三節 諜報5
◇
十字は清廉や潔白、そして誠実を意味する。
そこに罰や執行を意味する逆三角形が加わると、その象徴を身に着ける者は裁量権を持っていると言う意味になる。
即ち、酒場に強盗を制圧してやって来た司祭の男女は、どちらも判決を待たずして犯罪者に裁きを加えることができる存在である。そも、彼らこそが判決を決める身分だ。万が一不興を買った場合、俺達は今この場で断罪されかねない、ということだ。
そして何よりも、それだけの高位であるにもかかわらず、男はなぜか無位無官を示す浅黄色の法衣を纏っている。いわゆる、黄衣だ。黄衣を纏う聖職者はどこの教会にも属さない奉仕の民として知れ渡っており、高官の地位に就けるような身の上ではない。だと言うのに、男の司祭は高位を示す首飾りを身に着けている。
高位の神官は皆、貴族かぶれの高慢ちきで有名である。
そんな風説と男の身なりに反して、店に入って来た時から崩すことのない人好きのする柔和な笑み。油断を誘うかと思えば、彼の背後にそびえる彼の巨躯と同等なサイズの巨大な棺桶が圧迫するような存在感を醸し出す。そのあまりにもチグハグした様子に俺は警戒して、身構えずにはいられなかった。
「──そんなに怯えなくとも、無法でない限り私たちが無用に執行力を行使することはございませんよ」
「……何も、言ってないが」
「ホホホっ。それにしても、やはり悪人を裁いた後に飲む酒は格別ですねぇ!」
まんまと不安を言い当てられた俺はバツの悪い顔を背ける。
そう、何故か二人の司祭たちは、強盗達を縛り上げてそれを兵舎に突き付けるわけでもなく、酒場に居着いてしまったのだ。しかも、四つしかないカウンター席にどっかりと座り込んで。
元々、カウンターには四つしか席が無い。だから、俺、常連の男、酔い潰れた女と既に三つの席が埋まっていたのだが、聖神教の司祭の到来を受けてビビった常連の男は、全身に回っていた酒精が泡のように弾けたのか、酔いの気配が失せた様子で一目散に酒場から飛び出していってしまった。お陰で、二つ空いた席に厄介な相手が座る羽目になってしまったことに加え、高位の司祭からならめぼしい情報の一つや二つ得られるかもしれない、と言う食い気を出したがために席を立つ機会をすっかり失った俺は「ナハハハッ!」と笑いながら豪快に酒を呷る男司祭の隣で息を殺すばかりであった。
サンドラとラクロロは、変わらず後方のテーブルで酒と食事を続けている。特に、ラクロロはエルフだ。後学のためにも聖神教がエルフを見てどんな反応を示すのか窺いたいところだが、危険を冒してまで欲しい情報ではなかった。
そもそも、高位の司祭が戦争の最前線にやって来ていると言う状況ははっきり言って常軌を逸している。
聖神教は今まで、帝国の戦争に一度たりとも手を貸したことはない。
ただ勝手に帝国が聖神教の教えを武力を笠に布教活動し続けているだけなのだから。そして聖神教側はそれを咎めることをしない。なぜなら聖神教では「戦争を厭うべき」とは教えていないからだ。
聖神教の戦争にまつわる教えはただ一つ。
──矛を収めたければ、祈りを捧げよ。さすれば、その手は敵を滅ぼすことではなく、大地を富ませるために使われるだろう。
と。
神の教えは人の数だけ解釈があっていいと聖神教は謡っている。だから教えを説く聖職者によっても解釈が異なる。
俺の育ての親にして、憎悪の象徴、ハーヴリー神父から教わったのは『私たちの手は祈るために在る。敵を殺めるためではありません。だから、手を取りましょう』という解釈。正直、パッとしない。もちろん、色々と端折った上で簡潔にまとめた内容である。そんな風に教えていたからこそ俺が軍人になったのが許せなかったのかもしれない。
だからと言って、あの男がしたことを許せるわけではないし、あの男に関しては罪悪感を覚える隙間すらなかった。
「おや、折角のエールが零れていますよ?」
「あ? あぁ……。悪い、汚れてないか?」
「ホホホ、ご安心下され。ですが、勿体のうございますな……」
……いかん。心が乱れた。
強盗を成敗し、奪われた金を取り戻してくれた司祭たちは、礼として振る舞われた一杯目の酒に感動した。だが、何故か司祭たちは酒場の旦那からの奢りは一杯で遠慮して、二杯目以降は俺に集るようになった。まあ、今回の件で一番被害額の大きかったのは他ならぬ俺だし、お礼をするのも吝かではなかったものの、俺の奢りで二杯、三杯と飲み進める司祭たちになんだか釈然としない。
と言うか、清貧を尊ぶ聖神教の、仮にも司祭という高位の地位にいながら浴びるように酒を飲むし、女司祭に至っては懐から取り出した煙草を吸いだすわで、飲み始めてからすっかり二人の司祭の印象は生臭いものに変わっていた。
とまあ、閑話休題。
要するに、聖神教は教義的には戦争を否定しつつ、帝国が勝手に広めている、と言うスタンスをこれまで崩してこなかった。だからこそ俺の隣で酒を呷る二人の司祭はこの状況に限って言えば異端であり、この戦争における鍵を握っている存在、とも呼べるものであった。
もしも聖神教が今回の戦争に参加するのであれば、状況は大きく変わって来る。
聖神教の戦力、という教義に矛盾する存在。もちろん、聖神教も聖神教で、北の聖都でただ帝国の栄華にお零れを与るだけ、というものではない。もしそうであれば、聖神教はこれほどまでに帝国のほぼ全人民に信仰されるような宗教にはなれなかっただろうから。
彼らは試される大地、と呼ばれる北の地で生き抜けるだけの術を持っているのだ。加えて、俺達は六人の強盗が手も足も出ずに容易く意識を刈り取られたと言う事実を知っている。底知れない実力の持ち主であることに違いない。それだけで彼らは十分に警戒に値する。
だから俺は慎重に。相手の顔色を窺うように口を開く。
「……あんた達は聖職者、だよな?」
「私たちは怪しいものではございませんよ。ですがこのご時世ですから。警戒するのは良いことです。特に、今のアルザスではその心構えが肝心かと思える。それに、一酒一飯の礼を欠かしてはなりませぬからな、名乗るくらいのことはさせていただきましょう」
「いや、助けてもらったのは俺の方なんだが」
「いいえ。我々は我々のすべきことをした。ただそれだけですとも。こうして施しと恵みを授けて下さった礼には、到底及びませぬ」
「これまでは、オレ達を聖職者だと見るや、野菜しか渡さねぇ礼儀知らずの奴らばっかりだったからな」
司祭の女が口走る、到底聖職者の風上には置いておけぬと思えるような発言に、司祭の男が「こらこら」と叱りつける。だが、俺としては司祭たちにお礼として野菜を施した人たちの気持ちも分からないでもない。
聖職者と言えば、質素倹約、清廉潔白のような印象が強い。自らを戒律によって縛り、贅沢を嫌って遠ざけるものだとばかり思っていた。命を奪い、糧とする肉など以ての外だと。それが大多数の国民が抱く聖職者に対する印象だろう。
だが、目の前の司祭たちは、そんな印象をことごとく壊していく。
男は喜んで酒を傾け、つまみとして出された肉料理を堪能しては、女は煙草の煙を美味そうにふかしている。嗜好品と言う名の贅沢をこれでもかと満喫しているのだ。
とりわけ、司祭の女に関しては口と態度が俺の知っている聖職者とは大きくかけ離れていることもあって、ご機嫌にズパズパと煙草を嗜む姿を見ると、俺の抱いていた聖職者のイメージが音を立てて崩れていく。それは酒場の旦那も同じなようで、食事を提供しながら引き攣った顔を戻せずにいた。
しかし思い返してみると、シスターフィオナもハーヴリー神父も、孤児院の協会でたまの贅沢として肉の切れ端が入ったスープが出された時は抵抗なく口にしていたし、むしろ喜んですらいたように思える。それもそうか。肉を食わないと人はみるみるうちに衰弱していく。いくら神に仕える身としても、体調を崩して死んだら元も子も無いだろうからな。即ち、聖神教は清貧を尊び、心構えを説いていはいるが、それを強いているわけではない、と。
だからと言って、誰も彼もが嗜好品を嗜んでいる訳ではないだろう。清貧を心がければ、まず真っ先に排除されるのが嗜好品なのだから。
酒と煙草は、二人の趣味嗜好が大きく反映されたものに違いない。
つまりは、二人は俗物な聖職者というわけだ。
とは言え、汚職でないだけマシか。
「コホン、失礼。何分、数年ぶりのエールだったもので、少々ばかり興奮してしまいました。……改めて。私の名は、コンラッド。聖教会所属の、大司教。その末席を汚させていただいております。そして、こちらが」
「……待て。人に名を聞くなら、先にお前が名乗れよ」
とんだ大物の出現に、俺は驚いて呆けてしまう。
コンラッド、と名乗った剃髪の男の肩書きがまさか「大司教」だなんて思ってもみなかった。
大司教なんて、教皇、枢機卿に次ぐ権力者ではないか。
予想していた司祭を遥かに凌ぐ立場である。帝国で例えるなら、近衛騎士団団長級の大物だ。お陰で、余計にコンラッドが黄衣を纏っている理由が分からなくなってくる。そもそも、大司教ともなれば大人数の部下兼護衛を伴って外出するはずだが、コンラッドの傍には女司祭しかいない。酒場の外に待機させているのかと思いきや、この店が囲まれている気配は無いし、もしそうであったなら、強盗達を引き渡すなりなんなりしていただろう。彼らは未だ目を覚まさず、店内の一か所に一纏めに縄で繋がれている。
それ程の人物がなぜ、と固まっていると、コンラッドが自分に続いて女司祭の紹介も担おうとしたところで、女司祭がその口を遮って俺に先に名乗るよう促してくる。
彼女は煙草の火を灰皿に押し付けて消しながら、横目で俺を見遣る。色素の薄い彼女の眼光は鋭く、そして疑念に満ちていた。酒場に至る前に浴びたサンドラの冷酷な視線とは異なるが、それ以上の厳格さに俺は背筋が伸びる思いを味わう。
フードを目深に被っていなければ俺の動揺が悟られていたかもしれない。視野が制限される不利益さえ飲み込めば、口ほどに物を言う目を直視されることから逃れられるのは大きな利点と言えよう。
だから俺は冷静を装って司祭の女に名乗った。
「……俺は、エドだ。ただの、エド。しがない傭兵さ」
「……そうかい。なら、オレはアノニムだ。ただの、アノニムさ」
俺が名乗ると、嘲弄するような笑みで明らかに偽名だと分かる名を名乗る司祭の女。
これは見透かされているのか、それとも鎌を掛けられているのか、そのどちらとも判断がつかない。
視線が交差しピリつく空気の中、間に挟まれたコンラッドは変わらずエールを流し込んでいく。大司教、と言うだけあって、かなりの大物だと分かる。
だが、視線だけが交差しにらみ合いが続き静まり返った空気の中。先に声を上げたのは、俺でもアノニムと名乗った司祭の女でもなければ、コンラッドでもない、第三者であった。
「──あなたたちは、良い聖神教ですか? それとも、悪い聖神教ですか?」
「ッ──」
「動かないで下さい。本官はただ、真実が知りたいだけなのであります。質問に答えて下さい」
ゾッとするような重く冷たい声が聞こえたかと思えば、アノニムの顔の横に傷一つ無い鋼の刃が並び立つ。それは紛れもなく酔い潰れていた女が抜いた剣であり、それを抜いた瞬間も、ましてや女が起き上がった瞬間すら、誰も知覚出来ていなかった。
アノニムがどれだけ強者であろうと、ほぼゼロ距離に置かれた刃を振り払うなど至難の業。もし仮に出来たとしても、自分と相手は無傷ではいられない。
そしてそれ以上に俺達の動きを鈍らせたのは、酔い潰れていた女の迫力である。
女は首を九十度に傾け、アノニムの影から顔を覗かせる。その目は瞬き一つせずにアノニムの汗が伝う横顔を凝視しており、顔色のほんの僅かな機微すら見逃さないという覚悟を定めているのが離れている俺からもよく分かる。
「何があったか知らねぇが──」
「問いに、答えて下さい。それ以外は、不要であります」
「……」
「……次に妙な真似をすれば、問答無用で、切るであります。もう一度だけ聞きます。あなたたちは、良い聖神教ですか? それとも、悪い聖神教ですか?」
アノニムの指先でじりじりと燃えカスを生成する煙草。
冷静さを促す言葉尻すら咎められ、遂には指一本すらも動かす猶予さえ奪われたアノニム。傍から見ている分には先の嘲弄された分が晴れていく思いだが、彼女の有無を言わせぬ迫力は俺の愉悦すらも吹き飛ばす。果たして、彼女の向ける疑惑のくくりに俺は入っているのか、否か。
そして、アノニムはどうして答えを言い渋るのか。水面下で何が交わされているのか計りかねる俺にとっては長い長い沈黙の時間が続く。もしここにメアがいたなら、もっと効率的に動くことが出来たのだろうが、俺には真似できないことだった。
そうして時間だけが過ぎるのを待つ中、一変した空気を裂くように声を上げたのは、コンラッドだった。
「お嬢さん、あなたの問いには穴が多すぎる。どこからどこまでを善良と見做し、どこからどこまでを悪と見做すか、その判断基準が明確でない限り、私たちは答えることが出来ません。ですが、敢えて答えさせていただくのであれば、私たちは常に善良であるよう努めている聖神教の一信徒であります。もしよろしければ、お嬢さんが聖神教徒を憎悪する理由を、お聞かせ願えませんか? 私達であれば、あなたの抱える闇を晴らして差し上げられるかもしれません」
「……」
その声は、耳を傾ける者に癒しと安らぎを与えるようで、彼の一声によって張り詰めていた空気が瞬く間に弛緩していくのが分かる。剣をテーブルに突き立て、覚悟を背負った女も、コンラッドの言葉に耳を貸すと、やがて脱力していくのが分かった。
先程まで酒を片手に「ナハハッ!」とご機嫌に笑っていた男と同じ声とは思えない程に澄んだ声。頭にするりと、抵抗なく入り込んでくる音は心地良さすら感じられる。
コンラッドの言葉によって、アノニムの首元に添えられていた剣は間もなく抜かれ、テーブルには傷だけが残るのだった。
聖神教への怒りを宿した彼女は、力無く項垂れる。
そしてそのまま、コンラッドなら話を聞いてくれると思ったのか、彼女はやがてポツポツと語っていく。
自分が聖神教を恨むに至った、話を。
補足と言う名の、言語解説。
【俗物聖職者】
その反面、清貧を尊ぶとされているが、食べ物に関しては制限はほとんどない。公序良俗の範囲内であれば、聖職者は好きに食事を取ることが出来るため、肉も魚も教義には反しない。
しかし、当然のことながら、聖神教の多くは教会での嗜好品を暗黙の了解として禁じている。どこの誰が、酒や煙草、薬に女、賭け事に全てを費やす聖職者がいる宗教を信仰しようと言うものか。そのような娯楽や嗜好品は聖職者にとってご法度に近く、酒と煙草を満喫する二人の聖職者は揃いも揃って異端な俗物なのであった。




