表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元跡継ぎ令嬢はお見合い結婚した騎士伯爵と恋をします  作者: 影道AIKA


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/14

第10話 ハイレン領の困りごとは、手紙で届きました

読みに来てくださりありがとうございます。

今回はセドリックから、ハイレン領についての手紙が届くお話です。

手紙のはずなのに、少し実務的になっていくシャロンを楽しんでいただけたら嬉しいです。

次にお話しする時は、ハイレン領のことを聞かせてください。


 そう言ったのは、私だ。


 けれど、まさかそれが数日後、手紙の形で届くとは思っていなかった。


 グランフェル伯爵家から届いた封筒を前に、私はしばらく動きを止めていた。


 前回の手紙は、お見合いの礼と、焼き菓子に関する虚偽申告の訂正だった。


 今回は何だろう。

 そう思いながら封を切った私は、最初の数行を読んで、思わず瞬きをした。


 手紙の内容は、驚くほど真面目だった。


 ハイレン領の位置。

 領都の規模。

 月に二度立つ市のこと。

 雨の日に荷車が通りにくくなる道のこと。

 そして最後に、こう添えられていた。


 ――良いところだけでは判断材料が不足すると、シャロン嬢がおっしゃっていたので。


「……本当に書いてきたのね」


 思わず呟いてしまった。


 普通、縁談相手への手紙に領地の困りごとをここまで具体的に書くだろうか。


 いや、私が言った。

 良いところだけではなく、困っているところも聞かせてほしいと。


 だからセドリック様は、それに応えてくださったのだろう。


 律儀な方だ。

 真面目すぎるほどに。


 私は便箋を持ったまま、もう一度読み返した。


 ハイレン領は、王都から見て北西にある。

 武門伯爵家の領地らしく、領兵の訓練場や警備の詰所は整っている。

 人々は堅実で、治安も比較的安定している。


 そこまでは、よくある領地紹介だった。


 だが、その後が問題だった。


 市は月に二度。

 領都には近隣の村から農作物や木工品、羊毛製品などが集まる。

 ただし、雨が降ると一部の道がぬかるみ、荷車の通りが悪くなる。

 その日は人の流れも鈍り、市全体の売り上げにも影響が出るらしい。


 私は便箋を机に置き、無意識に羽根ペンを手に取っていた。


 いけない。

 これは手紙だ。

 報告書ではない。


 そう思ったのに、頭の中ではすでに道の状態を想像していた。


 雨の日に荷車が通りにくくなる。

 市の日に人の流れが悪くなる。

 領都に品が集まりにくくなれば、商人だけでなく、買いに来る領民にも影響が出る。


 道をすべて整えるには費用がかかる。

 けれど、まずは市の日に使う主要な搬入路だけでも確認した方がいい。


 どこで荷車が止まりやすいのか。

 どの村からの荷が遅れやすいのか。

 雨の日だけ客足が落ちる店はどこか。


 そこまで考えたところで、私は羽根ペンを持つ手を止めた。


「……私は何をしているのかしら」


 これは縁談相手への返事である。

 領地改善案ではない。


 そう自分に言い聞かせたところで、扉が軽く叩かれた。


「お姉様、入ってもいいですか?」


「どうぞ」


 入ってきたのはリディアだった。


 彼女は私の机の上を見るなり、ぱっと目を輝かせた。


「セドリック様からですか?」


「ええ」


「まあ!」


 なぜそこでそんなに嬉しそうな顔をするのか。


「お手紙、何て書いてあったんですか?」


「ハイレン領について」


「……はい?」


 リディアが首をかしげた。


「ハイレン領の位置、市の規模、雨の日の搬入路の問題について」


「お姉様」


「何?」


「それは、本当にお見合い相手からのお手紙ですか?」


「封蝋はグランフェル家のものよ」


「恋文ではなく?」


「違うわ」


「領地相談?」


「……分類に困るわね」


 私がそう言うと、リディアは口元に手を当てた。


 笑いをこらえている。


「笑うなら笑いなさい」


「笑ってません」


「今、頬が震えているわ」


「お姉様らしいなと思っただけです」


「私らしい?」


「はい。普通の令嬢なら、縁談相手から領地の困りごとが届いたら戸惑うと思います。でもお姉様は、もう改善案を考えている顔をしていました」


「していないわ」


「していました。帳簿を見ている時の顔です」


「帳簿顔を分類しないでちょうだい」


 リディアはついに小さく笑った。


 その時、後ろから別の声がした。


「帳簿顔は、かなり正確な表現だと思います」


 フローラだった。


 いつの間にか扉のそばに立っていたらしい。

 手には本を持っている。


「あなたたち、姉の部屋を集会所だと思っていない?」


「偶然通りかかりました」


「偶然にしては、会話へ入るタイミングが良すぎるわ」


「観察の成果です」


 フローラは平然と言い、机の上の便箋へ視線を向けた。


「それで、セドリック様は本当にハイレン領の困りごとを書いてきたのですか」


「ええ」


「お姉様が聞かせてほしいと言ったから?」


「そうね」


「律儀な方ですね」


「そうなのよ」


 思わず同意すると、リディアがにやりとした。


「お姉様、今ちょっと嬉しそうでした」


「嬉しそうではないわ。感心していただけよ」


「似ています」


「似ていないわ」


 私は便箋を裏返した。


 別に隠す必要はない。

 だが、妹たちにこれ以上観察されるのは面白くない。


 フローラは椅子に腰かけながら、淡々と言った。


「でも、良いのではありませんか」


「何が?」


「お姉様に、そういう話をしてくれる方は貴重です」


 私は言葉を止めた。


 リディアも少しだけ表情を柔らかくする。


「そうですね。セドリック様は、お姉様が領地のお話をするのを、ちゃんと聞いてくださるんでしょう?」


「……ええ」


 庭園でのことを思い出す。


 ミルディア領の春市。

 人の流れ。

 迷子の報告。

 市の配置。


 令嬢との外出で話すには、ずいぶん実務的すぎる内容だった。


 それでもセドリック様は、退屈そうにしなかった。

 むしろ真剣に聞いていた。


 そして言ったのだ。


 それでも、見ているのはあなたです、と。


 胸の奥が少しだけ落ち着かなくなる。


 あの言葉は、まだ私の中に残っている。


 跡継ぎとして身につけたもの。

 役目のために叩き込まれたもの。

 それらは、跡継ぎでなくなった今、行き場を失ったと思っていた。


 けれど、セドリック様はそれを私の力だと言った。


 簡単に信じるには、まだ怖い。

 でも、否定しきれないほどには、嬉しかった。


「お姉様?」


 リディアの声で我に返る。


「何でもないわ」


「今、何でもない顔ではありませんでした」


「あなたたち、姉の顔を読みすぎよ」


「長年見ていますので」


 フローラがさらりと言った。


 私はため息をついた。


「とにかく、返事を書くわ」


「恋文ですか?」


「リディア」


「はい」


「今の流れでどうして恋文になるの」


「可能性として」


「可能性を広げすぎよ」


 私は新しい便箋を用意した。


 まずは手紙への礼を書く。


 ハイレン領について詳しく教えてくれたことへの感謝。

 良いところだけではなく、困りごとも書いてくれたことへの評価。

 そして、こちらが求めたとはいえ、丁寧に応えてくれたことへの礼。


 そこまではよかった。


 問題は、その次だ。


 私は自然と、雨の日の搬入路について書き始めていた。


 まずは主要な道を一度に整えるのではなく、市の日に実際に使われる経路を確認すること。

 雨の日に遅れが出る荷の種類を記録すること。

 道そのものの整備が難しい場合は、市の配置を変えることで客足の落ち込みを少し抑えられる可能性があること。


 さらに、食べ物や日用品の店を足元の良い場所に置けば、人の流れが安定しやすいこと。

 香りの出る焼き菓子や温かい飲み物を扱う店は、通りの奥へ人を誘導する役目も持てること。


 書き終えてから、私は便箋を見下ろした。


 これは返事だろうか。

 助言だろうか。

 それとも、ただの報告書だろうか。


「お姉様」


 リディアが横から覗き込もうとする。


「見ないで」


「すごく長いです」


「見ているじゃない」


「文字量が見えただけです」


 フローラも机の端を見て、静かに頷いた。


「これは恋文ではありませんね」


「最初から違うと言っているでしょう」


「どちらかと言うと、領地改善案です」


「……わかっているわ」


 私は額に手を当てた。


 令嬢らしい返事を書くつもりだった。

 お手紙ありがとうございます。

 ハイレン領のお話、大変興味深く拝読いたしました。

 またお聞かせください。


 それくらいでよかったはずなのに。


 気づけば、私は具体的な記録の取り方まで書いている。


「出すのをやめた方がいいかしら」


 思わず呟くと、リディアが首を横に振った。


「いいと思います」


「本気で言っている?」


「はい。セドリック様は、そういうお姉様のお話を聞きたいんだと思います」


 フローラも続けた。


「少なくとも、綺麗なだけの返事を望む方なら、最初から困りごとを手紙に書かないと思います」


 それは、そうかもしれない。


 セドリック様は、良いところだけでは判断材料が不足すると私が言ったから、と書いていた。

 ならば彼は、私が綺麗な返事だけで済ませないことも、ある程度わかっているのかもしれない。


 ……いや。

 そこまで考えていたかはわからない。


 あの人は真面目だから、本当にそのまま受け取っただけの可能性も高い。


「お姉様」


 リディアがにこにこしながら言った。


「出しましょう」


「なぜあなたが決めるの」


「だって、楽しそうです」


「誰が」


「お姉様が」


 私は反論しようとして、できなかった。


 楽しかった。


 悔しいけれど、確かに私は楽しんでいた。


 ハイレン領の道を想像して、市の人の流れを考えて、どうすれば少し良くなるかを考えることが。


 それはもう、私の役目ではない。


 ミルディア領の跡継ぎとして必要な仕事ではない。


 それなのに、考えずにはいられなかった。


 好きに生きていい。


 そう言われた時、私はどうしていいかわからなかった。

 役目のない自分の立ち方など知らなかった。


 けれど今、ほんの少しだけ思う。


 私は、こういうことを考えるのが好きだったのかもしれない。


 役目だからではなく。

 求められたからでもなく。


 ただ、目の前の問題を見つけて、少しでも良くなる道を探すことが。


「……出すわ」


 私は静かに言った。


 リディアが嬉しそうに笑う。


「はい!」


「ただし、これは礼状よ」


「はい。とても実務的な礼状です」


「その言い方はやめなさい」


 私は手紙を丁寧に書き直した。


 さすがに最初の案よりは少し整えた。

 助言が押しつけにならないように。

 あくまで、手紙の内容を読んで思ったこととして。


 それでも、普通の礼状よりはずいぶん長くなった。


 最後に、こう添えた。


 ――実際の道や市の配置を見ていないため、的外れでしたらご容赦ください。

 ――ただ、ハイレン領のお話は大変興味深く拝読いたしました。


 そこまで書いて、私は少し迷った。


 そして、もう一文だけ足した。


 ――またお話を伺える機会があれば、嬉しく思います。


 書いてから、私は固まった。


 嬉しく思います。


 ……書いてしまった。


 礼儀として不自然ではない。

 不自然ではないけれど、どこか少し踏み込みすぎた気もする。


 消すべきか。

 このままにするべきか。


 羽根ペンを持ったまま悩んでいると、フローラが静かに言った。


「消さない方がいいと思います」


「まだ何も言っていないわ」


「顔に書いてあります」


「私の顔は掲示板ではないのよ」


「でも、わかりやすい時があります」


 リディアも頷く。


「私も、消さなくていいと思います」


「なぜ」


「だって、嬉しいのは本当でしょう?」


 私は黙った。


 妹たちは、時々本当に容赦がない。


 けれど、今の言葉を否定するのは、虚偽申告になる気がした。


 私は結局、その一文を消さなかった。


 手紙を封じ、侍女に託した後、部屋は少し静かになった。


 リディアは満足そうに去り、フローラも本を片手に部屋を出ていった。


 一人になってから、私は机に残った下書きを見つめた。


 これは縁談なのだろうか。

 それとも、領地相談なのだろうか。


 どちらにしても、フィリップとの婚約では感じなかった種類の落ち着かなさがある。


 条件を並べるだけではない。

 家の利だけでもない。

 哀れみでもない。


 私の言葉に、セドリック様が応える。

 セドリック様の言葉に、私が考える。


 それはまだ恋ではない。

 少なくとも、私にはそういう名前のつけ方がわからない。


 けれど、悪くないと思っている自分がいる。


 数日後、グランフェル伯爵家から再び返事が届いた。


 今度の封筒を見た時、私は以前より少しだけ早く手を伸ばした。


 そのことに気づいて、少し悔しくなる。


 封を切ると、そこには丁寧な礼とともに、こう書かれていた。


 ――いただいたご意見を、父にも共有いたしました。

 ――もし差し支えなければ、次はハイレン領の地図を持って伺ってもよろしいでしょうか。


 私は便箋を手にしたまま、しばらく黙った。


 地図。


 領地の地図。


 つまり、次はもっと具体的な話になる。


「……これは、縁談だったはずよね」


 思わず呟くと、そばで花を生けていたリディアが振り返った。


「はい。とてもお姉様らしい縁談だと思います」


「普通の縁談は、地図を持参しないと思うのだけれど」


「でも、お姉様は嫌ではないんですよね?」


 私は返事に詰まった。


 嫌ではない。


 むしろ、地図を見たいと思っている。

 ハイレン領の市の位置も、道の形も、村との距離も知りたい。


 そして、それをセドリック様がどう説明するのかも。


 リディアは、何もかもわかっているような顔で笑った。


「よかったですね、お姉様」


「まだ何もよくないわ」


「そういうことにしておきます」


「リディア」


「はい、静かにしていまーす」


 絶対に静かにする気のない返事だった。


 私は手紙をもう一度見下ろした。


 次はハイレン領の地図を持って。


 縁談としては、明らかに何かがおかしい。

 けれど、少し楽しみにしている自分がいることも、否定できなかった。


 好きに生きる方法は、まだわからない。


 でも、好きな話をしてもいいのだと。

 役目ではなく、自分の目で見たことを話してもいいのだと。


 そう思わせてくれる相手がいる。


 それは今の私にとって、思っていたよりも大きなことだった。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

ハイレン領の困りごとは、まさかの手紙で届きました。

縁談なのか領地相談なのか、少し怪しくなってきた二人です。

次回もよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ