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元跡継ぎ令嬢はお見合い結婚した騎士伯爵と恋をします  作者: 影道AIKA


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11/12

第11話 縁談相手が、地図を持って訪ねてきました

読みに来てくださりありがとうございます。

今回はセドリックがハイレン領の地図を持って訪ねてくるお話です。

縁談なのか領地相談なのか少し怪しい二人ですが、楽しんでいただけたら嬉しいです。

グランフェル伯爵家から、セドリック様が訪ねてくる。


 そう聞いた日の朝、リディアはいつもより早く私の部屋に来た。


「お姉様、今日は地図の日ですね!」


「その言い方はやめなさい」


「では、縁談の日?」


「それも少し違う気がするわ」


「では、地図を持った縁談の日」


「混ぜればいいというものではないのよ」


 私は鏡の前で髪を整えながら、ため息をついた。


 セドリック様は今日、ハイレン領の地図を持ってベルフォール家を訪れる。


 目的は、先日手紙で話していた市と道のことについて、もう少し詳しく話すため。


 そう。

 縁談の相手が、地図を持って来るのである。


 普通ではない。

 少なくとも、令嬢の部屋で夢見るような甘い展開ではない。


 けれど私は、それを嫌だとは思っていなかった。


 むしろ、昨夜は少しだけ眠りが浅かった。

 ハイレン領の道はどのように伸びているのか。

 市の位置は領都のどの辺りなのか。

 雨の日にぬかるむのは、低地なのか、土の質なのか、それとも排水の問題なのか。


 そんなことを考えていたら、なかなか眠れなかったのだ。


「お姉様、楽しみにしていますよね」


 リディアがにこにこしながら言った。


「領地の話を聞くのは嫌いではないわ」


「セドリック様に会うのも?」


「……ついでよ」


「ついで」


「ええ。地図のついで」


 言ってから、自分でもひどい返答だと思った。


 リディアは口元を押さえた。


「セドリック様が聞いたら、少し落ち込むかもしれません」


「そこまで繊細な方ではないでしょう」


「でも、真面目な方ですもの。きっと『私は地図のついででしたか』って、静かに考え込むと思います」


 ありそうだった。


 そして、少し申し訳ない気持ちになってしまった。


「……本人には言わないわ」


「はい。それがよろしいと思います」


 リディアは満足そうに頷いた。


 身支度を終え、応接室へ向かう。


 父と母も同席する予定だ。

 もちろん形式上は、縁談相手の訪問である。

 完全に領地相談として扱うわけにはいかない。


 けれど応接室の大きな机には、すでに地図を広げられるだけの場所が空けられていた。


 父の仕業である。


「お父様」


「何だ」


「準備がよろしいですね」


「客人が地図を持参するなら、机は必要だろう」


「縁談相手ですけれど」


「そうだな」


 父は真面目な顔で頷いた。


 どうやら父も、少し楽しみにしているらしい。


 母はその横で、困ったように微笑んでいた。


「本当に、あなたたちは領地の話になると目の色が変わるのね」


「お母様。私はそこまでではありません」


「そうかしら」


「そうです」


 母は何も言わず、ただ優しく笑った。


 その笑顔が少しだけくすぐったくて、私は視線をそらした。


 やがて、セドリック様が到着した。


 今日の彼は落ち着いた深緑の上着を着ていた。

 派手さはないが、姿勢がよく、いつも通り礼儀正しい。


 そして手には、細長い筒を持っている。


 地図だ。


 私は、思わずそこに視線を向けてしまった。


「本日はお招きいただきありがとうございます」


「こちらこそ、お越しいただきありがとうございます、セドリック様」


 挨拶を交わす。


 父と母にも丁寧に礼をした後、セドリック様は少しだけ申し訳なさそうに地図の筒を見た。


「本来なら、もう少し華やかな話題を持参すべきかもしれませんが」


「いいえ」


 私は即答した。


 少し早すぎた。


 セドリック様が瞬きをする。

 父がわずかに目元を緩め、母が小さく笑った気配がした。


 私は咳払いをした。


「……地図は、判断材料として有用です」


「そう言っていただけると助かります」


 セドリック様の表情が少し柔らかくなる。


 その顔を見て、胸の奥が妙に落ち着かなくなった。


 机に地図が広げられる。


 ハイレン領の領都。

 周辺の村。

 主要な道。

 川の位置。

 市が開かれる広場。


 私は自然と身を乗り出していた。


「この道が、雨の日にぬかるむ場所ですか」


「はい。特にこの辺りで荷車が止まりやすいと聞いています」


「川から近いですね。地面が低いのでは?」


「おそらく」


「こちらの道は使えないのですか」


「距離が伸びるため、村人たちはあまり使いたがらないようです」


「距離が伸びても、荷が止まるよりはましな場合もあります。けれど、感覚で言っても納得されないでしょうね」


「では、どうすれば?」


「まず記録です」


 私は地図の上に指を置いた。


「雨の日に、どの村からの荷がどれだけ遅れるのか。どこで止まるのか。何を運んでいるのか。それを数回分まとめた方がいいです」


 話しながら、頭が動いていく。


 道を直すなら費用がかかる。

 迂回路を使わせるなら納得がいる。

 市の配置を変えるなら、古くから場所を持っている商人たちとの調整が必要になる。


 簡単ではない。

 けれど、見えない問題ではない。


「それと、市の配置図も必要です。雨の日に人がどこで滞るのか、どの店の前で流れが切れるのかを見たいです」


「配置図は、持ってきていません」


「では次回ですね」


 言ってから、私は固まった。


 次回。


 自然に言ってしまった。


 セドリック様も気づいたのだろう。

 ほんの少しだけ表情を和らげた。


「はい。次回、用意します」


「……必要であれば、です」


「必要だと思います」


「そうですか」


「はい」


 真面目に頷かれると、こちらが困る。


 私は地図へ視線を戻した。


「それから、食べ物を扱う店の位置も重要です。香りの出るものは人を誘導できます。焼き菓子や温かい飲み物など」


「焼き菓子」


「ええ。あなたの得意分野では?」


 つい言ってしまった。


 父と母がいる場で。


 セドリック様は一瞬だけ動きを止めた。


 父が静かにこちらを見る。

 母は目を丸くした後、口元を押さえた。


 しまった。


 私は内心で頭を抱えた。


「……甘いものに関しては、多少の知見があります」


 セドリック様は真面目に答えた。


 その答え方があまりにも律儀で、私は逆に救われたような気持ちになった。


「では、その知見も活用できるかもしれませんね」


「はい。虚偽申告なく」


 父が低く咳払いをした。


 母は完全に笑いをこらえている。


 私は扇を開き、口元を隠した。


 この人は本当に、真面目にこちらの言葉を覚えている。


 それが少しおかしくて、少し嬉しい。


 地図を見ながらの話は、思った以上に長く続いた。


 父も途中から質問を挟み、セドリック様は知らないことは知らないと答えた。

 その上で、必要なことは父や領地の管理人に確認すると言った。


 見栄を張らない。

 誤魔化さない。

 知ろうとする。


 それは、信頼に足る態度だと思った。


 話が一区切りついた頃、母がお茶を勧めた。


 机の上に地図を残したまま、私たちは少し席を移す。


 茶菓子には、蜂蜜を使った焼き菓子が出された。


 母の選択である。

 絶対にわざとだ。


 セドリック様は一瞬だけ焼き菓子を見た。

 だが今回は、隠さなかった。


「いただいても?」


「もちろんです」


 母がにこにこと微笑む。


 セドリック様は一つ取り、丁寧に口にした。


「美味しいです」


「それはよかったわ」


 母の声が少し楽しそうだった。


 私は茶杯を手にしながら、隣に置かれた地図を見た。


 ハイレン領。


 私が嫁ぐかもしれない場所。

 まだ、そう決まったわけではない。


 けれど今日、少しだけその土地が輪郭を持った。


 道があり、市があり、人がいる。

 困りごとがあり、改善できる余地がある。


 そして、それを私に見せてくれた人がいる。


「シャロン嬢」


 セドリック様が静かに声をかけた。


「はい」


「本日いただいたご意見は、父にも改めて伝えます。ですが、その前に一つ、お礼を言わせてください」


「お礼?」


「はい」


 彼はまっすぐこちらを見た。


「あなたは、まだ見たことのないハイレン領のために、真剣に考えてくださいました。ありがとうございます」


 胸の奥が、静かに揺れた。


「……私は、地図を見て思ったことを言っただけです」


「それでもです」


「まだ役に立つかどうかもわかりません」


「役に立つかどうかだけで、感謝しているわけではありません」


 私は言葉を失った。


 役に立つかどうか。

 それは、私にとって大事な基準だった。


 跡継ぎとして。

 娘として。

 婚約者として。


 役に立てるから、そこにいられる。

 必要とされるから、価値がある。


 そう思ってきた。


 けれど今、セドリック様は違うと言った。


「あなたが真剣に向き合ってくださったことが、嬉しかったのです」


 嬉しい。


 その言葉は、不意打ちだった。


 評価でもない。

 期待でもない。

 利用価値でもない。


 ただ、嬉しいと。


 私は茶杯を持つ指に力が入るのを感じた。


「……そういうことを、あまり簡単に言わないでください」


「不快でしたか」


「違います」


 即答してしまった。


 セドリック様が少しだけ目を見開く。


 私は視線を落とした。


「不快では、ありません。ただ、慣れていないだけです」


 言ってから、また余計なことを言ったと思った。


 けれどセドリック様は、急かさなかった。

 ただ静かに頷いた。


「では、急ぎません」


「またそれですか」


「はい」


「本当に、調子が狂います」


「申し訳ありません」


「謝るところではありません」


「では、覚えておきます」


 真面目な返事に、私は少しだけ笑ってしまった。


 その笑いは、扇で隠すには遅かった。


 セドリック様の表情が、ほんの少し柔らかくなる。


 その目に映る私は、跡継ぎを失った令嬢ではなかった。

 婚約者に切り捨てられた女でもなかった。


 地図を見て、道を考え、市の流れを想像し、つい前のめりになる私。


 それを、彼は見ていた。


 そして、嬉しいと言った。


 そのことが、どうしようもなく胸に残った。


 帰り際、セドリック様は地図を丁寧に巻き直した。


「次回は、市の配置図も用意します」


「……必要なら、拝見します」


「はい。必要だと思います」


「では、仕方ありませんね」


 私がそう言うと、彼は小さく笑った。


 その笑顔に、また少し調子を崩される。


 玄関広間で見送る時、リディアがどこからともなく現れた。


「セドリック様、本日はありがとうございました」


「こちらこそ、リディア嬢」


「姉は地図を見ると少し早口になりますが、怖がらないでくださいね」


「リディア」


「はい、黙ります」


 絶対に黙る気のない顔だった。


 セドリック様は真面目に頷く。


「いいえ。とても勉強になりました」


「ほら、お姉様」


「ほら、ではないわ」


 母が後ろで笑い、父が静かに咳払いをした。


 まったく、家族というものは時々逃げ場がない。


 セドリック様が馬車に乗り込む前、こちらへ向き直った。


「シャロン嬢」


「はい」


「また、お話しできれば嬉しいです」


 その言い方に、私の返事は少し遅れた。


 前に、私も手紙に書いた言葉だった。


 またお話を伺える機会があれば、嬉しく思います。


 それを返されたようで、胸の奥がむずかゆい。


「……私も」


 小さく答える。


 そして、少しだけ息を吸った。


「私も、嬉しく思います」


 言ってしまった。


 でも、もう取り消せない。


 セドリック様は一瞬だけ驚いたように目を開き、それから静かに微笑んだ。


「ありがとうございます」


 馬車が去っていく。


 私はそれを見送りながら、隣でにやにやしているリディアを見ないようにした。


 今日は地図の話をしただけ。

 市の道と搬入路と焼き菓子の配置について話しただけ。


 それだけのはずなのに。


 胸の奥には、地図には描かれていない道が一本、静かに伸び始めているような気がした。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

地図を広げて話す縁談回になりました。

シャロンにとって、自分の力を自然に受け止めてもらえる時間は、少しずつ大きな意味を持ち始めているようです。

次回もよろしくお願いします。

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