紙交流が始まりました。
セドリックも、シャロンの短い言葉を大切に受け取っているようです。
次回もよろしくお願いします。




