二節 内偵1
◇
「──それで。帝国は、敗走した。と、いうことでいいんだな?」
「ああ、そうみたいだよ。エルフが言うにはね」
俺が目を覚ましたのは、昼下がりのこと。
意識を失っていたのは半日ほどで、体の疲れも残っていない。きっと意識を失う直前でメアが飲ませた何かが功を奏したのだろう。アレが何だったのかを聞いても教えてはくれなかったが。
そして今、目を覚ました俺は、捕まえたエルフから聞き出した情報をメアから聞かされているところだった。
「紫晶災害の混乱に乗じて攻め込んできたエルフ達森林国家の軍勢を前に、帝国は為す術もなく敗走……。現在は東都アルザスまで撤退を強いられている、と。信じられない……いや、信じたくない話だな」
以前の帝国を知る人であれば、与太話だと切って捨てるような話。
だが、麦の収穫を目前に控え、家財道具の一式すらも置き去りにしてもぬけの殻と化したこの村の有り様を見た後では、その話が最も道理が通るものではあった。
あまつさえ、悠々と帝国の空を飛んでやってきたエルフを見た後では、信じる他なかった。
「それが事実かどうかはいずれこの目で確認するとして、まずはこれからのことを話そう」
「そうだな。俺も聞きたかったことが大いにある。例えば、どうしてエルフを生かして捕えようとしたのか、とかな」
エルフも飛竜も、殺すのであれば容易かった。
メアもそのことは承知の上で俺に「殺すな」と指示を出したわけだ。捕まえた後で利用するのだろうとは思っていたが、情報を搾り取った後。果たしてメアにはどのような意図があるのか。俺の足らない脳味噌ではその先まで読むことは出来なかったため、乾いた喉を潤すために水を一口飲み下しながら尋ねたのだが、その問いに返って来た答えに俺は思わず耳を疑わずにはいられなかった。
「端的に言おう。僕らはこれから──、エルフに味方する」
「……は?」
ちょっと待ってくれ、と眉間を指で押さえつつ、今のが聞き間違いであることを願いつつも同じことを聞き返す。
「今のは俺の聞き間違いか? 俺は今、一瞬耳が遠くなったのかもしれない。……お前は、今。エルフの味方をする、と言ったのか?」
「あはは! リリスちゃんと同じ反応をしてるよ! 仲が良いねぇ。でも安心してくれていい。君たちの耳は正常だ」
「そ、それはつまり、エルフに味方する、ってことか?」
「……そう言ってるだろう? 理解の遅い君にも分かる通り言うとだね。ずばり、帝国に敵対するって言うことさ。でもそれって、僕らにとってみれば今更な話だと思うけど?」
「確かに、それはそうだが……」
俺は自分の耳が正常であった事を恨みたくなったが、言われてみればその通りだ。
帝国は俺を「紫晶災害を引き起こした真犯人」として捕まえようとしている。名目はどうあれ、帝国の威信を取り戻すために俺の存在は丁度いいのだろう。そして、同様に反乱分子として俺の逃亡を手助けしたメアを国家反逆罪として追っているし、呪い人の人たちに至っては言わずもがなである。
俺たちの一向は、総じて帝国のお尋ね者だ。
むしろ、これ以上悪くなりようがない状況とも言える。
ここでメアに反発して帝国への反旗を翻さなかったとしても、帝国側が俺たちに譲歩を求めてくるようなことは無い。絶対にあり得ない。
だからと言って、「はいそうですか」と簡単にメアの誘いに乗るわけにはいかなかった。
腐っても帝国は俺が生まれ育った国だし、俺に居場所を与えてくれた恩義ある国でもある。それはメアもリリスも、みんなだってそのはずだ。
だから、帝国が敵だからと言って、俺たちが堂々と啖呵切って敵対行為を取るのは、一端の常識があれば誰であれ憚られるものだった。
だが、このまま逃げ続けると言うのも現実的ではない。行動を起こさなければ、事態は好転しないのもまた事実。
少なくとも、メアの誘いを「絶対に嫌だと」突っぱねる理由は、見つからなかった。
「……とりあえず、聞かせてくれ。あのエルフを使って、これからどうするのかを」
「ふふん。そう来なくっちゃね」
だからせめて話だけでも聞いてから判断するのは遅くはないと思って耳を傾けるのだが、その時点で既にメアの手の平の上で転がされているような気がしてならないのは否めない。
「エルフの男──あの男の名前は、ライオ。エルフの戦士らしい。その彼から得た情報を基に、僕らはこれから……、エルフの本陣に乗り込む」
そうして語られていくのは、限られた情報から緻密に組み立てられた計画。
その果てには、シルフィとポーラの二人を助ける目論見も、紫水晶の呪いの解呪も、そしてメア本人の本懐までをも取り込まれており、一見しただけでは完璧な作戦のようにも思えてならなかった。
だが、どんなに優れた作戦や計画だとしても、完璧なものなどこの世には存在しない。軍事作戦においてそのことを嫌と言うほど思い知っている俺が口を出すと、メアは喜ばしいとでも言わんばかりに笑みを深めて言った。
「そうさ、この作戦は完璧じゃない。完璧じゃないからこそ、みんなの力が必要なのさ。差し当たっては、リリスちゃんのね」
「……リリスは、なんて言っていたんだ」
「私にできることなら喜んで、と、二つ返事だったよ」
「あの馬鹿……! 遊びに行くんじゃないんだぞ? 敵陣のど真ん中に突っ込むって言うのに……!」
「今のエルフは僕らの敵じゃなく、味方だよ。……向こうは、そうは思っていないだろうけどね。それに、リリスちゃんは君が思うよりよっぽど、現実を見ていると思うけど」
「……メアが言うなら、そうなんだろうな」
「拗ねないでよ、もう。単純に、もっとちゃんと見てあげなよ、って言いたいだけ。ただのお節介さ。もちろん、彼女を護衛するために君にも来てもらう。僕が一番の危険を背負うとは言え、彼女の立場は何よりも危険が纏わり付く立場だと思うからね。しっかり守ってあげなよ」
「当たり前だ。……その間、ウォルマン達はどうするんだ」
「彼らには、話がまとまり次第、後から来てもらうことになっているけど、交渉が決裂すればそれまでだ。そうなれば、今生の別れになるだろうね」
「……っ」
作戦はあくまでも成功することを目途に立てられる。誰が失敗を前提に作戦を立てるものか。
それらは次善策と呼ばれるもので、遊撃部隊の頃から、メアは次善策など用意してこなかった。考え得る失敗など失敗ではないとでも言わんばかりに、メアの頭の中ではありとあらゆる可能性の全てが織り込み済みなのだ。だからどこまでが成功でどこからが失敗なのか判断付かないのが悪いところでもある。
そんなメアが失敗と言うからには、次善策など有り得ない、俺たちの完全なる敗北を意味する。それ即ち、メアの作戦は成功させるしか俺たちに道は残されていないということだ。
すっかり慣れているとは言え、道半ばで彼らと別れるには、俺はまだ何も成し得ていない。
つまり、メアは言外に「何が何でも成功させよう」と言っているようなものだった。
……この男は本当に、俺のツボを押さえるのに長けている。
「……そうか、分かった。それで、出発はいつだ?」
「二時間後」
「それは……、随分と、早いな」
「色々と込々でね。一緒に行くのは僕と君とリリスちゃんの三人だけだし。別れの挨拶はさっさと済ませておきなよ」
そう言うと、話は終わり、とばかりにメアは村の備蓄から貰って来たと言う昼食に手を付け始める。
俺の分は、と言う暇もなく、俺はメアのもたらした情報を整理すべく考え込む。
余りにも短い準備期間だが、そのことに文句はない。限られた数しかない機竜を操れる希少な戦力部隊だった機竜小隊の頃と比べれば、まだ優しい方だ。あの頃は、深夜に任務が終わったかと思えば、翌朝の明け方には新たな任務を課されての繰り返しなんて、よくあることだった。
だから俺がメアの話を聞いて胸に抱いた感想は、作戦スパンの話ではない。
胸に抱いた一抹の不安は、メアらしくない作戦の一部のこと。
「……なあ、メア。ウォルマン達とは、本当に後で合流するんだよな?」
「信用が無いなあ」
「信用しているからこそ、聞きたいんだ。メアならここで、あいつらを切り捨てると思っていたからな」
「いやあ、僕ってば信用されてるねぇ」
呪い人である彼らを切り捨てるのであれば、今この瞬間が妥当なはず。もちろん、俺に彼らを切り捨てると言う選択肢は有り得ないが、それは俺に彼らへの贖罪の気持ちと責任感があるからだ。だが、メアはあくまでも俺の我儘を叶えてくれているだけの話。メアには贖罪も責任も生じていないのが現実である。
メアが指すのは、いつだって最善手。それが例え遠回りの道だとしても、最良の結果を求めるためなら厭わずに突き進むのがメアだ。彼の行く道こそが最善手。愛らしい顔の下では無数の数字と無限の情報に立ち向かう真摯な感情を秘めている。それがガルメア・エディクレスと言う帝国男児なのである。
だからこそ、メアにとってみれば厄介者と呼んでもおかしくない彼らの存在がいつ切り捨てられるか。それだけがとにかく不安で仕方が無かった。
だが、俺の予想に反してメアは、危険を冒してでも彼らをこの場所にまで導いてくれた。それがどんな意図を持っているのか分からず、ましてやこの期に及んでまだ彼らを救う素振りを見せるメアが予想外で、問わずにはいられなかったのだ。彼らを救いたい俺にとっては渡りに船であるが、彼らをどう利用するつもりなのかを確認しておきたかった。
もしかしたら心を入れ替えたのかもしれない、なんて希望的観測が過るが、そんなのあくまでも希望的観測。入れ替えた先の心まで黒いのが、メアである。
利用価値があるか無いか。メアが人を選ぶ基準はそれ以外に無いのだから。
「彼らの奮闘する姿を見て、思わず胸を打たれてね。なんて健気なのかと。なんて惨め──オホン。なんて素晴らしくも吐き気のする──オホン。美しい仲間意識なのかと思って、心を入れ替えたのさ」
「……本音がだだ漏れだぞ」
「おっと。おかしいなぁ。リリスちゃんはこれで感激してくれたんだけどな」
「心配になるチョロさだな……。あんまりリリスで遊ぶな」
「君は逆に、薄汚れてるよね。リリスちゃんみたいにもっと純粋でありなよ」
「俺とお前は、どうやったって綺麗にはなれない。そうだろ?」
「お互い浚われるドブ同士、だもんね。一蓮托生さ」
なんて言いながら、メアは俺にも昼食勧めてくる。俺は、空腹を思い出したかのように差し出された食事に手を伸ばした。
「約束するよ。あの二人は助ける。それまで安全を保障することも付け加えてね。君が心配することは何も無いさ」
「そうか、ならいい」
「……そんな簡単に頷かれると、今度は僕が不安になって来るよ。本当、君ってば僕のことを信用し過ぎだよね。彼らをどう利用するか、とか聞かないんだ?」
「お前は研究塔の奴らとは違う。それだけで信用に値するよ。それに、だ」
「それに?」
「メアが約束を破ったことなんて、一度もないだろ? お前は、何があろうともそこだけは違えない男だ。それだけは手放しで褒められるくらい、俺の好いているところでもある」
「……」
「なんだよ、その顔」
「いや、驚いてね。それくらいはっきりと物が言えるなら、リリスちゃんにも言ってあげればいいのに、と思って」
メアは言ってくれた。シルフィとポーラの二人を助けてくれる、と。
それだけ聞ければ、メアの作戦において最早憂慮することなど何もない。十分だった。
「そんなことより、体調はどうだい? 森の中を進んでいた時から、神の雫を常飲し続けていただろう? 短期間に、六本も。ありったけ、全部だよ。……君の体に何が起こっていてもおかしくない量さ」
「……変化、ね」
「何か、心当たりはないかい?」
「そう言えば、今朝、ワイバーンを殴っただろ?」
「いや、見てないから知らないけど」
「その時、前腕に激痛が走ったんだよ。折れてはいなかったと思うが、多分あれは、ひびが入ったんだと思う」
幾度となく怪我と言う怪我を経験してきたから分かる。あれは間違いなく、ひびが入っていた。ともすれば折れていてもおかしくない程の痛みだった。だけどそれが、あれから精々が三、四時間しか経過していないのにもかかわらず、今では最初から折れていなかったかのように完治してしまっている。
その旨を話すと、見せて、と言って催促するメアに右腕を差し出すと、触診が始まった。
感触や、力を込めた時の反応を窺ったりなど、ごく普通の触診だった。
「痛くないの?」
「ああ。これっぽっちも」
「……身体強化で治癒力を増進させることは確認されているけど、それだって、ひびや骨折だとしても全治までに最短でも二、三日はかかるんだ。それを、その才を持たないウェイドが、たった半日、いや、三時間かそこいらで、って? ……ハハッ、君の体ってば、どうなっているんだい?」
俺の身体に起こっている異変はメアの想定を凌駕したのか、珍しく乾いた笑いが漏れ聞こえる。
しかし、俺は俺自身に起きている変化に身に覚えがあった。
それは、量産型の疑似ポーションだ。
それさえあれば、似たような現象を引き起こすことは可能である。
遺跡から発掘されるアーティファクトの中には、帝国の時代を百年も二百年も手繰り寄せるものがいくつも発見されているが、ポーションに至っては時代を千年も早めたと言われる逸品である。
いくら効能が落ちるとは言え、量産型の疑似ポーションさえあれば、帝国が戦線を後ろに下げるということもなくなるほどの品。
俺の体に起きた奇跡にも近い回復力を現実のものにしたのが疑似ポーションであるなら不思議ではない。
だがそれには量産型のポーションに加えて、メアが例に挙げた巧みな身体強化の才が必要である。
どちらもこの場所には無いし、才に至っては、俺には生まれながらに欠けているものでもあった。
「正直、今の段階では君が冗談を言っていると言われた方が信じられるくらい、君の腕は正常そのものだ。君ってば本当、退屈しない身体をしているね? アハハ! 人間びっくり箱だ」
「それは、褒めているのか?」
「確かに、今の君は災厄をもたらす箱かもしれない。ああ! 今すぐにでも君の体を調べ尽くしたいよ! それで、他には? 異常な回復量だけじゃないだろう?」
「災厄って……まあ、否定は出来ないが。他にと言われても、そんなパッと出てくるようなものは……。ああ、そういえば、神の雫を飲んでいると時々、声が聞こえるんだ」
「声?」
「『壊せ』とか。『奪え』とか。ワイバーンとエルフの時は、頻りに『殺せ』、って聞こえてきた。神経が研ぎ澄まされているからかと思ったんだが……」
「幻聴、ねぇ……」
俺の体の変化をウキウキしながら耳を傾けていたメアだったが、正体不明の声の話をするやいなや、一転して真剣な顔つきになって考え込んでしまう。
何か悪い諸症状であっただろうか、と心配になりながらその横顔を覗き込んでいると、途端にメアは何を思い至ったのか、席を立つ。
「悪いけど、少しやることが出来たよ。君は、出発の時間まで好きにしていていいから」
「あ、おい! 急にどうしたんだよ! 不安になるだろ」
「君はしばらく安静にしている方がいいかも、と思ったんだよ。……まあ、今更計画を変更することなんて出来ないけどね。幸か不幸か、神の雫は品切れだ。それに、君の出番はほぼないと言ってもいい。なにせ、僕らがこれからやろうとしていることは──交渉、だからね」
半分ほど残された昼食を片付けておいてくれ、とだけ言い残し、メアは慌ただしくして飛び出して行ってしまう。
「……俺ってば、そんなに重症なのか?」
メアの反応を見て不安が過る。
けれども、いくら考えたところで、専門家でもない俺には自分の体がどうなっているかなんて分かるはずもない。
だから俺は考えるのを放棄してメアの残飯も含めて口に運ぶ。
セナ村の孤児院では滅多に食べられないものばかりだ。この村は裕福だったのだろう。
なんて思いながら、出発までの時間で何が出来るかに思考を割くのであった。
補足と言う名の、言語解説。
【指名手配】
懸賞首とも呼ばれる指名手配。国を挙げての指名手配とあって、ウェイドやメア、元近衛騎士らの懸賞金は相当なものになっている。しかし、冒険者や傭兵の間でも【死神】や【鬼人】の名は知られており、どんなに懸賞金が高くともそれに手を出そうとする者はほとんどいないのが帝国の現状であった。むしろ懸賞金を出すくらいなら税金を緩和しろ、と言う声が日に日に大きくなっている。




