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一節 果断1

 


 ◇



「──っ」

「ウェイド? どうかしたかい?」

「いや、何。少し、寒気がしてな」

「か、風邪ですか?!」

「いや、そんなんじゃない。……いいから、さっさと進むぞ。無駄口を叩いていられる余裕は、俺たちには無いんだからな」

「君が始めたくせに」

「余計な体力を使わせたな」


 メトロジア大森林の中を彷徨う事、二週間余り。

 最早数えるのも億劫になりつつある。だけども数えないわけにはいかない。四方八方を森に囲まれた環境では、外との繋がりを感じられるそんな些細なことですら希望になり得るのだから。


 下手をすれば朝も昼も夜も分からなくなりそうな深い森の中で、俺たちはただひたすらにメアの指示に従って森の中を突き進んできた。

 何せ、右も左も前も後ろも木々が立ち込める限られた世界の中で、自分達が今いる場所を知ることが出来るのは、俺たちの中ではメア一人だけだったから。


 二週間近い間この絶望感漂う逃避行の最中、僥倖だったのは、飲み水に困らなかったことだ。メトロジア大森林にはいくつも湧き水が湧き出るスポットがあって、メアの【解析魔法】によって水脈を辿って歩くことが出来たからだ。


 逆に言えば、それ以外は苦行としか言い表せない道程だった。

 飲み水の他に、食料がとにかく足りていない。

 快適な寝床の確保が出来ない。

 森の中と言う不衛生な場所に長居する危険性。


 素人と呼ぶに相応しい彼らを引き攣れた俺たちの行軍は、常に一歩でも間違えれば死人が出てもおかしくない綱渡りのようなものであった。


 と、ここまでの日々を振り返ってみたはよいものの、現時点で一瞬たりとも油断できないことに変わりはなくて。


「ウォルマン。シルフィとポーラの様子は、どうだ」

「辛うじて、と言ったところでしょうか……。意識の混濁も激しく、何を食わせても吐き戻すばかりで……」


 シルフィとポーラ。彼女たちは、あの村でデゲントールから被害を受けた女性の内の二名。

 その二人は現在、俺たち一行の中で最も死に近い二人だった。


 森の中の行軍における危険は、主に二つ。

 倒木や斜面の滑落と言った物理的な危険。

 加えて、魔物の襲撃。それを警戒することによって常に張り詰めた緊張と、それに連なる疲労と言った、精神的な危険。


 今回の逃避行において、前者はメアの先導で安全なルートを辿ることが出来ており、後者においては襲い来る魔物の襲撃は全て俺が担う事になっているため、同行者に危険はほぼなかったと言える。


 こんな状況下でもなければ、ほとんど眠れなくなったこの身体に感謝する日は来なかっただろう。お陰で目の下には幾重にも重なった()()が住み着いているし、限られた食料も体力の無い者に回している。だから体力的にも精神的にも余裕のある俺やメアの体躯には近頃骨が浮いて来たような気がするが、こんな体になっても俺やメアは後悔していない。


 だが、俺とメアのサポートも完璧とは言えなくて。

 それは、昨日の行軍の最中に起こった。



『──どうしてもっと早く言わなかったのだ!』



 いつだってどんな状況であっても冷静沈着にして温厚なはずのウォルマンの怒鳴り声が、森に響いた。

 長い行軍の果てで、誰もが口を開くのすら億劫な状況の中で聞こえたウォルマンの怒号に、一瞬にして緊急事態だと把握してその声の元に向かうと、大量の発汗と喘鳴、白を通り越して土気色にまで干上がった二人の女性の姿がそこにあったのだ。


 森の中の危険。その中でも特にメアが危惧していたのが、毒である。

 魔物が使う毒。植物が持つ毒。虫が持つ毒。

 そのどれであっても、設備の無い森の中では最低限の治療しかできないのだ。いくらメアが博識だからと言っても、ゼロから特効薬を生み出すのは至難の業。だから森の中では殊更に注意していたのだが、シルフィとポーラの二人が毒に侵されてしまったのだ。しかも、毒の対処は時間が勝負だと言うにもかかわらず、彼女たちは自分達が毒に触れてしまったことを黙っていたのだ。


 それではいかに温厚なウォルマンであっても歯噛みして怒鳴ると言うものだろう。

 メアと、森の植生に詳しいオーキッドという同行者の協力も得て、辛うじて即興の解毒薬を作ることが出来たのは不幸中の幸いだろう。だが、それはあくまでも対症療法。毒による症状を緩和するものでしかないらしい。必要なのは、症状の大本である毒を分解する特効薬。しかし、二人が黙っていたことで毒の媒体を探ることが出来ず、毒性に合った特効薬を用意しない限り二人の延命にしかならないと言われ、昨夜から俺たちの中には重苦しい空気が漂っていた。


 二週間にも及ぶ行軍の最中。

 彼女らを含む同行者の大半が、このような森での活動を経験していない素人たちだ。誰もがこの環境にとうに限界を迎えていて、元より息のし辛い空気が漂っていたからこそ、彼女たちに口を噤ませた要因とも言えよう。

 積み重なった疲労が、追い詰められていく空気に狭窄した視野が、と。彼女たちを毒から守れなかったことも、言い出しづらい空気を生んでいたことも、言い訳を考えればいくらでも上げられる。


 だけども、俺たちがここでいくら詫びたとしても、二人の身から危険が除かれるわけでもない。

 だから俺たちは多少の無理をしてでもこの森を抜けることを最優先に動き出したのであった。


「……メア」


 強行軍とは言え、これまで消耗はしながらも決定的な怪我を負うものは出て来なかった。常に緊張を張り詰めていなければならない森の中とは言え、疲労も重なり、慣れも出てきて弛んできたところに、同行者に命の危険が及んでいるのだ。後ろを振り向けば、全員の顔にほの暗い影が差しているのが分かって俺は静かにメアの名前を呼んだ。


「分かってるよ。でも、安心してくれていい。森の脱出路が見つかった。あと半日も歩けば、出られるはずだ」

「本当か?! やっとあの二人を休ませてやれる……」

「まあ、森を出た先に休める場所があるかどうかは別だけどね。僕らは追われる身なんだ。本来ならもっと慎重に事を運びたかったよ」

「……それ、あの二人の前では絶対に言うんじゃないぞ」

「君ぃ。僕のこと、何だと思ってるの? 僕だって最低限、人の心くらいはあるさ。ほら、次が最後の休憩だって伝えてきなよ」


 恐らく、一連の被毒騒ぎにおいて最も責任を感じているのはメアかもしれない。


 毒を持つ生き物や植物、それらへの対処は全て自分の領分だとでも思っているのだろう。人前では疲れた顔を見せようともしないメアの横顔に手を振って、誰もが肩で息をする同行者達の元へメアの言伝を伝えに行く。


 そもそもの話、二週間もの間メトロジア大森林と言う未開の地を彷徨っていながら誰も欠けていないという功績を、メアは誇ってもいい。

 メトロジア大森林の深層における植生や、動物、魔物の生息に関して、帝国のデータベースにもほとんど情報が無い。俺たちが村を発ってから一週間が過ぎた頃だっただろうか。その頃から俺の目には見たことも無い植物や木の実などが目に付くようになり、初めて対峙するような魔物も出てくるようになった。それら全ての危険を見極め、森の中を歩くことすら初めてというような人員を抱えてこれまでやって来られたのは全て、メアのお陰だ。

 同じ事をやれと言われても、恐らく真似できるのはハリス・ロック・フロレンシアくらいのものだろう。

 国が誇る超人にしか成し得ないことを、メアは成している。

 それをここに居る全員が理解しているのが、俺は何よりも嬉しかった。


「今日の内に森を抜けられる。ウォルマン、リリス、平気か?」

「本当ですか! ああ、あぁ、良かった……! 私は、問題ありません。ですが、リリスさんの方が」

「も、問題ありません……! 私だって、文官でも軍人には変わりありませんから……!」

「……そうか。なら、頼んだ。ここが最後の正念場だ。食料は全部分けてやってくれ」

「……よ、よろしいので?」

「本人がそう言っているんだ。リリスだって仮にも軍人だ。無理をして隊に迷惑を掛けることの重大さを良く知っているはずだからな。本人が平気だって言うのなら──」

「そ、そうではなく、ウェイド殿とメア殿、お二人の分の食料は、と言う意味です」

「それなら平気だ。俺は昨日、メアは二日前に食べたから十分だ。水さえもらえれば、森を抜けるまでは持つ」

「……っ」


 森の中で食料は限られている。動物や魔物を引き寄せるためまともに火も使えなければ、水も貴重なため、十五人分の食料を確保するのが何よりも困難を極めた。

 そんな環境から解放され、食料の確保を考えなくていいとなると途端に同行者の面々に俄かに明るさが取り戻される。それでも我先にと奪い合いになることはなく、残された食料を均等に分けて貪り食らう。話す気力もないのか、同行者達の間に賑やかな会話は無いが、それでもまだ決して諦めたわけではない息遣いが聞こえてくる。それが今は頼もしく思えて、俺は踵を返した。


 俺とメアの分を分け与えたとしても、彼らが腹いっぱいになることはない。何も食えないよりかはマシだろうが、爪の先程度の量に虚しさを覚えているに違いない。

 空腹の虚しさは、満たされることでしか解消されないことを知っている。


 思えば、俺はセナ村の孤児院に居た頃から腹がいっぱいになった記憶はほとんど無かった。満たされていれば、弟や妹たちを連れて食い物を漁りに行ったりしなかっただろう。節制だの清貧だの、神父の言い分にはうんざりだったのを覚えている。

 だから、弟や妹たちのために仕送りをした。

 腹を空かせて泣くことがないようにと、給金のほとんどを送り続けていた。


 この道程も、似たようなものだ。

 森を抜けたら、彼らを腹いっぱいにさせてやれるだろうか。

 森の出口が近いとあって、俺も気が緩んでいるのかもしれない。


「……伝えてきたぞ。ほら、メアの分の水だ」

「ありがと」


 革の水筒を受け取るメアの腕は、ただでさえ華奢だと言うのに、痩せこけて今にも折れてしまいそうにすら感じる。

 一方向を見つめたままの彼の横顔もこけており、見る者によっては死の間際と思われても仕方がない程に憔悴した様子である。

 けれどもメアのその目だけは爛々と輝きを宿しており、その輝きこそ彼の責任感の強さの表れとも言えるようであった。


「メア──」

「ねえ、ウェイド」


 無理はしてないか、そう聞こうとした俺の言葉を遮って、メアが俺の名を呼ぶ。

 ぎょろりと動いた生気に満ちたメアの瞳に見据えられると、俺は思わず息を飲みそうになってしまう。それほどまでにメアの双眸は光を放っていたから。


「森を抜けたら、何がしたい?」


 その声に、俺はいつしか強張っていた肩から力を抜いて、フッと笑みを零す。


「──は、そうだな。とにかく今は……、腹いっぱい、美味いもんが食いたい。メアはどうなんだ?」

「僕? 僕は……、うん、そうだ。……僕も、同じかも。ふふっ、お腹、空いたよ」

「珍しいな。メアの事だから、シャワーだとか、さっさと寝たいだとか、言うと思った」

「君のお陰で、睡眠は十分取れているからね。お腹が空いて目が覚めることだけが、苦痛だよ」

「……全員、お腹いっぱいにしてやりたい」

「うん、そうだねぇ。僕たちに付いて来たことを後悔させないためにも、ね」

「いつになく殊勝だな。余裕が無いからか?」

「こんな僕も、可愛いだろう?」

「あぁ、そうだな。……なぁ、メア」

「なに?」

「森を抜ければ、安全な場所に行ければ、あの二人は助けられるのか?」

「……」


 俺の問いに、メアはすぐには答えなかった。

 言い渋るなんてメアらしくない、とは思いつつも口には出さずに答えを待つ。

 素人の俺が見る限り、シルフィとポーラの二人が助かる見込みは限りなく薄い。特にシルフィの方は元より体が衰弱気味だったと言うのもあってか、ポーラよりも症状が重い。


 ゆえに俺は下手な希望を見せられるくらいなら初めから現実を知っていたい。そう思って尋ねた先で、メアは溜め息を一つ吐いて目を細めて言った。


「……この状況で士気が下がるのがどんな結末を招くか、知らない君じゃない」

「ああ、分かっている。だから答えなくてもいい。これはただの俺の我儘。心構えが欲しいと思っただけだ。……俺は、どうしてもあの二人を助けたい。そのために出来ることがあるなら、全てやっておきたいんだ」


 後悔したくない。それは紛れもない本心であり、言葉の限りである。

 例え駄目だったとしても、手を尽くした上での結果と、最低限の立ち回りしかしていない結果とでは、受ける印象がまるで異なる。

 言ってしまえば、ただの自己満足。俺がどれだけ手を出そうとも毒に侵された二人が助からないことが決まっていたとしても、俺はその先で自分が納得できる向き合い方が出来たかを自問するだろう。

 それこそが、彼女たちをあの村から連れ出した者の責務でもあるだろうから。

 そんな俺の思いを汲んでくれたのか、メアはやれやれ、と肩を竦めて言った。


「君ってやつは、本当に下らないものに命をかけるね。度し難いほどにお人好しだ。でも……、そこがいい」

「ハッ、悪いな。こんな俺に付き合わせて」

「いいや、むしろ感謝すらしているよ。君といると、退屈しなくて済むからね。それで、彼女たちの容態だけど……、治る余地はある」

「本当かっ?!」

「でも、それは限りなく低い確率だ。無事に森を出られたとしても、八割方死ぬだろうね」

「それでも、二割は希望があるのか」

「それを希望があると言っていいのかは甚だ疑問だね。毒物ってのは、人を簡単に死に至らしめるものだ。それが未知のものであれば、尚更。毒の対策は、徹底して身の回りから排除すること。それしかないのさ。未知の毒なんて、対処のしようがないからね」

「……石化と、同じだな」


 メアの言葉に耳を傾けながら、俺は自分の目元に生えた紫水晶をポリポリと指先でかく。削る暇も余裕もないせいか、日毎に成長していく紫水晶に俺はうんざりとしつつ、小さく笑った。

 俺の体から生成された石の欠片を解析にかけ、全ての石化現象を解くための鍵を見つける作業は、解毒とよく似ている。俺がそう言うと、メアは肩を落としてこけた顔をこちらに向けて悪態吐く。


「その、通りだよ。簡単に言ってくれるね……。君は、僕に石化の解除のみならず、それに匹敵するくらい面倒な作業を押し付けようって言うんだ。この報酬は、ただじゃ済まさないからね」

「ああ。もちろんだ。なんでもするさ。他でもないメアのためなら、喜んで」

「……君ってば、いつか背中から刺されそうだよね」

「感応魔法があるから背後からでも問題ないが」

「いや、そう言う意味じゃないから」


 ではどう言う意味か、と問う暇すら与えずに「やれやれ」と言いながら立ち上がったメアは、出発の合図を出す。


 行軍の再会。それは、最後の行軍である。


 それから、途中、三度程魔物の襲撃に逢ったものの、やはりメアの言うように森の外周部に差し掛かっているせいか手強くはなかった。


 深層の魔物も脅威ではあったが、森の魔物で最も手こずった相手と言えば、村に向かう前に出会った変異種だろう。念のため、メアとリリスとで変異種に遭遇した際の手筈も考えていたが、この行軍の最中に出番が無くて何よりだ。


 先程の休憩が最後と言ったように、それから俺たちは一定のペースを保ちながら歩き続け、そして、遂に。


 長い長い行軍の果てに、俺たちはメトロジア大森林から脱出の時を迎えるのだった。








補足と言う名の、言語解説。


【メアの焦燥】


メアの想定では、メトロジア大森林を一月かけて横断し、紫晶災害以降内紛が多発する南部への抜けて帝国の追手を撒く予定だった。だが一向の余りにも遅い歩みに加え、体力を鑑みた結果、帝国東部へと進まざるを得なくなる。メアは二日三日あればいつだって森を抜けるルートは分かっていた。その場合でも追っ手を撒く方法はいくらでもあったが、一行の限界を探りながら二週間余りにまで逃避行軍を引き延ばしたことを知るのは、メア本人のみ。それが毒の患者が現れて終了を迎えたことにウェイドの言う通り、メアは一抹の責任感を抱いていたことは、誰にも打ち明けることは無い。

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