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もう一人の死神



 ヴェルモンド・トーラスが去った後。

 個室に残されたのは、困惑した面持ちと息巻くように剣幕を立てた二人だけ。


 どうするべきかと悩みあぐねるのは、ジャクリーン。

 しかし彼女は今後の心配以上に、見たこともないような目でヴェルモンドが去って行った扉を睨みつけるシスティナに「何故」と言う感想を抱かずにはいられなかった。


 ジャクリーン・モルトロと、システィナ・カイベリンは幼馴染である。

 互いに貴族の令嬢として生まれ、家格も近い二人は姉妹のように育った。

 しかし、ジャクリーンの生家モルトロ家はある日、政争相手からの突き上げによって不正を白日の下に晒され、没落寸前にまで追い込まれた。貴族家であればどの家だろうと探られたくない腹の一つや二つがあって当然である。それをさもモルトロ家だけが悪いかのように糾弾され、一族郎党諸共庶民に身をやつすところだった。それを救ったのが、ロウリィ公爵である。それを機に、本来であれば婿を迎えて生家を継ぐ事しか考えていなかったジャクリーンだったが、それはまだ生まれて間もない弟に託し、彼女は自分を掬い上げてくれたロウリィ公爵のために、生まれ持った生得魔法の有用さを活かすと決めた。そのロウリィ公爵の下でもう二度と会えないかもしれないと思っていたシスティナとも再会することが出来た。

 しかし、ジャクリーンは知らない。システィナが家の微かな繋がりを辿って辿り着いたロウリィ公爵に、「自分の身を預ける代わりに彼女を助けて欲しい」と頼み込んだことを。そのお陰で助かったことも、システィナが一人、危険な任務を負わせられているということも。


 システィナはそれを明かせられない。それを打ち明けたが最後、蝶よ花よと愛されて育ち、清流の如き心を持つジャクリーンは、罪悪感を抱いてしてしまうだろうから。

 彼女を救ったのは、ロウリィ公爵。それ以上でも以下でもない。

 システィナ・カイベリンは、四人の近衛騎士の中でも秀でた実力を有している。だがそれを誇るわけでもなく、彼女は同期の中でも常に一歩引いた場所に立っている。システィナと最も距離が近いジャクリーンでさえも、鉄面皮とすら呼ばれる彼女の表情が崩れたのは五歳の頃の記憶に留まる。

 

 だからこそ、扉を睨みつけるシスティナの横顔に、ジャクリーンは驚きを隠せなかった。


「ティナ……?」


 普段から眠たげにしている眼には、並々ならぬ敵意が滲んでおり、幼い頃から傍に居るジャクリーンですら見慣れぬシスティナの横顔に気圧される。果たしてその怒りの感情は足手纏い扱いされたからと言う理由では説明がつかないほど。何よりも、ジャクリーンには幼馴染が何を考えているのか分からないことが、恐ろしかった。


 ジャクリーンは憧れの人の背を負うべきなのか、幼馴染と共にあるべきかの二択を迫られ、視線を彷徨わせる。


「リン、あの男には、気を付けて」

「それって、どういう……?」

「あの男……。ヴェルモンド・トーラスがかつて所属していた部隊は、全て、全滅している」

「ええ、もちろん知っているわ。それが、『不死の貴公子』の所以でしょう? 数多の戦地を駆け抜けた不死の貴公子。彼の赴く先では敵味方入り乱れる戦いが続き、最後に立っているのはいつも彼一人だけ。中でも彼をそう言わせしめるのが、ノルデン戦域での活躍。五百人もの部隊員が全滅する中で、帰還した唯一の生存者にして、最大の戦功者。それを称えられて、あの御方は近衛騎士にまで召し上げられた、と。同時に、その突出した戦闘能力と必ず生きて帰って来ることから、不死の異名が付いた──と。そんな御方の下で働けるなんて私は光栄なの。……ティナ、あなたは私の親友で、たった一人の幼馴染よ。でも、私の大事なあなたからの忠告だとしても、私はあの御方の近くで、あの御方の強さを学びたい。強くなって、公爵様の恩義に報いたいの。それは、あなたも同じはずでしょう?」


 親友が何を危惧しているのかは分からない。

 けれど、ジャクリーンは強者から強さを学ぶことを目的にして近衛騎士になった。その対象こそが、ヴェルモンド・トーラス。不死の貴公子であった。


 かつて帝国列強に名を連ねていたモルトロ家再興を信じて、ジャクリーンは席を立つ。

 そうして得た強さは、モルトロ家を没落寸前にまで追い込んだ帝国ではなく、唯一手を差し伸べてくれたロウリィ公爵のために活かすと、心に決めていたから。


 彼女の揺るがぬ覚悟の強さは、システィナの目からも明らかであった。


「……ティナには、右も左も分からなかった幼き頃よりたくさんの迷惑をかけてしまいましたね。こうして道が分かたれたとしても、私たちが良き友であることに変わりはありません。……また、いつか。こうしてお茶をしましょう」


 目には見えない優美なドレスの端を摘まみ、見蕩れるほどに優雅な礼を取るジャクリーンは、それを別れの挨拶として立ち去っていく。


 システィナはその背を見送ることすら出来ずに、ただ俯いてばかりいた。


「あの男は、英雄などではない、のに……!」


 誰も居なくなった個室でただ一人、システィナは胸当ての下から取り出した十字の首飾りを固く握って、祈るように呟く。


 十字の首飾りは、聖神教の象徴(エンブレム)

 皇帝に忠誠を誓う近衛騎士だからと言って、神を信じてはいけない訳ではない。近衛騎士の中にも教徒はいるし、城の中に勤める者達の大半は教徒である。


 だが、システィナはそれら大衆の教徒とは少し違う。

 一般の教徒とは異なる理由で、彼女は十字の首飾りを身に着けていた。

 システィナは、一般の教徒よりも深く教義を理解する、敬虔な信徒である。

 なぜなら彼女は、聖神教の聖地グレナリンデにあるポラストス大聖堂に所属する異端審問官。通称、神の代弁者(ホーリーテラー)の一人であるから。


 聖神教は、ヴェルモンド・トーラスを疑惑の段階であるが異端として定めている。

 それだけで、彼の者が英雄で無いことを証明していたのであった。


 ──ゆえに、システィナは知っている。


 ヴェルモンド・トーラスが、英雄などではないことを。

 だからあの男を疑念に満ちた目で見ていた。実力では敵わないと知っているから。


 ──だからこそ、ジャクリーンは知らない。


 システィナが異端審問官であることを。ヴェルモンドが英雄ではないことを。

 それを打ち明けると言うことは、システィナにとっても唯一無二の親友を裏切ることでもあったから。


 彼女は機械的に自らに課せられた運命に忠実であろうとしているのだが、自分を友と呼んでくれるジャクリーンを裏切れない。


 たった一人の、友人を見捨てられなかった。


「私がやるべきは、引き返すべき……、応援を、呼ぶべき……ッ! でも、それだと……!」


 システィナは立ち上がり、ヴェルモンドを追うジャクリーンを追って、店を飛び出した。

 ヴェルモンドが何を考えているかは依然不明のまま。


 隊長であるモーリスの指令もヴェルモンドにしか伝わっておらず、彼の行動が近衛の活動から逸脱していることしか分からない現状、ヴェルモンドと行動を共にする危険性が高いことは言うまでもない。


 疑惑の英雄は、逆徒の証明とも呼ばれている。

 それはつまり、彼は世に囁かれる戦功とは真逆のことを成した可能性が高い。それが意味することを、システィナは何よりも恐れていた。

 加えて、もしかしたらシスティナの正体にヴェルモンドは気付いているかもしれない。そうなれば、ジャクリーンが危険である。


 彼女はただ、不死の貴公子に憧れているだけ。そんな彼女に危険が迫っているとあらば、システィナは居ても立っても居られなかった。


 ここで本来システィナが取るべき行動と言うのは、彼女の裏の上司に標的の異常性を伝えに動くべきだった。相手は、例え暗黒面に堕ちていたとしても、近衛である。想定以上の危険度を示しているとあれば、システィナが動くべきは、彼女の仲間の元であった。仲間と共に、ヴェルモンドを追い詰めるべきだった。


 だが、それでは時間が掛かりすぎる。

 加えて、システィナは神の代弁者(ホーリーテラー)を信用していなかった。

 それがゆえの独断専行。

 時間が掛かれば、それだけでジャクリーンを危険に晒すことになる。


 ヴェルモンド・トーラス。あの男の行く先では、常に周囲の誰もが命を落とす。


 近衛騎士隊もあの男の所業を知っていて放置しているのであれば、同罪とは言わないまでも少なからずその責務は負うべきだ、と言うのが上の考えであるが、システィナにとって組織の思惑などどうでも良かった。

 今はただ、かけがえのない親友を守るために動くことこそが最優先なのであった。


 ヴェルモンド・トーラスはきっと、一人になれば行動を起こす。

 彼の言動は、この状況を生み出すのが目的だった。そう考えると辻褄が合う。であるならば、彼女は単独で行動に移るしかなかった。


「止める、べきだった! 本当のことを、言うべきだった! リンは……ジャクリーンは、私の、友達だから……ッ!」


 システィナが行動に移るのは、遅すぎた。


 ジャクリーンがヴェルモンドを追って出て行ってから、既に五分以上が経過している。

 システィナは、己に課せられた使命と友人、その二つを天秤にかけた時点で行動を起こすべきだった。それこそが最善策であった。

 だが、後悔は後にすべき。

 今はただ、全力でもって後を追うのみ。


「……【遡行魔法】」


 システィナは店を出て、真っ先に生得魔法を発動させる。

 彼女の魔法は、ハリス・ロック・フロレンシアとは正反対に位置する魔法。

 彼女の魔法は、過去を見る。


「……あの、曲がり角」


 過去を視るためには、対象に纏わる物品を一つ、破壊しなければ視ることが出来ない。今回壊したのは、ジャクリーンが使っていたティーカップ。物品への対象の思いが強ければ強いほど長く過去を視ることのできるシスティナの生得魔法。ゆえに、触れた程度、僅かに使った程度の物品であれば、視ることが出来るのは精々五分かそこらの範囲での行動くらいのもので。だが、今はそれで十分だった。


 彼女はヴェルモンドの罪を暴くべく彼の私物を手に入れようとしていたが今の今までそれは叶っていない。システィナが視たジャクリーンは、ヴェルモンドを追って街角に消えて行く。


「その角を曲がった先、で──」


 街中を騎士装で駆けていく自分の姿が注目されていることすら気に留めず、後悔の念に駆られるままにジャクリーンが去って行った方角へと足を進める。


 システィナの生得魔法が捉えた、ジャクリーンの最後の姿。


 それは視線の先にある角を曲がって消えて行く背中。


 システィナが曲がり角に差し掛かった、その時だった。




「きゃあっ──!」




 耳に届いたのは、街の雑踏に紛れるような、微かな悲鳴。

 ともすれば聞き逃してしまうほどに小さな悲鳴はしかし、システィナにとって聞き慣れた声であり、彼女の脳裏に最悪の光景が過る。


「ッ……!」


 システィナが危惧していたのは、二人だけでアルザスの街から出て行ってしまうこと。もし仮にヴェルモンドが狂人だったとしても、人目の多い街中で行動に移るのは余りにもリスクが大きい。聖神教の異端審問官が束になっても尻尾の一つも掴めなかった男が、そんな間抜けな行動を取るはずがないと考えていたのだが、まさかこんな街中で行動に出るなんて、と自分の甘さに歯噛みすると共にシスティナの背に冷たい汗が滲んだ。


「リン……!」


 システィナが駆ける足を速めて角を曲がった、その先で。


 そこで、待っていたのは。




 ──剣を抜き、返り血を浴びた、ヴェルモンド・トーラスの姿。




 そして、地に倒れ伏すジャクリーンの姿だった。




「ジャクリーン!」




 目にした途端、駆け寄らずにはいらなかったシスティナであったが──、


「痛てて……。あれ、ティナ?」

「リン……? 無事、なの?」


 ジャクリーンは彼女の心配を他所に、変わらぬ様子で起き上がった。


 自分の声に間を置かず返ってきた反応に、システィナは状況が読めず一瞬呆然とする。そんな時、不意に背後から声が掛かった。


「──システィナ・カイベリン。どうした? 何をそんなに、焦っている?」

「っ」


 顔を上げると、そこには自分を値踏みするように見下ろすヴェルモンド・トーラスの姿があった。


 更に視線を巡らすと、彼の足元には背中をざっくりと切られた痛々しい姿の男性が一人。男にはまだ息があるのか、「痛い、痛い」と呻きながら地面を這っている。


「……これは、一体」

「わ、分からないの。ヴェルモンド様が突然、剣を抜いたかと思うと、通りすがる男性を斬り付けて……。それに驚いた私が、()()()()()()だけなの」


 システィナは思わず、安堵を覚えるより先に「ややこしいことを」と思わざるを得なかった。舌打ちをしなかったのは、彼女の精神面の強さゆえか。


 だが、目の前の光景は未だ不明のまま。

 ヴェルモンドの傍に居たジャクリーンですら、何が起こったのか分かっていないらしい。


 ただでさえ陽の出ている街中での殺傷事件。時が経つごとに周囲のざわめきも大きくなっていく。

 ヴェルモンドから向けられる懐疑に満ちた視線を乗り越えるべく、システィナはこの状況を説明してもらおうか、とあえて強気に出る。虚勢だとしても見栄を張っていなければ、自分の全てを見透かされそうだったから。


「……」


 対するヴェルモンドはと言うと、システィナの目論見を見透かしたのか、それとも興味を失ったのか。システィナの目からはそれを読み取ることは不可能であった。

 彼は溜め息を一つ吐いた後、血の匂いが強まるこの場所に集まってきた野次馬を睥睨する。何事か、と騒ぎを聞きつけてこの街の兵士も駆け付けてくるが、ヴェルモンド達の近衛騎士の紋章を目の当たりにしてどう手を出せばいいのか困っている様子。

 大勢の注目が集まる中で、ヴェルモンドは地面に転がる男を足蹴にした。

 途端、白昼堂々と人を斬ったヴェルモンドに対して恐怖の視線を向けていたり、苦しみに喘ぐ男を憐れむ視線が大多数だったこの場の空気が、一転する。


「この男は──呪い人(ネビリム)だ。あれだけ摘発があった後でも、こうして街中で生き残っている連中も多い。言わば残党と呼ぶべき連中を始末するのも、俺たちの仕事の内だ。この街の兵士共は何をしているのだろうな」


 見て分からんのか、と呆れ果てたとも呼べるような声音でヴェルモンドは言った。


 足で払うように斬られた男の背を払うと、露わになったのは光を反射して怪しく輝く紫水晶。

 男の背中の一部は、紫水晶に変化しており、ヴェルモンドの一閃を受けても尚、小さな傷がつく程度ですんでいた。しかし、守られたのは一部のみで、それ以外の無防備な肌は盛大に傷を負っている。今もヴェルモンドの足の下敷きにされ、だくだくと溢れた血で地面を汚す。


「悍ましい……」

「まだ、隠れていたのか」

「もしかしたら、他にも──」


 先程までの哀れみや同情はどこへやら。

 斬り付けられた男が呪い人(ネビリム)だと分かるや否や、聴衆の感心は失せ、むしろ早く始末しろとでも言わんばかりの迫力を生む。

 だが、誰もそれを口にはしない。


 後はただ駆け付けた兵士がその男を連行するだけ。その先で自由を奪われるのか、それとも命を奪われるのか、誰も男のその後を想像しないでいる。

 当然だ。迫害の対象である呪い人(ネビリム)は悪。それを糾弾する自分達は善であると本気で思い込んでいるのだから。

 誰一人として、この男の命の責任まで取ろうとはしない。


 もし仮にこの場で男に駆け寄り治療行為をする医者がいれば、その者は異端者だと謗られるだろう。だが、この場の誰であっても、その男の命を奪おうとはしない。

 なぜなら、この場の誰であってもこの男を憎む理由など無いから。ただの通りすがりの男を呪い人(ネビリム)だからと言って殺したい程憎めるほど、人々にとって憎悪は浸透していない。


 そう。誰も、今この瞬間にその男が、自分たちの目の前で殺されるなんて、思ってもいなかった。


 それを油断と言うのだろうか。それとも、傲慢や慢心とも言うべきか。

 だから男が呪い人(ネビリム)だと判明するやいなや蔑視や嘲笑に塗れたこの場所で、安全圏にいる彼ら健常者らに血が降りかかるなど、この場の誰も思ってもいなかったのだ。


「──ひっ」


 誰かの悲鳴が上がる。

 システィナもジャクリーンも、その瞬間まで何が起こったのか分からなかった。


「ぐ、ぎ……っ、が──」


 致命傷と呼ぶには浅い、紫水晶によって命が守られた男が人垣の方へと這って行くのはその目で捉えていた。だが、いつの間に男の喉元に剣先が生えたのか。


 男の頸椎を貫いたのは、他ならぬヴェルモンド・トーラス。この場における、司法とも呼ぶべき存在であった。


「残党の始末。これも、俺たちの仕事だ」


 直後、ヴェルモンドは手に持った剣を横に振り、男の首を斬り落とす。

 ゴト。と、まるで鉢植えが落ちて転がるような音と共に一人の男の人生に幕が下ろされる。その幕の色は、血のように赤く、人々の足元に降り注ぐ。


「きゃあああああああああああ!!」


 混乱は伝播する。瞬く間に。


 一人のパニックを皮切りに、狂ったように聴衆が蜘蛛の子を散らすかの如く逃げ出していく。

 数年前までは、処刑を娯楽として楽しんでいたはずの国民が、たかだか一人の首が不意に落とされただけで混乱の渦に巻き込まれる様と言うのは、ヴェルモンドからすれば実に滑稽だと言わざるを得なかった。


「……ふ、ハッ」


 だから、というわけではないが、ヴェルモンドの口から細く、そして小さく息が漏れる。喜悦に満ちた吐息である。

 それは恐らく、本人ですら認識しているか分からない、無意識下のほくそ笑み。

 我先にとこの場からの離脱に一目散な周囲が混乱に陥る最中、誰もそれには気付けない。


 ──ヴェルモンドのことを、注視していない限り。


「──っ」


 貴公子とすら呼ばれる美丈夫の鉄面皮に宿った笑みは美しさすら感じられるだろう。そこに悍ましさや狂気を見出すことの方が難しいとすら思える中で、システィナは見てしまった。

 体の内から湧き出る快楽に身を震わし、狂気に歪んだヴェルモンド・トーラスの不気味な笑みを。


「死、神……」

「ティナ?」


 見たものを恐慌させるようなその姿に、システィナの脳裏に神の代弁者(ホーリーテラー)【から与えられた情報を思い出す。


 ──ヴェルモンド・トーラスのまたの名を『不死の貴公子』と呼ぶが、その名が浸透する以前、彼は『死神』と呼ばれ恐れられていたことを。


 今ではその過去を知っている者は限られているが、聖神教が彼を危険視する発端となったのもその呼び名がきっかけであった。


 聖神教の死神、除く者(ウェイド)


 話でしか聞かぬ存在を今、システィナは生まれて初めて目の前に感じると、全身が粟立つような恐怖に襲われる。


 目が合えば首と胴が分かたれる。

 あの、呪い人(ネビリム)の男のように。

 途端に恐怖に染められた心は、冷静沈着であるはずのシスティナを俯かせる。


「──はっ、はっ、はっ、はっ、はっ……!」

「ティナ! しっかり、ティナ!」


 自らの体を掻き抱き、短い呼吸を繰り返すシスティナにジャクリーンが寄り添う。

 昔からの付き合いとは言え、いつだって恐ろしい程に冷静なシスティナがこんなにも取り乱す姿を見せるのは初めてのことで、ジャクリーンもまた混乱の渦に巻き込まれそうになる。


 近衛騎士たるもの、兵士や騎士と言った、混乱を諫める立場でおいてこの程度の混乱に取り乱すなどあってはならぬこと。

 自分達に与えられた近衛騎士を示すぺリース。その重さを思い出して、ジャクリーンはその身が強張る一歩手前で引き返すことができた。そしてそのまま、システィナに平静を取り戻させるべくその肩を揺すった。


 そこに、鉄のブーツが地面を叩く音を鳴らして近付く、一人の影。

 先程まで笑みが浮かんでいたとは思えない程に冷たい鉄面皮を構えた、ヴェルモンド・トーラスである。


「……取るに、足らんな」


 既にアルザスの兵に指令を出してこの場の撤収を始めているヴェルモンドに対して、震えて小さくなったままの新入隊員二人。その様を端的に言い表したかのような発言に、ジャクリーンはその場で立ち上がらずにはいられなかった。


「……この失態は、必ずや、取り返します! ですから、どうか、挽回の機会を……!」


 彼女は決して一人で立ち上がらず、顔を上げることのできないシスティナを支えながら胸を張る。


 システィナもまた、ただ茫然自失としていた訳ではない。俯いたとしても塞いでいない耳からは情報が流入し続けており、ヴェルモンドの失意に満ちた声も、親友が固く歯を食い縛った音も全部、聞こえていた。


 システィナは、ジャクリーンが没落寸前のモルトロ家を再興するという夢を抱えているのを知っている。ヴェルモンドと言う男がシスティナの抱えた任務の標的であり、いかに危険な人物だとしても、ジャクリーンの夢の行方がヴェルモンドに握られていると言う事実には何も関係が無い。

 この場でヴェルモンドから見限られたら、ジャクリーンの夢は途絶えてしまう。


 システィナがジャクリーンに本当のことを明かしていないのは、あくまでもシスティナ側の事情に過ぎない。そのせいで、ようやく手を伸ばすことが出来た親友の夢へと繋がる道を破壊するなんて、システィナには出来ない真似だった。

 親友を思って駆けたように、システィナには捨てきれない甘さが残っていた。

 ゆえにシスティナは、顔を上げ、頭を下げた。


「申し訳、ございません。どうか、もう一度だけ、チャンスを……!」

「…………気が変わった。お前達に仕事をやろう」

「っ! 本当ですか?!」

「二日だ。二日やる。それまでに、この街に潜伏する呪い人(ネビリム)を五人、始末してこい。これが、お前達に与えられた最後の機会だ」


 それだけ言うと、二人の返事を待つまでもなく踵を返していくヴェルモンド。

 雑踏に消えて行く彼の背中を呆然と眺める二人は、与えられた任務を反芻した末に答えを導き出す。


「思ったよりも、簡単だわ」

「……ん」


 片やその顔には安堵から来る朗らかな笑みを湛え、片やその顔にはあらゆる可能性を危惧して険しさの増した表情を浮かべる、対照的な二人。

 そして、


「咲かずに散るか、咲いて散らすか。大罪人を狩るのは、果たしてどちらか」


 街の雑踏に消えて行く男は舌で唇を湿らせ、口端を吊り上げる。

 彼の手には、いつの間にかなみなみと注がれたワインがあった。


 今にも鞘から剣を抜き放ちたくなる衝動を必死で押さえ込んで笑うヴェルモンドは、高まる熱を冷ますかの如く酒を呷る。




「さぁ、相見えようぞ、もう一人の死神よ。ハリス・ロック・フロレンシアに魅入られし忌み子よ──」




 一息で飲み干したヴェルモンドは、却って熱くなった体を風に晒すべく屋根の上に跳び上がり、炎でも吐いているかのように熱い吐息と共に弧を描く口から渇望を吐き漏らした。


 ヴェルモンドの視線の先は、森林国家によって奪い返された東の地平がただあるばかりであった。




 





補足と言う名の、言語解説。


【聖神教聖典の死神】


聖神教は、女神ポラスを信仰する宗教。

しかし、女神ポラスに弟の男神オリアが存在するように、女神ポラスを唯一神と定めているわけではない。聖典に登場する死神の名は、ウェイド。神の言葉で、『除く者』と言う意味を持つ。死神は死を司り、人に死を運ぶ悪神の一つとして数えられる。その姿形は人の形をしており、触れた者の命を奪うとされている。長く、様々な神の話が記される聖典に、死神は三度しか登場しない。

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