第17話 焼き菓子の比較は、縁談に含まれますか
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はセドリックが焼き菓子を持ってベルフォール家を訪れるお話です。
甘いものを挟みながら、少しずつ近づく二人を楽しんでいただけたら嬉しいです。
セドリック様が、焼き菓子を持って来る。
そう聞いた時、リディアは両手を合わせて目を輝かせた。
「お姉様、ついに焼き菓子の比較ですね!」
「ついに、というほど待ち望んでいた覚えはないわ」
「でも楽しみにしていたんじゃ?」
「……手紙を勝手に読んだの?」
「読んでいません。でも、お姉様の顔に書いてあります」
「私の顔を掲示板扱いするのはやめなさい」
私は鏡の前で、今日の装いを確認した。
すみれ色のドレス。
派手ではないが、青紫の瞳には合う。
銀髪はいつもより少しだけ柔らかく結われていた。
母が選んだリボンだ。
少し可愛らしすぎる気がしたが、母が嬉しそうだったので何も言わなかった。
「とても綺麗です、お姉様」
「ありがとう」
「セドリック様も、きっとそう思います」
「なぜそこでセドリック様が出てくるの」
「本日のお客様ですので」
「焼き菓子の持参者でしょう」
「縁談相手です」
「……そうだったわね」
自分で言っておいて、少しおかしくなった。
最近、セドリック様とのやり取りは、縁談なのか領地相談なのか茶菓子の審査なのか、分類が難しくなっている。
だが、不快ではない。
むしろ、困るくらいには楽しみにしている。
それを認めるのは、まだ少し悔しいけれど。
応接室へ向かうと、父と母はすでに待っていた。
机の上には茶器が用意されている。
そして、焼き菓子を並べられるよう、いつもより皿の数が多い。
「お母様」
「何かしら」
「準備が整いすぎではありませんか」
「比較には皿が必要でしょう?」
「お母様まで…」
母は穏やかに微笑んだ。
父は何も言わずに茶器を見ている。
けれど、少しだけ面白がっているように見えた。
やがて、セドリック様が到着した。
今日の彼は落ち着いた濃紺の上着を着ていた。
焦げ茶の髪はきちんと整えられ、深い緑灰色の瞳はいつも通り穏やかだった。
そして手には、丁寧に包まれた箱がある。
焼き菓子だ。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
「こちらこそ、お越しいただきありがとうございます、セドリック様」
セドリック様は続けて、父と母へ丁寧に礼をした。
「エドモンド卿、マリエル夫人、本日はお時間をいただきありがとうございます」
「こちらこそ、よく来てくださった」
父が落ち着いた声で応じる。
「今日は、ずいぶん楽しそうな品をお持ちくださったのね」
母が箱へ視線を向けて、柔らかく微笑んだ。
「はい。シャロン嬢との約束……いえ、比較材料として持参いたしました」
「まあ。比較材料」
母の笑みが、少しだけ深くなる。
セドリック様は、今度はリディアへ視線を向けた。
「リディア嬢も、本日は同席してくださりありがとうございます」
「こちらこそ、楽しみにしておりました!」
「リディア」
「焼き菓子を、です!」
「そこは言い直さなくてもよかったわ」
セドリック様が小さく笑った。
視線が箱へ向いたことには、どうか気づかれていないでほしい。
だがセドリック様は、少しだけ口元を緩めた。
「ご指定の、実物の比較材料です」
「指定した覚えはありません。可能性を述べただけです」
「では、可能性に備えて持参しました」
「……用意がよろしいですね」
「虚偽申告のない比較を行うためには、実物が必要かと思いまして」
真面目な顔で言うものだから、私は扇で口元を隠した。
父が咳払いをした。
母は笑みを深めている。
リディアは部屋の端で、完全に楽しんでいる顔をしていた。
セドリック様は箱を机の上に置き、丁寧に包みを開いた。
中には三種類の焼き菓子が並んでいた。
蜂蜜を使った黄金色のもの。
胡桃が混ぜ込まれた香ばしそうなもの。
林檎を煮たものを包んだ、丸みのある菓子。
甘い香りがふわりと広がる。
「……なるほど」
私は思わず呟いた。
「見た目だけでも、判断材料は十分ありそうです」
「味も確認していただければ」
「もちろんです。比較ですから」
言ってから、私は少し固まった。
なぜこんなに真剣なのか。
これは縁談相手との茶会である。
焼き菓子の審査会ではない。
だが、セドリック様は当然のように頷いた。
「まずは蜂蜜からでよろしいでしょうか」
「順番まで決めていらしたのですか」
「味の強さを考えると、その方がよいかと」
「本当に真面目ですね」
「よく言われます」
私は小さく笑ってしまった。
蜂蜜の焼き菓子は、しっとりしていた。
甘さは強いが、くどくない。
香りが柔らかく、茶によく合う。
「美味しいです」
私がそう言うと、セドリック様の表情がほんの少し明るくなった。
その変化が小さすぎて、普通なら気づかないかもしれない。
けれど私は、もう少しだけ彼を見るようになっていた。
「やはり、蜂蜜がお好きなのですね」
「はい」
「今の顔でわかりました」
「顔に出ていましたか」
「少し」
「……気をつけます」
「気をつけなくてもよろしいのでは?」
私がそう言うと、セドリック様は瞬きをした。
「好きなものを好きだとわかる顔は、悪いものではないと思います」
言ってから、私は自分で驚いた。
何を言っているのだろう。
まるで、自分に言っているようでもあった。
好きなものを、好きだとわかる顔。
私は、それをずっと隠す癖があったのかもしれない。
セドリック様は、少しだけ柔らかく微笑んだ。
「では、気をつけすぎないようにします」
「そうしてください」
次は胡桃の焼き菓子だった。
香ばしく、甘さは控えめ。
噛むほどに味が出る。
「これは大人向けですね」
「騎士団では、こちらの方が好まれます」
「騎士団で焼き菓子の好みを把握しているのですか」
「差し入れの減り方で、ある程度は」
「なるほど。記録は?」
「取っていません」
「減点ですね」
「次回から検討します」
「冗談です」
「半分ほど?」
「……よくおわかりで」
セドリック様が小さく笑った。
その笑い方を見て、胸の奥が少しだけくすぐったくなる。
この人は、私の冗談を真面目に受け取る。
けれど、ただ振り回されているわけではない。
少しずつ、返し方を覚えている。
それが、なんだか嬉しい。
三つ目の林檎の焼き菓子は、思ったよりもやさしい味だった。
煮た林檎の酸味と甘みが、外側の生地に合っている。
リディアなら間違いなく好きだろう。
「これは妹が喜びそうです」
私がそう言うと、部屋の端にいたリディアがぱっと顔を上げた。
「お姉様、私もいただいていいですか?」
「もう少し待ちなさい」
「比較後ですか?」
「比較後よ」
「はい!」
セドリック様が穏やかに笑った。
「リディア嬢の分も十分にあります」
「ありがとうございます、セドリック様!」
リディアの顔が花のように明るくなる。
私は少しだけため息をついた。
「甘やかすと調子に乗りますよ」
「妹君が嬉しそうなのは、良いことだと思います」
「そういうところです」
「どのようなところでしょう」
「人を甘やかすところです」
「シャロン嬢も、甘やかされるのはお嫌いですか」
不意に返され、私は言葉に詰まった。
セドリック様は、すぐに少し表情を改めた。
「失礼しました。踏み込みすぎました」
「……いいえ」
私は茶杯へ視線を落とした。
甘やかされる。
その言葉は、私にとって少し扱いづらい。
リディアやフローラは、自然に甘えられる。
母に抱きつき、父にねだり、笑って許される。
私は、そういうものをどこか遠くから見ていた。
羨ましかったのかもしれない。
けれど、羨ましいと認めるのも嫌だった。
「嫌い、というより」
私はゆっくりと言った。
「慣れていないのだと思います」
言葉にした瞬間、応接室の空気が少しだけ静かになった。
父も母も、何も言わなかった。
リディアも珍しく黙っている。
セドリック様だけが、静かに頷いた。
「では、急ぎません」
いつもの言葉だった。
けれど今日は、いつもより少し胸に届いた。
「……本当に、調子が狂います」
「申し訳ありません」
「謝るところではありません」
「では、覚えておきます」
その返しに、私は少しだけ笑ってしまった。
沈みかけた空気が、ふっと軽くなる。
セドリック様はそういう人だ。
無理に明るくしない。
踏み込んだことに気づけば、立ち止まる。
けれど、なかったことにはしない。
だから、私は少しだけ本音を置いてもいいと思ってしまう。
「それで、判断結果はいかがでしょうか」
セドリック様が真面目に尋ねた。
「焼き菓子の?」
「はい」
「蜂蜜は、あなたが一番お好きなのがよくわかりました。胡桃は騎士団向き。林檎は妹向きです」
「シャロン嬢のお好みは?」
私は少しだけ迷った。
どれも美味しかった。
けれど、ひとつ選ぶなら。
「……蜂蜜、でしょうか」
セドリック様の目が、わずかに明るくなった。
「そうですか」
「なぜ嬉しそうなのですか」
「自分の好きなものを、美味しいと言っていただけるのは嬉しいものだと思いました」
まただ。
この人は、そういうことをまっすぐ言う。
私は扇で口元を隠した。
「それは、よかったですね」
「はい」
「ただし、判断は本日分のみです。別の店の蜂蜜菓子と比較すれば、結果は変わるかもしれません」
「では、次回は別の店のものを用意します」
「……本気で?」
「はい」
真面目な顔だった。
私はついに笑ってしまった。
今度は隠しきれなかった。
父が静かに目を細める。
母が嬉しそうに微笑む。
リディアは、なぜか胸の前で両手を握っている。
見ない。
見ないことにする。
「では、次回の判断材料も期待しております」
「承知しました」
セドリック様は丁寧に頷いた。
焼き菓子の比較が終わると、茶会は少し穏やかな雑談へ移った。
ハイレン領の市の記録表のこと。
ノエル様が項目を整理したこと。
アメリア様がそれを褒めたこと。
セドリック様は、その時のノエル様の表情を、少し嬉しそうに話した。
弟を大切にしているのがわかる。
その声を聞きながら、私は思った。
この人は、誰かの小さな変化をちゃんと見る人なのだと。
私の言葉も。
ノエル様の表情も。
焼き菓子を前にした自分の喜びも。
見て、受け取り、言葉にする。
それは、私がまだうまくできないことだった。
帰り際、玄関広間でセドリック様を見送る時、彼はまず父と母へ丁寧に礼をした。
「本日はありがとうございました。焼き菓子まで皆様でお付き合いいただき、恐縮です」
「いや、こちらこそ興味深い時間だった」
父が静かに答えた。
「次は、ハイレン領の市の配置図も見せていただけるのかしら」
母が微笑むと、セドリック様は真面目に頷いた。
「はい。ご迷惑でなければ、用意してまいります」
「迷惑だなんて。シャロンもきっと喜ぶわ」
「お母様」
「違ったかしら?」
「……判断材料としては、有用です」
母は楽しそうに笑った。
リディアも一歩前に出て、明るく礼をした。
「セドリック様、焼き菓子とても美味しかったです」
「それはよかったです、リディア嬢」
「次回の比較も楽しみにしています!」
「リディア」
「私も判断材料を増やした方がいいと思います!」
「その言葉を便利に使わないで」
セドリック様は、少し笑ってから、最後に私へ向き直った。
「シャロン嬢」
「はい」
「今日、お会いできて嬉しかったです」
また、まっすぐな言葉。
私は一瞬だけ返事に迷った。
けれど、今日は逃げないと決めたわけではないが、少しくらいなら逃げずにいてもいい気がした。
「……私も」
声が小さくなった。
けれど、続けた。
「私も、楽しかったです」
セドリック様の表情が、静かに柔らかくなる。
その顔を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。
「ありがとうございます」
「比較が有意義でしたので」
「はい」
「そこは否定してください」
「ですが、有意義でした」
「本当に調子が狂います」
そう言うと、セドリック様は小さく笑った。
馬車が去っていく。
私はその後ろ姿を見送りながら、隣で今にも何か言いたそうなリディアを見ないようにした。
今日は焼き菓子の比較をしただけ。
そう言い聞かせる。
けれど、私は知っている。
蜂蜜の甘さよりも、胸に残っているものがあることを。
それが何なのか、まだ名前はつけられない。
けれど少なくとも。
次の比較を、少しだけ楽しみにしている自分は、もう否定できそうになかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
焼き菓子の比較会のはずが、少しだけ本音もこぼれた回になりました。
シャロンも少しずつ、自分の気持ちを否定しきれなくなっているようです。
次回もよろしくお願いします。




