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一節 果断3

 



 ◇



『──無人であるはずの村から煙が昇っているとの報告があって様子を見に来てみれば……。我々の監視の目を掻い潜ったとは考えられない。貴様ら、どこから現れた? 帝国の密偵か?』

「武器を降ろしてくれたら、話をするんだけどなぁ」

『……猿に近しいその口で、神の言葉に等しき我々の言語を操るか。……もう片方は理解できていないのか? ならば、殺すのはそちらだけにしよう。貴様だけ生かして、後は皆殺しだ』


 一触即発の空気を醸し出しながら、俺には理解できない言語で語り合うメアとエルフの男。

 会話が出来るのであれば交渉次第でどうにかなるだろうと高を括ってメアに話しを振るが、俺の微かな希望は積み上げられる間もなく崩れ去っていく。


「……怒っているみたいだが、なんて言ってるんだ?」

「僕だけ残して全員皆殺し、だってさ。血の気が多くて嫌だねぇ。何が森の賢者か。こんなに野蛮なのに」

「……やるか、メア」

「お、スイッチ入った? 出来るなら、生け捕りにしたいところだね」

「竜騎兵が相手だぞ。手加減なんて、出来るわけ無いだろう」

「二人を助ける手立てがある。それにはエルフの協力が必要だ」

「……分かった。だが、最後の神の雫(ミューズ・ア・ムール)を使うぞ」

「当然さ。初めから本気で行かないと、竜騎兵には勝てない。寝起きだから負けた、なんて言い訳、死ぬほどダサいでしょ?」

「言い訳が必要なのは、相手の方だろ?」

「ハハッ! 君も言うようになったじゃないか」


 メアの真意も、エルフの意図も分からない。

 だが、今の俺に必要なのはこの戦いに隠された意味ではなく、背後で眠る彼らの安眠を守ることだ。その為に、懐から取り出した最後の神の雫(ミューズ・ア・ムール)を呷り、エルフを見据える。


「……準備運動は、済んでるか? おい」

『なんだ、その目は……ァ! 先に得物を抜いたのは貴様らだ! 貴様らのような猿に相応しい惨たらしい死を授けてやろう! そのような死に体で、俺達に敵うとでも思っているのか?! ──行くぞ、アンバー!』

「【感応魔法】──」


 アンバー、と叫んだのは彼が跨るワイバーンの名か。

 エルフの掛け声とともにワイバーンが咆哮を上げて翼を動かすと同時に、俺は地面を蹴っていた。


 竜騎兵。

 アーティファクトである機竜が発掘されるまで、帝国の侵略を大規模に食い留めていた森林国家の最精鋭部隊。

 制空権を握られた戦いと言うのは、戦いと呼ぶにはお粗末な程に一方的。竜騎兵によるポジションの確保と、魔法に長けたエルフによる絨毯爆撃は、帝国に多大な被害をもたらしていた。

 もしも森林国家に領土拡大の目論見があったなら、帝国は栄える間もなく滅んでいた。そう思えるほどに竜騎兵の存在は大きかった。加えて、いかに帝国側が機竜を有しているとは言え、歩兵に対して竜騎兵は圧倒的に優位であることには依然として変わらない。


 ゆえにこの戦いも、俺達が圧倒的に不利であった。


『──奔れ、風雪。穿て、鋭爪!』

「フッ──!」


 だがそれは、竜騎兵が空を飛ばなければ相性の問題も発生しない。

 制空権を支配させなければ、相手はただでかいトカゲに跨るエルフでしかないのだから。


 エルフが手に持った槍を振りかざすと、空中に氷の花が咲くように飛礫が出現する。大方、このエルフは空を飛んでしまえば俺たちなど敵ではないと思っているのだろう。それは事実であるが、敵を侮っていい理由にはならない。


 この魔法も大地を蹴って迫る俺への牽制が目的なのだろうが、搦め手の無い牽制に留まる魔法では、俺の足を止めるには至らない。

 感応魔法が空気に馴染み、周囲の状況が手に取るように分かる俺には、最低限の動きだけで魔法を掻い潜り、ワイバーンの足元にまで到達する。


『なッ、なんだ、その、身のこなしッ?!』


 俺たちの様子を伺うためか、それともワイバーンの飛行限界を伸ばす目的か、地面に降り立ったのは間違いである。

 そして同時に、この対峙は俺たちにとって好機でもあった。


「飛ばす、かよ──ッ!」

『チィッ! アンバー!』


 ここで翼の一つでも斬り落とせば、ワイバーンは竜騎兵としての強みを生かせない。相手のエルフの油断や慢心が生んだ好機を逃さんとばかりに銀閃を瞬かせた──その刹那。


「く、っそ……、阻まれた!」


 俺の振るった剣はワイバーンが差し込んだ尻尾に阻まれ、甲高い音を鳴らすに留まる。尻尾の堅牢さから見て、相当に練度の高いワイバーンであることを察した、直後である。


『──芽吹け、嵐。絡め、死季蛙』

「ウェイド! 足元!」

「チッ!」


 エルフの魔法を誘引させる音が聞こえたかと思うと、いつの間に回り込んだのか、ワイバーンを挟んで反対側にいるメアから声が掛かる。

 同時に、足元に違和感を覚えて視線を下に降ろすと、感応魔法が嫌と言うほど足元から魔法の気配を感知し、俺は急いでその場から飛び退いた。


 瞬間、ただの踏み固められた土の地面だったはずが、そこには瞬く間に草花が芽生え始める。なんてファンシーな魔法だと思ったのも束の間。草花が蔓を伸ばし、葉が刃となって襲い来る。


「メア! 使うぞ!」

「駄目だ! 僕が押さえる!」


 この場を楽に乗り切れる手段。それを、俺は有している。

 だがメアの許可なしに使うのは禁じられており、ならばと許しを求めたのだが、にべもなく断られる。


 となると、残されたのは自力で襲い来る草花から逃れることであり、ワイバーンの攻撃を捌いているメアの助太刀に入ることが俺のすべきことである。

 そうと分かれば、地面を蹴ってワイバーンの背後に回る。


 だがしかし、刃となった草花は執拗に俺を追いかけ回す。群襲燕(ブレイブシューター)の変異種を相手にしているようだと錯覚しそうになるが、四方八方から迫りくる刃の精度はエルフの魔法の方が格段に上だ。時には迎え撃たねばならない程に速度も上回っており、触れただけで服や肌が切り裂かれる程に鋭利。ワイバーンの対処をするメアの援護に入ることすらろくに叶わない。


 メアは、純粋な力に欠ける。

 ゆえに、駆け引きの通じない強大な魔物を相手にするのを苦手としている。だが、メアならばただのワイバーン如きに遅れを取るはずはない。エルフとの息の合った動き、洗練された肉体。それを含めて考えると、あのワイバーンはもしかしたら変異種に匹敵する能力の高さを有しているのかもしれない。


 となると、いつまでも草花と追いかけっこをしている余裕はないわけだ。


「……ふむ」

『すばっしこい、猿めッ!』


 一度は接近を許したものの、あれ以降エルフに近付くことすらままならない。

 草花の魔法も延々と襲い来るわけではなく、一定距離を離れると勢いと動きに精細さが欠けるようになる。加えて、エルフも魔法の操作に集中しなければならないようで、メアに意識を割く暇もないらしい。


 ……人間の魔法士とも幾度かやり合ってきたが、エルフでも同じか。やはり、攻撃魔法は万能というわけではないようだ。


「こういう奴には、慣れているんだ」


 そして、草花の魔法の対処法も見えた。

 少しだけ重くなった体で、地面を蹴る。


 今度は迫り来る魔法から逃げるためではなく、エルフに向かって駆けて行く。


 しかし、最初のように馬鹿正直に真正面から突貫するのではなく、俺は大地を蹴って大きく跳んだ。

 空中に、俺の体が曝け出される。


『バカめッ! 八つ裂きにしてやる!!』


 案の定、色とりどりな草花が軌道を変え、下方向から俺を目掛けて襲い来る。

 このままではそれら全てに押し流され、俺はボロ雑巾のようにズタボロにされるに違いない。エルフの目には、そんな未来が映っていることだろう。


 だが悲しいかな。

 経験の差。こればかりは魔法の有無では埋められないものがある。


「──取った、と思ったな?」


 目下に魔法が展開されると同時に、俺は隠し持っていたいくつもの革の水筒を手放す。

 それらは襲い来る草花の魔法に切り裂かれるが、水筒としての役目を終えると同時にたっぷりと詰まった中身をばら撒いていく。


 途端、広がる水のカーテン。


 そこに飛び込んできた草花の魔法は見るからに勢いを失くし、体に届く前に落ちていく。


 逃げ回る最中、水溜まりに落ちた草花の魔法が地面に落ちていくのを見て思い付いた作戦だ。


 地上であれば四方八方。だが空中であれば、自分が落ちていく下方向さえ気を付けていれば、後は水筒をぶちまけるだけで対策は済む。方向さえ指定できれば、本当なら丸太でも盾に出来れば良かったのだが、そんな見え見えのものでは対策されておしまいだ。


「っ、勢いを失っても、痛いモンは痛いな」


 水のカーテンを潜るも、草花の魔法はまだ残っている。

 だが、急所を守る姿勢で飛び込めば易々と草花の嵐も越え、ついにエルフとワイバーンに剣が届く。


「地面がお似合いだよ、クソトカゲ──」


 そう。届く、はずだった。


『……もういい。手加減はやめだ』


 刃の嵐を抜けた先。水浸しで、傷だらけで、血に塗れた俺の構えた剣が振り下ろされる、直前。






『──爆ぜろ、鈍空。輝け、旱星』






 エルフの槍の穂先がこちらを向いた、その、直後だった。


「なッ……?! く、目が……ッ!」


 カッ、と網膜を焼く光。

 一瞬にして白に染まる視界の中、次に襲い来るのは、肌を焼く猛火。


 その中で辛うじて両方の足で着地できたのは、奇跡と呼ぶ他無い。けれど、その奇跡に喜ぶ間もなく、地面についた足で即座に後退を迫られる。その場に留まるにはあまりに高熱過ぎたのだ。


「ゲホッ、カハッ! おい、メア! 今のは、どう言うことだ?! エルフは火の魔法は使わないんじゃなかったか?!」

「そのはずだよ! と言うか、今の、何?! めっちゃ眩しかったんだけど?!」


 跳び退った先で熱気を取り込んだ肺を冷ますべく呼吸を繰り返す。

 あの一瞬。エルフの放った魔法は、確実にその場一帯を人が生息できない環境を生み出すという驚異の魔法であり、俺は慌ててメアに呼び掛ける。


 だが、防御姿勢を取り受け止めた腕の側面が真っ赤に染まって、俺の体は蒸気を発しているにもかかわらず、ワイバーンの傍に居たはずのメアは何事もなかったかのように立っている。

 あまつさえ、ただ眩しかっただけだと言う。


「熱く、なかったのか……?」

「そんな、ことより! ウェイド!」


 そのことに疑念を抱いたのも束の間、メアの声に現実に引き戻された俺は、土煙の中に浮かぶ影に息を飲まざるを得なかった。


「ッ、まだ、間に合──」


 巨体のワイバーンが飛び立つには、数秒かかる。

 ならばその隙を突くしか、と前のめりになった瞬間、俺の考えを読んでいたかのように魔弾が飛んでくる。


「くそっ! メア!」

「こっちも、駄目だ! まずい、飛ばれる!」


 空に飛ばれたら、一方的に魔法を撃たれて負ける。俺たちだけなら凌げなくはないが、俺が引っ張り出してきた彼ら彼女らはもれなく死に瀕するだろう。

 それだけは絶対に防がなければならない。


 だから──。


「もう駄目だ! メア、使うぞ!」

「っ、駄目だ……! まだ、まだ何か手が」

「覚悟なら出来てる! もう限界だ! メアッ!」

『ここからは篩だ。さて、どちらが生き残る? くたばれ、猿共──』

「~~~~ッ、ウェイド──」


 クハハ、と勝利を確信し、酔い痴れたかのように笑うエルフ。


 力を使う。決定権の全てを委ねたメアがその葛藤に苦悩の声を上げる。

 これ以上はもう、間に合わない。

 メアの許可を待たずとも、俺は最終手段を行使するつもりだった。

 そうでもしなければ、昨夜決めた覚悟が全部嘘になる。

 ここが旅の果てであっていいわけが無い。

 彼らには、まだ長い人生がある。

 俺が閉ざしてしまったからには、その責任を果たして彼らの人生に道を示さねばならない。


 覚悟とは、決断だ。

 何があろうと彼らを守ると誓った。

 二人を救うと約束したではないか。


 ならば、喜んでこの身を懸けよう。喜んでこの身を、捧げよう。

 何かを犠牲にしなければ守れないのであれば、俺は進んで俺自身を犠牲に選ぶ。


 決断せよ、果断せよ。


 そう息巻いて、前に歩み出して、右眼を剥いた。

 紫水晶の右眼は、喜んで俺に力を託す。


 そして同時に、ふわりと浮き上がり始めたワイバーンから俺たちを見下ろすエルフが情け容赦のない魔法の乱射をしようとした、その、時だった。




 ──ドン、ドン。




 士気を鼓舞する大太鼓のような腹に響く低音が聞こえた。


「なんだ、この、音……?」


 これもエルフの魔法かと警戒を示すも、エルフは変わらず魔法の発動準備に取り掛かったまま。音の出所は、エルフやワイバーンではない。

 では、この音の正体は、と首を傾げていると、続けて聞こえてきたのは、地面を揺るがすけたたましい足音。






「──ぬぅ、おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」






 そして、勇ましい雄叫び。


「ウォルマン?!」


 踏み抜いた地面にくっきりと足跡を残して横を通り過ぎて行ったのは、鎧も何も付けていない、ウォルマン。


 無茶をするな、と声を掛ける間もなく通り過ぎて行ったウォルマンは右足を大きく、そして強く踏み込んだかと思うと、彼はその巨躯をものともせず、跳んだ。

 彼は、浮上を始めたワイバーンに、飛び掛かったのだ。


『猿の次は、豚、だと──っ?!』


 徐々に高度を増していたワイバーンが慌てて翼を動かして上昇を試みるが、全てを出し尽くさんとばかりに吼えるウォルマンの手は、届く。


 なんとかワイバーンの足を掴んだウォルマンの重みですっかりバランスを崩したワイバーンは、背に乗せたエルフ諸共錐揉み回転して落ちていく。


 いつの日だったか、エルフの竜騎兵ともつれて落ちた俺も、傍から見ればあんな風に落ちていたのだろうか。


「まさか、突っ込むとは、ね……!」

「っ、ウォルマン!」


 もつれて落ちた先は村の小屋。

 もうもうと立ち込める土煙の中、落ちたウォルマンを感心して笑みを湛えるメアに対して、俺は心配して呼び掛ける。


 だが、返って来たのは返事ではなく、


「うぉっ?!」

「ウォルマン! 大丈夫か?!」


 ウォルマンの巨体そのものが吐き出される。

 瓦礫の中から弾き飛ばされるように噴出されたそれは、反対側の小屋に激突して止まった。


「問題、ありませぬぞォ……! お二方の危機に寝こけるなど、面目次第もございません! 不肖、このウォルマン。力不足は承知でありますが、足は引っ張りませぬ。お二人に助太刀いたします!」


 再び埋められた瓦礫から這い出てきたウォルマンは、頭から血を流しながらも勇み足で俺たちの隣に並ぶ。見るからに重症のようだが、それでもウォルマンはほんの僅かも尻込みする様子はなく、むしろやる気に満ちた目の輝きを宿してピンピンしていた。


『──クソがッ! 貴様ら全員、ぶっ殺してやる!』


 そんな頼もしいウォルマンに反して、目を吊り上げて激憤した様子のエルフが立ち上がり、こちらに向けて魔法を乱射する。

 なんて言っているか分からないが、土を付けられて腹を立てているに違いない。恐らく、エルフの口は口汚く罵りを上げているに違いない。


「おー、おー。ぷっちんしてるねぇ」

「アレは、言葉の分からない俺でも分かる。殺してやる、って言ってるんだろ?」

「……私、火に油を注いでしまいましたか?」


 狙いの定まっていない魔法など弾くのも容易い。


 先の光と熱の魔法を警戒したが、弾いた魔法は剣の腹に沿って後方に流れて消えて行く。そう言えばこの剣も、同じエルフから奪った物だと思い返すが、そこに何の感慨も関心も浮かばない。


『起きろ、アンバー! 蹴散らすぞ!』


 瓦礫の山の上で寝転ぶワイバーンを叩き起こし、エルフは忌々し気に俺たちを睥睨する。どうやら、竜騎兵としてのアドバンテージを捨て去って戦うことにしたらしい。


 確かにあのままお互いに睨み合いと言う牽制を続けていた場合、ウォルマンという援軍を得た俺達に対して撤退と言う選択肢を封じられたエルフは極めて不利な対面となるに違いなかった。仮に実力が劣っていようとも、人数差とは、それだけで決め手となり得るのだ。


 エルフにとってはジリ貧となることを恐れて地上戦に持ち込んだのだとすれば、このエルフは地上戦であっても俺達に勝ると言う自負があるのだろう。もしくは、ワイバーンと並んでこちらを警戒するエルフはただ、頭に血が昇って自棄になっているだけではないのかもしれないが。


「それじゃあウェイド、飛竜は任せたよ」

「あぁ。メアも、気を付けろよ」

「誰に言ってるのさ。脳足りんな魔物より、思考するエルフの方が百倍やりやすい。緊張してるのは、君の隣の彼の方でしょ?」

「……行けるな? ウォルマン」

「わ、ワイバーンの討伐任務では、一個小隊が駆り出される相手ですぞ……?! それを、たった二人だけで?」

「おいおい、あれだけ堂々と啖呵切ったくせに、もう日和ってるのかい? ウェイド、言ったげなよ」


 ワイバーンは、ただでさえ強力な魔物である。


 人の手が届かない空を闊歩し、上空からその巨体で襲い来る。

 ただそれだけで人間は簡単に殺されるし、全身を覆う強固な鱗は魔法武器や高度な身体強化が無ければ貫けず、一般兵では反撃の余地すら与えられない。唯一の救いと言うべきか、竜種の頂点に君臨するドラゴンのように辺り一帯を灰燼に帰すブレスを吐くことは出来ないため、下手に手出しして刺激しなければ農民たちが通りがかりのワイバーンによって無駄に命を散らされるような事はない。いくつかの家畜を奪い取られるだけに留まる。


「ワイバーンの真価は中空から低空でのみ発揮される。地上では鈍間なトカゲとそう大差ない」

「まあそれも、相手がただのワイバーンなら、って前提があるけどねぇ」


 エルフの命令一つで、ワイバーンが動き出す。

 同時に、動き出したエルフを見据えてメアもまた離れていく。

 ワイバーンは本来、空を飛ぶために発達した体つきをしているため、休む為だけに降りて来る地上では却って動きづらいはず。だと言うのに、低い唸り声と共に大地を駆るワイバーンの動きは、決して鈍重と呼ぶには軽やかすぎる動きであって。


「……私の目には、俊敏に動くトカゲにしか見えないのですが」


 身体機能の、それも相手の長所と言うべきものが封殺されれば弱体化するのは人間も魔物も同じ。相手のアドバンテージを潰すことは相手を大きく弱体化させることにもつながるからこそ竜騎兵を飛翔させないことにこだわっていたのだが、エルフの命令一つで動き出す目の前のワイバーンは、どうやら例外に当たるらしい。


「ワイバーンはこのまま飛ぶつもりだ。ウォルマン、お前ならどう動く?」

「わ、私ですか?」


 大地を駆るかに思えたワイバーンであるが、飛竜は前に進む力でもって浮上しようという腹積もりのようだ。エルフの入れ知恵なのだとしても、余程知能が備わっているとみるべきだろう。


 そう思ってウォルマンに問うと、ワイバーンが一歩を進む間に逡巡を終え、答えを口にする。


「……出鼻を挫くべきです。盾持ちであった私の役目は、いつも決まってそれでしたから」

「そうか。なら、頼んだぞ」

「何秒、必要でしょうか」

「十……、いや、五秒だ」

「承知いたしましたぞ」


 長い逃避行によって忘れそうになっていたのか、自分の役割を思い出したかのように険しい顔付きになるウォルマン。いつも朗らかに笑っていた柔らかな印象は見る影もなく、その横顔は勇ましく、そして頼もしい顔付きだった。


 良い答えだ、と思わず笑みを零したのも束の間、ウォルマンは己が身の三倍はあろうかと言う迫り来るワイバーンの巨体に一歩も退くことなく仁王立ちして待ち構える。


 そしてウォルマンの体の中で魔力が大きく渦を巻いたかと思うと、彼はドン、ドン、と二回、胸を叩いた。


「【頑強】ぉおおおおおおおおおおお!!!!!!」


 あの時聞こえた身体の芯を揺らして鼓舞する音は、ウォルマンだったらしい。

 問答無用で背中を預けられて、それでいて先陣も切れる勇敢な男。

 ウォルマンと言う男はきっと、数多の戦場で同士たちの柱のような存在だったに違いない。


「ふぅぅぅ……」


 瞬間、立ち上るは身体強化とは似て非なる魔力の奔流。

 ただでさえ大きいはずのウォルマンの体が、更に一回り大きくなったように見える。だが、それでも迫り来るワイバーンの巨体には遠く及ばない。

 それでも一歩たりとも退かないウォルマンが身構えたとほぼ同時に、ここら一帯を揺るがし轟かすような唸り声を上げるワイバーンが突っ込んでくる。


 そして、互いの視線が交差した刹那。


 盾と矛が、ぶつかり合う。


「ぬう、ぐっ、おおおおおおおお──ッ?!」


 ワイバーンは地面とすれすれの低空を駆ったスピードに体重を乗せた重い一撃。

 対するウォルマンもまた、その肉体を盾として真正面からワイバーンを受け止める。


 ワイバーンの重みでウォルマンの体が地面に沈み、彼の体から鳴ってはいけないような軋む音が聞こえてくる。


 それでもウォルマンは歯を食いしばり、その場に留まり続けた。

 だが、それ以上は続かなかった。

 次の、瞬間。


「──ガハッ」


 ウォルマンの体を支えていた膝が崩れると同時に、せめぎ合っていた攻防は一瞬にしてワイバーンの方へと勝利の天秤が傾く。


 防御の崩れたウォルマンは、ボールのようにその場から弾き飛ばされ、再び瓦礫の山へと投げ出されていく。


 ともすれば死んでもおかしくない状況。その一部始終を眺めていた俺は、彼の心配をするよりも先に、彼の作り出してくれた好機を決して逃さない。




「きっかり五秒、よく持たせた」




 そんな俺の呟きが聞こえるはずも無いのだが、不思議と、ウォルマンは笑っていたような気がする。


「落ッ、……ちろッ!!!!」


 最強の盾を弾き飛ばしたワイバーンは勝ったと思ったのだろうが、やはりその辺りは所詮、魔物風情である。


 ウォルマンと入れ替わるようにして現れた俺の握り締めた拳が、避ける素振りすら見せないワイバーンの顔面に、見事に突き刺さる。


 ワイバーンの爬虫類特有の瞳が大きく瞬いたように見えたのは、気のせいだろうか。


「ぅお、っらぁあああああああああああああああああああ!!!」


 俺がしたことは、至極単純。

 身体強化の真似事だ。


 俺は身体強化が使えない訳ではない。ただただ、下手くそなだけなのだ。


 それを右の拳にのみ集中させ、全身全霊で殴り付ける。

 その準備に五秒もの時間、集中しなければならなかった。


 まともに身体強化が扱える者であればこんな芸当、一秒足らず。それこそ、息を吸うのと同じ要領で、相手と切り結びながらでも出来る芸当だ。だが、俺にはそんな当たり前の技術は無い。無いからこそ、仲間と努力で補うしか方法は無かった。


 メアから「殺すな」と言われているため、剣が使えないのは余りにも無理難題であり、そのためにウォルマンを危険に晒さなければならなかったのだ。


「──」


 殺すな、と言われているはず、なのだが。



 ──壊しちゃえ。

 ──殺しちゃえ。

 ──奪っちゃえ。



 不意に、俺の脳裏にそんな声が聞こえた。

 途端、体の制御が利かなくなるような不快感に包まれ、手が剣の柄へと伸びる。が、しかし。




「──痛~~~~~っ……!」




 柄に手を掛けた刹那、走った右手の痛みに耐えきれず、俺は感情のままに声を上げた。

 先の不快感は気のせいだったと思わずにはいられないほど、俺の身体は俺の言う事を聞くようになってくれる。


 しかし、この感じは恐らく、いや確実に折れている。

 なんてことを思いながら、ワイバーンの巨体を殴り飛ばしその脳天まで震わせた一撃を振り抜いた俺は前腕に走る激痛に悶えずにはいられなかった。


 殴っている最中、ひび割れるような音が俺の体から聞こえていたかと思えば、まさか殴った拍子に右腕が使い物にならなくなるとは、思いもしていなかったが、当たり前だ。不完全な身体強化に、剣の一撃すらも耐え得る頑強な鎧のような鱗を持つワイバーンを思いっきり殴ったのだから、むしろこれくらいで済んだのが奇跡と言えよう。


 ズズン、と音を立て、大地を揺らし、ワイバーンは前のめりの姿勢のまま崩れ落ちる。

 こうしてワイバーンの横っ面に重たい一撃を入れることができたのは、ウォルマンが居てくれたからだ。もしも一人で相手するとなっていれば、腕の一本や二本、覚悟しなければならなかった。それ程までの相手を伸したことに一抹の達成感が湧き上がる。


「……これだけで済んだなら、良い方か」


 俺は、神の雫(ミューズ・ア・ムール)に頼ることでしかまともに戦う方法を知らない。


 これがもしも素面の状態であれば、高速飛翔するワイバーンの横から拳を突き立てるなど、俺の体が引き千切れてもおかしくなかった。


 だから今は自分の五体が満足であることに頷きつつ、後ろを振り返った。


「ウォルマン、生きてるか?!」

「な、なんとか~!」


 ウォルマンが飛んで行った瓦礫の山に声を掛けると、先程までの鬼気迫る気配は嘘だったかのように物腰柔らかな声音で拳が突き上げられる。


「そこで少し待ってろ! 俺はメアの助けに入る!」

「お構いなく~!」


 俺であれば轢き殺されていたとは言え、ワイバーンの突撃は並の身体強化使いであってもただでは済まない。それを、ケロリとした様子で済ませたウォルマンの頑丈さに俺は驚きを隠せない。


 ただ、今はそのことよりも並の魔法士とは一線を画すエルフと戦っているメアを気に掛けなければならない。


 帝国の魔法士相手であれば負け無しのメアだとしても、人間の魔法士のように魔法に制限の無いエルフを相手にすれば命の危険は一段階も二段階も跳ね上がる。

 生得魔法と言う限られた範囲であれば、魔法士との戦闘に慣れている者であれば相手の次の手を予測できる。魔法士との戦闘は、初撃を避けられるか否かで全てが決まるのだ。


 だが、エルフに魔法の制限はない。相手の手札が分からない、と言うのは、ただそれだけで相手の手が自分の命に届き得る可能性を孕んでいるのだ。


「メア……」


 神の雫(ミューズ・ア・ムール)の効果によって心臓が破裂しそうな程に大きく心拍を刻む中、俺は息を殺してメアとエルフの戦闘に視線を向ける。


 脳裏に響く、神経を逆撫でするような奇妙な声が、ぼんやりと聞こえてくる中で──。









補足と言う名の、言語解説。


【森霊語】


帝国の公用語であるオリア語とは異なる言語。

敵国の言語を読み書きに加えて日常会話並に話せる者は、極一部の人間に限られる。その面もあって帝国と森林帝国の間で軋轢が埋まらないでいた。

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