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元跡継ぎ令嬢はお見合い結婚した騎士伯爵と恋をします  作者: 影道AIKA


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第30話 可憐な令嬢と静かな妹が、微笑み合いました

読みに来てくださりありがとうございます。

今回はフローラとエミリアの初対面、そして蜂蜜の焼き菓子再比較の回です。

少し賑やかな茶会を楽しんでいただけたら嬉しいです。

その日のベルフォール家の応接室には、いつもより少し多めの皿が並んでいた。


 理由は、蜂蜜の焼き菓子の再比較である。


 ……いえ、違う。


 本日の主目的は、グランフェル家との茶会。

 そして、エミリア様とフローラの顔合わせ。


 市の配置図も見せていただく予定で、ノエル様の記録表の写しも預かってきてくださると聞いている。


 だから、蜂蜜の焼き菓子は主目的ではない。


 決してない。


「お姉様」


 隣に座るフローラが、静かに私を見た。


「何?」


「今、焼き菓子の皿を三回見ました」


「皿の配置を確認していただけよ」


「配置図を見る前から配置確認ですね」


「うまいことを言ったつもり?」


「少しだけ」


 この妹は、今日はいつもよりほんの少しだけ機嫌がいい。


 淡い灰銀の髪を整え、灰紫のドレスを着ている。

 派手ではないが、彼女の静かな雰囲気によく似合っていた。


 リディアはすでにそわそわしている。

 母は穏やかに微笑み、父はいつも通り落ち着いているが、今日は応接室の席の配置を少し気にしていた。


 つまり、皆それぞれに意識しているのだ。


 間もなく、グランフェル家の馬車が到着したと知らせが入った。


 私は背筋を伸ばす。


 緊張しているわけではない。


 ただ、今日は少し賑やかになるだろうと思っているだけだ。


 扉が開き、最初にセドリック様が入ってきた。


 焦げ茶の髪を整え、深緑の上着を着た姿は、相変わらず落ち着いている。

 だが、その手には丁寧に包まれた箱があった。


 焼き菓子だ。


 視線が向いてしまったことを、どうか誰にも気づかれていませんように。


 続いて、エミリア様が入ってくる。


 明るい栗色の髪に、柔らかな緑の瞳。

 淡いクリーム色のドレスがよく似合っていて、可憐な伯爵令嬢そのものだった。


「本日はお招きいただきありがとうございます」


 セドリック様が父と母へ丁寧に礼をする。


「こちらこそ、よく来てくださった」


 父が落ち着いて応じた。


「エミリア様も、ようこそお越しくださいました」


 母が微笑むと、エミリア様も優雅に礼をした。


「こちらこそ、本日はお招きいただきありがとうございます」


 エミリア様は母へ礼を返した後、私へ微笑んだ。


「シャロン様、本日もお招きいただきありがとうございます」


「こちらこそ、またお会いできて嬉しく思います」


 そう答えると、エミリア様の目元が少し明るくなった。


 それから、彼女はリディアへも視線を向ける。


「リディア様にも、初めてご挨拶いたします。エミリア・グランフェルです」


「リディア・ベルフォールです。お会いできて嬉しいです、エミリア様。今日はフローラも一緒なので、とても楽しみにしていました」


「はい。フローラ様にもお会いできると伺い、私も楽しみにしておりました」


 その言葉に、フローラが静かに立ち上がる。


「フローラ・ベルフォールです。セドリック様、エミリア様、本日はお会いできて光栄です」


 まずセドリック様が、穏やかに礼を返した。


「セドリック・グランフェルです。こちらこそ、ようやくご挨拶できて嬉しく思います。シャロン嬢から、フローラ嬢のお話は少し伺っておりました」


「姉が、何をお話ししたのか少し気になります」


「読書がお好きで、物事をよく見ていらっしゃる方だと」


 フローラはちらりと私を見た。


「お姉様」


「間違ってはいないでしょう」


「間違ってはいませんけど」


 フローラは静かに頷いた。


 続いて、エミリア様が柔らかく微笑む。


「エミリア・グランフェルです。私も、お会いできて嬉しいです」


「こちらこそ、エミリア様」


 二人は礼儀正しく微笑み合った。


 その瞬間、私はなぜか少しだけ嫌な予感がした。


 美しい挨拶だった。

 上品で、何の問題もない。


 けれど、二人の目が、互いをただ眺めているだけではなかった。


 観察している。


 エミリア様が、にこりと微笑んだ。


「フローラ様は、とても静かな雰囲気の方ですね」


「よく言われます。エミリア様は、とても可憐な方ですね」


「ありがとうございます。でも、可憐なだけではないと兄にはよく言われます」


「それは、よくわかる気がします」


「まあ。もうですか?」


「はい。目が可憐なだけではありませんので」


 エミリア様は一瞬だけ目を丸くし、それから楽しそうに笑った。


「フローラ様も、静かなだけではなさそうです」


「よく言われます」


 二人はもう一度、にこりと微笑み合った。


 ……何かが成立した気がする。


 隣でリディアが小声で言った。


「お姉様、なんだか素敵ですね」


「素敵かどうかは、まだ判断材料が足りないわ」


「でも、仲良くなれそうです」


「それは否定しないけれど……少し怖いわ」


「怖い?」


「ええ。主に私たちが」


 リディアは不思議そうに首をかしげた。


 席に着くと、茶が運ばれた。


 セドリック様はまず父へ、今日持参した資料について説明した。


「ハイレン領の市の配置図を用意いたしました。こちらは後ほど、シャロン嬢にご覧いただければと思います」


「ありがたい。娘も興味を持っているようだ」


 父がそう言うと、私は少しだけ姿勢を正した。


「興味というより、確認です」


「同じようなものでは?」


 セドリック様が穏やかに言う。


「違います」


「では、確認として」


「……そうしてください」


 セドリック様は少しだけ笑った。


 その笑い方を見て、胸の奥がふわりと温かくなる。


 いけない。

 今日はフローラとエミリア様の顔合わせが主目的だ。


 そう自分に言い聞かせたところで、セドリック様が持ってきた箱に手をかけた。


「それから、こちらが蜂蜜の焼き菓子です」


 応接室の空気が、ほんの少しだけ変わった。


 主に、私とリディアのせいかもしれない。


「前回のものと、新しく候補にしたものの二種類です」


「比較条件は整っていますね」


 私が言うと、セドリック様は真面目に頷いた。


「はい。どちらも蜂蜜を使ったものですが、店と焼き方が違います」


「なるほど」


 私は皿へ並べられた菓子を見た。


 一つは前回と同じ、しっとりとした黄金色の焼き菓子。

 もう一つは少し薄く焼かれ、表面に蜂蜜の艶があるものだった。


 香りが違う。


 前回のものは柔らかく深い甘さ。

 新しいものは、香ばしさが強い。


「これは、なかなか判断が難しそうです」


「真剣ですね、お姉様」


 リディアが小声で言う。


「比較ですから」


「はい」


 エミリア様が楽しそうに私を見ていた。


「兄様から伺っていた通りです」


「何を伺っていたのですか?」


「シャロン様は、焼き菓子にも領地資料にも真剣に向き合われると」


「その並びはどうなのでしょう」


「私も少し不思議に思いました」


 エミリア様は悪びれずに笑う。


 フローラが静かに言った。


「姉らしいと思います」


「フローラ」


「褒めています」


「本当に?」


「半分くらいは」


「残り半分は?」


「観察結果です」


 セドリック様が小さく笑った。


 私は扇を開く。


 けれど、完全には隠しきれなかったと思う。


 焼き菓子の比較は、まず前回のものから始まった。


 やはり美味しい。


 しっとりとして、蜂蜜の香りが柔らかく広がる。

 甘いのに重すぎず、茶とよく合う。


「前回の評価は、やはり妥当だったと思います」


 私が言うと、セドリック様の目元が少し柔らかくなった。


「ありがとうございます」


「あなたが作ったわけではないでしょう」


「ですが、好きなものを褒めていただけるのは嬉しいので」


 また、そういうことをまっすぐ言う。


 私は扇で口元を隠した。


 リディアがにこにこしている。

 母も微笑んでいる。

 フローラとエミリア様は、なぜか互いに目を合わせた。


 やめてほしい。


 その目は完全に、何かを共有した目だった。


「次は新しい候補ですね」


 私は強引に話を戻した。


 新しい蜂蜜の焼き菓子は、軽い食感だった。

 表面は香ばしく、中はほろりと崩れる。

 蜂蜜の甘さは控えめだが、後味に残る香りが良い。


「これは……」


 私は少し考えた。


「前回のものとは別方向ですね」


「そうですか」


「はい。前回のものは茶会向きです。こちらは、軽く摘まむには良いと思います。香ばしさはこちらの方が勝っています」


「では、勝敗は?」


 エミリア様が楽しそうに尋ねる。


 私は真剣に考えた。


「総合評価では、前回のものです」


 セドリック様が静かに頷く。


「やはり」


「ですが、新しい候補も悪くありません。特に甘さを控えたい方にはこちらの方が向いているかと」


「なるほど」


 セドリック様は真面目に受け止めている。


 完全に焼き菓子の審査会になっている。


 そのことに気づいた時、フローラが静かに口を開いた。


「お姉様」


「何?」


「本日の主目的は、蜂蜜の焼き菓子でしたか?」


「違うわ」


「では、少し戻しましょうか」


 その言い方があまりにも落ち着いていて、エミリア様が楽しそうに笑った。


「フローラ様は、とても冷静なのですね」


「冷静でいないと、姉とリディアお姉様の周りでは流されますので」


「まあ。少しわかります。私も兄様と母の間にいると、時々流れを整えたくなります」


「お互い、苦労がありますね」


「はい」


 二人はまた、にこりと微笑み合った。


 今度は、はっきりとわかった。


 この二人は合う。


 リディアもそれに気づいたのか、目を輝かせている。


「フローラ、エミリア様と仲良くなれそうね!」


「リディアお姉様、声が大きいです」


「でもそうでしょう?」


「……まだ判断材料は少ないです」


 フローラがそう言うと、エミリア様が微笑んだ。


「では、判断材料を増やすために、本のお話をしてもよろしいですか?」


「喜んで」


 フローラの声が、ほんの少しだけ明るくなった。


 そこから二人は、最近読んだ本の話を始めた。


 王都で流行している詩集。

 歴史書。

 旅行記。

 それから、騎士物語の中で描かれる戦術がどれほど現実的か、という話まで。


 可憐な令嬢と静かな令嬢が、上品に微笑みながら、騎士物語の兵站の不自然さについて語り合っている。


 私は思わずセドリック様を見た。


 セドリック様も、少し困ったようにこちらを見ていた。


「……エミリア様は、本当に武門の令嬢なのですね」


「はい。フローラ嬢も、かなり鋭い方ですね」


「そうでしょう」


 思わずそう答えていた。


 セドリック様の表情が柔らかくなる。


「誇らしそうです」


「妹ですから」


 言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。


 セドリック様は何も茶化さなかった。

 ただ静かに頷いた。


「素敵なことだと思います」


 その言葉に、胸がまた温かくなる。


 私は視線をそらし、茶杯を持った。


 しばらくして、父が市の配置図の筒へ目を向けた。


「配置図も、そろそろ見せていただけるかな」


「はい」


 セドリック様が立ち上がり、筒から図を取り出した。


 机の上に広げられたそれは、ハイレン領の市の様子を細かく記したものだった。


 露店の並び。

 主要な通路。

 荷車の入り口。

 井戸の位置。

 雨の日に水が溜まりやすい場所。


 私は思わず身を乗り出した。


「……かなり細かいですね」


「管理人に確認させました」


「ノエル様の記録表の写しもあるのですよね」


「はい。こちらに」


 セドリック様は別の紙を差し出した。


 私は受け取り、ざっと目を通した。


 天候。

 村名。

 荷の種類。

 到着時刻。

 止まった場所。

 任意項目として、道の状態や遅れた理由。


 見やすい。


「よく整理されています」


 私がそう言うと、セドリック様の表情が少し明るくなった。


「ノエルに伝えます」


「ええ。ぜひ」


「本人はまだお会いするのを緊張しているようですが」


「真面目な方なのですね」


「はい」


「この記録表を見る限り、丁寧な方でもあると思います」


 セドリック様は、静かに頷いた。


「ありがとうございます。きっと喜びます」


 私は配置図へ視線を戻した。


 本格的に見るなら、これは時間がかかる。

 今日の茶会で深く踏み込むには、少し情報が多い。


 けれど、いくつか気になる点はある。


「今日は概要だけ確認してもよろしいですか」


「もちろんです。急ぎません」


 その言葉に、私は少しだけ目を上げた。


 急ぎません。


 いつもの言葉だ。


 けれど今日は、それがただの遠慮ではなく、私に合わせようとしてくれている言葉だとわかった。


「では、次回までに気になる点を整理しておきます」


「ありがとうございます」


「ただし」


 私は配置図を指先で押さえた。


「焼き菓子の比較と同日に持ってくるには、これは少し情報量が多すぎます」


 セドリック様が真面目に頷く。


「反省します」


「反省するほどではありません」


「では、次回から配分を考えます」


「そうしてください」


 エミリア様とフローラが、同時にこちらを見た。


 そして、ほぼ同じタイミングで小さく笑った。


「……何かしら」


 私が尋ねると、フローラが静かに言った。


「お姉様とセドリック様は、会話の配分まで相談するのですね」


 エミリア様が続ける。


「とてもお二人らしいと思います」


 私は扇で口元を隠した。


 セドリック様は、少しだけ困った顔をしている。


 だが、否定しなかった。


 それがまた、困る。


 茶会が終わる頃には、応接室の空気は最初よりずっと柔らかくなっていた。


 フローラとエミリア様は、すでに次に読む本の話をしている。

 リディアはそれを嬉しそうに見ている。

 母と父も、穏やかに会話を交わしていた。


 帰り際、玄関広間で見送る時、エミリア様がまず父と母、そして私へ丁寧に礼をした。

 続いて、リディアへ向き直る。


「リディア様、本日はお話しできて嬉しかったです」


「私もです、エミリア様。またぜひいらしてくださいね」


 リディアが明るく答えると、エミリア様は柔らかく微笑んだ。


 それから、フローラへ向き直る。


「フローラ様、今日はお話しできて嬉しかったです」


「私もです。エミリア様は、可憐なだけではない方でした」


「それは褒め言葉として受け取っても?」


「はい」


「では、ありがとうございます。フローラ様も、静かなだけではありませんでした」


「それも褒め言葉として受け取ります」


 二人は微笑み合った。


 私は、それを見て少しだけ胸が温かくなった。


 その隣で、セドリック様が父と母へ礼をした。


「本日はありがとうございました。少し賑やかな茶会になってしまいましたが、とても有意義な時間でした」


「こちらこそ。配置図の件も、感謝する」


 父が頷く。


「焼き菓子も美味しかったわ」


 母が微笑むと、セドリック様は少しだけ照れたように目を伏せた。


「ありがとうございます」


 それから、セドリック様はリディアへ視線を向けた。


「リディア嬢も、本日はありがとうございました」


「こちらこそ、とても楽しかったです。蜂蜜の焼き菓子も美味しかったです!」


「それはよかったです」


「次回の比較も楽しみにしています」


「リディア」


 私が呼ぶと、リディアはにこりと笑った。


「私も判断材料を増やしたいだけです」


「その言葉を便利に使わないで」


 セドリック様は少し笑ってから、フローラへも丁寧に礼をした。


「フローラ嬢、本日はありがとうございました。妹と話してくださって感謝しています」


「こちらこそ。エミリア様は、とても興味深い方でした」


「興味深い、ですか」


「はい。良い意味で」


「それなら、安心しました」


 セドリック様は穏やかに答えた後、最後に私へ向き直った。


「シャロン嬢」


「はい」


「今日はありがとうございました。焼き菓子も、配置図も、妹のことも」


「ずいぶん多いですね」


「はい。少し詰め込みすぎました」


「自覚があるならよろしいです」


「次回は気をつけます」


「お願いします」


 そう言い合ってから、私は少しだけ笑ってしまった。


 セドリック様も、穏やかに目元を和らげる。


「それでも」


 彼は静かに続けた。


「今日、あなたのご家族と少し近づけたことが嬉しかったです」


 胸の奥が、また揺れた。


「……私も」


 声が少し小さくなる。


「悪くない時間だったと思います」


「それは、かなり良い評価でしょうか」


「判断材料としては」


「はい」


「かなり良い評価です」


 セドリック様の表情が、驚いたように少しだけ動いた。


 それから、柔らかく微笑む。


「ありがとうございます」


 馬車が去っていく。


 フローラはエミリア様の姿を見送っていた。


「フローラ」


「はい」


「どうだった?」


 妹は少し考えた。


「面白い方でした」


「それは褒めているの?」


「かなり」


 リディアが嬉しそうに笑う。


「やっぱり仲良くなれそう!」


「リディアお姉様、まだ一度話しただけです」


「でも?」


「……また話してみたいとは思います」


 その言葉に、私は少しだけ笑った。


 可憐な令嬢と静かな妹が、微笑み合いました。


 そして、蜂蜜の焼き菓子の再比較も、市の配置図も、思ったより悪くない時間になった。


 少しずつ。


 本当に少しずつだが。


 私の周りには、新しいつながりが増え始めている。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

フローラとエミリア、なかなか相性が良さそうです。

焼き菓子と配置図も入り、少し賑やかな回になりました。

次回もよろしくお願いします。

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