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一節 果断2




 ◇



「──外、だ」

「あぁ。ようやく、だな」

「森の外ってだけで、なんだか懐かしく感じるねぇ」


 木々に遮られない、直接的な陽光をその目にしたのは、いつぶりだろうか。

 俺やメア、リリスですら一か月近く森の中に居た計算になるが、それでも久し振りに目にした陽光に目を輝かせずにはいられない。それが例え日暮れも近い斜陽だとしても、俺たちにとっては希望の光と言っても過言ではなかった。


 そしてそれは、俺たち以上に長いこと森の中で過ごさざるを得なかった者達からすれば、正しく神の極光と言うかの如し。


「おおおお! 外だ、外ですぞ、皆さん! さぁ、シルフィ、安心してください。もう、助かりますよ!」

「あぁあ……、長かった。長かったなあ、エディ!」

「ああ、生きてるよ、イムさん。俺たち、全員生きて、ここまで来れたんだよ!」

「どれだけ暗闇が続こうと、救世主様は必ず雲を晴らしてくれる……。やっぱり、あの御方は、ブランたちの救世主様です……。誰が何と言おうと、救世主様なのです……」


 森の外に出て、口々に歓喜の声を上げ、喜びに打ち震える者達。

 つい先程まで背負われて気を失っていた被毒者の二人も、その時ばかりは意識を取り戻し、微かにだが顔に色が戻って来ている。


 生きたい。

 その心意気こそがその者の命を定める。

 希望はいつだって人々の光足り得るのだと思い知った俺たちの元に、先行して様子を見に行っていたメアが戻って来る。


「──少し行った先に、村らしきものが見えたよ。そこに行ってみよう」

「安全なのか?」

「正直、僕らに選り好みしている余裕はないね。安全かどうかを確かめている暇、あると思う? 最悪、武力行使も有り得るかも。幸い、大きな都市や街からは離れているから、一日二日休めれば僥倖、ってところだろう」

「……分かった」

「そんな嫌そうな顔で頷かれてもねぇ。……あの二人を助けるんだろう? なら、四の五の言ってないで、覚悟を決めなよ」


 久し振りの森の外にはしゃぐ彼らを背に、神妙な面持ちをぶら下げる俺を見て、メアは乱雑に背中を叩く。

 そうだ、メアの言う通りだ。シルフィとポーラを救う。それが今の俺が最優先するべき事項である。


「ウェイドさん……」

「リリスちゃん、僕らは先行して村を見てくる。リリスちゃんたちもしばらくしたら向かってきてほしい。後方支援部隊として、ね」

「それは……、いえ、はい。分かりました。お二人とも、お気をつけて」

「リリスちゃんの方が、物分かりが良いねぇ」

「悪かったな、優柔不断で」


 リリスに「後は任せる」、とだけ言い残して俺とメアの二人は村へと向かう。

 本音を言えば、彼らのように腰を据えて長い旅路の苦労を互いに分かち合いたいところではあったが、俺もメアもとうに限界を超えている。もしここで腰を下ろしたりでもすれば、再び立ち上がるには相当な力が必要となる。

 だから俺たちは休む間もなく、臨戦態勢を保ったままの状態で村へと足を向けたのだ。

 万が一、武力行使が必要である可能性を踏まえて。

 俺たちのそんな覚悟が、肩透かしを食らうとは思いもせずに。


「……おかしい、静かすぎる」

「だねぇ。いくつか持ち出された形跡はあるけど、荒らされた形跡も見当たらない。もぬけの殻、ってやつだ。分かるのは、ここが帝国領内ってことくらいかな」

「村を捨てた、って可能性は?」

「この規模の村を? 君の故郷ならまだしも、ここは立派な農村だ。収穫前の麦だってある。だとすると追い出された、ってことになるけど、掠奪の跡すら無いんだ。何かがあったことくらいしか分からないよ」


 メアが見つけた村は、空だった。

 家の中を覗いてメアが見つけてきたのは、帝国が発行する貨幣。表には初代皇帝の横顔が、裏にはポラス教のシンボルである特徴的な十字架が彫られている。


 地図も無ければ土地柄も読めない俺には、メアの言う通り、ここが帝国領内だということしか分からなかった。


 村の中には、人の気配は疎か家畜の鳴き声一つすらない。

 その様子に、限られた選択肢が浮かんでは消えて行く。

 最後に残った可能性は、俺たちにとって最悪とも呼べるもの。


「罠の可能性は?」

「それも考えたけど、有り得ないだろうね。まず、僕たちを誘い込む罠にしては余りにもお粗末だ。そもそも、僕らがメトロジア大森林のどこを抜けて来るかなんて分かるはずが無い。僕らにだって分からないんだから。これは僕らが関与しない、別の要因がこの村をもぬけの殻にしたんだと思うよ」

「その要因がなんなのか、って話じゃないのか」

「少なくとも、今すぐ僕らに危害が加わるような状況ではないと思うよ」


 だから安心して、と言うメア。

 村に入るまでの緊張はどこへやら。肩から力を抜いて、拾った貨幣を指で弾きながら村を練り歩くその背中に黙ってついて行くが、俺の胸中からはまだ警戒心を拭えずにいた。

 しかし、


「お、公衆浴場まであるね。使えるかなぁ?」


 すっかり警戒心を解いたメアは蒸し風呂を見つけて鼻唄まで歌い始める。そんなメアの横でいつまでも俺だけが真面目くさっている訳にも行かず、俺はその内、考えるのを止めた。

 メアが大丈夫だと言うのなら、大丈夫なのだろう。きっとそうだ。


「……疲れたよな」

「うん、過去一」

「もう、気を緩めていいんだよな」

「あの二人のこともあるけど、少しは羽根、伸ばしても許されるでしょ」

「そう、だよな」


 人の気配のしない村のど真ん中。

 積み上げられた石垣に腰を据えて、深い溜め息を吐く。

 長い溜め息をするたびに、全身に張り詰めた緊張の糸が一つ一つ引き抜かれていく。もう長いこと、こんなに深く呼吸をしていなかったことを思い出して、全身を弛緩させていく。


「ウェイドさん! メアさん!」

「おー、来た来た」

「人の気配がしませんが、何か、あったんですか?」

「何もないことがあったと言うか」

「まあ、そこはおいおい説明するとして、悪いけど、全員分の食事を用意するよう、指示を出してもらえる? 残った人手は、僕の方に回してもらいたい」


 村が安全だと分かると、やって来た彼らの顔に眩しいくらいの笑みが宿る。

 メアは「疲れてるところごめんねー」と言いながら彼らに最後の一働きを任せていく。

 ハイ、と言う奴だろうか。彼らはゴールが見えたことで、疲れすら感じさせない動きでテキパキと指示に従って動き出す。


 もう日暮れも近いと言うのに、生物の痕跡一つ残っていなかったはずの村にはたちまち歓喜の声が湧き、帝都の昼の喧騒にも引けを取らない程の騒ぎが起こり始める。


 ただ、一部を除いて。


「──申し訳、ございません」

「お前達が謝る必要はない。むしろ、俺が謝る側だ。俺なんかで済まない」

「い、いえ──」


 泥のような汗を全身に這わせるシルフィとポーラの二人だけは、その表情に笑みは少なく、苦しそうに咳き込む度に申し訳なさそうにする。辛いのは二人の方なのに、我慢を強いたのは俺だと言うのに。二人は執拗に謝罪を繰り返す。


「メアが言うには、毒素を出すしかないのだと言う。苦しいだろうが、耐えてくれ」


 俺たちは今、メアが焚いた公衆浴場にいた。

 帝都のように、大量の湯を張った巨大な温浴施設とは異なり、田舎の街ではこういった蒸気で蒸されて汗を拭うのが一般的である。セナ村にはそんなものはなく、一か月に一度隣村の公衆浴場を借りるくらいだったのを思い出す。


 本来であれば彼女たちと同性のリリスやブランが共にいるべきなのだが、同行者達は現在、度重なった疲労に加え、満足いくまで食事が出来る環境、周囲の物に怯える必要の無い安寧に身を解され、男女問わず誰もが夢の中にいる。

 二週間も歩きっぱなしでロクに休息も取れていなかったのだ。従軍経験のあるウォルマン、リリスやブランでさえも、ようやく訪れた安寧に、ふとした瞬間に糸が切れたように眠りについている。そんな彼らを起こすのも忍びないと言うものだろう。と言うより、むしろメアに「君がやるべきだよ」と言われ、その通りだと頷く他無かった。


 リリス達が作ってくれた消化に良い麦粥をそれぞれが流し込んだことを思い出して、尋ねる。


「食事は、取れたか?」

「はい、少し……」

「話すのが辛いなら、頷くだけでもいい。メアから色々と聞いてくれと頼まれているんだ」


 二週間分の汚れが汗となって染み出た二人の肌を拭いながら、色々と尋ねていく。

 いつ、どのタイミングで毒を受けたのか。症状に波はあるのか。苦しい時はどこが痛むのか。食事は量を取れたのか。

 彼女たちも二週間の道程による疲労が重なっていると言うのに、それでも彼女たちは一つ一つ時間をかけて答えてくれた。

 ある程度汗を出し切った後で二人を外に出して、メアが用意してくれた温水で汗を流す。それにあやかって俺も汗を流すとべたついていた肌がサッパリとして心地良さを感じるのだが、果たして二人はどうだろうか。


「あの……」

「どうかしたか?」


 シルフィの着替えを終え、ポーラの着替えを手伝っていると、シルフィから声がかかった。


「どうして……、私たちを助けてくれるんですか?」

「どうして、って。なんだ、置いて行かれると思ったのか?」

「……はい。だって、あなたは……死神、だから」

「……なんだ、知っていたのか」


 恐る恐ると言った様子でその名を口にしたシルフィの目に、怯えが宿る。


 俺を「死神」と呼ぶのは、何も敵方だけではない。味方の、助けたはずの帝国側の人間からもそう呼ばれることも、珍しくはなかった。お世辞にも良い気分とは言えないものであったが。だからシルフィからその名で呼ばれたことに驚きは少なかった。


「ポーラも、知っていたのか?」

「私は、シルフィから聞いて……」

「……そう身構えなくてもいい。取って食ったりはしない。それで、どうして助けるのか、だったか。そうだな、強いて言うなら、それが俺のやるべき事だからだ」

「やるべき、こと……」

「死神の言うことは信用できないか?」

「い、いえ、そう言うわけじゃ……! 私たちが今も生きていられるのが、むしろそれを証明していると言いますか……」

「顔色が、あまり良くないな。……それに、むしろ俺のような人間を信用できないのは普通だ。だがな、一つ、約束しよう。絶対に違えない約束を」

「約束、ですか」

「あぁ。お前達は、決して見捨てない。必ず助ける、と。俺はそれを、言葉ではなく態度で示す。だから今は、ゆっくり休め」


 彼女たちも、疲れていただろうに。無理に話に付き合わせてしまった。

 安心感で高揚した体は、一時とは言え疲労を忘れていたのだろう。長椅子に横たわらせると、二人はすぐに目を閉じて寝息を立て始めた。


 俺はメアのように、なんでも有言実行を果たせる能力が自分にあるとは言い切れない。自分に自信が無いから。だけどせめて、それを成し遂げると言う覚悟は、示したい。約束を守るために全力を尽くす。それが俺に出来る最大限であるから。


「……メア」


 どうせ居るんだろう、と思いメアの名を呼ぶと、建物の角からひょっこりと顔が出てくる。

 こいつ、さては中でも会話も全部聞いていたな。


「ほいほい。寝床は用意したから、君はシルフィちゃんの方を運んであげてね」

「汗を流したら大分楽になったようだが、毒はまだ残っているのか?」

「毒ってのはね、特効薬を投与する以外では油断できるものじゃないのさ。特に、未知のものに関しては尚のことね。毒の中には、治ったかに見せかけて再度苦しみが襲い来ては死に至る、なんてものもある。二人が被毒した毒はたまたま熱に弱かっただけかもしれない。今後はパターンを変えて試していくしかないね」

「そうなのか……」

「この村に医者が居れば手っ取り早かったんだけどねぇ」

「……」

「何暗い顔してるのさ。二人と、約束したんだろう?」

「聞いていたのか」

「まあね。啖呵切った以上、僕らに出来ることは最善を尽くす、それ以外に無いよ」

「……ありがとな、メア」

「それが終われば、君の番だけどねぇ。隅々まで、解析させてもらうからねぇ」


 言いながら、手をワキワキと動かして悪戯に笑ったメアと二人でシルフィとポーラを寝床に寝かせた後、俺とメアも床につく。

 と言っても、俺は深い眠りとは縁が無い男。けれどもその夜は、紫晶災害以降、最も深く眠れたと言っても過言ではない程に眠りが深かった。途中、五回しか目が覚めなかったのだから。


 翌朝、俺は聞き慣れない音を耳にして、目を覚ました。


 まだ空は白み始めたばかり。農民が活動を始めるにしてもまだ大分早い時間だった。

 遠くに目をやると、雲が尾を引くように煙が空へ昇っているのが見える。煙の出所は、公衆浴場だろうか。そんなことを考えていると、湿った髪を拭いながらこちらに歩いてくるメアと遭遇する。


「やあ、おはようウェイド。相変わらず早起きだねぇ」

「これが早起きだと言えるなら良かったがな。……風呂に入っていたのか?」

「まぁね。ゆっくり出来るのはこの時間くらいだからさ。どうだい? 僕の可愛さが取り戻されたと思わない?」

「もっと飯を食ってから出直すんだな」

「え~、ひどーい。そこは、ほら。どんなお前でも可愛いよ、って言うべきじゃない?」

「言ったら言ったで、気味悪がるだろ、お前」

「リリスちゃんなら喜んでくれると思うよ」

「リリスを何だと思っているんだ……。それよりも、だ。この音、何の音か分かるか?」

「音?」


 周りの誰もが寝息を立てる中、その中に紛れた風を裂くような音に聞き耳を澄ませる。


「あぁ、アレ、ね」


 問い掛けた先、徐に頭上を見上げたメアに釣られて俺も空を見上げると、まだ雲の残る頭上に浮かぶ、一つの点が目に入った。

 なんだアレは、と尋ねるより先に、メアは愛嬌のあるその顔に不敵な笑みを貼り付けて剣を抜いた。


「アレは、僕らの客人さ。ほらウェイド、構えな。──来るよ」

「は?」


 途端、頭上に浮かんでいたただの点だったものが、風を切る音を鳴らして急降下を図る。それが次第に大きくなるにつれて音が近付いて来る。やがて点だったものはシルエットとなる輪郭を得て、俺たちの前に姿を現した。


『──』

「ハハッ! 人間が珍しいって? 僕らからすれば、君たちの方が珍しい。ここは、帝国領だよ?」


 風を掴んで飛翔するはためく翼が、地面の砂や土を舞い上げる。


 ものの十数秒ほどだろうか。


 遥か頭上に居た点が急降下したかと思えば、俺たちを前にするやいなや、理解不能な言語で口角泡を飛ばしてくる。なんと言っているかは不明だが、表情から察するに、投降を呼びかけているようには見えなかった。


「おい、メア。何が客人だ。どうして、()()()がここに居る」

「僕の方が聞きたいよ。でもまぁ、それは直接、あのエルフに聞いた方が早いだろうね。アポイントくらい取ってから来てほしいものだけど」


 俺達の前に姿を見せた来訪者の正体は、飛竜(ワイバーン)に跨る森林人(エルフ)

 言わずもがな、俺たちの敵である。


 帝国領であるはずのこの村に国土の争奪に忙しい彼らが現れるなど、何かしらの事態が起こっていると考えてよいだろう。


 だが、今はそれを考えるより先に、敵意を振り撒く目の前の存在の排除が最優先だった。


 俺たちの背後にいるようやく手に入れた安眠を妨げさせるわけには、いかないから。








補足と言う名の、言語解説。


【貨幣】


帝国では主に五種類の硬貨が広く使われている。

最も普遍的な硬貨が鉄貨であり、その次に銅貨、銀貨、金貨、そして白金貨がある。貨幣の持ち運びが困難な貴族や商人の間では大口の取引にて小切手や為替手形が用いられ、紙幣の参入も視野に入っていた。しかし、帝国領内の農村ですら未だに物品貨幣が主であり、貧富の格差が拡大する要因に繋がりかねないとの意見もあって、帝国上層部では協議の真っ只中であった。

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