第13話 私の名前で、残るもの
読みに来てくださりありがとうございます。
今回はセドリックからの手紙を受け取ったシャロンのお話です。
自分の言葉が少しずつ届いていく様子を見守っていただけたら嬉しいです。
セドリック様からの手紙は、午後の茶の少し前に届いた。
封筒を受け取った時点で、リディアの目が輝いた。
「お姉様、セドリック様からですね!」
「封蝋を確認する前に決めつけないで」
「でもグランフェル家のものですよね」
「……そうね」
「では、セドリック様です」
なぜ妹がそんなに誇らしげなのか。
私は平静を装いながら、封を切った。
手紙の書き出しは、いつも通り丁寧だった。
先日の訪問への礼。
地図を見て意見を述べたことへの感謝。
父ギルバート伯爵にも内容を伝えたこと。
そこまでは、予想の範囲内だった。
けれど次の一文で、私は息を止めた。
――いただいたご意見は、シャロン嬢からの助言として、ハイレン領の記録に残すことになりました。
私は、便箋を持つ指に力を込めた。
「お姉様?」
リディアが首をかしげる。
「何か、変なことが書いてありました?」
「……変ではないわ」
「では?」
私はすぐには答えられなかった。
記録に残す。
私の名前で。
ただの縁談相手の思いつきとしてではなく。
誰かの手柄にされるのでもなく。
シャロン・ベルフォールの助言として。
そんなこと、今まで当たり前だったはずだ。
跡継ぎとして育てられていた頃、私の意見は父の仕事の一部として扱われていた。
領地の帳簿を見て、改善案を出して、父に報告する。
採用されれば、それはベルフォール家の判断になる。
それでよかった。
家のためだったから。
ミルディア領のためだったから。
けれど、今は違う。
私はもう、跡継ぎではない。
ミルディア領を継ぐ者ではない。
私が考えたところで、それがどこかに残ることなど、もうないと思っていた。
それなのに。
「お姉様」
リディアの声が、少し柔らかくなる。
「嬉しいことでした?」
私は便箋から顔を上げた。
「……わからないわ」
「わからない?」
「嬉しい、のかもしれない」
言ってから、胸の奥が少し熱くなった。
嬉しい。
そう認めることが、こんなに難しいとは思わなかった。
フローラならきっと、今の私を見て「お姉様は評価ではなく、存在を受け取るのが苦手なのですね」とでも言うだろう。
言われる前に、気づいてしまった。
私は役に立つことには慣れている。
期待されることにも、応えることにも慣れている。
けれど、自分の名前で受け止められることには、慣れていない。
「続き、読まないんですか?」
リディアがそっと言った。
「読むわ」
私は再び便箋へ視線を落とした。
セドリック様の文字は整っていた。
律儀で、無駄がなくて、それでいてどこか真面目すぎる。
――父だけでなく、弟のノエルも市の記録表に関心を示しました。
――シャロン嬢のご意見が、弟にとっても一つのきっかけになったようです。
ノエル様。
たしか、グランフェル家の次男で、騎士を目指している少年だったはずだ。
まだ直接会ったことはない。
けれど、セドリック様の文面から、その弟を大切に思っていることが伝わってきた。
市の記録表。
なるほど。
確かに、几帳面な人間なら向いている作業だ。
雨の日の到着時刻、荷の種類、遅れた理由、止まりやすい場所。
そういったものを整理できれば、道の整備だけでなく、市の配置にも役立つ。
私は無意識に机へ向かおうとしていた。
「お姉様」
リディアがじっとこちらを見る。
「今、完全にお仕事の顔になっていました」
「……手紙を読んでいただけよ」
「普通のお手紙を読む顔ではありませんでした。帳簿か報告書を見つけた時の顔です」
「帳簿顔を基準にしないでちょうだい」
リディアは楽しそうに笑った。
私は咳払いをして、続きを読んだ。
そして最後の追伸で、思わず目を細めた。
――本日の焼き菓子も、大変美味しかったです。虚偽申告ではありません。
「……本当に律儀な方ね」
「焼き菓子ですか?」
リディアがすぐ反応した。
「なぜわかるの」
「お姉様が少し笑ったので」
「笑っていないわ」
「笑いました」
「見間違いよ」
「では、そういうことにします」
絶対に納得していない顔だった。
私は便箋を丁寧に折り直した。
胸の奥に、まだ温かいものが残っている。
ハイレン領の記録に、私の名前が残る。
それは、ほんの小さなことかもしれない。
領地を動かす大きな決定ではない。
誰かに称賛されるような功績でもない。
けれど今の私には、十分すぎるほど大きかった。
跡継ぎではなくなっても。
婚約者に切り捨てられても。
私が見てきたものは、消えていない。
そう言われた気がした。
「お姉様、返事を書きますか?」
「ええ」
「今度こそ恋文ですか?」
「リディア」
「はい、違いますね。領地相談ですね」
「それも少し違うわ」
「では、何ですか?」
私は少し考えた。
礼状。
返事。
助言。
縁談相手への手紙。
どれも間違いではない。
けれど、どれか一つだけでもない。
「……会話の続き、かしら」
そう答えると、リディアはぱちぱちと瞬きをした。
それから、嬉しそうに微笑んだ。
「いいですね、それ」
「からかわないの?」
「今のは、からかうところじゃありません」
妹のくせに、時々こういうことを言う。
私は少しだけ視線をそらし、便箋を用意した。
返事には、まず丁寧に礼を書いた。
私の意見を名前とともに記録に残してくれることへの感謝。
ノエル様が記録表に興味を持ったことについて。
もし役立つなら、項目を整理した簡単な形を提案できること。
そこまで書いてから、私は少し手を止めた。
そして、もう一文を加える。
――私の言葉を、私の名前で扱ってくださったことを、嬉しく思います。
書いた瞬間、胸が少し苦しくなった。
踏み込みすぎただろうか。
重すぎるだろうか。
いや、これは礼だ。
礼として不自然ではない。
それでも、いつもの私なら消していたかもしれない。
けれど今回は、消さなかった。
虚偽申告は減点。
そう言ったのは私だ。
ならば、嬉しかったことを嬉しかったと書くのも、間違いではないはずだ。
最後に、追伸を添える。
――焼き菓子についての正直な申告も、確かに承りました。
少し考えてから、さらに一文。
――次回は、どの焼き菓子が特にお好きなのかも、判断材料として伺えればと思います。
書いてから、私は固まった。
これは、少しからかいすぎではないだろうか。
しかし、もう遅い。
インクは乾き始めている。
「お姉様、今度は何を書いたんですか?」
「何でもないわ」
「その顔は、何でもなくない顔です」
「顔の報告は結構よ」
私は急いで手紙を封じた。
リディアはにこにことこちらを見ている。
「お姉様」
「何」
「よかったですね」
また、それだ。
よかった。
何がよかったのか、まだうまく言葉にはできない。
けれど、否定する気にはならなかった。
「……そうね」
小さく答えると、リディアの顔がぱっと明るくなった。
「はい!」
「そんなに嬉しそうにしないで」
「無理です」
「努力なさい」
「お姉様も、嬉しい時はもう少し顔に出していいと思います」
「余計なお世話よ」
そう返した声は、自分で思っていたより柔らかかった。
手紙を侍女に託した後、私は窓辺に立った。
庭には、春の光が落ちている。
好きに生きていい。
そう言われた時、私は途方に暮れた。
役目を失った私に、何が残るのかわからなかった。
けれど今、ほんの少しだけ思う。
私の中に残っているものは、誰かの役に立つためだけのものではない。
私が見てきたもの。
考えてきたこと。
積み重ねてきた時間。
それは、私の名前で残っていいものなのかもしれない。
そう思わせてくれたのは、セドリック様だった。
まだ、信じ切るには怖い。
けれど。
次に会った時、どんな顔をすればいいのかと考えている自分がいる。
それはきっと、少し前の私にはなかった悩みだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
シャロンにとって、自分の名前で何かが残ることは思った以上に大きな意味があったようです。
次回もよろしくお願いします。




