悪人ではないと思う
◇
アルザスの街が目を覚ましていく頃。
懐かしさの残るアルザスの街並に感傷を抱く暇もなく、ウェイドさん達と別行動を取ったリリスさんと僕の二人は、人目を避けるようにして路地を進んでいた。
「リリス様。僕たちは、どう動きましょうか」
「様、なんて必要ありませんよ。私たちは、対等ですから」
「いえ、そう言うわけには……」
「私たち、家格は同じ男爵家でしょう? そこに差なんてありません。何より、私が皆さんとは対等でいたいんです。サンドラさんやブランさんには仲良くさせてもらっていますし、ね?」
「……はい、分かりました。リリスさん」
渋々、と言って余りあるほどに顔を顰めるが、道案内の名目でリリスさんの前を歩き進めているお陰で、当人には気付かれなかったのは僥倖。
リリスさんは軽々しく同じ男爵家、とは言うが、同じ家格の男爵の中でも序列と言うものが存在している。
僕の生家であるヴィズマーラ家や、サンドラの生家であるグレイスカー家。僕らは所詮、男爵家とは名ばかりの貴族である。もちろん、領地はあるし、立派なお屋敷だって建っている。領民はいるし、それなりに贅沢も知っている。けれどもそれは、下っ端貴族の保証された最低限度の生活であった。
東部に遍在する領地持ち貴族は主に、ここ東都アルザスを管理するフォルダー伯爵の傘下である。フォルダー伯爵の統治を円滑に進めるための、いわゆる下部組織のような枠組み。言うなれば、僕らはフォルダー伯爵と運命を共にする貴族。フォルダー伯爵の情けのお陰で、僕らは貴族で居られるというわけだ。
そんな貴族を揶揄する意味で、首輪付き、などと呼ぶ。
それに引き換え、リリスさんの生家アルバート男爵家は歴史ある家系であり、帝都に近い場所に小さいながらも領土を構えている。加えて、帝都に住居を持つことが許される程に皇帝からの覚えも厚い。帝都に家を持つということは、帝都に馳せ参じる用があると言う事。帝都に呼ばれる必要のある貴族と言う意味を持つ。僕らなんて、帝都に立ち入ったことすらない。陛下からのお達しは全て、フォルダー伯爵から両親に伝わる。言わば、フォルダー伯爵こそが僕らの王であった。
そんな、男爵家でありながら並以下の子爵家と同等かそれ以上の影響力を持っているアルバート男爵家と比べて、僕やサンドラと同じ男爵家だろうなどとは口が裂けても言えなかった。言ったら最後、家が無くなるどころの騒ぎでは無くなることは確かだ。
それがゆえに、どうしたものかと頭を悩ませた。
僕の頭を悩ませる要因と言えば、もう一つ。
僕の幼馴染である、サンドラの行動だ。
本来であれば男女で分かれての潜入作戦であったが、彼女はここに来てそれを破った。それが必要であれば、とウェイドさんやリリスさんはこだわらず受け入れてくれたが、僕には、彼女の行動の意図に思い当たる節があった。
サンドラは以前からウェイドさんへの強い憎悪を滾らせていた。それもそのはず。ウェイドさんが居なければ、僕もサンドラも今頃は、家族や友人に囲まれて小さな男爵家と言えども幸せに暮らしていたはずなのだから。そんなごく普通のありふれた自分達の未来を壊したウェイドさんを、サンドラは激しく憎んでいた。この機会は、その思いの丈を存分にぶつけるための良い機会だと思ったのだろう。
ウェイドさんの傍には、いつだってメアさんとリリスさんがいる。サンドラにとってウェイドさんと同じくらい気味の悪いメアさんはまだしも、自分達に心を配ってくれるリリスさんに対しては、サンドラのみならず、仲間たちの誰もが好感を抱いていた。当然、僕も含めて。
同時に、そんな良く出来た彼女がウェイドさんに心を寄せているのがリリスさんと友人関係を結ぶにまで至ったサンドラにとっては甚く不愉快であったのだろう。これまでの道行きの中でサンドラが愚痴のように不満を零していたのを知る僕からすれば、彼女の行動原理は手に取るように分かる。分かるがゆえに心配なのだ。
……サンドラの奴、上手くやっているかなぁ。いきなりウェイドさんに喧嘩吹っかけていないといいんだけど。
と、僕はあらぬ心配をしなければならない始末。
潜入作戦と相俟って、お腹に穴が空きそうである。
「……そもそも、あんなことが無ければリリスさんとは──」
「うん?」
そもそもの話、紫晶災害が起こらなければ僕らは仲間たちの誰とも関わり合うことは無かっただろう。それくらい、年齢も、職業も、生まれも、育ちも、何もかもが違う人たちが集まっている。
だからあんなことがなければ僕もサンドラも、今では「仲間」と呼ぶに相応しい関係を築いた彼らの顔も名前も知らないまま、首輪付きの貴族の枠組みにしがみ付いて生きていくだけだったかもしれない。
……それを思うと、紫晶災害で受けた辛い記憶は今後一生付き合っていくものだから紫晶災害に感謝を向けることは無いが、かと言って憎むほどの思いを抱くには至らないと言う結論が出る。
いつか、誰かが言っていた。
悪いのは、僕らを追い詰めた人たちだ。必ずしもウェイドさんが全ての責任を負うべきだとは、言い切れない節があった。
色々なことを知っていく過程でそんな感情を抱いていた。もちろん、サンドラには打ち明けられない。ウェイドさんを憎むのも、彼女の当然の権利だと思うから。でも、サンドラはサンドラ。僕は僕だ。僕の答えもまた、誰かに左右されるものじゃない。
そんな思いに加えて近頃、僕はむしろウェイドさんに好感を抱く節すらあった。
あの、いつ死んでもおかしくはなかった森の道中。
先導する二人の勇士は、自分の水も、食料さえも限界まで削って自分達を生かそうとしてくれていた。
夜毎に襲い来る魔物を、ただでさえ疲労が重なっているにも関わらず、自分達を守るためにほとんど眠ることなく守り通してくれた。
無事に森を抜けられた、あの日。
生還に沸く自分達を安堵した様子で眺めるウェイドさんの横顔が、僕には忘れられなかった。
──あんなにも穏やかに笑う人が、悪人だとは思えなかった。
僕たちからはわざと距離を取って、メアさんと二人で和やかに達成感を噛み締める姿のどこに、大罪人と呼ばれる所以があるものか。
懐柔された。絆された。丸め込まれた。
サンドラから言わせればそうなのかもしれないが、必死な彼の姿を見て、僕の中で彼を憎む気持ちなどすっかり小さなものになっていることに気が付いた。
だから彼の力になりたいと思ってアルザスの道案内を立候補したのだが、結局はその役目もサンドラに奪われてしまったわけである。
「サンドラが心配で……」
「私も、ウェイドさんが無茶しないか心配です……」
「「はぁ……」」
似たような悩みを抱える僕らが揃って溜め息を吐く傍ら、僕らは人目に付かない場所に移動して「フジツガイ」を放つ。
メアさんに頼まれたことの一つだ。
フジツガイの飛んで行った先に協力者がいるから、との言葉を信じてアルザスの空を飛んでいく小鳥の後を追う二人組の姿と言うのは、人の目には珍妙に映っただろう。だけどもそれもリリスさんの隠匿魔法で周りの視線など気にならない。
そうしてフジツガイの後を追っていった先で待っていたのは、協力者と呼ばれる一組の男女。
女性の名を、リーザロッテ・リーゼンベルク。男性の名をジルヴァリウス・フォークレアと言い、両者ともに近衛騎士なのだと聞いて、僕は開いた口が塞がらなくなった。
ましてやそんな二人の協力を得てこれから領主邸に忍び込むと言う話を聞いて、僕が一層苦い顔を示すも、元よりそれが本題であった、と数日前に抱いた初心を思い出して奮起した。
フォルダー領アルザスの街の中心に居を構える、領主フォルダー伯爵邸。
その守りはアルザスの街の守りよりも厳重かと思えるほどで、「元」が付くとは言え近衛騎士隊の二人でさえも苦戦を強いられるとばかり思っていた。
だと言うのに、結果はと言うと。
殊の外あっさりと侵入出来てしまった。
それもこれも、全ては協力者、ジルヴァリウス様の知恵と経験あってのこと。
伯爵邸への侵入において最も警戒すべきは、潜入作戦において八面六臂の活躍を見せるリリスさんの隠匿魔法のような姿を隠したり、変装した姿を暴く魔法具、いわゆる『姿現し』の魔法具であった。名のある貴族の屋敷には必ずあると言ってもいい、その魔法具。もちろん、僕やサンドラの生家には無かった。詳しい言説を備えるジルヴァリウス様の話では、姿現しの魔法具には外周型と内径型があるらしい。どちらも魔法具を中心として発動されるもので、外周型は境界線を生み出すもので、内径型は一定範囲内を姿現しの魔法に晒されるのだとか。外周型は範囲が広大だが外周にのみ姿現しの魔法が掛かり、内径型は範囲が非常に狭まるが範囲内は常に魔法が発動している、と言う差別化がされているらしい。要するに、外周型はカーテンで、内径型はドームだという事らしい。
伯爵邸に向かう傍ら、突如として始まったジルヴァリウス様の講義は大変勉強になるもので、僕はすっかりジルヴァリウス様の落ち着き払った態度に大人な渋さを覚え、博学な上、無知な僕にも分かりやすく説明して下さる優しさに憧れすら抱いてしまう。こんな大人になれたら、と思う傍ら、僕は無意識に二の腕を隠すように手で抑えていた。反面、リーザロッテ様は言葉尻が強く、話し掛け辛かった。
ジルヴァリウス様の貴重な話に耳を傾けていると、初めてその魔法具に触れる僕はまだしも、リーザロッテ様とリリスさんも「へぇ」と仰っていたため、これが一般教養では無かったことに安堵したのは内緒だ。と言うか、リリスさんは自分の生得魔法の天敵なのだから知っておかなければならなかったのでは、と思うも口に出来るはずは無かった。
僕はサンドラのように怖いもの知らずじゃないのだ。それに、サンドラから又聞いた限りでは、リリスさんは学生時代からウェイドさんにぞっこんらしいので、ウェイドさんの後を追う以外は雑音だったのかもしれない。
そんな姿現しの魔法具だが、ジルヴァリウス様曰く、伯爵邸に備えられているのは外周型。伯爵邸の魔法具は外周型らしく、そこを乗り越えさえすれば、邸内ではリリスさんの魔法で好きに調べ放題なのだとか。
魔法具はあくまでもアーティファクトを模倣したもの。性能は本家本元のアーティファクトには比類しない。それゆえに、帝都にそびえる帝城にあると言われる姿現しのアーティファクトは、巨大な帝城をすっぽりと覆い隠せる程に範囲も広大かつ、帝城のどこにいても姿現しの魔法が掛かる、外周型、内径型両方の性質を併せ持つのだと言う。帝都に近付く予定の無い僕らには縁遠い話だと思いながらも胸に留めつつ、元近衛騎士隊の二人が誰にも見つかることなく伯爵邸への道を拓いた後に僕らも続いた。
「近衛騎士隊は、こんなこともやるんですか?」
「密偵の真似事なんてまだ楽な方よ。貴族相手に腹の探り合いする方が何倍も面倒だもの」
「確かに……」
「確かにって何? あたしが馬鹿っぽいとでも言いたいわけ? あの変態男、やっぱり変な事吹き込んでるんでしょ!」
「リザ、落ち着きなさい。お前は本当に直情的なのですから……。彼は元貴族です、少し考えれば言葉の意図くらい分かるだろう。それと、余り騒がないように。彼女の生得魔法があるとは言え、怪しまれればすぐに見つかる。伯爵邸の包囲網を抜けるのは、多少……骨が折れる」
伯爵邸の守りを固めるのは、帝国軍の兵士や伯爵の私兵たち。それを前にして、戦力外の僕らを守りながらでもたった二人でその壁を切り抜けられると豪語するジルヴァリウス様に、近衛騎士が強者であることを再確認させられる。
僕らはそのまま伯爵邸を衛兵たちの目を掻い潜りめぼしい情報を浚っていくのだが、僕らが求める情報はここには無いようだった。
「予想していたことだが、戦争の主導権は軍部が握っているようだ。総督を兼ねるはずのフォルダー伯爵を無視できる程、軍部の意見が強いという事か……? そんなことをすれば、謀反を起こされても文句は言えない。これも殿下のお考えであるなら、下手をすれば国を二分することになるぞ」
「二分どころで済めばいいですけど。それはそうと、ジルヴァ様? 何やら、扉の外が騒がしくありませんこと?」
ジルヴァリウス様が難しい顔をして書類を検めている最中、一人別行動を取っていたリーザロッテ様がそう言って注意を促した。僕とリリスさんも揃って耳を澄ますと、聞こえてくるのは衛兵たちの慌ただしい騒ぎ。
どうやら、伯爵邸にコレクションされた宝石の一つが盗まれたのだと、騒ぎになっているようだった。まさか自分たち以外にも侵入者が、などと思ったのも束の間。ジルヴァリウス様には心当たりがあったらしく、一際低い声音で彼女の名を呼んだ。
「リザ」
「……これは、落ちていたから拾ってきただけです」
「……リザ」
「だってだって! ここ最近滅多に買い物とか出来ていませんし、持ってきたアクセサリーの類も流行り落ちしたものばかり……! かと言って大手を振って買い物が出来るわけでもありません! なら、どこかで調達するしかありませんでしょう?! それにほら! あたしが選んだのはフォルダー伯爵のコレクションの中で一番値打ちのあるブルーダイヤモンドですから! 見る目有るでしょう? それに何より、このままでは着飾る精神を忘れたぼんくら貴族になり落ちてしまいます! ジルヴァ様も、部下が冴えないと日頃の任務も退屈になるでしょう?」
だって、と駄々を捏ねるリーザロッテ様の姿というのは、つい数分前に抱いた近衛騎士への畏怖すら忘れていってしまいかねない。僕の感情は乱高下を繰り返し過ぎて、風邪を引きそうであった。
頭を抱えたジルヴァリウス様はリーザロッテ様の説得を諦めた様子で僕たちに向かって静かに顎を引く。
「二人とも、この不肖で不出来で愚かな部下が迷惑を掛けます」
「い、いえ……。明日の配備状況や逃走経路を確認できただけでも十分かと」
もしここが敵陣のど真ん中でなければ、ジルヴァリウス様は彼女の名を盛大に叫んでその頭を引っ叩いていただろう。同じ近衛騎士として、上司と部下の関係だから出来ること。
木っ端の貴族と言えども、僕やサンドラだって贅沢を知っている。貴族とは、見栄を張る生き物だ。金に糸目を付けずに買い物をするのは、男の僕だって楽しかった。サンドラは毎度、それはもう、アレを買ってアレを見てアレをして、と楽しげに話していたのを覚えている。だから僕にも、リーザロッテ様の言い分も分からなくは無かった。
だけども当然、盗むのは話が違ってくるわけで。
「ジルヴァ様のケチ……」
「黙りなさい。次こんな真似をしたら、ハリス様に報告します」
「そ、それだけは勘弁を……!」
結局、リーザロッテ様は見つけてきた宝石を置いて行くしかなかった。その時の葛藤する彼女の醜態を目に納めなかったのは、我ながらいい判断だったように思える。
見たら最後、僕は言葉に出来ない何かに取り憑かれていたかもしれない。物凄い唸り声が上がっていた記憶はまだ新しい。
それから僕とリリスさんは、「力になれなかった」と口にする近衛騎士二人と別れ、アルザスの街に点在する難民区の調査に向かう。
ジルヴァリウス様とリーザロッテ様もまた、ウェイドさんやリリスさんの逃亡を手助けしたとして同じように人相書きが出回る指名手配犯。僕らより先にアルザスに滞在していたようで、これ以上アルザスに長居するのは危険だと言うこともあり、二人は今夜中にアルザスを離脱するとの事。僕たちの身も案じてくれて、一緒に離脱しようと声を掛けてくれたが、リリスさんは頑なにそれを拒んだ。曰く、ウェイドさんの力になりたいのだと。そう強く言葉にしたリリスさんに二人は余りいい顔をしなかった。言動から薄々感じていたが、お二人はウェイドさんとメアさんを良く思っていないらしい。
アルザスの街はすっかり人が居なくなったものかと思っていたが、それは難民区周辺に限った話で、中央市場が開かれる中央街道や、領主邸の周りには多くの人で溢れ返っていた。
四つある難民区に向かうには中央市場が開催する人混みの中を通っていくしかなく、人混みの中でリリスさんの魔法を使うわけにはいかない。リリスさんの魔法は姿が見えなくなるだけで、そこには確かに空白が生まれてしまうからだ。隠れようとして却って目立ってしまう。ゆえに肩で風を切るとは正反対に道の端を歩く最中、リリスさんが不意に足を止めた。その視線の向く先は、テラス席のあるカフェだった。
「あそこ、知ってます? アルザスで一番人気のカフェなんですよ」
「ええ、もちろん。僕もサンドラと一緒に何度か言ったことがありますよ」
「まあ。お二人は幼馴染なんでしたっけ? 羨ましいですね。私も、いつか……」
恋仲だけでなく、友人同士、家族同士でも気軽に来れるおしゃれなカフェだ。確か、帝都の人気雑誌に取り上げられて一躍人気店になったのだけれど、僕とサンドラはそれ以前から通っていたお気に入りの店の一つだった。それももう、大分過去の記憶になりつつあるが。
夕暮れに差し掛かるアルザスで、斜陽を背に団欒を楽しむカフェ客の姿は、リリスさんの目にどのように映っているのか。僕には、リリスさんと向かい合うウェイドさんの姿がそこにはあるように思えた。
……リリスさんがウェイドさんを好きなのは分かる。それに対して、ウェイドさんがリリスさんを好きではない訳ではないと言うのが、僕ら仲間たちの間での共通認識であった。
とは言え、ウェイドさんに深い事情があるのを僕らは知っている。大陸中の誰もが彼を恨んでいる。それを棚に上げて、さっさと幸せになってしまえと言える程、僕らは僕らの中できちんと答えが出ている訳ではなかった。僕はリリスさんの瞳に宿る哀愁にも似た何かに気後れしてしまって直接的なことを聞けなくなる。
お陰で、僕の口は情けなくも今しがた別れたばかりの近衛騎士たちについての話題を選ぶ他無くなる。
「ウェ……エド、さん達とあのお二人の間に、何があったか聞いても?」
「ふふっ。正確には、メアさんが恨まれている、と言うのが正しいですね。ほら、メアさんって正気のまま人をおちょくるのが好きだから。近衛騎士相手にも、容赦が無くて」
「怖いもの知らずですか、あのお方は……」
「ウェイドさんが恨まれている理由は……、まあ、皆さんと同じです。あの人達もまた、紫晶災害で大事な人を石にされてしまったから……」
「リズ、さんは、その──」
「──ちょっと、いいか?」
そうして言いかけた瞬間、僕らを呼び止める声が掛かり、僕は驚いて盛大に肩を跳ねさせた。
「どうか、しましたか?」
その声に振り向いた先に居たのは、帝国軍兵士。
声を掛けた相手の方が驚くほどに慌てふためいて挙動不審になる僕に代わって、リリスさんが落ち着き払った様子で応対する。咄嗟に目深に被り直したフードからは、彼女の口元しか見えない。
「頭までフードで隠した奴は見慣れなくてな。悪いが二人とも、一度、フードを取って顔を見せてもらえるか?」
「……ごめんなさい、私は、特に顔の傷が酷いの。だから、これで納得してくれる?」
「我々は賄賂には──っと、これは、割符……! そうか、これはすまないことをした。言い訳のようだが、我々帝国兵は今、少々気が急いていてな」
動揺の一つも見せずに、口調や声音さえも変えてリリスさんが兵士に見せたのは、割符。アルザス領主、フォルダー伯爵が発行する割符は、フォルダー伯爵の客人とも取れる証明であり、伯爵の私兵でなくとも割符を持った人物への尋問は行われない。僕も貴族時代、サンドラと一緒にその割符を持ってアルザスに何度も遊びに来ていたからその効力は分かっていた。
「何か、ありまして?」
「少々トラブルが発生しまして。ですがご安心を。アルザスの安全は我々帝国軍が御守り致します!」
兵士はその言葉と共に「失礼します」と口にして下がっていく。彼の進む先は、騒ぎが増していく領主邸の方角であった。
僕たちはいそいそと人混みを抜け、難民区への道すがら、人気のない場所でホッと息をついた。
「ごめんなさい、役に立てなくて」
「いいえ、あれは無理もありませんから」
「割符があって、助かりましたね……」
「ええ、本当に。……ウェイドさんは離れていても、こうして守ってくれるんです」
命を救ってくれた割符を胸に抱きながらリリスさんが放った言葉は、僕に聞こえるか聞こえないかと言うくらいのか細い声量であったが、その熱っぽい表情を見ればなんて言ったのか、大方想像はつく。もしも僕がリリスさんに恋心を抱いていたとしたら、その恋が叶わないことを察するくらい、リリスさんの横顔は甘酸っぱかった。
しばらくの間リリスさんはその気持ちに浸った後で、僕らは目的の難民区の散策へと移った。
とは言え、難民区では領主邸同様にめぼしい情報は手に入らない。夜になれば暗闇に閉ざされる難民区周辺は散策には不向きで、限られた時間で調べることが出来たのは二つの難民区だけだった。
アルザスには、全部で四つの難民区が存在する。
そのうちの二つを見て回ったのだが、そのどちらももぬけの殻。難民区の異変は近衛騎士のお二人からも聞かされていたが、増々謎が深まったとすら言える。
何せ、僕らが二十時間近く前に出入りした難民区。
あの時はまだ人が大勢転がっていたはずなのに、僕らが見に行った時には既に、人っ子一人居なくなっていたのだから。
それには驚いたが、僕らがその謎を解くに至ることはなく、大人しく宿に向かうのだった。
補足と言う名の、言語解説。
【元近衛騎士】
フジツガイの行き着く先。森の中でメアに外部の情報を提供していた連絡相手。
彼らもまたメトロジア大森林に踏み込み、追手を捌いてくれていた。一度追手が退いた後で彼らは近衛が派遣されることを情報として渡した後、アルザス以東の村々を転々としながらフジツガイの連絡を待ち続けた。結果、エルフの奪還作戦の最中、アルザス滞在中にリリスとトルネがやって来てウェイド一行の無事を知ることとなった。




