二節 内偵3
◇
「ここまでくれば大丈夫でしょ。リリスちゃん、もう解いて大丈夫だよ」
「も、もう限界ですぅ……、ちょ、ちょっと失礼、します──」
麦畑のど真ん中。
隠匿魔法を解除したリリスがたちまち地面に蹲り、嘔吐く。
長いこと息を入れる暇もなく断続的に隠匿魔法を使い続けた弊害。魔力欠乏の症状が出たようだ。
魔力切れの症状は人それぞれだ。
俺の場合は三半規管がイかれるし、メアは極度の脱力感に襲われると言う。リリスの場合は、吐き気のようで。
魔力切れによる身体機能の異常に関しては、失くす方法だったり軽減する方法は未だ見つかっていない。ポーションや魔力回復薬を用いても却って症状を悪化させるばかりで、これに関しては時間の経過で魔力の回復を待つ他ないのであった。
地面に蹲ってびしゃびしゃと胃液を撒き散らすリリスの背を、俺は慮って擦ってやることしかできない。
貴族淑女のあられもない姿からは目を離すのがマナーとは言え、右を見ても左を見ても遮蔽物の一つすら見当たらない広大な麦畑の中では、彼女の苦労を労ってやることしか、俺には出来なかった。
「もう少し、離れた方がいいんじゃないか? ここじゃあ、火を起こせばすぐに見つかるぞ」
「ここからは普通に歩いて行くに決まってるでしょ。そんな状態のリリスちゃんにまだ歩かせる気ぃ? ウェイドってば鬼畜ぅ~」
「そんなつもりは無かったんだ。すまない」
「い、いえ……! わ、私は──、ぉぐぅぇ……っ!」
「無理をするな、リリス。いいから、落ち着くまで、喋るな」
涙と鼻水と涎に塗れた顔を上げたかと思えば、繰り返す吐き気に再び地面に目線を引き戻されるリリス。その様があまりにも可哀そうで、タオルでその顔を拭う。
しかし、そんな風に苦しそうに嘔吐く彼女こそが今回のエルフとの交渉において卓越した功績を残した人物であるなど、果たして誰が思うだろうか。言い換えれば、彼女が居なければ今回の作戦は成り立たなかった。それ程の存在である。
片や、突っ立っているだけで何もやることの無かった俺とは違って。
「そんな哀愁漂わせた背中見せないでよね~。楽出来てラッキー、くらいに思っておきな、っての」
「そうは言うがな……」
エルフとの交渉。
それは概ね、メアが思い描いた通りの結果になった。
聞き取ることも理解することもできない言葉が飛び交う交渉の場で会話の流れがどう言ったものだったのかは、あの場所にいて、最も強そうなエルフを取り押さえる役を担っていただけの俺には理解できないものであった。
抵抗が激しかったとか、聞き耳を立てる暇すらなかったとか、そんな事情は一切なく、ただただ聞き慣れないエルフの言語に俺は異なる世界に紛れ込んでしまったかのように一人ぼっちであった。
取り押さえたエルフだって、メアの手の平の上でコロコロと転がされているばかり。少しは抵抗の色を見せてくれても、と思わずにはいられない程、俺は終始、暇であった。
『……』
そんな俺たちの間で、先程から気まずそうにしているエルフの少女。
四方をエルフに囲まれたあの場所から俺達が無事に逃げ切るために必要だった人質の彼女はしかし、今はメアの手からも離れて自由の身である。それでも少女は逃げる素振りは一切見せずに、俺たちの動向をジッと見つめている。
逃げ出さないでいてくれるのであれば、人質を活用したい俺達にとってみれば願っても無いことだ。そこに誰の、どんな意図が隠されていたとしても、エルフ語を理解できない俺には分からないままであるが。
「さて、と。それじゃあ、今後のための作戦会議といきますか」
リリスが落ち着くのを待ってから移動した先で簡易テントを組み立てたメアは、身を潜める必要性など無い、とばかりに堂々と火を起こしてそう言い放つ。
メアがそうするということはつまり、俺達は逃げも隠れもする必要はないという事なのだろうが、長い逃亡生活のお陰で、息を潜めていないと落ち着かなくなっている自分がいることに驚きを隠せない。
いつから俺はこんなに臆病になってしまったのだろうか。
そう自分に問いかけずにはいられない程に外の視線に敏感になってしまっていた。
そんな不安を誤魔化すように俺は木の実の皮をナイフで剥きながら耳を傾ける。
「って言っても、明日の朝までやることないんだけどね!」
「いいから、交渉の内容を聞かせてくれ。あの場所で、お前は何を話していたんだ?」
「そう言えばそうだったね。リリスちゃんも同じかな?」
「ええ、はい。私も単語くらいは理解できたのですが、複雑な文章となるとまるで理解できませんでした。説明を頂きたいです」
「別に、真新しい情報なんて出て来てないけどね。時間はあるし、頭から説明しようか──」
そう言ってメアの口から語られたのは、長いようで短いエルフとの交渉の一部始終。
その内容と言うのが、エルフの戦士長とその娘を人質にとって強制的に人間の話にその長い耳を傾けさせ、相手の罪悪感や戦争の虚しさを語って徹底的にエルフ側が不利になるように語り掛けたのだと、メアは自慢げに語った。
目の前で見てきたは良いものの、聞き慣れない言語が飛び交っていたあの場所ではそんな会話が繰り広げられていたのか、と感心する一方で、例えもし仮に俺が同じだけエルフの言語を巧みに操れて、同じだけの情報を有していたとしても、メアのように一切命のやり取りを交わさずに交渉を終えることが出来るかどうかと問われれば、否、と答えるだろう。
それだけメアの話術は卓越しており、誰にも真似できない技術の粋であると同時に、彼の持ち得る情報の中に決して聞き捨てならないものがあったことを俺は聞き逃さなかった。
「──ちょっと待て。エルフが、帝国の使者を殺した、だと? それは、どう言う意味だ?」
「どうしたもこうしたもないさ、そのまんまの意味だ。今から十四年前、帝国とエルフの戦争は膠着状態にもつれた。その際、ロベリア陛下はエルフに停戦協定を求めに使者を出したのさ。このままでは無為に兵を疲弊させるばかりで国が安定しないから、って言ってね。初代皇帝から続く長い戦争の歴史の中で、初めて歩み寄ろうと動いたのがロベリア陛下なんだ。そしてその重大な役目を担ったのが、先代近衛騎士隊隊長……いや、今じゃ先々代、ってところか。その彼と他の近衛騎士を合わせた三名が武装を解除して手紙を運ぶ任を受けたんだ。でも、その三人は結局、戻って来なかった。戻って来られなかった、と言うのが正しいかな」
「……そんな話、聞いたことが無いぞ。リリスはどうだ?」
「いえ、私も、そんな話は知りませんでした。実際、帝都ではエルフとの戦線は遠い国の話のようでもありましたから」
帝国の栄華の極みである帝都では、戦争とは、勝つ話。勝って、当たり前の話である。
だから誰も気には留めず、滅多に話題にも上がらない。
人知れず帝国を勝利に導く兵士たちが話題に上がる時は、決まって必ず凱旋の時だけ。敗北や戦線を後退する話など、城の中以外では喧騒に消されて聞こえないのが帝都であった。
だから軍事からも遠い末端貴族の一員であるリリスが知らないのは無理も無い。
とは言え、近衛騎士隊の隊長ともあろう人が殺されたことが話題にすら上がらないと言うのは、違和感の強い話だ。ましてや、エルフに使者として送り、尚且つ武装を解除した状態で襲われたのだ。
余りにも無慈悲。余りにも非道。
そう言って国民を焚き付けることだって出来たはずなのに、ロベリア陛下は封殺なされた。それがどういう意味を持つのかぐらいは、俺でも分かる。
ロベリア陛下は、本気で戦争を終わらせようとしていたのだろう。
かの皇帝は、十年前から領土の拡大に積極的ではなくなったとの噂が蔓延していたが、帝国が大陸の覇者になるのを拒んでいたのかもしれない。
一強となることへのリスクを鑑みて、国政の充実にシフトしたのだろう。それでも、走り出した帝国を止めるのは難しく、その最中に紫晶災害が起こったのだ。ロベリア陛下の無念は、計り知れない。
「……そんな話を、メアは何処で知ったんだ?」
「盗み見たからに決まってるでしょ。他にも、色々と揉み消された裏の事情なんかも知ってるよ? 教えてあげよっか?」
「いや、いい。知ったら知ったで、変なものに巻き込まれそうだ」
「もう、遅いと思うけどねぇ……」
「は? それ、どう言う意味──」
嫌な予感がして問い詰めようとしたところで、ある音が聞こえ、会話を中断せざるを得なくなる。
俺達は揃って頭上を見上げると、そこには俺たちの安眠を翼の羽ばたく音で妨害したワイバーンに跨るエルフの姿が、遠い空にあるのが見えた。
「……もう、見つかったぞ」
「でも、降りて来る気配はないね。へいへーい! ビビってるぅ~?」
「おい、バカ、やめろ」
「ですが、ウェイドさんの言う通りでもあります。もっと見つからないような場所でなくて良かったのですか?」
「良いんだよ、ここで。と言うか、わざと開けた場所に腰を落ち着けているんだ。もしも相手が武力行使に出るようなら彼女を盾にするまでだし、そしたらエルフは完全に引けなくなる。引き際を見誤った軍隊がどうなるか、知らない君らじゃないだろう?」
「残されるのは、百の全滅か、一の勝利か、だな」
「なるほど。エルフ達は現在、私たちが帝国の手の者だと勘違いしているわけですね。それを利用する、と……」
俺たちの立場は現在、第三勢力にも似た何かだ。
姿を持たず、組織を持たない俺たちに出来ることは、暗躍。それ以外に無い。
そして暗躍こそメアの独擅場であり、リリスの生得魔法が輝く時でもある。
俺達は帝国側に偽装してエルフを誘い出し、エルフが攻勢に出ようものなら切って捨てるまで。そして一度動き出したエルフはもう止まることが出来なくなるのだとすれば。
メアが思い描く光景はただ一つだ。
「……エルフ達が強硬手段を取ることは無い、と確信しているんだな?」
「ぴんぽんぴんぽん、大正解! いやあ、ウェイドってば、僕の事よくわかってるぅ!」
「確信に至ったその心を聞いても?」
「答えは単純さ。エルフ達はこれ以上の侵攻を望んでいない。加えて、帝国側もエルフを押し返すだけの戦力を切るに切れない状況だ。言うなればこれは、十四年前の膠着状態の再現とも言えるね。となると、エルフ達が望むのは停戦協定。そんな時に現れた二つを繋ぐ橋とも言える僕らの存在。彼らは僕らを無視することは出来ない状況にあるのさ」
「ちょっと待ってください。それだと、帝国の動きが余りにも暗数過ぎるのではないでしょうか? 彼らの動き次第で、エルフ達が私たちを受け入れないことも、私たちが窮地に瀕する可能性だって、あるのではないですか?」
「──その通りだ、リリスちゃん。だから僕らの次の作戦は、帝国の動きを探ること。暗数を明るみの元に照らし出す段階が必要となる。それが何を意味するか、分かっているかい?」
「帝国に……、東都アルザスに、潜入するんだな?」
「そうさ。ただまあ、リリスちゃんが危惧した通り、エルフ達が僕らを受け入れるか否かで行動は変わって来るんだけども……、十中八九、彼らは僕らを受け入れるだろうね。あの戦士長と僕らが戦ったエルフの男は、馬鹿じゃない。僕らはエルフにとって害も益もない存在だ。害になり得るのであれば切り捨てればいいし、益になるなら利用すればいい。僕からすれば、こんなにもリスクのない賭けはこの世に二つ無いと言わざるを得ないね。この好機を逃すようじゃ、エルフ達は今後一生、勝利は掴めないよ」
よっぽど自分自身を高く見積もっているメアに、俺とリリスは顔を見合わせて苦笑を漏らす。
結局のところ、俺たちの価値を決めるのは相手次第だ。メアが言うほど、楽観できるとは思えなかった。
何せ、機竜小隊としてエルフと幾度となく戦場で相見えた相手である。
幾多もの同胞を焼き払い、撃ち殺した彼らと手を組むなど、そう易々と受け入れられるものではない。それはきっと、相手も同じことで。
メアはその辺りのことを深く考えていない。それがメアの良いところでもあり、悪いところでもあるが、今回も恐らく、メアの言うようになんとかなるのかもしれない。
メアは、分の悪い賭けは絶対にしない人間だから。
勝てる見込みの無い賭けには乗らない。
だから、信用できる。
「なら、後は朝が来るのを気長に待つだけだな」
「それはそうなんだけど、君にはまた不寝番を頼むよ。無いとは思うけど、夜に襲撃があってもおかしくないからね」
「話を聞いた限りじゃあ、そんな短慮を図るとは思えないが……。まあ、分かった。それで、その場合は切っていいのか?」
そう尋ねると、メアはそこで初めてエルフの少女に目線をやった。
慣れない人からの注目を浴びて肩を竦め怯えた様子を見せる少女を見て、メアはにんまりと悪戯な笑みをその表情に浮かべて言う。
「この子はあくまでもエルフ達を交渉のテーブルにつかせるための手段に過ぎない。だから陽が落ちる前には返すつもりさ。それでエルフがどう動くかを見ると言う名目でもある。彼らから、彼女を取り返すために泣く泣く従う、と言う選択肢を奪うのさ。僕はあくまでも、エルフとは対等でありたいと思っているからね。力や恐怖で支配する関係は脆いだけだ。そんな僕の心優しい提案を蹴るようなら、問答無用で切ってくれていい。対等ではいるけれど、見下されるのはまた話が別だからね。……だ・か・ら、それまでに彼女からは、聞きたいことを根掘り葉掘り聞いておかなくちゃいけないのさ」
『──ッ』
「そんな年端もいかない女の子を虐めてやるなよ……」
「おいおい、僕らの当初の目的を忘れたのかい? 僕らはシルフィとポーラの二人を救うんだろう? そのためにはエルフの知見が必要だ。それをなんだい、子供だからって理由で後回しにするのかい?」
「よし、やってくれ」
「ハハハッ、君ならそう言うと思ったよ!」
俺の返答にたちまち上機嫌になったメアは、嫌がるエルフの少女をテントに連れて行く。その様はまるで連れ込み宿のようであるが、テントの中ではきっと、彼女はメアの興味関心の対象とされるのだろう。
一度火が付いたメアは、その火が消えるまで収まらない。
少女にはご愁傷様、と手を合わせる他無い。
「なあ、リリス」
「はい、どうかしましたか?」
俺のカットした果物を嬉しそうに眺めているリリスに声を掛ける。
たかが切っただけの果実の何がそんなに嬉しいのか。
帝都で開発された果実と比べても種が多く、味も酸っぱいものでは貴族の舌は我慢ならないとは思うのだが、リリスはそれをキラキラした目で見つめていた。メトロジア大森林を彷徨い歩いていた頃の食糧難を経験すると、人はこんなものでも感動するようになるらしい。
そこに声を掛けると、弾むような声が返って来る。
相変わらず、リリスの隠すつもりの無い好意には慣れない。
「リリスは、エルフの言語を少し理解できるんだよな? お前の分かる範囲で良い。教えてくれないか?」
「……っ」
「これから、エルフと関わることになるかもしれない。だから何も知らないよりは、単語だけでも話せたらいいかな、と思ってだな……。いや、リリスが嫌なら、いいんだ。今のは忘れて──」
「──もちろんですッ!!」
突然の提案に呆然として何の反応も帰って来ないから不安になって取り下げようとしたところ、突然動き出したリリスは俺の手を両の手でがっちりと掴み、一段と目を輝かせて叫んだのだった。
瞬き一つの間に取り行われた変わり身に俺は唖然とする他無くて、ただぼんやりと「よろしく頼む」、と自分でも情けない程に消え入りそうな声で頷いた。
「ああ……、ウェイドさんが、私を頼ってくれた……! 今日と言う日を記念日にしましょう、そうしましょう! しかも、理由がなんて健気なのでしょうか……! そんな真面目で素敵なところが好きなんですよねぇ~……。くぅ、ウェイドさんが愛らし過ぎて胸が苦しい……! メアさんの方が良いんじゃないですか、なんて野暮なことは言いっこなしです。そう、確かエルフの言語は舌の使い方が違うんですよね。だからあわよくば──」
一方で、俺の知らないところで舞い上がるリリスを見て、頼む相手を間違えたか、と思う反面、二つ返事で了承してくれた彼女にはやはり、頭が下がる思いだ。こんなにも素晴らしい彼女が、俺のどこを好きになってくれたのかが思い当たらない。申し訳ないが、それこそが彼女の唯一の欠点と言えよう。
「それじゃあ早速、頼んでもいいか?」
「はい!」
メアとリリス。
二人には一生かかってでも返せない恩が出来てしまっている。果たして俺は、二人に何を返せばいいのだろう。
なんてことを頭の片隅で考えながら、リリスのマンツーマン指導が始まる。
それからしばらくして、日が暮れる前にメアとエルフの少女はテントから出てきたかと思うと、メアは暗くなる前に帰りなよ、とだけ言って一つの土産だけを渡して彼女を解放した。
エルフの少女から聞いたエルフの知見に関する話を共有して、夜が更けていく。
夜の間、起こしたままの焚火は真っ暗な夜の世界で煌々と光を放っており、逃げも隠れもしない俺たちの姿は、常に誰かに見られているような気配を感じていた。
だが、メアの予想通り、夜の間は魔物以外の襲撃は訪れず、無事に朝を迎えることとなった。
「──メア、起きろ。お客様がお見えだぞ」
「はぁ、やっと来たの?」
俺たちの元にエルフの姿が見えたのは、朝方までテントの中でごそごそと何かをやっていたメアが寝付いてからしばらく経ってのことだった。
時刻は昼に差し掛かる一歩手前と言ったところだろうか。
もうあと一時間遅ければ、こちらから出向こうと言ったところで、エルフからの使者がワイバーンに乗ってやって来た。
やって来たのは、丁度一日前に死闘を繰り広げた相手。
確かメアが言っていた名前は、ライオ、だったか。
「昨日ぶりだね。こんな時間になるなんて、随分悩んだのかな?」
『──話は聞く。口車に乗るかどうかはその後だ。これが、戦士長からのお達しである』
「よっぽど警戒しているようだね。僕のお土産は喜んでくれたかな?」
『貴様……っ、アンバーと同じ物を、リンカにまで……!』
「おっと。君がやるべきはここで殺意を振り撒くことじゃない。ましてや、命がけで喧嘩をするわけでもない。君のやるべきは、僕らを無事に話し合いの場まで連れて行くこと。昨日と同じだ。もちろん、昨日と同じ結果になるとは、限らないけどね?」
『……ッ』
寝起きの癖に、寝癖も無ければ涎を拭った跡も無い。それどころか、肌艶の増しているメアは相変わらず、他人に完璧な姿以外を見せようとはしない。その努力と言うか、苦労を完璧にものにしている様は、正しく超人と言えよう。
帝国軍人時代に宿のベッドで寝て起きた時に鏡に映る俺の姿とはまるでかけ離れている。これが庶民と貴族の生まれの差なのだろうか。
遅れてテントから出てきたリリスも、メア程では無いが整った状態であった。
「ウェイドさん? どうかしましたか?」
「……いや。俺の素朴さにうんざりしていたのさ」
「そんなことありませんよ! ウェイドさんの素朴さはむしろ魅力ッ! 少し抜けているところが可愛くって──」
リリスに愚痴るのを、今後は止そう。
朝からそんなことを考えながら、付け焼刃の知識では全く聞き取れないメアとエルフの舌戦に目を向けると、メアの判定勝ちのような空気になんとなく察しが付く。
「エルフ達が僕らを待っているみたいだ。早く行ってあげないと、彼らの耳がもっと長くなっちゃうってさ」
「……それ、怒られないか?」
「大丈夫さ。エルフの中に人間の言葉を理解しようなんてのがいれば。確実に村八分さ。奴らはそう言う連中なんだ」
言いながら、荷物を小さく一つにまとめ出すメア。
そして俺たちの一挙手一投足を厳しい眼差しで見つめるエルフの男。
会話の内容が分からないと言うだけで不安に駆られる一方で、俺やリリスが抱く不安など露知らず、と言った様子のメアの強心臓を少しでも分けてもらいたいと思わずにはいられない。
「……あんなに警戒されて、本当に大丈夫なんですか?」
「リリスちゃんも同じ感じ? なんだよー。二人して、僕の事信じてないのかー?」
「信じてるよ。けどな、それとこれとは話が別と言うか……。俺たちは本当に何もしなくていいんだな?」
「あぁ、その話。それなら安心していいよ。ここまで来れば、後は全部うまくいく。いつも言ってるだろ? ──交渉は、テーブルに着く前に終わっている、ってね? 二人は、ドンと胸張ってさえいてくれればそれでいいのさ」
「……そうか、分かった。信じてるぞ」
「ぁ痛ァ! もう! いつも言ってるけど、もっと優しく叩いてよね」
「それが信頼の重さだ」
メアの自信に満ち溢れた笑みは、彼の言葉以上に物語っており、彼のその笑みはいつだって俺たちを裏切ったことなどないことを知っている。
だから俺は、メアの背中を軽く叩く。
それがいつもの俺とメアとワーグナーの三人が取る、第三機竜小隊遊撃部隊の出発式のようなものだったから。
それが羨ましかったのか、リリスも俺に続けて「えいっ」とメアの背中を叩く。するとメアは驚いた顔をした後で、「結果だけ楽しみにしててよね」、と満面の笑みでエルフの元に向かっていく。
俺たちは、ワイバーンに乗って、再びチャタ村に舞い戻るのであった。
補足と言う名の、言語解説。
【メアのお土産】
エルフの少女リンカに持たされたお土産は、ライオの騎竜アンバーに取り付けられた首輪と同じ物。それは魔力を流すと爆発し首が吹き飛ぶと言う代物で、メアがアーティファクトである「魔力封じの首輪」を改造して作った物。
しかし、本物はメアがライオを脅すためにデモンストレーションで使った時に破壊されており、同じ物はもうこの世には無い。そのため、アンバーに付いている首輪も、リンカの首に嵌めた首輪も、どちらもただの偽物。メアはそれが本物であることも偽物であることも伏せているため、爆発して首が吹き飛ぶと勝手に思い込んでいるのはライオだけ。ライオの口から、リンカに付けられたお土産が「そう言うものだ」とエルフ達が思い込むに至ったのは全てライオが喧伝したせいなのであった。




