善人でもないと思う
僕らは宿に二つの部屋を取って休んだ。
リリスさんは安全のために一つでいいと言ったが、多分、そんなことになったら後々サンドラに僕が殺されかねない。サンドラはリリスさんの信者なのだ。このことで今後一生、ねちねちと言われ続けるだろうと思うと、僕は必死に言葉を選んで自分の部屋を確保した。あれほど言葉を巧みに操ったのは、僕の人生で初めてかもしれない。
「どこに、行かれるのですか?」
「あら、起こしちゃいましたか?」
翌朝。
いいや、朝と言うには早すぎる時間。
昨日活動を始めた頃と同等か、それ以上に早い時間に、どうしてかリリスさんは動き始めた。
慣れない潜入作戦に心も体も自分が思っている以上に疲弊していてぐっすりと眠れたはずなのに、やはり神経が逆立っているせいか、隣の部屋で動く気配を感じて扉の外を覗くと、リリスさんが出かける支度を整えていた。
一瞬僕は置いて行かれるのかと思ったが、メアさんならばまだしも、ウェイドさんやリリスさんがそんな真似をするとは思えない。そう思って素直に尋ねると、リリスさんは正直に答えてくれた。
「……聖神教に、少し用がありまして」
「こんな、時間に?」
「こんな時間だからこそです」
厳かな雰囲気を放つリリスさんに「ついて行ってもいいですか」と聞くと、「面白いことは何も無いですよ。むしろ」と僕の心配に重きを置いてくれたが、このまま一人で外出を許すとやっぱり後でサンドラに何を言われるか分からない、と言うのが僕の本音だった。
そうして、まるで戦に向かう戦士が如き雰囲気のリリスさんと、欠伸を噛み殺す僕の正反対なペアが向かった先はリリスさんの言葉通り、聖神教の教会だった。
それは東都アルザスだからと言う理由で大聖堂があるわけでもなく、オリア帝国の町であればどこにでもある、ごくありふれた教会であった。
燭台に火が灯る教会に立ち入ると、中はこんな時間にもかかわらず一人二人と数えられる程度とは言え、信徒が教会の長椅子に腰掛けて祈りを捧げているではないか。僕やサンドラも聖神教徒ではあるが、こうも真摯に祈りを捧げたことは一度もない。精々が「明日も良い一日になりますように」くらいのものだ。そんな彼らを見て、お手本のような敬虔な信徒がいるもんだぁ、とリリスさんに続く。通りすがりに横目で見ると、彼らは祈りを捧げたままの姿勢で寝落ちているだけだった。神父様たちは彼らを放っておいていいのだろうか。
それにしても、やけに神父様の姿が多いように思える。一、二、三、四……。全部で十人以上もの神父様が一つの教会に集まっている。それらの視線が一斉にこちらを向く様は、なんとも言い難い恐怖に包まれる。話し合いの邪魔をしたのだろうか。一人の精悍な顔付きの神父だけが頭を抱えて溜め息を吐いていた。
まさか、僕たちは神父様の夜の密会のような場面に鉢合わせてしまったのだろうか。いつもなら教会に立ち寄るだけで笑顔を見せてくれる修道女の姿が見当たらないのもそんな考えに拍車をかける。リリスさんはこんなところに何をしに来たのだろう。もしや、この密会に何かあると踏んでのことか。となると、領主邸よりもこの場所にこそ、近衛騎士の二人の協力が必要だったのではないだろうか。そう思うと、この場に居る神父様たちが全員悪い人のように見えてくる。そもそも、神父に悪い印象を植え付けられている僕らにとってみれば、ここは敵の懐の中。一刻も早く逃げ出したい僕は、怯えてリリスさんの背に隠れる。こんなところ、サンドラに見られたらお尻を引っ叩かれるだけでは済まないかもしれない。でも、怖いものは怖いし、気味が悪いものは気味が悪いのだ。
ああ、ほら。早速僕らの来訪に気が付いて一人の神父様が用件を聞きに近付いてきている。精悍な顔付きの神父様だ。よく見るとこの神父様、どこか悪人面していらっしゃる……。目も覚めるような恐怖を浴び、僕は囲まれるのだけは勘弁をと逃げ出す準備をしている一方で、リリスさんは悠然と聖職者に立ち向かって言った。
「こんな時間に珍しいお客様ですね。何か、ご用ですか?」
「求めよ、さらば与えられん」
「……おや、敬虔ですな。『求めよ、さらば報われん』。よろしければ、顔を見せてもらっても?」
「諸事情があり、顔は見せられません。同行者も同じ理由です。そして、あたなはライエン派、ですね? あなたを信じて、これを託します」
「これは……?」
「ダブリン派の、悪行が記された手記です」
リリスさんの言葉に、教会内部が俄かに騒めいたような気がする。
帝国貴族の中でも、宗教家は少なくない。何せ、聖神教は帝国が定める国教だ。その中でも大半がライエン派やタ・シン派と呼ばれる穏健派で、強硬派のダブリン派はごく少数。ダブリン派が敬遠される理由はただ一つ。彼らはとにかく強引なのだ。僕でも知っているくらい、彼らは強引な手を好む。確か、レオポルド陛下が殿下であった頃、一時期彼がダブリン派の思想に肯定的だと言う噂が流れて、殿下の王太子の座が危うくなったことがあるくらい、帝国内部は疎か上層部でもダブリン派は敬遠されていた。
信仰の受け取り方に制限を持たず自由な思想を謡う聖神教。その本山がある北部でもダブリン派は遠巻きにされ、他の二派にとっては潰したがっているという噂すら聞いたことがある。ただ、聖神教はダブリン派の考えを禁じている訳ではないため、一方的な感情や意見のみで動くのは聖神教の教義そのものに反している。お陰で穏健派は静観を貫くことしか出来ないのであった。
そんな平行線な状況を、一変させるような物を持っているとは思いもせず、リリスさんの言葉に僕も身構える。リリスさんはそんな代物を一体いつ、どこで手にしたのか。彼女の背後で僕が唖然としているのも知らずに、リリスさんはライエン派の聖職者にその本を手渡した。
「中を、検めても?」
「お願いします。……相応の罰と、被害者の名誉を救済して上げて欲しいのです」
「なるほど、これは……」
リリスさんが手渡した手記とやら。興味本位で付いて来たからそこに何が記されているかは分からないが、リリスさんが「悪事」と言い切ったことに加え、ぱらぱらとページをめくる神父様の顔付きが険しくなったことで想像の余地が生まれる。
けれど、それはあくまでも僕の想像の範囲内の悪事。神父様の手がページを捲る度にリリスさんが滅多に見せないような苦々しい表情を浮かべる。その横顔からして、きっとその手記とやらの中身は僕の想像をはるかに超える悪事が記されているのかもしれない。
そう思えた、直後だった。
「ぐっ──?!」
「余計な詮索は、我が身を滅ぼすのだよ、ライエン派」
手記の内容を検めていた人が突然倒れ込んだかと思うと、それを成した別の神父が、リリスさんが手渡した彼が手に持っていた手記が奪い取られた。
同時に、僕らに対して「動くな!」と叫んだ神父によって、僕らは行動を封じられる。
悪しき神父の手には、祭祀用の剣が握られていたから。
祭祀用とは言え、獣の腹を裂くに用いられるため、命を奪うには事足りている。ゆえに目先に据えられた剣を前に僕らは動けない。
リリスさんが外套の下で拳を固く握り締める音が僕の方まで聞こえてくる。
──ああ、やっぱり。聖職者なんて、所詮はこの程度の生き物だった。
男が手記を手に、あくどい笑みを浮かべる。自らが信奉する神を貶めるような行為であるとも自覚せずに。
「返してください……っ!」
「悪事が記されていると聞いて警戒してみれば、ふむ……。こんなもの、証拠足り得ないな? いいや、むしろライエン派の力を削ぐいい機会かもしれないなぁ。君達、真実を歪める時、何が邪魔をするか知っているか? それは……、真実を知る者だ」
「……神聖な教会で、ポラス神の御前を、血で汚す気ですか?」
「ククッ、安心したまえ。私ほどの敬虔な信徒はそう居ないのでな。これも我が神の為。場所は移そうじゃないか。誰にも見つからない場所に、なぁ?」
神父が手を掲げたのを合図に動き出す他の聖職者たち。彼らは聖職者のくせに、戦力を持たずと宣言しているくせに、随分と荒事には慣れた様子で動く。それを冷めた目で見つつ、僕は護身用にと持たされた短剣を脇から抜き取って、リリスさんの前に歩み出る。ここでリリスさんの背に隠れたままと言うのは男が廃るし、何よりも、堂々と期待を裏切り、予想通りに動いてくれた聖職者に対して、激しい怒りが僕の中には渦巻いていた。
お陰で誰よりも早く動くことが出来て、一方的にやられる、と言う事態は回避できたらしい。僕と聖神教の間で睨み合いが始まる。
神父に周りを囲まれた状況は、やはり怖い。お世辞抜きで腰が抜けそうだ。争いごとの一つも知らずに生きてきた僕は、短剣は手に持つだけ。いざかかって来られたら僕は一切の太刀打ちも出来ずに負けることだろう。それでも、この状況下でパニックに陥らないでいられるのは偏に、胸に沸いた激しい怒りによって感情の均衡が取れているからだろうか。
そもそも、目の前で人が倒れたにもかかわらず及び腰になることなく反応出来たのは、僕が初めから彼らに期待なんてしていなかったから。信用しようと思っていたリリスさんと、初めから薄々とこうなることを予想していた僕とでは反応が異なったわけだ。
とは言え、ここからどうするべきかと悩んでいた、その時だった。
「──おぅ、おぅ。こんな時間から良い騒ぎじゃねぇか。どうだい、コンラッド。酔いが覚めるような劇的なワンシーンだと思わねぇか?」
「どうしてこう、あなたが行く先には必ずと言っていいほどトラブルが待ち構えているのか。しかも今回は我が身の恥のようなこと……。まあ、これも一つ。救世のためでしょう」
教会の扉を蹴破って現れた、二人組。二人ともに法衣を身に纏っていることから辛うじて聖職者だと分かるが、その立ち居振る舞いは僕の良く知る聖職者とはかけ離れていた。いや、むしろ僕の知る聖職者が汚れ切っているせいで、彼らの方が本流に近いのだろうかとすら思えさえする。いったい、どこの世界に鎖が巻き付いた巨大な棺桶を肩に担いで煙草を吸いながら現れる聖職者がいるのだろうか。
しかし、そんな彼らの前には、扉を開いたら神父たちに取り囲まれる外套二人組。怪しいのはどちらかと問われれば明らかに僕たちであるこの状況。不味い思って口を開くより先に、ダブリン派と思われる神父が先に口を開いた。
「見ての通り、我々は教会を襲う不届き者を罰しようと──」
「お黙りなさい」
「っ?!」
だが神父の悪知恵は現れた黄衣の男に一喝され、綿毛の如く散っていく。
「神は全てを見通しています。人の悪しき行いも、人の善き行いも。そして、人を裁く権利があるのは認められた者に限られる。それは帝国法にある通りです。あなた達はたかが一神父の分際で、それを認められていると勘違いしているようですね。神父と言うだけで敬称と共に呼び慕われる経験は、あなた達には逆効果だったらしい。今この時をもって、我が名の下に、あなた達を破門とする──」
「なっ、何様のつもりだ、お前は! 私刑を持ち得るのは大司祭以上の神父のみ! ここアルザスに存在する大司祭はたった一人だ! その御方は我らの同士! お前の振る舞いは、それに楯突く行為と同じ──」
「ふむ、やはり街ぐるみとは思っていましたが、大司祭までも堕ちているとは。新たな証言に感謝いたします。それで、なんでしたかな? 私が誰かと聞いているのですか。私は──、こう言う者です」
「──そ、れは……っ! 大、司教の、アミュレット……?!」
「私は、『破戒』の大司教、コンラッド。これを見ても、まだ同じことが言えますか?」
大司教。
それは、教皇、枢機卿に次ぐ、聖神教における上位の聖職者。
彼らがこうも得意げに、そして怖気づくことなく強権を振るっていたのは、大司祭が自分達の味方だったかららしい。しかし、それを遥かに凌ぐ上位存在の到来は全くの予想外だったらしく、突然の大司教の来訪に、神父たちは揃って言葉を失った。
その中でも咄嗟に我に返った一人の神父が、逃げ出すべく教会の裏手に向かって走り出す。手記を手に持ったまま。
しかし、
「ぁだっ!」
「おいおい、逃げんなっての。悪事を働く連中ってのはどうしてこうも、活きが良いのかねぇ……」
逃げた神父の後頭部にスコン、と何かがぶつかり、神父はその場に倒れ伏す。僕足元に音を立てて転がってきたのは、見慣れない履き物だった。
「あの、これ、どうぞ」
「気が利くねぇ。ところでそれ、あんたらのか?」
倒れた神父がそれっきり起き上がる気配が無いことから、頭に当てられた衝撃がどれほどだったのかと僕の小さな肝が震え上がる。
片足で跳ね寄って来る女性が、人の形をした何かだという事を悟りつつ、恐る恐ると靴を手渡すと、女性は床に落ちた手記を指差して言った。
「はい……」
「これは、そんなにも大層なものなのか?」
「これは、悪魔の書です。私の大切な人の心を壊した、憎き手記なのです。これだけじゃない。これも、これも、これも、これも……全部っ! さっさと燃やしてしまいたいほどに悪意に満ちた内容が記されたものなのです」
「なら、どうしてさっさと燃やさなかった?」
「……悪魔に相応しい罰と、被害者が受けた汚辱の払拭と、名誉の回復のためには、証拠であるこれがどうしても必要だったからです」
問われたリリスさんは、外套の下。一体いつから隠し持っていたのかと言う量の手記を教会の床にばら撒いて、嘆いた。その声は聞く者の胸を締め付けるもので、僕はその手記の中身を知ることが酷く恐ろしいとすら思えた。そんな肝っ玉の小さい僕に反して、女性と、神父の制圧を終えた大司教はリリスさんの傍に寄ってその手記を拾い集めた。
「……これらは、私が責任を持って聞き届けましょう。聖職者への信頼など無いとは思いますが、今一度だけ、チャンスを頂けないでしょうか」
「…………おねがい、します」
「あなたの慈悲に、感謝を。聞き届けた暁には、聖神教に動乱が起こるやもしれません。ですが、それは聖神教が至らぬがゆえに受け入れなければならぬ痛み。……大司教としてではなく、コンラッドという一人の男として、神の名に誓いましょう。必ずや、聖神教の膿を排出いたしますことを、お約束します」
「はぁ~あ、また兵士共のところに戻ることになるとはなァ」
責任を感じなくて良い、と呼びかける大司教に、肩を震わせるリリスさん。
リリスさんの肩を震わせる要因は、恐怖か、屈辱か、それとも、苦痛でもってか。少なくとも僕の目には、感謝や感激で肩を震わせているようには見えなかった。きっとあれは、自分の無力さに苛まれているからだろう。僕には分かる。そんな気がした。
もう一度だけ「お願いします」とだけ言って、後始末を付ける二人の聖職者の横を通り抜け、僕らは教会を後にする。宿に戻るまで、僕らの間に会話は生まれなかった。僕には、無言で歩くリリスさんの背に、なんて声を掛ければいいのか分からなかった。
「ご迷惑をおかけしました」
「いえ、僕は、何も……。ゆっくり、休んでください」
「そう言うわけには、行きませんから」
「……今日で、この狭苦しい感覚も終わります。ウェイドさんに会う時にリリスさんがそんな顔をしていたら、余計に心配させちゃいますよ」
「そう、ですよね。ごめんなさい、それと、ありがとうございます。少し気持ちを切り替えてから、また難民区の調査に向かいましょう」
そう言って、リリスさんは自分の部屋に戻っていく。
リリスさんが浮かべたのは、明らかな作り笑顔だったが、僕はそれを黙って見送るのみ。宿の部屋に戻った僕は、悶々とした思いの中、粗末なベッドに寝転んで古ぼけた天井を見上げて独り言ちる。
「……サンドラは、リリスさんのような人にウェイドさんは相応しくない、なんて言ってたけど、逆に、リリスさんにはウェイドさんしか居ないと思うけどなぁ」
リリスさんが浮かべる好いた異性にだけ向ける笑顔を受け止められるのは、きっとウェイドさんしか居ない。なんとなく、だったその思いが、こうしてアルザスに来てウェイドさんから切って離されたリリスさんと行動を共にした結果、確証にも似た何かを得たような気がするのだ。
リリスさんが横に居て似合うのは、きっとウェイドさんだけ。リリスさんを笑顔にしてあげられるのは、ウェイドさんだけだと、僕はそう思う。
無事に帰った暁には、ウェイドさんと少し話がしてみたい。そう思えた夜だった。
そうやってベッドで寝転んでいると、次第に睡魔が襲い来る。
アルザスの長い、それはもう長かった一日が、終わりを迎える。
間もなくして訪れる始まりを後に追いやるように、重い瞼が閉じていく──。
補足と言う名の、言語解説。
【ミーナスとコンラッド】
この後、不届き者であり破門された元・神父たちを引き摺って兵舎に向かった先で、二人は兵士たちから「また来たんですか」と言われるのであった。




