四節 人為1
◇
「それで……。昨夜のこと、説明して下さるんですか?」
「ああ……」
翌朝。
朝日がアルザスを照らし出すよりも早く目を覚ましたサンドラが、寝起きの重たい瞼も相俟って訴えるようなジトっとした目で俺を見つめてくる。熱さはなく、痛みだけが生じるような目線だ。
一方で、エルフの男ラクロロは、一人優雅に部屋に一つしかないベッドを占有して未だ夢の中である。
昨晩、俺は宿に戻ってすぐ、疲れた体を癒すべく休息に入った。肉体的疲労とは違い、精神的疲労は時間の経過での回復はあまり見込めない。ある程度までは無視することが出来る肉体的疲労とは違って、無視の出来ない精神的疲労は、明日に持ち越せば万が一の場合に正常な判断が出来なくなる恐れがあった。
だから酒場で得られた情報の共有は明日に回してサンドラにも休息を促したのだが、部屋に一つしか置かれていないベッドに、部屋に戻るやいなや酔っぱらったラクロロが飛び込んでしまったではないか。お陰でサンドラが床に寝る羽目になった結果、翌朝に心地良い目覚めとは到底言い難い様子で目を覚ましたサンドラと目が合うことになった。
心許ない蝋燭の小さな灯りで寝癖を梳かすサンドラを待ってから、俺は話した。
「──奴らは、神の代弁者だ」
「神の代弁者……、ですか? そんな集団、聞いたこともありませんが」
「聞いたことが無いのも無理はない。何せ、帝国でも極一部の人間しか知らない組織だからな。もちろん、本来なら俺でも耳にする機会なんて絶対に無い秘密の組織だ。だけども生憎と、そう言った情報に飢えている奴が傍にはいたもんでな」
「メアさん、ですか」
「ああ」
こくりと頷くと、サンドラは昨晩の、今から数えておよそ四時間前にあった酒場での出来事を思い返していく。彼女はどうやら、俺達が会話を交わしていたカウンター席から離れたテーブルに座りながら聞き耳を立てていたらしい。実に職務に忠実であって何よりだ。
「最後、アノニムさん……? に耳打ちされていましたよね。あれで、気が付いたのですか?」
「ああ。あの女はアノニム、なんて名前じゃない。あの女の本当の名前は、ミーナス。ミーナス・アムル・ポルポラス。アムル・ポルポラス。ポラス神の愛し子の名を持つ、選ばれし聖職者だ。その名の通り、あの女は聖神教秘蔵の破壊兵器。俺も名前しか聞いたことが無かったから姿を見るのは初めてだった。だが、大司教を引き連れているくらいだ。まず間違いなく本物だろう。神の代弁者の首魁、聖神教の隠し玉だな」
「ミーナス・アムル・ポルポラス……。聖神教の隠し玉……。そんな御方が、どうしてアルザスに? まさか、聖神教は戦争に手を貸すのですか?」
「いや、恐らく別の目的があるんだろう。もしそうだとすれば、辻褄が合わないからな」
「辻褄、ですか?」
「戦争に参加するつもりなら、あの場でエッダを始末していたはずだ。聖神教が帝国軍と手を結んだとすれば、あいつは味方の、帝国軍の邪魔をする存在。加えて、聖神教の醜聞を広めようとすらしていたからな」
「私たちの前だから殺さなかっただけでは?」
「もしそうだとしても、あの二人が連れ帰ったエッダが死んでいれば、聖神教は間違いなく黒という事になる。……どうした? エッダを見殺しにしたのか、とでも言いたげな眼をしているな」
「ええ、よくご存じで。殺されるかもしれない場所に、彼女の身を預けたのですか? それでもあなたは──」
「人でなし、だと思うか? ……俺もそう思っているよ。だけどな、俺はお前達を優先しなければならない。あの場で下手に噛み付けば、俺達が怪しまれるだけだ。いくらエッダが俺達呪い人を一人の人だと認識してくれるかけがえのない存在だったとしても、サンドラ。お前の命と比べても比較にならない」
「……」
「理解してもらう必要はない。ただ、俺はメアのように器用ではないという事だけは覚えておいてくれ」
もしもあの場にいたのがメアだったなら、もっと上手く立ち回っていた。その確信がある。
もっと上手く、欲しい情報だけを引き出して、こちらの情報は何一つ渡さないと言った立ち回りが出来たことだろう。だが、俺にはそんな器用な真似は出来ない。あの場を乗り切って、後に繋げることしか出来なかった。例え出会う場所が違えば友人になれたかもしれない相手を見捨てたことになったとしても。
サンドラからの責めるような視線を受けながら、俺は報告を続けた。
昨晩の酒場での出来事の内、最も報せなければならないことを。
「それから、あの女。俺が指名手配のウェイドだと、気付いていた」
「ッ、それって、不味いんじゃないですか?!」
「ああ、とても、まずいことになった」
アルザスには、街のいたる場所に指名手配の人相書きが貼られている。俺の脱出に手を貸した近衛騎士を始め、俺とメア、それからリリスの人相書きが誰の目にも留まるようあちこちで見かけていた。幸いだったのは、リリスがあくまでも賞金首の指名手配ではなく、捜索願だったことだろうか。彼女はまだ、共犯関係にあると知られていないようだった。
そんな指名手配の人相書きから暴かれたのか、それとも他人を看破できる何らかの手段を持っているのか。アノニム、もといミーナスは俺の正体を見破り、挙句の果てには、「黙っている駄賃だ」と言って、俺の血で汚れ、圧し折れたただの十字の首飾りを引き千切って行った。
俺の話を受けて顔から血の気を引かせたサンドラについでとばかりにその旨を明かしたものの、サンドラは「そんな女の何を信じられるものか」、と言って憤慨した。
「何、バレてるんですか」
「そうは言われてもな……」
相手がどんな手段で俺の正体を看破したのかさえも分かっていない。防ぎようがないものを責められたって、俺には反省のしようがない。
それに、奇しくも俺はサンドラと同じ意見であった。
俺とミーナス・アムル・ポルポラスの間に、信頼関係は何一つ育っていない。ゆえにあの女の言うことを信じ切るなど、愚行に他ならない。
「予定通り、今日を調査の最終日として、俺達は派手に動く」
「派手に、ですか。帝国軍を引き寄せる羽目になりませんか?」
「派手に、とは言っても、昨日のように慎重に慎重を期す必要が無くなった、と言うべきだな。わざわざ相手が水面下で動いてくれているんだ。俺達が水面を荒らす必要はない。今日は少し、人目の多い場所に向かおうと思う」
ミーナス伝いか、もしくはそれ以外からの情報筋か分からないが、まず間違いなく今日の時点でアルザス側に俺の情報が知られていると見ていい。帝国軍の手腕があれば、それくらい容易いだろうから。ミーナスがチクろうとそうでなかろうと、結果は変わっていなかっただろう。それでも今の時点で宿屋に兵士が雪崩れ込んでくるような事態になっていないということは、向こうは俺達に気付かれていないと思い込んでいるのかもしれない。
向こうが慎重を期すのであれば、こちらは相手が動きづらい行動を取るべき。
せめて、相手の指揮官の顔くらいは拝んでおきたいものだ。
呪い人を難民諸共虐殺することを厭わない非道な指揮官の顔くらいは。
「なら、本日はどこへ」
「──中央市場に向かうぞ」
昨晩の酒場での出来事は、あくまでも前座に過ぎない。
今日の佳境を超えるためには、一瞬たりとも気を緩めてはならない。俺は短く言を吐いて、二日酔いに苦しむエルフの男を叩き起こすのであった。
◇
「俺だって好きで価格を吊り上げてるわけじゃねえ! 税金で半分も品物を奪われたんだぜ。不景気は誰も得をしねえ!」
「前は勝利して当然だったのにねぇ……。今じゃ、あちこちで帝国は敗走続きだそうよ? アルザスも大丈夫かねぇ」
「凄い人の数だって? 馬鹿言っちゃいけねぇ。本物は、これの倍はいたぜ?」
「聞いたか? 昨日、領主邸に盗みが入ったそうだ」
「最近は兵士たちの取り締まりも厳しくってな。なんだかピリピリしてんだ」
「馬鹿言っちゃいけねぇ! 聖神教の怪しい噂だぁ?! 信徒になんてことを聞くんだ、あんたは!」
「変わったこと? 特に何もない……いや、一つあったな」
アルザスの中央市場。
人でごった返したマーケットをいくつも巡り聞き込みをしていく中で、めぼしい情報を持っていたのは一人の商人だけだった。
チップをちらつかせる指に銀貨を捻じ込むと、驚いた顔をして話し出す。
「詳しく聞かせてくれ」
「へへっ、毎度。とは言っても、大した話じゃないぜ? 俺は帝国軍に仕入れをする商店の卸しも兼ねているんだが、一週間くらい前だったか、変な注文が入ったんだ。俺が普段取り扱わない品で、取り寄せるのに苦労した覚えがある。仲介先も用途は分からんって言ってたぜ」
「それが何か聞いても?」
「ああ、別に特別変わったものじゃねぇよ。俺が普段取り扱わない、ってだけで、変なものじゃない。確か、マキラ草と、アブミタケ、だったな。どちらも、煎じれば薬になるもんだ。大した話じゃなかっただろ?」
「どちらも薬草だ。戦争が起こるなら、何も変じゃないだろう?」
「だから言っただろ? 大した話じゃないって。ただ、俺が普段扱わない商品を頼まれた、ってだけの話だ。薬草はそれ専門に扱っている商会じゃ駄目なのか、って聞いても、出来るのか出来ないのか聞いて来るばっかりでな。まあ、結局は金払いがいいもんで仕事を受けたってだけだ。参考になったか?」
「ああ、ありがとう。傭兵として生計を立てている身としては、帝国軍の動きはなんでも参考になる。生憎と、月華団にハブられているものでな」
「月華団は来るもの拒まず、って良く聞くが、まさか兄ちゃん。とんでもない失敗をしでかしたのか?」
「まあ、そんなところだ。情けを掛けると思って、安くはならないか?」
「生憎と、うちは顧客には困ってないもんでね」
タハハ、と笑ってから次の客に移った店主に背を向けて、俺はそそくさと立ち去った俺は、別れて行動していたサンドラとラクロロに合流した。
「──とまあ、めぼしい収穫はその程度だな。サンドラは?」
「もぐ。私の方も、もぐ。似たようなものでした、んぐ。新しい収穫は、あむ。特には、もぐ。ですが、流石は経済都市、もぐ。東都ですね。んぐ。こんなご時世でも、あむ。活気が溢れて、もぐ。人でごった返しているじゃないですか、んぐ」
「食うか喋るかどっちかにしろよな……」
中央市場。
メトロポリスとも呼ばれる大都市に数えられる東都アルザスの中心地で開かれた市場に陳列された品々の種類は優に千を越える。加えて、流れ込んでくる品々は東都アルザスに持ち込まれるとだけあって、質の高さは帝都と比べて遜色ないものばかり。そして、それだけの品が運び込まれてくるということは、周辺地域から運び込まれた情報が飛び交っているということでもある。
俺達は色とりどり、様々な誘惑を繰り出す品々に目移りすることなく、精査した情報を選ぶために中央市場に足を運んだのだが、サンドラの手には溢れんばかりの具を挟んだピタパンがあり、そのサイズは彼女の顔の半分程もあった。
『……』
「お前もか」
出発前は二日酔いでダウンしており、市場に向かうまでは猫背のまま頭を抱えていたエルフの男ラクロロだが、市場に辿り着くやいなや背筋をシャンと伸ばして目移りする屋台に釘付けとなっていた。アレが欲しい、と指で示されお金を渡したかと思えば、次はあれ、次はこれ、と気が付けばラクロロの両手には中央市場の屋台飯で溢れ返っていた。そしてラクロロはそれを俺やサンドラに分け与えるわけでもなく、一人でワイン片手に盛り上がっている。
思わず「なんなんだこいつは」と思わずにはいられないが、俺も初めて帝都の活気あふれる市場を前にした時はテンションが上がりラクロロのように食い切れない分まで買い漁ったのを覚えているため、おのぼりさんの気持ちが痛いほどよくわかる。それがゆえに責めるに責められないのだ。
と言うか、人間の言語を喋れないくせに随分と順応しているな、こいつ。
「エドさんも、そんなキョロキョロしていると却って怪しまれますよ。せめて観光客の振りをして順応するくらいは見せた方がいいです」
「それもそうだが……目的の情報は集まっているのか?」
「エドさんの方は?」
「さっき言ったので全部だ」
「これだけ人がいてこれだけの情報しか無いとなると、何かしらの情報統制がされていると見て良いでしょう。もう少し、人の流れが増えるのを待ってみて、それでも何も得られないのであれば……」
「ああ、分かっている」
サンドラの提案で三人掛けのベンチに腰掛ける。ラクロロはすぐにまたワインのお代わりを注ぎに行ってしまい二人きりになる。
ベンチに腰掛けた視線の先。そこには、行き交う人々の隙間に水の枯れた噴水が置かれていて。水の都たる所以の光景が見られないのは、味気なく感じられた。
「……エドさんは、リリス──リズさんのどこが不満なんですか?」
「は?」
そんな中、不意に耳朶を打った言葉に、俺は呆然と口を半開きにして振り返る。
以前の半分に落ち込んだ人口も、そんな気配を感じさせないくらいの活気を宿した中央市場で、ノスタルジーにも似た何かに包まれていると突然、サンドラは言った。
「ですから、エドさんはリズさんのどこが不満なんですか、と聞いているんです」
「いや、聞こえなかったわけじゃない。どういう意図で、どういう意味で聞いているのかを聞き返したんだ」
どうしてここでリズ──リリスの話題が持ち上がるのか。何の脈略も無かった気がするのだが、サンドラには俺には見えない話の流れが見えていたのだろうか。
「格が違えど、私も元貴族だから分かります。自分の地位も家族も何もかも捨てることが出来るのは、同情や憐憫なんかじゃ絶対に無理だと。リズさんを突き動かしたのは、愛以外にありません。それなのに、あなたはどうしてリズさんの思いに答えてあげないのですか? あんなにも美人で、愛嬌もあって、気が遣えて、あなたに尽くしてくれる。後は何が足りないのですか? あれほどの人に好かれて振り向かないなんて、エドさんはどれだけ高望みをしているんですか?」
女性は恋や愛の話が好きだと聞いていたが、まさかこれほどまでとは。ここは敵陣のど真ん中だぞ。
一瞬の隙を与えたが最後、話の脈略など関係無いのだと俺は学んだ。
リリスへの答えは、ずっと前から俺の中では固まっている。
だからだよ、と口に含みながら、言った。
「……俺は人に好かれていい人間じゃない。サンドラ、それはお前が一番知っているはずだ。そう遠くない未来で、俺はお前に殺される。そんな俺が誰かを幸せになんて、出来ないことを」
「それは……」
「例えお前がリズを想って俺を殺すのを諦めようとしたって、俺を殺したい程憎んでいる奴らはごまんといる。そんな奴に、お前はリズを嫁がせるのか? あいつの幸せを思うのなら分かるはずだ。違うってな。……リズには、──リリスには、幸せになってもらいたい。俺だって分かるさ。あいつがどれだけ良い女なのか。だからこそ……、だからこそ、なんだ。俺如きに構う時間は、あいつの人生にとって汚点だから。……そうだ。良ければ、お前の方からあいつを説得してくれないか? あんな男、諦めた方がいい、ってな」
「言ってますよ。再三、忠告しています」
「そうか。……そう、か」
傍から見れば、俺はきっと愚か者なのかもしれない。
あれほどまでに俺を好いてくれる人は、きっとこの世に二人と存在しない。
だが、帝都で彼女からの告白を断ったことに未練なんて無い。昔からずっと、俺はシスターフィオナが好きだったから。彼女がハーヴリーに汚されたと知って俺の恋は破綻していたことに気が付いたが、それでリリスに乗り換えようとはならない。それは、リリスにも、シスターフィオナにも失礼だからだ。
だから俺は、リリスが無事に彼女の家に帰れるよう全力で彼女を守る。リリスは、俺が連れ出して来てしまったようなものだから。そこには恋情も同情も存在しない。あるのは、使命感のみ。
リリスに向ける感情は、それだけで十分だ。
「……」
俺がそう言うと、サンドラはすっかり黙り込んでしまう。
彼女が今どんな表情をしているのかは分からない。俺も、彼女の顔を見ることができなかったから。俺達の間に深い沈黙が流れ出した頃、俺達の背に声が掛かった。
「おや? その後ろ姿はもしや……、エドさんでありますか? おお、良かった。見間違いではありませんでした。昨晩ぶりであります」
「エッダ……! お前、無事だったのか」
声の主は、昨日とはまた違う様相の服に袖を通したエッダだった。
東都と呼ばれるだけあって道行く人の服装は皆、洒落ている。それはエッダも例に漏れずであり、背丈の割にスラッと伸びる手脚の持ち主であるエッダには、街娘の恰好が良く似合う。ただ、腰に佩いた剣がそれを台無しにしているとは口が裂けても言えないが。
今朝方、そんな彼女を囮に使ったと公言した手前、会わせる顔が無いものであったが、いざ無事である彼女を前にした俺は、恥も外聞もなく湧き出る喜びを隠せずに腰を浮かすのだった。
「はい! その節はどうも、ご迷惑をおかけしました。エドさんが酔い潰れた本官を守って下さったこと、お礼を言いそびれていたでありますね。本官の貞操を守っていただき、ありがとうございました」
「礼を言われる程のことは、何も。ところで、エッダと一緒にいた二人は?」
「彼らでありますか。恥ずかしながら、本官はあの後二人に介抱されながら宿に運び込まれたところまでの記憶しかないのであります。聖職者の彼らの事ですから、恐らく教会に向かったものかと思い本官も教会に足を向けたのですが、どうやら入れ違いになったようで……」
教会に踏み入れただけで危うく剣を抜きそうになりましたよ、と軽妙な口ぶりで付け加えるエッダに、俺は軽く口元を歪めるにとどまった。
「本官はこれから兵舎に向かい荷物をまとめるところなのですが、エドさん達は……、朝市の観光でありますか?」
「ああ、そんなところだ。直にアルザスを発つ予定だから、最後の物見遊山だな」
サンドラやラクロロが手に持つ品々に視線を向けたエッダに問われ、頷き返す。
確かに、もしこの場で何も持っていなかったら、名物の朝市で何も物色しないなんて、と怪しまれていたかもしれない。その場合はこれから見て回るところだと言い訳出来なくも無いが、こうして満喫している姿を見せれば、相手に疑われる隙を与えない。見て分からないか? と逆に問い返すこともできるのだ。
サンドラの言い分は、サンドラやラクロロが情報収集そっちのけで好き勝手に市場を物色していたという言い訳では無かったということが証明された瞬間でもある。……まあ、ラクロロは何も考えていないだろうけど。だが、彼の外套のフードの下から覗く目の輝きは、森林国家とまるで違う発展を遂げた帝国の街並みや、大陸中から集まる品々が並ぶ市場が物珍しいと語っているようであった。
俺も叶うことなら中央市場を満喫したいところだが、与えられた任務が最優先だ。アルザス全体の戦争に対する雰囲気と言うか、姿勢を探れたものの、あと一つか二つ程度、市場で情報を仕入れたかった。
「……エドさん。そろそろ」
日の出と共に始まった中央市場は、時間の経過と共に人の数と活気が増していく。
紫晶災害によって人口が半数にも減少したとは言え、流石は東都である。話に聞くよりも、この目で、耳で、肌で感じる活気は、実際に人が生きていることがヒシヒシと伝わってくる。
行き交う人々が動くことで生まれるエネルギー。それが活気となって街を動かしている光景は、帝都で見慣れたはずの人混みと比べても遜色ない。現時点でこれだけの人がいると言うのに、当時の中央市場を知る商人たちが口を揃えて言った、「本物のアルザス名物の市場はこんなもんじゃねえよ」、という言葉を思い出し、最盛だった紫晶災害以前の光景をこの目で見てみたかったと強く思わざるを得ない。
「……もしよろしければ、昼食を共にしませんか? 本官もアルザスに着任してから半年と経っていない身ではありますが、お気に入りのお店があるのであります」
「いや、そこまでは」
「そこを、なんとか。昨晩のお礼は、やはり言葉だけでは足りないのです! もう一度会えたらきちんとお礼をしたいと思っていたのであります! エドさんは本官と、そしてこのお財布の恩人でありますから! ご馳走くらいさせて欲しいであります」
可愛らしいデザインで、かつ高級そうな財布をポケットから取り出したエッダに上目遣いで頼み込まれ、俺は言葉を失う。頭一つ分小さなエッダの様相は幼い弟妹達を思い出させるかのようで、断るに忍びない。
俺はエッダの頼みごとを泣く泣く受け入れざるを得ないのであった。
頷くと、エッダは「はぐれないよう、本官に付いてきてください!」と張り切って前を歩き出す。
いや、まあ、時間的余裕はまだあるから問題無いと言うか。
そうやって内心で言い訳を募らせていると、情けない背中を見せる俺にサンドラから声が掛かった。
「……ロリコン」
「──ッ?!」
見下げ果てた、とでも言わんばかりの極寒の冷気を纏わせた視線と、ボソッと呟かれた深々と俺の胸を抉る言葉に、俺は言い返すことが出来なかった。
それは違う、と叫びたかった。
だが、エッダの外見に絆されたのは事実だ。彼女は立派に成人しているとは言え、多少小柄な彼女に弟妹達の面影を重ねたのは逃れようのない事実なのだから。
これがもし俺と大差ない身長を持つサンドラや、昨晩出会ったミーナスのような生意気な女がエッダと同じことをしたとしても、俺は心を動かされたりしないだろう。
ということはつまり。
果たして俺はロリコンなのだろうか。
サンドラの身も凍るような発言によって行き着いた一つの回答によって、俺は自分自身でも気付かぬ性癖に蓋をしなければならなくなる。反論の一つも出来ずに目を驚愕で見開いたまま、じっくりとサンドラを見つめ返すことしか出来なかったのである。
まさか、メアの頼みごとを断れないのは、俺の趣味嗜好のせい……? だが待ってほしい。メアはもちろんのこと、俺は弟妹達の面影を重ねた相手に欲情している訳ではない。そこだけはハッキリとさせておきたかったのだが、その隙も与えられず、間もなくしてエッダの案内してくれた店に到着してしまう。
新たに判明したかもしれない自分の趣味嗜好に俺が驚愕して震えているとも知らずに慣れた様子で「四人であります」と店員に伝えるエッダの後ろについて、案内された席に腰を下ろす。
「本官のおすすめは、このポティエであります。こちらはゼプスの名物料理でありまして、まさか赴任先のアルザスでもこの味を堪能できるとは思っても無かったのです! その感動たるや──!」
「どんな料理なんだ?」
「パンドゥと言う海洋性気候にも耐え得る芋を使った料理なのですが。本来ではパンドゥ芋は火を通してもボソボソで味も薄く食べられたものではないのです。ですが、これを粉砕してでんぷん質だけを抽出して練ることで、甘みを引き出し、それに熱を加えることでホクホク感が増すのですよ」
「口頭で聞いているだけだと、あまり美味そうには感じないが」
「ええ、よく言われるであります。ですが、パスタやパンも同じでしょう? 粉砕して、水と塩で練って成型する。ね?」
「確かに、言われてみればそうかもな」
「そしてこのお店のポティエの味付けはゼプスの家庭料理の味を踏襲しつつ、このお店だけの味を生み出しているのであります! 是非、エドさんにもお連れの皆さんにも、本官の故郷にして最先端の味を知ってもらいたくてですね──」
「では、それを人数分頼もう。……あと、ワインも」
熱く語るエッダに押し負ける形で、俺たちは初めて食べる料理を注文することになった。
エッダのお勧めの店、と言うのは、なんの変哲もない食事処。中央市場から少し外れた位置にあるお陰か、それとも時間帯のお陰か、混み過ぎず空き過ぎずの丁度良い塩梅の人の入り。キッチンとホールで飛び交う小気味よいやり取りはこの店の名物なのか、喧嘩に近い怒号が飛び交っていても、客はそれを笑って聞き流している。
エッダは特別俺達に興味を示すわけではなく、あくまでも昨晩の礼と言う形で俺達に昼食をご馳走してくれた。食事中も、中身があるようでない世間話や、エッダの身の上話などで明るさが保たれたテーブルの上での食事は、エッダが勧めるだけあって、俺達全員の口に合う味だった。
俺たちの間でも好評だったことに喜ぶエッダを前に、ほんのり酔っぱらったラクロロと冷ややかな視線を注ぐサンドラに挟まれて複雑な気分を味わっていた俺が席を立った、その時である。
「っと、わぁッ?!」
「すまない。余所見をしていた。怪我は無いか?」
「ああ、あたしの方こそ、こんな体を受け止めてもらって申し訳ないね。あたしは平気、さ──」
この店の名物女将とぶつかってしまう。
慌てて手を伸ばして支えるのだが、支えられたのは女将のふくよかな体躯のみで、彼女が両手に持っていたマグは大きな音を立てて床に転がり落ちる。
「あんた……」
「エドさん、大丈夫でありますか?」
「エド……? いや、違う。あんたは、ウェイド……。そう、ウェイドだ。見間違えるはずが無いさ。ほら、あんた、セナ村、の──っ?!」
「ッ?!」
彼女の体を支える態勢は、女性からすればさぞかし俺のフードの下の顔が良く見えたことだろう。不幸中の幸いは、女性の声が店内の騒めきに掻き消されて俺たちの周りにしか聞こえていなかったことだろうか。いや、そもそも外套の下の正体を見破られた時点で幸運に転がりようのない不幸であることには違いなかった。
慌てて女性の口を手で覆ったが、俺の心臓はうるさいほどに高鳴って、思わず動きが止まる。まさかただの飯屋で正体を看破されるとは思ってもみなかったからだ。兵士の目が至る場所にある中央市場とは違って、完全に油断していた。
店内の他の客には漏れ聞こえていないが、女性のつぶやきは俺の周囲の耳には届いていて、サンドラが速やかな退店を促す。
「……」
だが、気の逸るサンドラに腕を引かれた俺は、倒れ込んだ女性の顔を見て、その場に縛り付けられたかのように動けなくなってしまう。
なぜなら、
「…………ベラおばさん?」
女性の顔は、見覚えがあると言うものでは無かったから。
忘れもしない。
セナ村の教会兼、孤児院のシスターとして、森の道すがらに捨て置かれた俺を拾ってくれたのは、他ならぬこの女性なのだから。
月日が経ち、すっかりふくよかな体型に変わっているが、俺を慈しんでくれた優しく穏やかな垂れた眦は何も変わっていない。
俺が彼女の名前を呼ぶと、女性は俺の頬に手を伸ばして、瞳に涙を湛えながら首肯を返してくれる。
奇跡とも呼べる再会に、俺は今この瞬間の危機感すら忘れて、放心してしまうのだった。
補足と言う名の、言語解説。
【神の代弁者】
聖神教が保有する、秘匿されし戦力。
その規模は百人も満たない小規模な部隊であるが、その起源は帝国の興りと同時期である。ゆえに脈々と受け継がれてきた力があり、日夜帝国領内で暗躍の数々を取り行っていた。その頂点とも言われるミーナス・アムル・ポルポラスは、その活動理念に反するかのように派手に、大々的に活動を行っている。
噂では、ミーナス・アムル・ポルポラスは一度も代替わりをしていないとまことしやかに囁かれている。




