第28話 可憐な妹は、静かな令嬢に会いたい
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はグランフェル家側のお話です。
フローラとの対面に向けて、エミリアが少しそわそわし始めます。
蜂蜜の焼き菓子再比較も近づいてきました。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
シャロン嬢からの返事は午後、小書斎に届いた。
その日、セドリックはハイレン領の市の配置図を確認していた。
机の上には、領都の広場を描いた図が広げられている。
露店の位置。
荷車の出入り口。
雨の日に人の流れが滞りやすい場所。
そして、ノエルが整えた記録表の写し。
すべて、少し前ならただの領地資料だった。
けれど今は違う。
この紙を見れば、シャロン嬢がどこに目を向けるだろうかと考える。
どの道を指し、どの店の配置を疑問に思うだろうかと想像する。
それが少し楽しい。
いや。
かなり楽しい。
「兄上」
横で記録表を整えていたノエルが顔を上げた。
「今、少し笑っていました」
「そうか」
「はい」
「配置図が見やすくなったと思っていた」
「それだけですか?」
ノエルにまでそう尋ねられ、セドリックは一瞬返答に困った。
最近、家族が皆、遠慮なく踏み込んでくる。
いや、元からかもしれない。
そこへ、使用人がベルフォール家の封筒を運んできた。
ノエルはすぐに姿勢を正した。
「シャロン嬢からですか?」
「ああ」
封を切る手が、自然と慎重になる。
手紙には、エミリアがフローラ嬢にも挨拶したいと言ってくれたことへの礼が書かれていた。
フローラ嬢も、次に会う機会があれば挨拶したいと話していること。
そして、こう続いていた。
――私の家族にも、少しずつ向き合ってくださることを、嬉しく思います。
セドリックは、その一文で手を止めた。
嬉しく思います。
シャロン嬢が、またそう書いてくれた。
自分だけではない。
家族にも向き合うことを、嬉しいと。
その言葉は、思っていたより深く胸に届いた。
シャロン嬢にとって、家族は簡単なものではない。
ベルフォール家の中での役目。
跡継ぎとしての期待。
弟レオンの誕生で変わってしまった居場所。
それらを抱えながら、それでも彼女は、自分の家族をこちらへ少しだけ見せてくれている。
それが、嬉しかった。
「兄上」
ノエルが静かに声をかける。
「嬉しいことが書いてありましたか」
「ああ」
セドリックは正直に頷いた。
「とても」
ノエルは少しだけ目を丸くした後、柔らかく笑った。
「よかったですね」
「ああ」
その時、小書斎の扉が勢いよく開きかけ、すぐに控えめな音で止まった。
「失礼します。入ってもよろしいですか?」
エミリアだった。
勢いを抑えようとした努力だけは見える。
「もう半分入っているが」
「気持ちはまだ扉の外です!」
「それはどういう状態だ」
エミリアはにこりと笑って、小書斎に入ってきた。
明るい栗色の髪が揺れ、緑の瞳が期待で輝いている。
「シャロン様からですか?」
「ああ」
「フローラ様のことは?」
「次に会う機会があれば、挨拶したいと話してくださっているそうだ」
「まあ!」
エミリアの顔が一気に明るくなった。
「本当ですか?」
「本当だ」
「では、準備をしなければ」
「また準備か」
「当然です」
エミリアは真剣な顔になった。
「シャロン様の妹君で、同い年で、読書がお好きで、静かだけれど観察眼が鋭い方なのでしょう?」
「ああ」
「それは、かなり興味深い方です」
ノエルが少し首を傾げた。
「姉上、興味深いという言い方は、少し研究対象みたいです」
「最初は、相手をよく知ることが大事でしょう?」
「そうですが」
「それに、フローラ様も私に興味を持ってくださったのですよね。なら、こちらも真剣に向き合わなければ失礼です」
エミリアは胸を張った。
可憐な伯爵令嬢の姿で、言っていることはほとんど調査の心得である。
セドリックは思わず口元を緩めた。
「フローラ嬢と気が合いそうだな」
「兄様もそう思いますか?」
「ああ」
「母上もおっしゃっていました。私とフローラ様は、たぶん互いに見抜き合うだろうと」
「見抜き合う前提なのか」
「兄様とシャロン様も、かなり見抜き合っているように見えます」
「そうか?」
「はい。ただし、お二人とも見抜かれていることには時々気づいていません」
ノエルが小さく笑った。
セドリックは咳払いをした。
「それより、次の茶会の話だ」
「はい」
「市の配置図も持参する予定だ。だが、それだけではシャロン嬢に負担をかけるかもしれない。だから、茶会としても自然な形にしたい」
「つまり、蜂蜜の焼き菓子ですね」
エミリアの答えは早かった。
「なぜそこで即答する」
「シャロン様も再比較を楽しみにしているのでしょう?」
「厳正に確認すると書かれている」
「それは、楽しみにしているという意味では?」
ノエルが控えめに言った。
「たぶん、そうだと思います」
セドリックは弟を見る。
「ノエルまで」
「すみません。でも、シャロン嬢は楽しみではないものに、厳正に確認するとは書かない気がします」
その解釈は、妙に納得できた。
シャロン嬢なら、興味がなければもっと礼儀正しく距離を置く。
あえて厳正に確認すると書くのは、少なくとも拒絶ではない。
むしろ、彼女なりの期待なのかもしれない。
「では、蜂蜜の焼き菓子は用意しよう」
セドリックが言うと、エミリアは嬉しそうに頷いた。
「二種類でしたね?」
「ああ。候補は絞った」
「兄様のお気に入りだったものと、新しいものですか?」
「そうだ」
「それは大事ですね。前回のものを超えられるかどうか、私も気になります」
「お前も参加するつもりか」
「もちろんです。フローラ様との会話のきっかけにもなりますし」
「焼き菓子が?」
「はい。甘いものは、意外と人を正直にします」
エミリアは真面目に言った。
セドリックは少し考えた。
確かに、焼き菓子を前にしたシャロン嬢は、少しだけ表情がやわらかかった。
蜂蜜の菓子を美味しいと言った時も、扇で隠しきれないほど目元が穏やかだった。
甘いものは、人を正直にする。
あながち間違いではないのかもしれない。
そこへ、母アメリアが小書斎を覗いた。
「あら、楽しそうね」
「母上」
「シャロン嬢からお返事が来たのね」
「はい」
「フローラ嬢のことは?」
エミリアが椅子から立ち上がりそうな勢いで答えた。
「次にお会いする時、ご挨拶できるかもしれません!」
「まあ。よかったわね」
「はい!」
アメリアは微笑みながら部屋に入り、机の上の配置図へ目を向けた。
「市の配置図も持っていくの?」
「はい。ただ、領地相談だけにならないようにしたいと考えています」
「良い考えね」
アメリアは頷いた。
「シャロン嬢はきっと、求められれば考えてしまう方でしょう。だから、ただ頼るだけではなく、楽しい時間も一緒に渡してあげなさい」
「はい」
「エミリアとフローラ嬢の顔合わせも、きっと良い時間になるわ」
「母上、私、何を話せばよいでしょう」
エミリアが尋ねる。
アメリアは少し考えた。
「まずは本の話かしら。読書がお好きなら、無理に家の話から入らなくてもいいでしょう」
「はい」
「それから、シャロン嬢とセドリックの話は、最初から掘りすぎないこと」
エミリアは少し目をそらした。
「少しだけなら?」
「少しだけなら」
「母上」
セドリックが声を挟むと、アメリアはにこりと笑った。
「大丈夫よ。エミリアは加減を知っているわ」
「母上の加減と、一般的な加減が同じか不安です」
「失礼ね」
「事実です」
ノエルが小さく笑った。
グランフェル家の小書斎は、いつの間にかまた家族会議の場になっていた。
議題は、ハイレン領の市の配置図。
蜂蜜の焼き菓子再比較。
そして、エミリアとフローラ嬢の初対面。
改めて考えると、随分と不思議な組み合わせである。
だが、不思議とまとまっている。
シャロン嬢と出会ってから、こういうことが増えた。
領地の話と茶会。
焼き菓子と手紙。
家族の挨拶と少しずつの歩み寄り。
どれも別々のようで、彼女へつながっている。
「兄上」
ノエルが控えめに声をかけた。
「私は、まだ伺わない方がよいでしょうか」
セドリックは弟を見た。
ノエルの灰緑色の瞳には、緊張と迷いが浮かんでいる。
けれど、以前よりも少しだけ前向きだった。
「今は、無理に行かなくていい」
「はい」
「だが、記録表の写しは持っていく。シャロン嬢が見たいとおっしゃれば、私から見せてもいいか?」
「もちろんです」
ノエルはすぐに頷いた。
「むしろ、見ていただけるならありがたいです。けれど、まだ私が直接説明するのは……」
「緊張するか」
「はい」
「なら、今はそれでいい」
ノエルはほっとしたように息を吐いた。
エミリアが優しく言う。
「いつか、きちんとお礼を言えればいいわ」
「はい」
「その時は、私も隣にいてあげます」
「姉上がいると、別の意味で緊張します」
「どういう意味?」
「いえ、その……」
ノエルが困り、エミリアが首を傾げる。
アメリアは楽しそうに笑っていた。
セドリックは、その光景を見ながら手紙をもう一度見下ろした。
――私の家族にも、少しずつ向き合ってくださることを、嬉しく思います。
シャロン嬢の家族。
自分の家族。
その間に、少しずつ道ができていく。
かつて彼女は、跡継ぎの道を失った。
自分の価値が条件で切り捨てられたと感じていた。
けれど今、別の道が伸びている。
それはまだ細く、頼りない。
けれど、彼女の足元へ向かっている。
セドリックは便箋を取り出した。
返事を書く。
フローラ嬢が挨拶してくださることへの礼。
エミリアがとても楽しみにしていること。
ノエルはまだ緊張しているが、記録表の写しを預かっていること。
市の配置図と、蜂蜜の焼き菓子二種類を持参したいこと。
そして、少し迷ってから一文を加えた。
――私も、シャロン嬢のご家族と少しずつ言葉を交わせることを嬉しく思っています。
――それは、あなたが大切にしているものを、少しずつ知ることでもあると思うからです。
書いてから、胸の奥が静かに熱を持った。
踏み込みすぎただろうか。
いや。
これは本当のことだ。
家族に向き合うことは、彼女に向き合うことでもある。
セドリックは、その一文を消さなかった。
追伸には、焼き菓子について書く。
――蜂蜜の焼き菓子は二種類用意いたします。
――ただし、前回のものへの評価が高かったため、新しい候補には少々不利な比較になるかもしれません。
書き終えると、エミリアがそっと覗き込もうとして、アメリアに止められた。
「エミリア、手紙は覗かないの」
「はい、母上」
「気持ちはわかるけれど」
「わかるんですね」
「もちろん」
母娘の会話に、セドリックは苦笑した。
封をして、使用人に託す。
次に会う時は、配置図と焼き菓子と、エミリアを連れていくことになるだろう。
フローラ嬢との対面。
シャロン嬢との会話。
蜂蜜の焼き菓子の再比較。
どれも、楽しみだった。
そして、その全部をシャロン嬢と共有できることが、何より楽しみだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
エミリアとフローラの初対面、そして蜂蜜の焼き菓子再比較の準備が進んできました。
ノエルも少しずつ、自分の距離で前へ進もうとしているようです。
次回もよろしくお願いします。




