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元跡継ぎ令嬢はお見合い結婚した騎士伯爵と恋をします  作者: 影道AIKA


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第16話 少し、という言葉が一番強い

読みに来てくださりありがとうございます。

今回はシャロンからの手紙を受け取ったセドリック側のお話です。

少しずつ言葉を返し合う二人を楽しんでいただけたら嬉しいです。

シャロン嬢からの手紙は、昼過ぎに届いた。


 セドリックはグランフェル家の小書斎で、ノエルが作り直した記録表に目を通していた。


 机の上には、ハイレン領の市に関する資料が並んでいる。

 地図。

 村ごとの荷の一覧。

 雨の日にぬかるみやすい道についての聞き取り書き。


 そして、その横に置かれた新しい記録表。


 ノエルは前回よりも項目を減らし、必ず記録する部分と、余裕があれば記録する部分を分けていた。


「前より見やすくなったな」


 セドリックがそう言うと、ノエルは少しだけ肩の力を抜いた。


「シャロン嬢のお手紙に、現場の負担になりすぎると続かないと書かれていたので」


「ああ」


「確かに、全部を毎回書くのは大変だと思って……まずは天候、村名、荷の種類、到着時刻、止まった場所だけを必須にしました」


「良い判断だ」


「本当ですか?」


「本当だ」


 ノエルは嬉しそうに、けれど少し恥ずかしそうに目を伏せた。


 その表情を見て、セドリックは静かに胸の内で頷く。


 シャロン嬢の言葉は、やはり届いている。


 まだ小さな変化だ。

 けれど、ノエルにとっては大きい。


 騎士を目指すことに必死だった弟が、自分の得意なことへ少しずつ目を向け始めている。


 その時、扉が控えめに叩かれた。


 使用人が銀の盆に封筒を乗せて入ってくる。


「ベルフォール子爵家より、お手紙が届いております」


 セドリックは顔を上げた。


「ありがとう」


 封筒を受け取る。


 ベルフォール家の封蝋。

 整った宛名。


 それだけで、ほんの少し胸の奥が落ち着かなくなる。


 ノエルが机の向こうからこちらを見ていた。


「兄上」


「何だ」


「読む前から、少し嬉しそうです」


 セドリックは封筒を持ったまま止まった。


「そう見えるか」


「はい」


「……そうか」


 隠したつもりはなかった。

 けれど、弟にまでわかるほどだったらしい。


 母に知られるのは仕方ない。

 あれは避けようがない。

 だが、ノエルにも見抜かれるようになっているなら、少し考えものだ。


 いや。


 嬉しいことを嬉しいと伝えていい。

 そう母に言われたばかりだった。


 ならば、無理に隠す必要もないのかもしれない。


「嬉しいのだと思う」


 セドリックがそう答えると、ノエルは少し驚いた顔をした。


 それから、柔らかく笑った。


「よかったですね」


「ああ」


 セドリックは封を切った。


 手紙の最初には、こちらの返事への礼が書かれていた。


 ノエルの記録表について。

 必須項目と任意項目を分ける案はよいと思うこと。

 運用してみて、現場から不満が出るようならさらに簡略化するべきだということ。


 実に実務的だった。


 だが、その実務的な文面の中にも、どこか彼女らしい気遣いがある。


 ただ正しさを押しつけるのではない。

 続けられる形にすること。

 実際に使う人間の負担を見ること。


 シャロン嬢の視線は、いつも地図や紙の向こう側へ届いている。


 セドリックは読み進めた。


 そして、一文で手を止める。


 ――嬉しいと言っていただけたことを、私も嬉しく思いました。


 胸の奥が、静かに熱を持った。


 嬉しい。

 私も嬉しい。


 同じ言葉が返ってきただけだ。

 それなのに、先ほどまで見ていたどんな記録表より、強く目に残る。


 シャロン嬢が、この一文を書いた。


 きっと迷ったはずだ。

 照れたかもしれない。

 あるいは、これは礼儀として不自然ではないと、自分に言い聞かせたかもしれない。


 それでも、消さずに届けてくれた。


 セドリックは、便箋を持つ手に少し力を込めた。


「兄上?」


 ノエルが小さく声をかける。


「また、嬉しいことですか」


「ああ」


 セドリックは正直に答えた。


「嬉しいことだ」


 ノエルは、今度は何も茶化さなかった。

 ただ、少しだけ目元を和らげた。


 セドリックはさらに続きを読んだ。


 焼き菓子についての申告を受領したこと。

 蜂蜜、胡桃、林檎の三つについては判断材料として確認したこと。


 そして。


 ――ただし、次回追加申告がある場合は、実物の比較が必要になるかもしれません。


 セドリックは、しばらくその一文を見つめた。


 実物の比較。


 つまり、それは。


「……焼き菓子を持参すべきだろうか」


 思わず呟くと、ノエルが顔を上げた。


「焼き菓子ですか?」


「ああ」


「シャロン嬢が?」


「実物の比較が必要になるかもしれない、と」


 ノエルは真面目に考え込んだ。


「では、蜂蜜、胡桃、林檎をそれぞれ用意する必要がありますね」


「そうだな」


「ただ、比較するなら同じ店のものの方がよいのでしょうか。それとも、違う店の同じ種類を比べるのでしょうか」


 セドリックは一瞬、弟を見た。


「ノエル」


「はい」


「そこまで真剣に考える話だろうか」


「兄上が真剣に呟いたので」


「……そうか」


 反論できなかった。


 たしかに自分は、かなり真剣に考えていた。


 焼き菓子を持って会いに行く。


 縁談相手への訪問としては、別におかしくはない。

 菓子を土産にすることは自然だ。


 だが、比較という言葉がつくと、途端に何かが違ってくる。


 茶会なのか。

 試食会なのか。

 それとも、縁談なのか。


 おそらく、全部少しずつ混ざっている。


 そして不思議なことに、それが嫌ではない。


 セドリックは最後の一文へ視線を落とした。


 そこには、丁寧な文字でこう書かれていた。


 ――次にお話しできる日を、少し楽しみにしております。


 そこで、完全に動きが止まった。


 少し。


 たった二文字だった。


 けれどその二文字が、何より強かった。


 楽しみにしております、だけなら礼儀として読めたかもしれない。

 縁談相手への無難な言葉だと、受け取ることもできる。


 だが、少し、と添えられている。


 控えめで。

 逃げ道を残していて。

 けれど、それでも本音を隠しきれていないような言葉。


 シャロン嬢らしい。


 彼女はきっと、大きく踏み出したつもりはないのだろう。

 少しだけ扉を開けた。

 少しだけ言葉を差し出した。

 すぐに閉じられるように、少し、という言葉を添えて。


 けれどセドリックには、その少しがとても大きく感じられた。


「兄上」


 ノエルの声が、また届く。


「今度は、すごく嬉しいことですか?」


 セドリックは便箋から視線を上げた。


 弟は真面目な顔でこちらを見ている。

 からかいはない。

 ただ、兄の反応を純粋に見ていた。


 セドリックは少し考え、正直に頷いた。


「ああ。すごく嬉しいことだ」


 言ってから、自分の言葉に少し照れた。


 けれど、取り消す気にはならなかった。


 その時、開いたままの扉から声がした。


「まあ」


 セドリックは振り向いた。


 母アメリアが立っていた。


 深い緑の瞳を細め、実に楽しそうに微笑んでいる。


「母上」


「ごめんなさいね。入ってもいいかしらと声をかけようと思ったら、すごく嬉しいことだ、が聞こえてしまって」


「それは、聞こえてしまったのではなく、聞いたのでは」


「結果としては同じね」


「違います」


 アメリアはまったく悪びれなかった。


 ノエルが慌てて立ち上がる。


「母上」


「座っていていいわ。記録表を作っていたのでしょう?」


「はい」


「後で見せてね。とても楽しみにしているわ」


「はい」


 ノエルは少し照れたように頷いた。


 アメリアはその様子を柔らかく見た後、セドリックへ向き直る。


「それで、シャロン嬢から何と?」


「記録表についての助言と、焼き菓子についての比較の話です」


「焼き菓子の比較」


 アメリアの目が輝いた。


「素敵ね」


「素敵、でしょうか」


「とても」


「縁談相手とのやり取りとして、方向性が少し独特では?」


「あなたたちらしくていいじゃない」


 あなたたち。


 その言い方に、セドリックは少し言葉を失った。


 自分とシャロン嬢が、二人で一つの形を持ち始めているように聞こえたからだ。


「それで、何を用意するの?」


 アメリアが楽しそうに尋ねる。


「蜂蜜、胡桃、林檎の焼き菓子を考えています」


「同じお店で?」


「そのつもりですが、比較というなら別の店も必要でしょうか…」


 アメリアは一瞬黙った。


 それから、扇もないのに口元へ手を当てて笑った。


「セドリック」


「はい」


「あなた、完全に真面目に考えているのね」


「いけませんか?」


「いいえ。とてもいいわ」


 母の笑顔には、明らかにからかいが混じっている。


 だが、それだけではなかった。


 どこか嬉しそうでもあった。


「ただ、あまり大量に持っていくと、菓子屋の試食会になるわよ」


「それは避けたいです」


「では三種類で十分ね。蜂蜜、胡桃、林檎。あなたの好みを正直に申告するには、ちょうどいいわ」


「はい」


「それから、返事にはちゃんと書くのよ」


「何をですか?」


「今あなたが感じていることを」


 セドリックは手紙へ視線を落とした。


「……嬉しかった、と?」


「ええ。シャロン嬢が何を書いてくれたのか、私は読んでいないから知らないわ。でも、あなたの顔を見れば、受け取って嬉しかったことくらいはわかるもの」


「顔に出ていましたか…」


「ええ。かなり」


「……そうですか」


 アメリアは少しだけ声を柔らかくした。


「シャロン嬢は、きっと大きな言葉を受け取るのはまだ苦手よ。でも、あなたが何も返さなければ、彼女は自分だけ踏み出したと思ってしまうかもしれない」


 その言葉に、胸の奥が静かに引き締まる。


 シャロン嬢が、少しだけ差し出してくれた言葉。


 それを、ただ礼儀として流してはいけない。


 急かさず。

 押しつけず。

 けれど、受け取ったことはきちんと伝える。


「わかりました」


 セドリックは頷いた。


「まっすぐ返します」


「ええ。それがいいわ」


 アメリアは微笑み、ノエルの記録表を一枚手に取った。


「あら、本当に見やすいわね」


「そうでしょうか…?」


「ええ。こちらを必須、こちらを任意にしたのね。良いと思うわ」


 ノエルの顔がぱっと明るくなる。


 セドリックはそれを見ながら、静かに思った。


 シャロン嬢に、これも伝えたい。


 ノエルが、自分の作った表を母に褒められたこと。

 少し自信を持った顔をしたこと。

 彼女の助言が、弟の表情を変えたこと。


 伝えたいことが増えていく。


 以前は、手紙とは必要事項を伝えるものだと思っていた。

 だが今は違う。


 シャロン嬢へ何を伝えようかと考える時間そのものが、少し楽しい。


 セドリックは新しい便箋を取り出した。


 ノエルは記録表を見直し、アメリアはその横で時々助言をしている。


 小書斎には、穏やかな空気が流れていた。


 ペンを取り、最初の一文を書く。


 ――お手紙、ありがとうございました。


 次に、記録表のこと。

 ノエルが項目を整理したこと。

 母にも褒められて、少し嬉しそうだったこと。


 そこまで書いてから、セドリックは少し手を止めた。


 そして、迷わず続けた。


 ――次にお話しできる日を少し楽しみにしていると書いてくださったことが、私にはとても嬉しく感じられました。


 少し、とても。


 彼女の控えめな言葉に、自分は少し大きめの言葉で返している。


 重すぎるだろうか。


 一瞬迷った。


 けれど、消さなかった。


 これは本当のことだ。


 虚偽申告ではない。


 最後に、焼き菓子について書き添える。


 ――実物の比較については、蜂蜜、胡桃、林檎の三種類を用意するつもりです。

 ――判断材料として不足があれば、当日追加で申告いたします。


 書き終えて、セドリックは静かに息を吐いた。


 その手紙が恋文なのか、礼状なのか、領地相談の続きなのかはわからない。


 ただ、ひとつだけはっきりしている。


 シャロン嬢と次に会う日を、自分は楽しみにしている。


 少し、では足りないほどに……

最後まで読んでいただきありがとうございます。

シャロンの「少し楽しみにしております」は、セドリックにはかなり強く届いたようです。

次回は焼き菓子の比較が本当に始まるかもしれません。

次回もよろしくお願いします。

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